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2005年1月21日

ユリイカ 詩と批評 特集:翻訳作法

■青土社 2005年1月号(第37巻第1号)

海外文学愛好者であれば、誰か好きな翻訳者がいるだろうと思う。昔っから話が翻訳になると、すぐに誤訳の話になってしまうのだが、この手の話がどうも好きではない。自分が原文で読めれば読むのだから、読めないから翻訳に頼るのだ。一生懸命訳してくれた翻訳者には基本的に感謝しなくては、と思う。

柴田元幸という翻訳界のスターが登場したおかげで翻訳家というものにもずいぶんと脚光が浴びるようになったものだと感慨深い。柴田氏のすごいところは、実は第一はその翻訳量ではないかと思っている。ポール・オースターなんて序の口で、スティーブン・ミルハウザーからなんから、何しろものすごい量なのだ。次に選択眼。昔、村上春樹の訳したものを追いかけて読んでいる英米文学愛好家がいるという話を聞いたことがある。私はさしずめその逆で、村上春樹が訳したものは絶対に自分は好きにならないだろうから、という理由で避けている。私にとってはそうだとは限らないが、彼の翻訳したものを追いかけている人のことは、さほど間違っていないと思う。

アンケートにあった岩淵達治先生の「ばらの騎士」の翻訳が過去の誤訳を全部払拭しているから素晴らしいというお言葉、らしいなぁ(笑)と思った。よく誤訳については怒っていたなぁ。翻訳家が他人の誤訳について怒るのは、それはありですよ。
興味深かったのはそれぞれ「いつかは訳してみたい」と思っているものという質問に対する答え。
野谷文昭氏が「非現実的希望」と断っているが、ガルシア=マルケス全作品の個人訳ってあなた…それは…思うだけで無謀。とりあえず、最新作だけでも、どうでしょうか?
安藤哲行氏、レイナルド・アレナスの「ふたたび、海」の訳、期待してます。