最近読んだ本、見た映画・芝居、聞いたCD

演劇

2016年5月 1日

燐光群アトリエの会「楽屋」フェスティバル

楽屋フェスティバル坂手洋二率いる燐光群が清水邦夫の戯曲「楽屋」を上演する、それも18団体が登場する企画を立ち上げた。木冬社出身の女優・南谷朝子さんが燐光群の公演の演出をするとのこと。それも観たかったし、坂手氏が登壇するシンポジウムも聞きたかったけれど、やはりここは木冬社出身の女優さんたちが登場する「演劇企画火のように水のように」の公演を観るべく、5/1(日)20:00、梅ヶ丘BOXへ行ってきた。

若い頃読んだ戯曲は本当によく頭に入っている。演じたことがあるわけでもないのに、よくまぁ、すらすらと台詞が出てくるものだ、と我ながら思う。木冬社の公演で松本典子さんが女優Cを演じたときのことを思い出さざるを得ない。身体中の毛穴から血が吹き出るような思いをしたことがあるか?声がつぶれるまで叫んだことがあるか?という台詞がこれほど似合う女優さんも、もう出ないだろう。不出世の女優さんだった。
「楽屋」(清水邦夫著作リスト)

演じる人がいかに気持ちよく演じることが出来るか、という点でこの芝居は女優群像劇のスタンダードになった。1時間前後と上演時間が長くないこと、女優ばかり4人出てくるから小さな劇団でも上演できること、高校演劇などで上演しやすいこと、など。この戯曲が繰り替えし上演される理由は様々にあげられるが、やはりとてもよく出来ている、とあらためて思う。

木冬社出身の女優さん、俳優さんたちはどうしてるだろうと思っていたので、お元気そうな姿が拝見できて嬉しかった。


演劇企画火のように水のように

4/28(木)20:00/4/29(金)14:00/5/1(日)20:00/5/2(月)12:00、16:00

演出:菊地一浩
出演
女優A:越前屋加代
女優B:新井理恵
女優C:八十川真由野(文学座)
女優D:関谷道子

燐光群アトリエの会『楽屋』フェスティバル
2016年4月27日(水)~5月10日(火) 梅ヶ丘BOX
18団体による『楽屋』の競演。

2011年11月30日

ピナ・バウシュ強化月間

ピナ・バウシュ タンツテアターとともに ピナ・バウシュ 怖がらずに踊ってごらん
「ピナ・バウシュ タンツテアターとともに」
ライムント・ホーゲ著,五十嵐蕗子訳
三元社 1999.5.20(2011.1再版)
「ピナ・バウシュ 怖がらずに踊ってごらん」
ヨッヘン・シュミット著,谷川道子訳
フィルムアート社 1999.6.1(2005.6.1第2版)

ヴィム・ヴェンダース監督の「Pina/ピナ・バウシュ 踊り続けるいのち」(PINA 3D)を観た。舞踏シーンの美しさには目を見張ったし、舞台芸術を映像化するのに3Dを使った点も理解できた。ただ、それとは別に自分がピナ・バウシュをまったく知らないことで、とまどったのも事実だ。私がピナ・バウシュについて知っていることと言えば、彼女のすばらしく美しいタバコを吸っている写真だけだ。実にカッコイイ。これだけ美しくタバコを吸える女性は少ないと思った。

言葉(戯曲)から舞台芸術に入っている私には縁のない存在だった。嫌いとか敬遠しているわけではなかったが、ピナ・バウシュだけでなく、コンテンポラリー・ダンスというか、現代舞踊というか、そういったジャンル全般に疎い。ダンスそのものに縁がなかった。

映画を観て感じたのは、まずこれがピナ・バウシュとヴッパタール舞踊団の作品の中で重要な作品の、しかも印象的で有名なシーンが詰まっているのだろうということ。それだからこそ、なのかもしれないが、とても面白いと感じた。その一方で、おそらくは一元的な解釈を嫌うのだろうということに不安を覚えるのだ。「これは何を意味しているのだろう?」と考えても、「それはあなたがそう思うのなら、そうなんじゃない?」と言われるのだろうなと簡単に予想できる。

何故カバなの?あの大きな石は何なの?イスをどかす人は何なの?正面に向き合っているカップルの体勢をしつこく変えようとしているのは何故なの?などと考えてはいけないのだろうか?いけないわけではないけれど、答えを人に押しつけてはいけないのだろうな、などと思うにつけ、正直少々面倒くさく感じるのだ。

それでもせっかくの映画を味わうのに少しでも手がかりがあった方が良いかなと思い、「春の祭典」「カフェ・ミュラー」「アリア」「コンタクトホフ」の4作品の動画(一部しかないが)をYouTubeで観た。それから本を2冊読んだ。予想通り、言葉でピナ・バウシュを説明することの困難さを訴える内容だが、それでも私たち読者に少しでも手がかりをくれようとして著者が努力していることがわかった。ロルフ・ボルツィクという名もその一つ。メリル・タンカード、そしてドミニク・メルシィ。たくさんの名前が出てきた。彼女の伝記も、少し役に立ちそうだ。

彼女がインタビュー嫌いなのはよくわかる。言葉で表現できる人なら劇作家にでもなっていただろう。本人がいわゆる「解釈」をいやがるのは当然だろうと思うが、観る方が安心できないので舞踊評論家がちゃんと説明してくれている。それに自分及び自分の芸術に対する一元的な捉え方「フェミニスト」「ドイツ人」といった定義付けを嫌う。「人間主義者」「人類の芸術家」であると訂正させる。それでも周囲は彼女の芸術の中から何かをつかもうとして、言葉を尽くしたくなるものだ。その気持ちはわかる。

ピナ・バウシュの舞台では彼女が問いかけを投げ、それに対し劇団員が自分自身で考えた動きをすることをベースに振り付けを組み立てていくという作り方もするという。「現代美術用語事典ver2.0」によるとタンツテアター Tanztheater は「ダンサーたちが日常的で個人的な経験に基づく断片的な場面をリハーサルに持ち寄ることによって作品が構成される」ものだそうだ。

本を読んだ結論から言うと、ピナ・バウシュの舞台を観て動揺するのは人としてまっとうだということのようだ。否定であれ同調であれ、魂が揺さぶられるのは間違いない。なんだか安心した。付け焼き刃でも何でも何もないよりはマシ。これでもう一度「PINA 3D」を観ることができる。一般上映は来年の2月だ。


最後に、フェリーにの「そして船は行く」はプレミアついて高い。レンタル屋なんかにはどこにもない。観たい...。

2010年9月14日

ハーパー・リーガン

ハーパー・リーガンネタバレです。

地味だがヒリヒリした感じの芝居で、実際にはハードな台詞も多々ありの、イギリスを舞台にした現代劇。主人公の感じる閉塞感と、なんとかして打開しようとする必死さに、観ている方も押しつぶされそうな感じがする。四角い舞台装置、壁のようにせり出してくるのはよくあるが、場面転換に四面使ったのはわかりやすくてよかったと思う。

小林聡美のような"親近感"が売りの役者に、それも5年も舞台に立っていないような役者にわざわざこんな役をやらせたのはなぜだろう?あの親近感を逆手にとって、中年の危機は誰にもやって来るということを言いたかったのか?それはぜんぜん違う気がする。いつもの"自然な演技"が使えないから舞台に立つと浮くかと思ったが、そういうことはなかった。映画やテレビで見る"きっぱりとした物言い"がいつもいいなと思っていたが、それはそのまま舞台に生かされていた。

舞台となったアックスブリッジはロンドンの北西の端、ヒースロー空港の足下で、運河が多い。と聞くと自然とモノレールから向かったときの羽田空港周辺を思い出す。あそこも空港で働く人が多く住んでいる。工業地帯と運河の不思議なコラボレーション。だが、そういう連想はせっかくイギリスの舞台を観ているので、余計なことだろう。徒歩でヒースロー空港に行き、マンチェスターまでわずか1時間だ。

最初、父親が危篤だから会社を休みたいと言って上司に断られる、という導入部を読んだとき、いったいいつの時代の話だ?と思ったら、iPodやインターネットが出てくるので現代だと気づき、後からパンフを読んで2006年の設定と知った。今どき親が危篤で1~2日も休めない、休んだらクビだ、なんて先進国ではあり得ないだろうと思う。それとも現代イギリスで普通に起きていることなのか、あるいは彼女が社長に何か弱みを握られているのか。社長とハーパーの会話はまるでかみ合わず、あてこすりや皮肉ばかり言う社長にうんざりしているハーパー。彼女の受けているのストレスがこちらにピリピリと伝わっている。

彼女がどうしてそんなにストレスを受けているのだろう?彼女が家に帰ると、娘が父親に「パパ、スーツは変」と言っている。ああ夫は失業者なのか、彼女が家計を支えているから、こんなに困っているのだとわかる。おそらくロンドン中心部に住んでいた中流階級だった一家が、何らかの原因で引っ越してきたことが次第にわかってくる。3人の家族がひどくよそよそしいからだ。後の方でその「原因」がわかるが、父親の死に目にも会えないというストレスから、彼女は発作的に歩いて空港へ行き、誰にも告げずに飛行機に乗ってしまう。

「彼女は旅に出る」という言葉から私がイメージしたものと彼女の旅はまるで違った。バーで絡まれたり絡んだり、出会い系掲示板で男を呼び出したり。秋の寒々しいイングランドを旅して、見知らぬ人々とのほのぼのとしたふれあいから学び取って家に帰るのかと思っていた(笑)。我ながら、どうしてそんな発想をしたのかと考えたが、W.G.ゼーバルトの作品群が頭の隅に残っていたからかもしれない。

父の死に目に会えなかった彼女が、現状の閉塞感を打破しようともがく旅だ。そんなきれいごとのはずはなかった。信頼・愛情の対象であった家族への不審と不満。仕事やおかれた状況への圧迫感から「あーもうイヤだ!」ともがいたあげく、何らかの結論が出なかったのだろう。だから母親に会いに行った。結果、憎み続けていた人と信じ続けていた人が逆転し、新しい世界が少しだけでも見えてきたから家に帰ったのだろうか。

ラスト、どっしりと据えてあった四面の舞台装置が上方につり上げられ、その下に緑まぶしい庭が現れる。落ちないかとハラハラしてしまうが、それも演出なのだろう。その庭で土いじりをするハーパーの姿は将来の姿なのか夢なのかと思っていたら、ただ単に帰宅の翌朝だった。そこで彼女はすべてを夫に話し出す。すると夫は将来の家族の姿を語る。この家族はここから何か始まるのだろうか、それとも崩壊するのか。ちょっとわからなかった。

なんだかふと思い立って1週間前にチケットをとって一人で観に行った。もちろん、小林聡美を観に行ったのだけど、映画にしろ芝居にしろ、いろいろと観てきて、なかなか観に行けない状況になって、それでも観続けるのが小林聡美っていうのはどうなのと思うのだが、それだけ「同じ時代に生きている」ことを実感したい人が私の場合ほかにいないのだろう。ジョニー・マーが好きだったのは、私も同じ。「エレンディラ」のとき観た美波があいかわらずきれいで嬉しかった。

ハーパー・リーガン公式サイト
公演:2010年9月4日(土)~2010年9月26日(日)
作:サイモン・スティーヴンス
訳:薛 珠麗
演出:長塚圭史
出演:小林聡美,山崎一,美波,大河内浩,福田転球,間宮祥太朗,木野花
観劇日:2010年9月11日(土)マチネ

2009年5月10日

雨の夏、三十人のジュリエットが還ってきた

雨の夏、三十人のジュリエットが還ってきた蜷川さんがここ数年、1年に1度、Bunkamuraで清水作品をやってくれます。それは何をさておき行かなければ、失礼だということで、今回も見に行ってきました。

お話は地方の少女歌劇団の話なので、初演は宝塚OGで占められていたそうです。今回はそんなことはありませんが、やはりメインのところには宝塚出身者がきちんといました。

宝塚トップの演技力・歌唱力はヅカファンでなくとも知っている人は多いと思いますが、私は(多分1995年のキャッツだったと思いますが)前田美波里で知りました。その公演では他の出演者が完全に霞んでしまっていました。今回は決してそんなことはありませんでしたが、鳳蘭、真琴つばさが二人で階段を降りてくる姿は圧巻。中川安奈は宝塚出身ではありませんが、彼女らはどうしてああ腰の位置、膝の位置が高いのでしょう。もはや人間ではない気がします。

ウエンツくんは気の毒に、今回完全に客寄せパンダでした。若い男の子(小栗旬や藤原竜也等々)を使うのがやたらうまい蜷川さんですが、ウエンツくんに女装させて記者発表は正解でした。WATのファンの若い子がまぁまぁ、いましたから。ヅカファンの比較的若手(真琴つばさ目当て)はそこそこいましたが、往年のヅカファンはお見受けしませんでした。きっと奥様方は平日マチネにいらしているのでしょう。

松井今朝子さんのブログに初日の感想が。初演を見ていらっしゃるのですね。うらやましいです。

Bunkamura 特設サイト

公演の詳細当はこちら

2007年9月16日

エウメニデス

エウメニデス平栗さんが出ているので見に行く。で、平栗さんが相変わらずきれいなので、満足して帰る。要はそれだけなんですが。

エリーニュスたちがオレステスを追い立てる、その図はまさにこの「オレステスの悔恨」という絵があって、今回の芝居はまさにその再現。最初、エリーニュスたちがオレステスを追い立てるシーンは、なんだか懐かしいお芝居の独特の緊張感があって、気に入った。平栗さんの登場も良かった。しかし話が進むにつれ次第だれていってしまって、せっかく75分1幕もの、という素晴らしい短さなのに、何故か長く感じられた。アポロンがちょっとだるい感じを漂わせ、陪審員の選出あたりで集中力がふっつり切れてしまった。

エリーニュスたちのような大地に属する「古い神」vs アポロンやアテナイなどの「新しい神」という対立構造は目新しいものではない。血によって呼び起こされる異形の神たち=エリーニュス(衣装はよかったと思う)の存在は何故か自然と気持ちの中に入ってくる。それはおそらく比較神話やニーチェの「悲劇の誕生」などが私の頭の中に残っているせいだろう。だから、導入はとてもよかった。

何がしっくりいかないかって、やっぱり「愛と対話で復讐を阻止する物語」だからなんだろう。日本にはもっともっと昔から魑魅魍魎がいて、必ず復讐を遂げるものなので、ピンとこない。第一イスラエルの人にそんなこと言われてもな…平和ボケしている我々の方が恥ずかしくなるくらい理想論だ。役者のみなさんはとてもよくやっていたが、アテナの説得は無理があった気がする。

出演者の半数近くが前回のルティ・カネル演出シアターX公演「母アンナ・フィアリングとその子どもたち」の出演者だが、平栗さんは円企画絡みかな?。座席は四方を囲むスタイルだが、やはり近すぎて若干緊張した。陪審員に選ばれなくてよかった…。

シアターX創立15周年記念プロデュース公演
企画・製作:シアターX(第1回 101スピリット in シアターΧ)
会期:2007年9月14日(金)~23日(日)
会場:シアターΧ
原作:アイスキュロス 「オレステース(憎しみの連鎖)3部作」より
構成・演出:ルティ・カネル(イスラエル)
翻訳:谷川渥
音楽:ミカ・ダニ(イスラエル)
衣裳:加納豊美
衣装・振付:シルリ・ガル(イスラエル)
照明:清水義幸
舞台監督:清水義幸
美術制作:江連亜花里
宣伝美術:MALPU DESIGN(佐野佳子)
出演:平栗あつみ(クリュタイメストラの霊、エリーニュス)/谷川清美(エリーニュス)/大野耕治(エリーニュス)/須川弥香(エリーニュス)/生方和代(巫女、エリーニュス)/瑞木健太郎(オレステース)/真那胡敬二(アポロン)/金子あい(アテナ)

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