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2004年12月11日

小犬たち/ボスたち

■著者:マリオ・バルガス=リョサ〈Mario Vargas Llosa〉著、鈴木恵子、野谷文昭訳
■原題:Los jefes, 1967/Los cachorros, 1959
■書誌事項 国書刊行会 1978.3.30(ラテンアメリカ文学叢書7)

■内容:
「小犬たち」:クエリャルは少年期に性器を犬に食いちぎられるというショッキングな事件に遭う。だが、スポーツに熱中して普通の少年として成長し、ハンサムでスポーツ万能の青年になる。だが思春期になり、仲間に彼女ができるようになると、大いに悩むようになって‥。
「ボスたち」:昨年まで発表されていた学期末試験の時間割が今年になって発表されなくなった。中等科3年の4人は学校当局への抗議ストにたった。低学年の少年たちのスト破りなどに合い、ストの行方はどうなるのか。
「決闘」:日頃から憎み合っていた「ちんば」とフストがついに決闘するとレオニーダスが告げた。フストの友人たちは決闘を見届けに行く。
弟:妹に乱暴を働いたインディオを追ってダビーとフワンの兄弟は山に入って行く。インディオに発砲したのは都会から帰って来た弟のフワンだった。家に戻ると、インディオがどうなったのか妹が知りたがったが、その理由は‥。
「日曜日」:ミゲルはGFのフローラをルベンが狙っていることを知り、気が気でない。ルベンはスポーツ万能で女の子にモテモテだから、フローラを取られてしまうかもしれない。フローラの友達の女の子がルベンを紹介する手はずになっているらしい。その日曜日の午後、ミゲルは邪魔をしてやろうと、仲間の溜まり場に行き、ルベンを酒に酔わせて行かせまいとする。ミゲルの挑発にルベンはのり、海で決着をつけることになる。二人は極寒の冬の海に飛び込むが‥。
「ある訪問者」:ドニャ・メルセディータスの安宿にジャマイカ人の男がやって来る。おたずね者のヌーマを逮捕するため、警察が刑務所に入っていたこのジャマイカ人を利用し、仕組んだ罠だ。果たしてヌーマはやってくるのか‥。
「祖父」:ある日老人は子供のものかと思われる髑髏を拾う。孫を驚かそうと、この髑髏の中に入れるろうそくを買い、髑髏の汚れをぬぐう。そしてこっそり庭に忍び込むが‥。

■感想
バルガス=リョサを一から再読してみようかと思う。いつ終わるのかわからないが。

「小犬たち」は「ボスたち」の8年後に書かれた中篇。とてもポップで軽快な文章で、俗語を多く含み、若者たちの仲間意識の高さを現しているように思われる。少年期から青年期への仲間たちとの交流の中で、少しずつ大人になっていく姿は普通の少年そのものなのだが、滑稽でとても哀しい短篇。マチズモの南米だから、というばかりではないだろうが、周囲の少年たちの無理解が寂しい。自暴自棄な人生を歩むしかなかったクエリャルを遠巻きに見て中産階級の大人になっていく仲間たち。その両方を鮮やかに対比することによって中産階級の青年たちの無神経さやだらしなさが強く感じられる。

「ボスたち」は著者の処女作にして数少ない短篇集。非常に軽快なリズムだが、切れ味の鋭い言葉で紡いでいく短篇集。「ボスたち」はストの先頭に立った少年たちのやわな「ボス猿」っぽさを皮肉ったタイトルなのだろうか。「決闘」にはラストにリョサお得意のオチというようなものが見られる。しかし決闘した彼は生きているんだろうか?「弟」は都会の感覚をもった弟と野蛮な兄と無茶区茶なわがままさをもつ妹の対比でペルーの田舎と都会のメンタリティの差が現れている。「日曜日」は女の子を争って命を落とすかもしれない危険な決闘をする若者のお話。実にバカバカしいマチズムに支配された若者たちを、緊張感のある文章で描いている。「ある訪問者」は記念すべきリトゥーマ軍曹が初登場するお話。「緑の家」だけでなく、この後いろいろなところに顔を出すキャラクターである。ストーリーとしては非常に愉快なオチのある話だが、まるで西部劇のような一幕ものである。「祖父」はちょっと面白さがわからない‥というか髑髏のグロテスクさにちょっとイヤな感じがしてしまう。孫を驚かそうとする無邪気な老人の話なのだけど、この孫が受けた印象を思うと、南米の暴力的な寓話なのかなと思ってしまう。
全体として「暴力」や「マチズム」を取り上げ、そのばかばかしさ、虚しさを訴えているような気がした。"