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2004年12月18日

ブエノスアイレスの夜

■原題:vidas privadas
公式サイト
■監督:フィト・パエス
■出演:セシリア・ロス、ガエル・ガルシア・ベルナル、ルイス・シエンブロウスキー、ドロレス・フォンシ、カローラ・レイナ、エクトル・アルテリオ、チュンチューナ・ヴィラファーネ、リト・クルス

原題の"vidas privadas"を英語に訳すと"private lives"。プライベートな生活ですか。ずいぶんと艶っぽい原題だが、ぴったりかもしれない。

2001年の公開なので、ベルナルくんの人気がなかったら日本では公開されなかったとおぼしき映画。ベルナルくんファンには完全に主役とは言えないので、不満があるかもしれないが、とりあえずオススメします。演技派だからセシリア・ロスのファンっていう人もいるかもしれないが、そういう人にもオススメできます。あとはよほどアルゼンチンに対しての知識があったり興味があったりする人じゃないと厳しいかもしれない。
全体的には壮大なメロドラマと言える。監督が音楽の出身者で、映画出演経験などもあるのだが、やはり一流とは言い難い出来だなと思う。ブエノスアイレスの街はまるで出てこない。邦題の付け方がひどすぎる。が、成功しているとも言える。

以下、ネタバレ。

アルゼンチンの現代史には忘れらない忌まわしい軍事政権時代がある。1976年~1983年の軍事政権下で政治犯・思想犯に対する軍の厳しい弾圧が行われ、3万人とも言われる人々が行方不明になった。特に世界的に類を見ないのが政治犯の子供を刑務所から引き取って、軍人や、当時の政権の近い人たちの家にもらわれていったことだ。この残虐きまわりない暴挙を扱った映画作品は多い。「オフィシャル・ストーリー」がその代表的なもので、フェルナンド・E・ソラナス監督の「タンゴ―ガルデルの亡命」「スール その先は…愛」は直接的ではないが、この軍事政権時代を扱ったものだ。最近公開されたものに「ジャスティス 闇の迷宮」(Imaging Argentina)」がある(これはサスペンス映画仕立てになっているので、いまいちだが)。書籍だと「ルス、闇を照らす者」というノンフィクションがある。現実にブエノスアイレスには親を捜している人、子供を捜している人を結びつけようとする組織もあるのだ。

こういったアルゼンチンの暗の部分に対して基礎知識があったこと、出ているのが演技派セシリア・ロス(「オール・アバウト・マイ・マザー」)とベルナルくんなので、まぁ見て見ようかなと思った次第。

最初の30分でオチが見えてしまったので、うーん、いいのかなぁ、そんなんで、と思いながら見続ける。父親を射殺するのは唐突すぎるように感じられた。オイディプス王の流れからすると、そうなるのは理解できるし、そのくらいグスタボは混乱していた、という描き方なんだけど、ちょっと強引すぎないか?もう少しここはていねいに親子の会話をして、父親は政治犯の子供だとわかっていて引き取ったこと、そういう時代に荷担していた存在であったことを観客に明示した後、グスタボにしっかり射殺して欲しかったな。そうでないと実の母を犯した軍人に対する復讐という構図が見えにくい。なんといっても実の父ではないのだから。

映画のメイン・テーマになっている「聴覚過敏」「不感症」だが、カルメンがこういったアパートに男女を呼び出すのはこれが初めてではなくて、マドリーではやっていることなのだろう。カルメンやアレハンドロの「投獄されて10ヶ月独房に入り、拷問を受けていた」という言葉だけで不感症になった理由は説明されていないが、軍に強姦されたことを暗示している。子供がカルメンと夫の子供であって、どこの誰ともわからぬ軍人の子ではないことは「10ヶ月」という投獄期間から推察できるようになっている(これはあまり重要ではない)。


細かいことをいくつか。カルメンが銀行時代の同僚ロクサーナの商売が愛人斡旋業だと知っていたのは5年ごとにアルゼンチンに帰って来るからか。ということは以前にも同じ依頼をしたことがあるのだろうか。そういう気配はないのだが、だったらカルメンのこの性癖は最近出現したものなのだろうか?

狂言回しのアレハンドロ医師が、カルメンに子供がいたことを覚えていた、それだけで「グスタボがカルメンの子供では?」と思わせたのか、おそらくグスタボの顔がカルメンの夫の顔に似ていたせいか。
そして妹がわざわざグスタボにカルメンと夫の昔の写真を見せたことが、カルメンがはっきりと夫とグスタボとの類似を意識したきっかけになっているのだろうか。あの自殺に至る映像で、何故カルメンはグスタボが自分の子供とわかったのか、まぁそこを神話にならい、神秘的にしないとならないのかもしれないが、もう少しはっきりさせてもよかったのかなとも思った。

妹訳のドロレス・フォンシはかわいい。あの眉で、あの目でメガネかけるって、ちょっと卑怯だぞと言いたいくらいかわいい。

監督は音楽畑出身者のせいか、音楽はうるさい。どうも自己主張が過ぎる。フィト・パエスは「ラテンアメリカ 光と影の詩」に俳優としても出ていた。セシリア・ロスと7年間も結婚していて、この映画の撮影終了後離婚しているらしい。

ラスト「そう悪い結末じゃない」というのは映画的手法としては安直すぎる。しかし、この内容なので、そのくらいしないとダメだったのかなぁ。もっと中盤のたるみを何とかして、「で、どうなったのよ?」の部分をしっかり描けなかったものか。妹が家を出るシーンなど、優先順位からすると低くないかな?カルメンがどうなったのか、という興味を引っ張るためにあったシーンだとは思うのだが‥。

でも「そう悪い結末じゃない」と思う。なんてったって、息子は生きていたのだし、母親も生き延びたのだから。生きてさえいれば、二人の忌まわしい過去も完全ではないにせよ払拭できる日も来る筈だと、そう思う。

ギリシャ悲劇的な壮大なメロドラマではあるが、本当にこんな残酷な運命すら招きかねないような歴史的事実であったことは確かだ。