最近読んだ本、見た映画・芝居、聞いたCD

2005年2月 3日

夏の嵐

夏の嵐■原題:Senso
■制作年・国:1954年 イタリア
■監督:ルキノ・ヴィスコンティ
■製作:ドメニコ・フォルジェス・ダヴァンツァーティ
■原作:カミッロ・ボイト「官能」
■脚本:スーゾ・チェッキ・ダミーコ/ルキノ・ヴィスコンティ
■脚本協力:カルロ・アリアネッロ/ジョルジョ・バッサーニ/ジョルジョ・プロスペーリ
■英語台詞:テネシー・ウィリアムズ/ポール・ボウルズ
■撮影:G・R・アルド/ロバート・クラスカー
■助監督:フランチェスコ・ロージ/フランコ・ゼフィレッリ
■出演:アリダ・ヴァリ/ファーリー・グレンジャー/マッシモ・ジロッティ


豪華絢爛、壮大なメロドラマ。伯爵夫人の情愛と堕落を19世紀後半、混乱のイタリアを舞台に描く傑作である。これは何度も見た。ヴィスコンティの作品の中で見た回数でいうと、一番多いかもしれない。何がそんなに見たいのかというと、ハプスブルク王朝オーストラリア軍の軍服なのである。白いマントが格好いいのだ。衣装、背景、建築物、すべてにおいて美しく、ともかく一度は陶酔してしまう映画だ。

原作は「官能」という短編小説だが、映画とはかなり違っている。「ヴィスコンティ秀作集 第2巻」に収録され、映画との違いがDVDのブックレットに詳細に解説されている。

ヴィスコンティにとっては初めての歴史もの、そしてテクニカラーである。オペラの演出家としても名高いヴィスコンティが映画の幕をオペラのシーンで開けている。貴族を描いた点でも私のよく知るヴィスコンティのスタートである。

18年のイタリア。ヨーロッパで小さな国々がまとまって独立していく国家形成の時期である。ヴェネチアはまだイタリアに属さず独立していたため、すぐ近くのオーストリアが占領している。それに対抗し独立運動を指揮するイタリア貴族・ウッソーニ侯爵、そのいとこである伯爵夫人リヴィア、そしてオーストリア軍中尉のフランツ・マーラー。フランツがイタリアを侮辱する言葉を吐いたため、決闘を申し込むウッソーニ侯爵。そしてそれを阻止しようとフランツに近づくリヴィアが登場する。リヴィアがフランツに言い寄られて、堕落させられていく筋が19世紀中盤の激動の時代を背景に展開する。

この映画で好きなのは深夜のヴェネチアをフランツとリヴィアが歩くシーン。ナルシストのフランツへちょっとなぁと思うが、リヴィアがまだ慎みを忘れず、少しずつフランツにうち解けていくのが言葉ではなく表情や身振りで表現されていて、ヴェネチアの石畳がひっそりとした雰囲気を演出し、しっとりとした情感あふれるシーンだ。

リヴィアとフランツの台詞がこんなにも美しいのは脚本にテネシー・ウィリアムズとポール・ボールズという一流の劇作家・小説家が協力しているためだろう。卑劣なダメ男フランツ、純粋すぎて潔癖すぎたが故に墜ちっぷりがすさまじいリヴィアだが、言葉が叙情的で知性的なのがかえって哀しい。

白いマントをなびかせる軍服に憧れて軍人になって、モテモテくんになり遊んでいるうちはいいが、実際に戦争が始まると死んだり怪我したりするのが怖くて金持ちの女に貢がせて医者に賄賂を送り、免除してもらおうと思いつくフランツのダメ男っぷりは見事である。だが、最後にヴェローナにやってきたリヴィアをフランツがひどい言葉で追い出すシーン。フランツにとって、リヴィアにこれほどまでにひどい仕打ちをする必要性はあったのか。言いくるめて家に返し引き続き金づるとしてうまいこと使えばいいのに。そうしないのは、フランツが本当に自分の卑怯さに嫌気がさしているためだろう。だから密告されて死刑になっても、楽になってよかったと思ったんじゃないだろうか。誇りを失っては生きていけない。それはリヴィアも同じである。彼女が夜のヴェローナの街に消えて行くシーンをフランツの処刑シーンの代わりにもっとちゃんと入れて欲しかった。これもどうやらヴィスコンティ自身の意向ではなく追加されたシーンだという。ヴィスコンティは巨匠だが、まだこの時点では自分の思うようにならないことも多々あったのだろう。

惜しいなと思うのが、戦争のシーン。これがどうにも浮いているし、つじつまが合わない。最初農民の格好だったウッソーニ侯爵が、途中で軍服になっていたり、彼を馬車に乗せる青年が重要人物を乗せているわりには妙に赤いシャツで目立ったり、おかしなところが見られる。解説を読むとやはりプロデューサー側の意向で多数カットされたらしい。あの戦線は負けたが、その後プロイセンがやって来て云々という背景がよくわからなくなってしまうし、ウッソーニ侯爵が何をしているのかよくわからない。その上、リヴィアがフランツに渡した軍資金がないことが、どういうことになるのか、ちゃんと見せて欲しかった。戦争のシーンはとても重要だったので、削る前の状態に再編集したバージョンなどがあればよかったのになぁと惜しまれる。

アリダ・ヴァリがすさまじい女の業を演じてみせるこの作品。「あーバカだな…」などと冷静に言わずに一度付き合ってみるといい。ただ、二度目からはじっくりと見ないと、ヴィスコンティが単なるメロドラマを描きたかったわけではないことがわからないかもしれない。