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2008年11月13日

空襲と文学

空襲と文学本書は講演や論文で構成されているため、いつものエッセイなんだか小説なんだか、論文なんだか、つかみづらい独特のふわっとした感触のないところは寂しいが、ゼーバルトの文学観・歴史観を知る上では欠かせない一冊らしい。

ドイツ人の戦争責任に対する意識というテーマについては、過去に多くの書籍を読んだ。日本人との差をその都度強く意識させられた。が、逆にドイツ国民の被害者としての面が抑圧されているという話かと思い、本書を読み始めた。


ドイツ人が第二次大戦末期に被った絨毯爆撃攻撃に対して、声高にその戦略的・道義的に異議を唱えなかったのは


詮ずるところ、そのもっとも大きな原因は、何百万人を収容所で殺害しあるいは過酷な使役の果てに死に至らしめたような国の民が、戦勝国に向かって、ドイツの都市破壊を命じた軍事的・政治的な理屈を説明せよと言えなかったためであろう。

なんだか、すごく「ぶっちゃけ」なわけだ。

「言語を絶する」という表現があるが、空襲体験というのは未曾有の出来事で、その破壊のすさまじさはまさにそういう表現がふさわしい。だが、そこをあえて文学として昇華させていくことが何故出来なかったのか、というのが本書のテーマなようだ。読み進めていくと、空襲をテーマにした数点の作品は存在するが、それ以外は全然ダメだよ、という話だ。

資料性が高いものはあるが、それは文学ではない。あまりにも凄まじい体験だった故に実際に空襲に遭った人物がノンフィクションとして書かれたものも文学ではない。そして、幻想文学や技巧に走ったものも、拒否する。文学としてふさわしい作品をいくつか上げ、そしてそれらが受容されていないことを論証していく、そんな展開だ。具体的な例をあげてくれているが、なじみのある名前が見られる。

ノサックやジャン・アメリーに対する評論と、アンデルシュに対する評論と、並べて読んでみるとアンデルシュに対する情け容赦ない叩き方は半端ではない。私の持っているゼーガースの作品が収録された文学全集(集英社 1965)の巻にはノサックとアンデルシュが一緒に入っている。日本での扱いが「第二次大戦を描いた戦後文学」ということでひとくくりだったことがわかる。

ノサックあたりから読んでみようか。

■著者:W.G.ゼーバルト著,鈴木仁子訳
■書誌事項:新潮社 2008.10.10 349p ISBN4-560-02732-3/ISBN978-4-560-02732-5
■原題:Luftkrieg und Literature, 2001 W.G.Sebald