最近読んだ本、見た映画・芝居、聞いたCD

2001年2月

2001年2月25日

ペドロ・パラモ

■原題:Pedro Paramo, 1955
■著者:フアン・ルルフォ著,杉山晃,増田義郎訳
■書誌事項:岩波書店 1992.10.16 ISBN4-00-327911-5(岩波文庫)
■感想
母親を亡くしたフアン・プレシアドは、いまわの際の母の勧めに従い、父親であるペドロ・パラモを探しにコマラへ行く。コマラに着くと、そこは荒涼とした大地の広がる、人気のない廃れた町だった。ペドロ・パラモはすでに死んでおり、町には多くの幽霊が生者とともに語らっていた。
フアン・プレシアドも実際はすでに死んでおり、土の中で一緒に埋められたドロテア婆さんに語る物語と、残酷な大地主にのし上がったペドロ・パラモとその妻スサナの物語。全体で70ほどの断片で構成された中編小説だが、時間は交錯し、生者の世界と死者の世界を行きつもどりつし、その切れ目はよくわからない。一度読んだだけではなかなか理解できないが、平易な訳文なので、その点は助かる。
これは解釈が非常に多く出ているようだ。削り落とされた文体なので決して長くはないが、確かに父親殺し、父親を捜す旅、近親相姦など、神話的要素が多く盛り込まれた、解釈しがいのある読み物だと思う。
(ふるほん文庫やさんで定価460円のものがプレミアがついて1280円もした)

日向で眠れ

■原題:Dormir al sol, 1973
■著者:アドルフォ・ビオイ=カサーレス著,高見英一訳
■書誌事項:集英社 1983.7.25 ISBN4-08-126009-5(ラテンアメリカの文学9)
■感想
精神病院の医師たちのおそるべき陰謀をつづったボルデナーベの手記と、手記を託されたラモスの後日談とからなる中篇。銀行をクビになったボルデナーベは時計の修理工となりまじめに仕事をしているが、優柔不断で心配性。過去に精神病院への入院歴のあるヒステリックな妻と暮らしている。ボルデナーベは「しゃべる犬」という幻想にとりつかれた妻をもてあまし、ついにはドイツ人教授の勧めに従って精神病院に入院させてしまう。だが、面会はできず、医師や看護婦の説明は要領を得ない。妻を入院させたことをすぐに後悔し、取り戻そうとするが、望みは果たせない。不安を募らせる中、妻と同じ名前の美しい目をした犬を手に入れる。この犬と一緒に暮らし、散歩をすることで気を紛らわせているうちに、妻が戻って来る。再会した妻は穏やかな性格になり、ボルデナーベは喜ぶが、次第に「これは本当に妻だろうか?」という違和感を感じ始める‥‥。

この集英社の全集には「日向で眠れ/豚の戦記」の2篇が収録されているが、「豚の戦記」の方は集英社文庫で既読なので、また再読の折りにでも。
「脱獄計画」に続くマッド・サイエンティストもの。もう傾向がわかっているので、読み進めるにあたって大きな緊張を強いられる。細部に至るまで読み落としのないように読んでいると、なかなか読み進めないようなのだが、息を詰めたように、一気に読めたりする。それは「モレルの発明」「脱獄計画」「日向で眠れ」のSF三作に共通する。おそらく、狂気におびえながらも、テーマの一つとなっている「愛」の部分で、意外な娯楽性があるためだろう。
外見が一緒なら、中身が良い方がいい、ということはない。欠点があればこそ、人はアイデンティティを保てる。

2001年2月17日

ダブル ダブル

■著者:マイケル・リチャードソン編,柴田元幸,菅原克也訳
■書誌事項:白水社 1990.2.25(1992.5.15第7刷) ISBN4-560-04264-0
■感想
「分身」をテーマにしたアンソロジー。「双子」「影」「自分の人造人間」「鏡」といったモティーフをもった作品を14作集めたもの。収録作品は
  • かれとかれ/ジョージ・D.ペインター
  • 影/ハンス・クリスチャン・アンデルセン
  • 分身/ルース・レンデル
  • ゴーゴリの妻/トンマーゾ・ランドルフィ
  • 陳情書/ジョン・パース
  • あんたはあたしじゃない/ポール・ボウルズ
  • 被告側の言い分/グレアム・グリーン
  • ダミー/スーザン・ソンタグ
  • 華麗優美な船/ブライアン・W.オールディス
  • 二重生活/アルベルト・モラヴィア
  • 双子/エリック・マコーマック
  • あっちの方では―アリーナ・レイエスの日記/フリオ・コルタサル
  • 二人で一人/アルジャーノン・ブラックウッド
  • パウリーナの想い出に/アドルフォ・ビオイ=カサーレス
この中に収録されている「パウリーナの想い出に」が読みたくて購入した。小さい頃から一緒で、魂が結ばれている、二人は一人だと信じていた恋人の突然の心変わりに、傷心のままヨーロッパへ去り、2年後に帰って来た彼の元へ、再び恋人が現れるが‥。結末、というよりは本人の解釈の問題なんだろうけど、わりと意外な結末だった。 他に面白かったのはルース・レンデルの「分身」くらいなもので。一応シャム双生児とか出てくるけど、いまひとつだった。「ドッペル・ゲンガー」の創始者とも言えるジャン=パウルを原文で読んだのは、大学の頃だっけか。独文やってて、このモチーフ知らないでは通らない。ゲーテだって、自分の分身に会った話とか残してるし。文学的にはおいしいのよね。
私の場合、もっと感覚的にこれの存在は子供の頃からあって、鏡がまともに見られるようになったのは、ずいぶん大人になってからだった。だから独文を選んだのかもしれないな。 しかし、少なくともこの本では萩尾望都「半神」以上の作品には巡り会えなかったな。16ページの短篇としては最高傑作だと、やはり今でも思うが、それ以上に、これほどストレートで怖い「双子」の話もないなぁと思う。 (bk1にて購入。7,000円以上だと送料無料なので、ついつい買いすぎた)

2001年2月12日

脱獄計画

■原題:Plan de evasi^on / Adolfo Bioy Casares
■著者:アドルフォ・ビオイ=カサレス著,鼓直,三好孝訳
■書誌事項:現代企画室 1993.9.20 ISBN4-7738-9309-5(ラテンアメリカ文学選集9)
■感想
先述の「モレルの発明」から5年後、1945年に発表されたビオイ=カサレスの作品。「ドクターモローの島」より怖いかも。
ある事情により母国を追われた大尉が、フランスのサルヴァシオン群島の流刑地に赴任する。流刑地は三つの島からなり、その一つに提督と少数の政治犯・刑事犯がいる。大尉が赴任した島からはボートで行ける距離なのだが、その島で提督がなにやら怪しげなことをやってるらしい。
提督は狂人なのか?囚人の反乱は果たしてあるのか?と誰を信用したらいいのか、まったくわからぬまま、大尉が追いつめられながらも戦う様が叔父にあてた手紙や日記という形で一人称で語られている。その叔父の解説や提督の指示書及び手紙などがそれに添えられ、いくつかの破片(ピース)が事件を「どの視点から見たら正解なのか?」わからない不安定な構造のまま読み手の不安感をあおっている。
絶海の孤島での意志疎通が誰とも図れない状況が異常に怖い。提督がやっていた実験が「知覚」をキーにしている点で、前作「モレルの発明」と似ている。SFっぽさはかなり抜けているが、「実験」というあたりが「ドクターモローの島」に似ている。

2001年2月 9日

駅のホーム

駅のホームから落ちた人を助けようとして、2人飛び降りた事件以来、各地で駅のホームに落ちた人を助けるためにホームに降りる人が増えている。というか、それだけ駅のホームに落ちる人がいるってことを知らなかった。駅員が対応していたからニュースにならなかったんだな、きっと。
何があっても、駅員以外はホームには絶対に降りるな、とこれまで言われていたのだが、そんなこと構うもんか、という風潮はいいんだろうかね。なんてことを考えていた矢先。
今日、ほぼ終電近く、新橋駅の京浜東北線のホームでちょうどそういう現場に出くわした。酔ったオヤジが落っこちて、5人ほどのおじさんや青年が飛び降りて、あっという間に引き上げた。ものの2分くらいの出来事だった。駅員がかけつけたのは、それから2分くらいしてから。もし、駅員がやってたら、引き上げるまでに5分以上かかることになる。
次の電車が来るまでの時間がはっきりわかっていて、10分近くあいていたので、まぁ、余裕だったんだけど、これがあと5分ってところだったら、どうなんだろうね。駅員に知らせて、電車を止めるまでに5分くらいかかったんじゃないの?
それでも、誰でもホームに降りられる、という意識になってしまうと、落とし物一つでも降りる輩が出てくる可能性もある。山手線や中央線や京浜東北線ほか、電車の間隔が短いところだけでもいいから、都営線やゆりかもめみたく、ホームに塀を立てるべき。
ところで、助け出されたオヤジは頭は打ってなかったらしく、意識はあった。異常に痛がっていた。あれだけの高さから落ちて全身打ってるんだから、そりゃ痛いわ。‥ってゆーか、そもそも、正体もなくなるほど酔っぱらって電車に乗ろうとするな。
(その後、駅のホームのKIOSKでの酒の販売が中止された。とりあえず、という感じだが、まぁ当然でしょう。)

2001年2月 5日

BS FUJI

先月、BS FUJIの変てこりんなクイズ番組の収録に行った。2/2に放映だったので、今日ビデオを見せてもらった。チームを組んでの解答者の一人だったので、ありがたいことに、他の人がちゃんとおいしところを持ってってくれたので、私自身がちゃんと喋ってるところは映ってない(顔はしょうがないよな)。この程度なら人に見せられるだろう。一安心。
しかし、まだ3〜4万世帯という少なさで、どれだけの人が見ただろう?ひょっとして、見た人います?(いるわけないか)。どの番組かというと、ヒントは「変てこりんな、カルトなクイズ番組」なんですが。
地上派で、あんなおいしい番組は無理、だと思うから、いいんだけどさ。

2001年2月 4日

モレルの発明

■著者:アドルフォ・ビオイ=カサーレス著,清水徹,牛島信明訳
■書誌事項:水声社 1990.9.20(1993.6.10二刷) ISBN4-89176-232-2
■紹介
絶海の孤島での亡命者と若い女の奇妙な恋物語のうちに、現実とイマージュ、現実と虚構とを巡る形而上的思考を封印し、『去年、マリエンバートで』の霊感源ともなった現代中南米文学の最高傑作のひとつに数えられる異色の中篇小説。
■感想
<完全にSFだった。SFは苦手だ。何故苦手かというと、単純に私の頭ではついていけないからだ。それは科学的裏付け云々の問題ではなく、物語を読み解くキーワードが隠されたところに多く書かれていること、論理的矛盾をあえて犯しているところに意図があること(SFでない小説にだってあるけど、SFの方が遙かにその傾向は強い)が理由だと思う。幻想文学もまた似たような理由で苦手だ。でも面白くないとは決して思わない。
この小説も、そういうふうに読むと「うーん難しい」なんだけど、単なる冒険SFとして読むことも可能だろうし、途中から一気に謎解きに入っていくので、そういう楽しみ方もある。
「写真を撮られると魂が抜ける」という古い、非常によく知られている、かつてあった迷信をダイナミックにすると、こういうことになる、という点での面白さがある。

ビオイ=カサレスはアルゼンチンの作家。かのボルヘスと仲良しだったことも有名。推理小説も書いてるし、結構エンターテイメント性のある作家だと思う。この本は絶版ではない。紀伊国屋あたりならすぐに買える。
SFは嫌いなわけじゃない。があまり読まないな。それにカルペンティエルの小説など、ちょっとSFが入ると、とたんに古本の値段が高くなるのはいただけないなぁ。

秋葉原

久しぶりに秋葉原で買い物をした。ようやくスピーカー購入。JBLの新しい安価なものを買おうと思ったら、その上のクラスのJBLとの音の差に愕然。やっぱりお値段なりなのね。ウーファーがあれじゃあ低音は今一つ‥というのは覚悟の上だったが、それだけじゃなくて、高音もなんだかもっさりしている。うーむ。あまりキレのよい、いかにもデジタル音が似合いそうな音質は嫌いだが、この高音はいただけない。
同じクラスでDENONので比較的嫌みのない高音とそれに見合った低音のものがあった。他にもいろいろ聞かせてもらったが、これに落ち着いた。
あと5万円出せばもうちょい上のクラスのJBLが買えたのに、予算以上になるので、あきらめた。ちょっと前の私だったら、絶対手を出していたのだが。服のブランドには興味はないが、機械のブランドにはこだわる私だが、名を捨てて実をとったというべきか。我ながら大人になったもんだ。
あの街はネオンはうるさいし、音もうるさいし、人も多いし、せまくてごちゃごちゃしてる。でも不思議と落ち着く。山姥もいないし、ド派手なお姉ちゃんもいないし、金髪ピアスのお兄ちゃんも少ないし、酔っぱらいもいない。汚いオタクはそりゃイヤだけど、ふつうの人たちの中でも若干「服に金かけるより機械にかける。機械を買うなら秋葉原」ってなところで共通点がある人たちなのかもしれない。
秋葉原中に503iの紙袋をもった人たちがあふれかえっていた。