最近読んだ本、見た映画・芝居、聞いたCD

ラテンアメリカ文学

2016年11月 2日

つつましい英雄/マリオ・バルガス=リョサ

つつましい英雄バルガス=リョサの二つのお話がカチっと合わさる瞬間が好きだ。第17章の直前。確かにもう以前のリョサの作品のような混沌とした熱さを感じなくなってしまったが、老練なというよりはガチガチに堅い感じを受けるが、でもおもしろい。小説の醍醐味は充分に味わえた。

作者自身が老境なので、登場人物が老人(というには少し若いけれど)ばかりなのは仕方がない。愚かなのは若い男達ばかりだ。フェリシトにはモデルがいると言う。ペルーのような国で脅迫に屈しないというのは、どれほど大変なことか。フェリシトの父親のように最底辺にいながら「踏みつけにされない」誇りを持つというのは、どういう意味か。自ら誰かに屈しないという意味だろうか。

リトゥーマやピウラを再び登場させたことも、古くからのファンへのサービスだろうか。リトゥーマの旧友を登場させて、いかにも普通の人の中にマフィアが隠れているかのような流れをつくっておいて、そこかという展開。イスマイルの息子のダメさ加減もまた伏線のようにすら見える。

エディルベルト・トーレスで少し遊んでいるような印象だが、最後まで「誰だろう?」と引っ張られてしまう。そして最後、フォンチートがあの「継母礼賛」のあの子供だということを思い出した。してやられた感じで、苦笑。

■書誌事項
マリオ・バルガス=リョサ著,田村さと子訳
河出書房新社 2015.12.30 436p ISBN978-4-309-20694-3
■原綴:El héroe discreto, Mario Vargas Llyosa, 2013

2016年9月 3日

「第三帝国」から「アメリカ大陸のナチ文学まで」―「第三帝国」刊行記念イベント

第三帝国/ロベルト・ボラーニョ野谷文昭 × 斎藤文子 × 柳原孝敦「『第三帝国』から『アメリカ大陸のナチ文学まで』 ――訳者三名がボラーニョの初期三作を読む」ボラーニョ・コレクション『第三帝国』刊行記念


日時:2016年9月3日(土)18:30開演
会場:MARUZEN&ジュンク堂書店 渋谷店
出演:野谷文昭(名古屋外国語大学教授、東京大学名誉教授)
   斎藤文子(東京大学大学院教授)
   柳原孝敦(東京大学大学院准教授)
料金1,000円(ワンドリンク付き)
定員:40名

渋谷東急百貨店本店7Fの丸善ジュンク堂書店喫茶室にて。

ボラーニョ「第三帝国」刊行記念イベント、3本目にしてようやく行けました。「アメリカ大陸のナチ文学」「はるかな星」「第三帝国」の3ボラーニョの初期3作が完成したとのことで、野谷先生と斎藤先生と柳原先生のお三方の登壇。会場には「鼻持ちならないガウチョ」の久野量一先生のお姿も。

私が個人的に一番気になっていたのは「火傷」がツインボートをどういう形で積んでるなってるのかというところ。中に入って寝泊まりしてるって、それだけの空間はどうやって作っているのか、すごく不思議でした。「本当はどうなってるのか?やっぱりよくわからない。」というお話になって、なんだか安心しました。

ボラーニョはそうやって謎を提示しておきながら解かないことが多い。描いている対象を突き放した、クールな感じがいいのは、共感します。

ボラーニョは物語の中で不安感を徐々に肥大化させていき、最後、最高潮に達した不気味さの中に読者を置き去りにしていくことが多い。でも「第三帝国」のラストがちょっと拍子抜けと斎藤先生がおっしゃっていて、そうそう!と私もそう思いました。インゲボルクと「ヨリは戻っていないけど関係は持った」と書いてありますが、ヨリが戻ったと同じ意味だと私は思いますよ。少なくともインゲボルグ的にはそうでしょう。ちょっと懲らしめてやったくらい。柳原先生の「あれは「アメリカン・グラフィティ」の後日譚のような感じ」というのも

ボラーニョのドイツ文学に対する博学っぷりにいつも驚かされていましたが、やはり翻訳者の方もそう思うのですね。チリのファシズムにナチが関連していた話を解説して下さって、「何故チリ人なのに、こんなにナチにこだわるのか?」の疑問が少し解けました。

話は満載だったので書ききれませんが、ネルーダの「altura」を「高み」と訳した柳原先生に野谷先生が「ボクは「頂き」としたけどね...」という突っ込んだ場面に、なんだかほのぼのとしました。

(この手のイベントでサイン会に参加出来る胆力のない私...。)

2016年8月26日

第三帝国/ロベルト・ボラーニョ

第三帝国/ロベルト・ボラーニョこれはボラーニョの初期の作品で、死後に刊行されたもの。若書きという印象は全然ないけれど、説破詰まったような勢いが感じられる。

これは破滅へ向かう物語だ。ゲームの進捗も相まってとてもスリリング。ウドは単に同胞というだけで友達とも言えない、実際はあまり気に入らない男のために、恋人だけを先に帰国させ一人でコスタ・ブラーバ(カタルーニャの海岸)に残る。そんな義理はないのに。

今のところ趣味に過ぎないが後にこれで食べて行ければと思っている原稿を書き上げるためか、少年の頃憧れたホテルの支配人夫人への想いを遂げるためか、〈火傷〉とのゲームを続けるためか。休暇が終わっても仕事に戻らなければ、クビになるかもしれない、恋人を失うかもしれない、親友に恋人を奪われるかもしれない、親友はその後ろめたさから金を貸してくれているのかもしれない。〈火傷〉は実際は何者なのか、ゲームを続けているのは何故か、自分をどうしようとしているのか...?

このままここにいると、切望的な状況しか思い浮かばないのに、彼はこの地を去らない。それが不思議だけれど、こういうドラマを私はよく見ているような気がしてならない。この物語でウドは結局どうなるかはさすがにここには書けない。

この「第三帝国」はボードゲームの名前だが、やはりナチの気配が濃い。「アメリカ大陸のナチ文学」「はるかな星」、そして「2666」の中にもナチ時代の話が登場する。チリ人なのに何故か。独裁政権での投獄経験者だからというのもあるだろうが、それだけではないのだろう。

登場人物たちがバルセロナへ頻繁に行くので、どのくらいの距離なのかと思ったら車で40分~1時間程度。三浦海岸に宿をとって東京へ遊びに行く感じかな?バルセロナの海は都会過ぎて泳ぐものではないらしい。長期リゾートって日本ではなじみないからな...。


■原綴:El Tercer Reich, 2010 Robert Bola˜no
■書誌事項:柳原孝敦訳 白水社 2016.8.10 404p ISBN978-4-560-09267-5(ボラーニョ・コレクション)


この本に関係して3回のイベントが開かれている。最初の二つは出られなかったが、最後のだけは出られそう。

2016年7月22日(金)紀伊國屋新宿南店:〈ボラーニョ・コレクション〉『第三帝国』(白水社)訳者・柳原孝敦さん×解説者・都甲幸治さんライブトーク

2016年8月22日(月)下北沢B&B:柳原孝敦×米光一成 「訳者とゲーム作家、『第三帝国』を語る!」ボラーニョ・コレクション『第三帝国』(白水社)刊行記念

2016年9月3日(土)MARUZEN&ジュンク堂書店渋谷店:野谷文昭×斎藤文子×柳原孝敦「訳者三名がボラーニョの初期三作を読む」

2016年3月 9日

はるかな星/ロベルト・ボラーニョ

はるかな星「アメリカ大陸のナチ文学」の最後の章に登場する主人公を膨らませた物語。カルロス・ラミレス=ホフマン→アルベルト・ルイス・タグレ→カルロス・ビーダーの物語。最初は詩を学ぶ大学生として登場し、猟奇的な殺人を行って姿をくらますと、突然空軍のパイロットになっている。パイロットの訓練は学生になる前に受けていたのだと思うが、謎だ。
空中に詩を書くパフォーマンスというのは広告ではあるようだが、5機が息をそろえて飛ばないと出来ないものらしい。後書きにカルロス・ビーダーのモデルとなったラウル・スリータという詩人について、そしてその詩人が「新しい生」という詩を1982年6月2日、ニューヨークの上空に詩を描いたパフォーマンスがYouTubeにあるというので、探してきた。

La vida nueva de Raúl Zurita. Escritos en el cielo, Nueva York, 2 de junio, 1982 [Fragmento]

この動画で私はようやく、イメージがつかめた。なんとなくはわかっているのだが、空に詩...?とピンと来ていないところもあったから。

さて、このカルロス・ビーダーは空軍のパフォーマーとして名をはせていたのにもかかわらず、突然自分のやったことを写真にして見せるという行動をとる。どんな写真かは「アメリカ大陸のナチ文学」には書かれていなかったが、「はるかな星」でははっきりとガルペンディア姉妹の死体と書いてある。それもバラバラのものらしい。その残虐行為を何故人に見せたのか。そして逮捕されずにどうやって逃げたのか。全て謎だ。

「はるかな星」の「はるか」とはスペインからチリを見たときのボラーニョの視線であることに間違いはないだろうけれど、望郷の念は感じず、謎の多い、空虚さを感じる筆致だ。でもぐいぐい引き込まれるのは初期からそうだったのだと確認できた。

■原綴:Estrera Distante, 1996 Robert Bola˜no
■書誌事項:斎藤文子訳 白水社 2015.12.10 184p ISBN978-4-560-09266-8(ボラーニョ・コレクション)

2015年11月15日

文学会議/セサル・アイラ

文学会議 セサル・アイラマッド・サイエンティストで作家でもある主人公が世界征服のため、実在の作家であるカルロ・フエンテスのクローンを作ろうとするお話。"信頼できない語り手"だった「わたしの物語」のときと同様に物語の途中で意表をつかれたが、今回はむしろ、文学的な文法をあえて「落っことしている」ような意図に見える。

しかし、怪獣映画のようなので、特撮で映像化して欲しいけど、話が途中で飛んでしまうので、そこのおもしろさは失われてしまうのだけど。巨大な青い芋虫は見たくない。でも「マクートの糸」は見たい。何度も読み直してイメージするのだけど、正解かどうか自信がない。

収録作品の「試練」も素晴らしい。二人のパンク少女と出会った平凡な少女の物語。頭の中をcureの曲が走り回る。痺れるような傑作。前半のスタティックな会話部分にヒリヒリするような痛みを感じ、後半のダイナミックなアクションシーンに無我夢中になる。なんという疾走感。原題"La Prueba"は「試練」と翻訳されている。「試験」や「テスト」よりちょっと重みが感じられる。「試練を越えた愛」なのか「愛を試す」のか。

映画化されていると聞いて調べたら、「ある日、突然」というタイトルで内容は随分変わっているらしい。これはこれで見たいが、この原作通りの襲撃シーンが映像になっていたら、もっと良かったのに。絶対に見たかった。原作のラスト10分だけで1時間くらいの映像になるだろう。

セサル・アイラ「わたしの物語」

■書誌事項:新潮社 2015.10.30 190p ISBN978-4-10-590121-9(新潮社クレストブックス)
■原題:El congreso de Literatura,1997 / La Prueba, 1992, César Aira

> 「ラテンアメリカ文学」の記事一覧