最近読んだ本、見た映画・芝居、聞いたCD

映画

2011年11月30日

ピナ・バウシュ強化月間

ピナ・バウシュ タンツテアターとともに ピナ・バウシュ 怖がらずに踊ってごらん
「ピナ・バウシュ タンツテアターとともに」
ライムント・ホーゲ著,五十嵐蕗子訳
三元社 1999.5.20(2011.1再版)
「ピナ・バウシュ 怖がらずに踊ってごらん」
ヨッヘン・シュミット著,谷川道子訳
フィルムアート社 1999.6.1(2005.6.1第2版)

ヴィム・ヴェンダース監督の「Pina/ピナ・バウシュ 踊り続けるいのち」(PINA 3D)を観た。舞踏シーンの美しさには目を見張ったし、舞台芸術を映像化するのに3Dを使った点も理解できた。ただ、それとは別に自分がピナ・バウシュをまったく知らないことで、とまどったのも事実だ。私がピナ・バウシュについて知っていることと言えば、彼女のすばらしく美しいタバコを吸っている写真だけだ。実にカッコイイ。これだけ美しくタバコを吸える女性は少ないと思った。

言葉(戯曲)から舞台芸術に入っている私には縁のない存在だった。嫌いとか敬遠しているわけではなかったが、ピナ・バウシュだけでなく、コンテンポラリー・ダンスというか、現代舞踊というか、そういったジャンル全般に疎い。ダンスそのものに縁がなかった。

映画を観て感じたのは、まずこれがピナ・バウシュとヴッパタール舞踊団の作品の中で重要な作品の、しかも印象的で有名なシーンが詰まっているのだろうということ。それだからこそ、なのかもしれないが、とても面白いと感じた。その一方で、おそらくは一元的な解釈を嫌うのだろうということに不安を覚えるのだ。「これは何を意味しているのだろう?」と考えても、「それはあなたがそう思うのなら、そうなんじゃない?」と言われるのだろうなと簡単に予想できる。

何故カバなの?あの大きな石は何なの?イスをどかす人は何なの?正面に向き合っているカップルの体勢をしつこく変えようとしているのは何故なの?などと考えてはいけないのだろうか?いけないわけではないけれど、答えを人に押しつけてはいけないのだろうな、などと思うにつけ、正直少々面倒くさく感じるのだ。

それでもせっかくの映画を味わうのに少しでも手がかりがあった方が良いかなと思い、「春の祭典」「カフェ・ミュラー」「アリア」「コンタクトホフ」の4作品の動画(一部しかないが)をYouTubeで観た。それから本を2冊読んだ。予想通り、言葉でピナ・バウシュを説明することの困難さを訴える内容だが、それでも私たち読者に少しでも手がかりをくれようとして著者が努力していることがわかった。ロルフ・ボルツィクという名もその一つ。メリル・タンカード、そしてドミニク・メルシィ。たくさんの名前が出てきた。彼女の伝記も、少し役に立ちそうだ。

彼女がインタビュー嫌いなのはよくわかる。言葉で表現できる人なら劇作家にでもなっていただろう。本人がいわゆる「解釈」をいやがるのは当然だろうと思うが、観る方が安心できないので舞踊評論家がちゃんと説明してくれている。それに自分及び自分の芸術に対する一元的な捉え方「フェミニスト」「ドイツ人」といった定義付けを嫌う。「人間主義者」「人類の芸術家」であると訂正させる。それでも周囲は彼女の芸術の中から何かをつかもうとして、言葉を尽くしたくなるものだ。その気持ちはわかる。

ピナ・バウシュの舞台では彼女が問いかけを投げ、それに対し劇団員が自分自身で考えた動きをすることをベースに振り付けを組み立てていくという作り方もするという。「現代美術用語事典ver2.0」によるとタンツテアター Tanztheater は「ダンサーたちが日常的で個人的な経験に基づく断片的な場面をリハーサルに持ち寄ることによって作品が構成される」ものだそうだ。

本を読んだ結論から言うと、ピナ・バウシュの舞台を観て動揺するのは人としてまっとうだということのようだ。否定であれ同調であれ、魂が揺さぶられるのは間違いない。なんだか安心した。付け焼き刃でも何でも何もないよりはマシ。これでもう一度「PINA 3D」を観ることができる。一般上映は来年の2月だ。


最後に、フェリーにの「そして船は行く」はプレミアついて高い。レンタル屋なんかにはどこにもない。観たい...。

2011年9月18日

パレルモ・シューティング

パレルモ・シューティングようやく「パレルモ・シューティング」を見ることが出来た。3年ごしだ。海外在住の方々は観ておられるのだが、私には無理だった。

ヴェンダース監督はこういうパーソナルな作品をよく撮る。昔は一本おきにがっちりストーリーのある作品と、ちょっと行き当たりばったりの小さな作品を撮ってバランスをとっていたが、最近は音楽ドキュメンタリーを除くと、「ランド・オブ・プレンティ」がそれにあたるのだろうか。少し違うかもしれない。やはりドイツに帰ってきたことが大きいのだろう。

オープンカーでヘッドフォンを耳にかけて走るのはかなり危険だと思う。カーステレオは外の音も聞こえるが、あれでは周囲の音が全然入らない。その上、ハンドルをもちながら撮影しようとしたりもする。無茶するなと思って見ていると、やっぱり事故に遭いそうになる。主人公は不眠のためパレルモの町中で昼寝をしてしまうのだが、シチリア島で昼寝なんて危ないなと思っていると、彼女に危ないわよと言われてしまう。スクーターの多い街だなと思って見ていると、彼女は赤いスクーターに乗っている。パレルモってピンクのユニフォームだっけなと思っていると、サッカーのバッタもののユニフォームが売られているシーンが出てくる。そんな感じで、なんだか監督にいろいろとこちらの思うことが見透かされているような気がした。

パレルモの風景を楽しみつつ、ジョアンナ・メッツォジョルノの不思議と悲しげな美しさに魅了されつつ、デニス・ホッパーがいつ出てくるかなとかわくわくしながら最後まで見たが、何かとっかかりがないと「不思議な映画だなー」という感想になってしまうかもしれない。だから音楽は重要なアイテムだ。

吉祥寺バウスシアターではレイトショーで爆音シアターという形で上映している。自分が観たのは残念ながら、爆音での上映ではなかったが、なるほど、爆音がふさわしい作品だ。

主人公がヘッドフォンを耳にかけて音楽を鳴らすと同時に音量があがり、耳から外すと音楽が止まる。「ベルリン、天使の詩」の天使が人間になったときからモノクロ→カラー変換をやったように、こういうわざとらしいというか、わかりやすいとも言える演出をすることが度々ある。嫌いな人は嫌いだろうなぁ。

人生に行き詰まったときに音楽が人生を救ってくれた経験をもつ監督は、こういうパーソナルな作品ではたいへんに音楽を重要視する。その点で爆音シアターを主催するboid(配給元)の目にとまってくれたのなら、よかったと思う。なにしろ、日本での上映をほぼあきらめていたので、ちゃんとした映画館で見ることが出来て、boidには感謝している。

確かにプロモーションには難しい作品だと思う。デニス・ホッパー遺作とは言えるのだが、なんとおもしろさを表現すれば良いのか。ロードムービーという言葉もあったが、確かによそには行くが、その過程が描かれず、一足飛びに飛行機で行ってしまったので、ロードムービーとは言えないように思う。「リスボン物語」の方がまだ車での移動が少々だが入っていたのだけれど。

ライン川の男性は何者なのだろう?Bankerと役名はあるが、この人はいろいろ解釈できそうだ。ルー・リードはすごくストレートでいい。大好きなジューク・ボックスで曲がなっている時に出てくる。登場するのは一瞬だが、いい味を出している。

最後の方、結局死神の愚痴を聞いている主人公がそこはかとなくおかしい。

2011年9月3日~23日吉祥寺バウスシアター。9月24日~10月14日新宿K'sシアター。以後大阪、横浜、広島、京都など地方巡回が決定している。


Palermo Shooting 公式サイト

監督・脚本・製作:ヴィム・ヴェンダース
出演:カンピーノ、ジョヴァンナ・メッゾジョルノ、デニス・ホッパー、ルー・リード、ミラ・ジョヴォヴィッチ

→近日中にサイトの方も更新します。Wim Wenders Fansite

2011年4月 5日

低開発の記憶―メモリアス

低開発の記憶―メモリアス1961年のキューバ革命直後のキューバ国内の姿をドキュメンタリー映像と合わせて映し出した映画。ダンスで浮かれる人々の中に突然響き渡る銃声。しかし音楽はやまず、死体を避けて踊り続ける群衆。混乱の中、誰かが死体を運び去る...という衝撃的なオープニング。途中、生々しい死体と華やかなハバナのクラブシーンが登場して、実に混乱する。

キューバは謎だ。この映画は1968年にキューバ国内で製作されている。こんなブルジョアのモラトリアムで退廃的でどっちつかずの無職有産階級のだらっとした姿をよく撮影したなと思う。「だからブルジョアはダメ」といった短絡的な宣伝映画ではなく、レベルの高い作品に仕上がっている。

革命後も家賃収入で暮らす主人公が国内で存在し得ていることも不思議だ。いずれ彼のマンションも国有化を免れ得ないことを暗示する不動産調査も登場するが、すぐには没収されない。裁判でもブルジョア×人民であれば、たとえ冤罪でも当然人民が勝つものと思って見ていると、ブルジョアの主人公の主張通りとなり無罪となる。キューバ革命とは、それまでの教条主義的な革命と異なることを訴えているのだろうか。そんなふうにも思えない。キューバ革命はやはり謎だ。

主人公の「西欧人をめざす」という指向性は革命前のインテリらしい。革命に共鳴できず、祖国を「低開発」とあざけるわりには出て行こうとしない。わずらわしい家族から逃れるためだけか、現実逃避か、現実を直視できないのか。どうもそうでもないらしい。目の前のキューバを見ていたかった、というのが本当のところのように見える。

それにしても人生に対しても社会に対してもどこか投げやりなところが見える主人公。やることと言えば女の子をひっかけて自分の好みに仕上げようとするだけ。そんな態度にはやはり理由があることがわかる。若い頃に記憶を遡っていくと、彼も人生に挫折し、絶望している。その優柔不断さ故に。

映画はモノクロでリアリスティックだが、コラージュや幻想的なシーンもある。少しヒステリックな音楽もで印象的で、確かに傑作だ。まもなく刊行される原作が楽しみだが、旧訳があったらしい(「いやし難い記憶」小田実訳、筑摩書房 1972)。映画の字幕を担当された野谷先生が、旧訳のあまりのひどさに、新たな翻訳に取り組まれたのではないかと勝手な想像をする。

キューバは長らく謎だった。「ブエナビスタ・ソシアルクラブ」では過去を懐かしむ哀しそうな芸術家たちと、貧しいけれど明るい普通の人々が不思議な調和を見せていた。レイナルド・アレナスによると芸術家やゲイにとっては地獄らしい。「苺とチョコレート」では悲しいこともあるけれど、悪くないかもと思わせる。ヤマザキマリによると地元の人でもサトウキビ畑で働くのは苛酷で嫌うらしい。ゲバラのせいで医療が発達し、カストロのせいで野球は強く、かつて世界に誇る音楽家たちを排出したキューバ。アメリカによる経済封鎖が未だに解かれていない...。私の頭の中は混乱状態。「永遠のハバナ」とか見れば少し落ち着くかな。


ラテン・アメリカの映画については、あまり多くは見ていないが、原作から影響されて見ることがたまにある。「苺とチョコレート」もそのパターン。その監督の若い頃の作品で、原作が刊行されるのをきっかけに見てみようかと思った。どちらが先がいいのかなーと思ってつぶやいたら@cafecriollo 先生に「どちらが先でもOKだけど、映画は必見」とプッシュしていただいたので、何はともあれDVD購入。震災後、ずっと本も映画も受け付けなかったので、人に勧めてもらって無理矢理にでも見れば、きっと動き出せる。そう思ったが、やはり見てよかった。何かきっかけになるような気がする。

放射能が漏れ出している小さな島国から逃げ出さないでいる自分と少し重なるのが怖い。


公式サイト
■監督:トマス・グティエレス・アレア
■脚本:トマス・グティエレス・アレア/エドムンド・デスノエス
■原作:エドムンド・デスノエス
■音楽:レオ・ブロウェル
■出演:セルヒオ・コリエッリ/デイジー・グラナドス/エスリンダ・ヌニュス/オマール・ヴァルデス/レネ・デ・ラ・クルス

2010年11月13日

マザーウォーター

マザーウォータースールキートスの「マザーウォーター」を観て来た。舞台が京都というところと、「すいか」以来のキョンキョン & 小林聡美という組み合わせは魅力だったが、あえて映画館へ行ってみるほどかな、ぼちぼちこのシリーズもDVDでいいような気がする...と考えていた。が、自宅でDVDで見たら、途中で止めながらダラダラと見てしまうような気がして、どうあっても集中できる映画館で見ることにした。

何かを否定したり非難したりしないということは、言い換えてみると何も主張していないことになるのかもしれない。それはなんだか無責任というか、つまらないと感じることが多いのだが、そういう場所、そういう映画があってもいい時もある。この映画に何か「らしさ」や「こうあって欲しい」を見る方としていろいろと期待すると、少々肩すかしを食らうことになるだろう。例えば、京都らしさとか、癒されたいとか、物語性とか、まったりしたいとか、映画らしさ(?)とか、とにかくあれこれ考えない方がいい。とりあえず、素で何も考えずに受け止めた方がいいと思う。

これまでの3作に比べて、会話のテンポや場面展開が早く、もっとゆっくりでもいいのになぁと感じた。眠くなるくらいがいいのに、これでは眠くならない。ほら、やっぱり期待を裏切られる。

若い女性3人が、比較的最近京都にやってきて、お店を開いている。それが木綿豆腐しか出さないお豆腐屋、コーヒーしか出さない喫茶店、ウイスキーしか出さないバー。それぞれ水にかかわるお店。彼女らがひとりのお婆さんと子供によって徐々に知り合って行くわけだが、一方で3人の男性もいたりする。女性たちが知り合うきっかけを作るには、子供はうってつけのアイテムだ。彼女たちはちょっとずつ子供にかかわり、預かったりしながら街との、街の人々とのかかわりを増やしていく。

子供はいつも機嫌よく、誰にでもなつく。その子を連れている彼女たちも、なんだか楽しそうで軽やかだ。しかし、なんだかずっと違和感がある。それが何かをわかったのは、もたいまさこが小林聡美のバーから子供を連れて帰るときに大きなカバンを渡されたときだった。

そうだ。1歳半の子供を連れていたら、当然大きなバッグもセットだ。離乳はしていたとしても、オムツやら着替えやら、春先なら特にブランケットやら、遊ばせるためのオモチャや、飲料が入ったバッグがあるはず。それをそのシーン以外ではもたいまさこも光石研も持っていない。だから小林聡美も持っていないので、軽やかに疎水沿いをだっこして歩くことができる。

何のためにそうしたのだろう?確かにリアルではないが、きっと大きないバッグをもっていたら、なんとなく重たい感じが出て、育児の大変さが表に出て来てしまい、その子が作品の中で担う役割が果たせないからではないだろうか?ここのところは誰か気付いた人に教えてもらいたい。

子供が最初に出てくるシーンを覚えておいたら、最後のオチがわかる。ずっと気になっていたことが、でもそれはきっとスルーされてしまうんだろうな、と思っていたことが、クリヤになる。それは楽しい楽屋落ちなのだけれど、あまりみんな触れてない。何故だろう?

おそらく制作側は観客のかなりのパーセンテージが「プール」を観ていることを前提にしているのではないかと思う。実際、寅さんと化しているな、この映画。寅さんと言えばマンネリ。まぁ、いいか。それもまた。

公式サイト
■監督:松本佳奈
■出演:小林聡美,小泉今日子,加瀬亮,市川実日子,永山絢斗,光石研,もたいまさこ

2010年6月 1日

ボッカチオ'70

ボッカチオ '70長い間絶版になっていたDVDだが、2010年5月新たに出たので買ってみた。一作品だいたい75分~80分くらい。全部で3時間以上。観るのに時間がかかるので、1作ずつ観てみた。すると、どうやら自分はヴィスコンティのものしか観ていないことに気付いた。

大物監督と女優の組み合わせの3本組+新人1本の作品だった筈だが、前述のように長いので、日本公開時には第1話の新人監督分が省かれていたそうだ。無理もない。しかし、この「レンツォとルチアーナ」の工場から昼休みに出てくる人・人・人...。プールでのこれまた人・人・人...。すごいモブシーンで圧倒された。結婚したけれど、お金がないので奥さんの実家に同居になり、二人きりになれない。新婚なのに...というジリジリした感じにプラス職場で結婚していることをオープンできない(でないとクビになるからってすごいセクハラ)という二重のストレスで特に夫が爆発寸前!その上妊娠したかも...?結局二人ともぶち切れて、全部パー。すれ違い生活で苦労はしても、やっぱり二人がいいね、というお話。

「アントニオ博士の誘惑」はフェリーニ&エクバーグで、この組み合わせだと「甘い生活」(1959年)があり、その直後の作品にあたる。人工的なボディがあふれる現代の日本で、この自然なボリュームの肉体美のなんと健康的なこと。フェリーニ万歳だ。それにしてもアントニオ博士が巨大アニタ・エクバーグの胸に抱かれるシーンのなんとチープで素敵なこと。今だったら絶対CGだろうけど、CGじゃないというところがかえって新鮮。

「仕事中」というタイトルになっているが、「仕事」や「前金」という邦題もあった気がする。ヴィスコンティ作品は貴族の新婚倦怠夫婦のお話。この舞台装置(映画でも舞台のようです)と家具調度の素晴らしいこと。ヴィスコンティ私物持ち出し感満載。ブランドにまるでうとい私でもわかるシャネルのスーツを着こなすロミー・シュナイダーがかわいい。まだまだ小娘という感じで、もうちょっと年をとった方が私は知的度が増して好み。父親に「仕事中なの」という時のロミー・シュナイダーの涙が、裏切られた怒りや屈辱感、でも所詮自分はお嬢様育ちだというところの自己憐憫、そういったものが全部込められているようで、グっと来る(昔書いたもの)。

物語としてはデ・シーカの「くじ引き」が一番良いかもしれない。デ・シーカ&ソフィア・ローレンの「昨日・今日・明日」「ああ結婚」も大好きだからかな。気の強い、あまり上品でない、はすっぱな女だけど、とても貞節で情の熱いところがあり、ちょっとほろっとさせるところが、いいな。

全体的にミューズ感のある女優群だった。次は「華やかな魔女たち」がDVD化されないかな。

■制作:カルロ・ポンティ
■スタッフ
第1話「レンツォとルチアーナ」監督・脚本:マリオ・モニチェリ/共同脚本:ジョヴァンニ・アルピーノ,イタロ・カルヴィーノ,スーゾ・チェッキ・ダミーコ/出演:マリサ・ソリナス
第2話「アントニオ博士の誘惑」監督・脚本:フェデリコ・フェリーニ/出演:アニタ・エクバーグ
第3話「仕事中」監督・脚本:ルキノ・ヴィスコンティ/出演:ロミー・シュナイダー
第4話「くじ引き」監督:ヴィットリオ・デ・シーカ/出演:ソフィア・ローレン
■日本公開:1962年

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