最近読んだ本、見た映画・芝居、聞いたCD

2006年10月

2006年10月19日

わが悲しき娼婦たちの思い出

わが悲しき娼婦たちの思い出できることなら、「コレラ時代の愛」を読んでから、の方が良いと思ったのだが、待ちきれずつい読んでしまった。これは少し前に話題になった最新刊。マルケスの作品はかなりちゃんと邦訳が出ているのに、ずっと出ていなかった1985年の作品が「コレラ時代の愛」。順は追った方が良いと思いますよ、木村先生。まぁ、分量が違いますが。

川端康成の「眠れる美女」に想を得た、90歳になった老人が自分の誕生日祝いに娼婦を買うお話と聞いて、もっと隠微な内容なのかと思ったら、全然違った。90歳にして、このピュアさと前向きさ加減はいったいなんだ。老人の愛なんていうと、川端先生の真骨頂なところで、日本だとなんだか陰々滅々してしまうのが、このラテン文学の明るさと前向きさで押し切ってしまうところが、とてもいい。財産家の息子で、教養のあるコラムニストで、でも90歳になるまで独身。そして、自分で自分のことを醜男と言っているのだから、まぁ、何かとちくるって、娼婦を買おうとしているのかと思ったら、生涯で買った女性は5000人は越える遊び人。お金を払わないといけない人もいけなくない人も、ひとしくお金を払ったことしかないという、仰天な遊びっぷり。そして、90歳にして真実の愛に目覚めて前向きに生きて行ってしまうわけだ。無茶苦茶だな。

新潮社はこの後、過去に出したものも全部出し直すらしい。卑怯な。買うか、買わないか、結構迷う。というのも、すでに全部入手済みだから。一般的に手に入りにくい状況よりはいいけど、新装版を出されると、ちょっと憎いな。もちろん、自伝は買う予定だが、ほかのものは悩む。

■原題:Memoria de mis putas tristes : Gabriel Garcia Márquez, 2004
■著者:ガブリエル・ガルシア=マルケス著,木村榮一訳
■書誌事項:新潮社 2006.9.28 ISBN4-10-509017-8 160p

2006年10月 5日

ティンブクトゥ

ティンブクトゥナ■原題:Timbuktu by Paul Auster, 1999
■著者:ポール・オースター著,柴田元幸訳
■書誌事項:新潮社 2006.9.28 ISBN4-10-521711-9 207p

■感想
1999年の作品なんである。7年もかかったのか。「スモーク」や「ルル・オン・ザ・ブリッジ」は発表されて即翻訳されたのに。「トゥルー・ストーリーズ」「タイプライター」はあったものの、ちゃんとした長篇は本当に久しぶりなんである。もちろん、洋書読めば良いのだ。けど、柴田訳で読みたいのに、オースターに飽きちゃったのか、全然やってくれない。他の若手の翻訳ばかり出していたかと思ったら、自作で小説とか書いちゃったりして、イライラが募っていたところに、ようやく出た。ともかく、出たことだけはありがたい。が、もう2000年に入ってから小説4本出てるんですが。どんどん訳してくださいよ。
The Book of Illusions, 2002
Oracle Night, 2003
The Brooklyn Follies, 2005
また今年もなにやら出たらしい。Travels in the Scriptorium, 2006

本書は犬が主人公なのだが、日本版の装丁だけ、何故かかわいい犬なんである。本当はむさくるしい犬の筈なのに。愛犬家を狙ったというか、まぁタイトルも変てこりんだし、売るためには仕方がないだろう。前半はずっと長い間パートナーだったウィリーの死にゆく姿と回想、後半はウィリーを失ったミスター・ボーンズが様々な旅をする。短いわりに、いろいろなことが起こる冒険で、コンパクトでおもしろく読める。

ミスター・ボーンズのパートナーだったウィリーは、まるでブコウスキーやジャック・ケルアックのようだ。春から秋にかけて放浪し、冬に母親のいる家に帰って物を書きためているているというとおろが、特にケルアックみたい。少し時代は後になっているが、ウィリーが1960年代~1970年代のヒッピーカルチャーを代表するとしたら、ディックとポリーのジョーンズ夫妻は1980年代から1990年代の豊かなヤッピー?というわけでもないが、アメリカの中流家庭の代表のような豊かな家庭だ。真ん中のヘンリーは移民社会のアメリカらしい緩衝地帯のようだ。

ティンブクトゥとは、西アフリカのマリ共和国の都市である。砂漠の中にあってなかなかたどり着けないため、「異国」や「遠い土地」の比喩として使われるようになり、本書では「天国」を指す。

ウィリーは結局恩師のミセス・ビーと逢えたのだろう。あれはミスター・ボーンズの夢ではないと思う。孤独で貧しいけれど、自由に好きなことをしたウイリーの方がポリーより幸せだなと思う。美しい芝生のある家は愛しているけれど、夫は愛していないポリー。裕福だけれど不自由で、ウィリーとは真逆なんだが、孤独である点がウイリーと共通する。だから、二人ともミスター・ボーンズを必要とした。犬を求めるのはやっぱり孤独な魂なのだなというお話。

それにしてもディックみたいな男は大嫌い。独善的で一方的でケチくさい。仕事に出たがる妻に家を買ってやってそれでいいにしろ、みたいな感じがありあり。パイロットだから優秀なんだろう。実行力もあり、誠実で良い夫で良い父親なのだが、プライドが高く、他人は支配するものであって、尊重するものではないというタイプだな。

ポリーとディックの仲が決定的なことになる前に唐突に物語は終わる。引っ張ってもしょうがないか、とも思うのだが、少々物足りない気がどうしてもする。アリスをもっと出して欲しかったなぁ。的を得た発言をずばっとするクレバーな子供は気持ち良い。なんか、こうちょっと少しフラストレーションが残る。

だから、早く次を訳して欲しいわけですよ、柴田先生に。

2006年10月 3日

かもめ食堂

かもめ食堂久しぶりの邦画鑑賞だけれど、期待通りの作品だった。荻上監督は「やっぱり猫が好き2005」で初めて知ったが、室井滋が片桐はいりになったのは「すいか」でもそうだったので、違和感はない。

妙齢の女性が、ゆったりと焦らず、しっかり生きているのを見るのは、なんとも嬉しいものだなと思う。若い頃、こんな映画があったら、もう少しゆったり生きられた気がするのだが、そう言えば若い頃「やっぱり猫が好き」を見て癒されていたものだった。今でも時々疲れるとあの30分間のほっと一息が欲しくて、DVDを見る。この映画、若い男性や若すぎる女性が見たら、さぞつまらないことでしょうよ。

主人公は地道にマジメに頑張っているように見えるが、料理は当然プロなんだろうし、フィンランド語は出来るし、合気道は出来るしで、かなりスーパーウーマンだ。あとの二人は多分日本ではあまり華やかな人生を生きてこられたとは思えないが、フィンランドまで思いつきで行ってしまうあたり、なかなか強者。そういうベースがあってのことなので、彼女たちはもともと決してダメなわけではない。これが日本の食堂が舞台だったら、あまり共感は得られないだろうなというところが逆説的だ。女性が3人出てくるが、3人に対しては男性がまったくからまないところが特に良い、というあたりも定石を完全に外していて、素晴らしい。

オシャレなカフェでもあるまいし、あんな木のテーブルなんかで食堂が出来るかとも思う。メイキングを見ると、もともとこの食堂のロケ地は実際に営業されている食堂で、そこではやはりビニールカバーがかかっていた。リアリティはあまりなく、おとぎ話のようだけれど、そこがいい。どうせトーベ・ヤンソンの国だしね。

食堂のテーブルやチェアもいいが、厨房の中も良い。ピカピカの食器やフライパンを見て、気分が良くならない女はいないだろう。それから、音がいい。無論作った音だろうけれど、意図的に大きめに出しているのがよくわかる。床を歩く音、食器をテーブルに置く音、料理の音が静かな中に響き渡る。憎い演出だなと思う。

客の女性が夫に出ていかれた話なども入り、多少ドラマチックなところもあるのだが、基本は淡々とした静かな物語。でも、美しい街や森の風景がたくさん入り込むので、しっかり飽きさせない作りになっている。

それにしても、小林聡美を見ていると、どうしてこう安心感で満たされるのだろう。多分私には永遠に「きみちゃん」なのだけど。エンディングの「クレイジーラブ」といい、挿入歌の「白いカーネーション」といい、陽水ファンにもたまらない。

そう言えば余談だが、この映画、今年の2月に「アメリカ、家族のいる風景」を劇場で見たら、予告編をやっていた。その直後に公開だったので、楽しみにしていたわりに劇場で見ることが出来ず、即DVDを予約。劇場で見るよりDVDを買う方が高いわけだけれど、DVDの方が向いている気がする。きちんと座って見るより、家のソファでゆったり見たい。レンタルでもいいから見た方がいいと思う。

■2005年 日本 102分
■監督・脚本:荻上直子
■出演:小林聡美,片桐はいり,もたいまさこ,マルック・ペルトラ,ヤルッコ・ニエミ
■公式サイト:http://www.kamome-movie.com/