最近読んだ本、見た映画・芝居、聞いたCD

2006年3月

2006年3月29日

消去 ある崩壊〈上〉

消去 Lettres■原題:Auslöschung; Ein Zerfall by Thomas Bernhard copyright Suhrkamp Verlag 1986
■著者:トーマス・ベルンハルト著,池田信雄訳
■書誌事項:みすず書房 2004.2.5 ISBN4-622-04869-8
■感想
長篇のため、上だけで、一度メモ程度に。上が第一部「電報」、下が第二部「遺書」という構成になっている。

主人公フランツ-ヨーゼフ・ムーラウがオーストリアのヴォルフスエックへ妹の結婚式のために帰郷し、ローマに戻って来たとたんに両親と兄の訃報が届く。フランツ-ヨーゼフはガンべッティという青年の個人教授をして生計を立てているのだが、それは表向きで、生計を立てる必要性などなく、ローマでも一番豪華な部屋を借り、家からの仕送りで生きている。彼の家はオーストリアでは非常に裕福な旧家で農業経営者だから、そんなことが可能なのだ。偏狭な中欧の片田舎である故郷をゲオルグ叔父の導きで出て以来、ウィーン、ロンドン、ナポリなどを転々としたが、今は少数だが友人もいるローマに落ち着いている。

最初から最後まで故郷ヴォルフスエックへの呪詛が延々と綴られる。両親と兄、妹を心の底から憎み、軽蔑し、幼い頃の不平を並べていく。何一つ精神的なもののない、空っぽな家族を呪い続ける。カソリックの教義に縛られ、自由な精神もなく、哲学することもなく、ただひたすら経済的観点のみを考える、無意味な人たち。この小説は彼にとって、あまりに大きな「ヴォルフエック」という存在を自分の頭の中から「消去」するために綴っているのだ。世界を全面的に破壊し、否定してから、自分に耐えられると思う形で再生する、それが世界を変えるということ。

中欧的な凡庸さ、偏狭さを嫌い、南に憧れ、南の自由と開放的な精神を愛するのは、ドイツ文学の古典時代からの伝統であろう。だいたいゲーテからしてがそうだから。一度も改行のない文章を延々と読み続けるのはさすがに疲れるが、こちらの精神がきちんとしていないと、彼の憎しみと呪詛に耐えられない。読みづらいわけでも、つまらないわけでもないが、中断すると、きっかけがないと再度取り組みにくい本だと思う。できれば一気読みが良い。

一家の歴史を語るわけだから、当然ナチズムやカソリック教会への批判が噴出するが、それはほんの一部で、彼の攻撃のまとは写真、ドイツ人の肩書き主義、イタリアのブランド店をめぐる母親、聖職者の愛人のいる母親、書庫の鍵を開けようとしない家族、ありとあらゆるところへと広がる。舞台がオーストリアのため、ドイツとは少し違うけれど、なんだかとてもオーソドックスなドイツ文学なようだ。

2006年3月 9日

わがタイプライターの物語

わがタイプライターの物語■原題:The Story of My Typewriter: Copyright 2002 by Paul Auster, Work of art 2002 Sam Messer
■著者:ポール・オースター著,サム・メッサー絵,柴田元幸訳
■書誌事項:新潮社 2006.1.30 ISBN4-10-521710-0
■感想
少々重たいのが続いているので、閑話休題。

おそらくはUSの版元の事情により、ポール・オースター/サム・メッサーになっているが、本来は逆だろう。ポール・オースターのエッセイにサム・メッサーが絵を添えているのではなく、サム・メッサーの画集にオースターがコメントを添えているのである。

主役はオースターのタイプライター。今でもオースター自身が執筆に使い続けている現役のタイプライターを、サム・メッサーが絵にしている。作品は最初はリアルなタイプライターだが、次第に怖い絵になってくる。アルファベットの部分が歯のようで、まるで怖い顔のような絵になってくる。それでもどこかユーモラスなんである。

今でもタイプライターを使い続けていることで、人々から偏屈と呼ばれているらしいが、単に本人としては頑固に古いものに固執しているつもりはなく、「数ヶ月の仕事が一瞬でなくなってしまう」(バックアップをマメにとれよ…)という噂やブーンというあのモーター音が嫌いで使わないでいるようだ。でも、今時テキスト入稿は当たり前だろうに、大家だから許されているのかなぁ…と思っていると、実際は最初手書きで、本格的にはタイプライターでうって、最後の入稿はPCでテキストにしているらしい。うわ、面倒な。その最後の工程は本人がやっているとは思えない(そこまでは柴田氏も追求していない)。

日本ではあまりに効果で操作が大変なので和文タイプが普及せず、企業レベルにとどまっているので、本当のところ、タイプライターのポジショニングというのは、よくわからない。おそらくは我々の「手書き」と同じなのだろうが、ちょっと違う気もする。昔先輩に「ちゃんとした挨拶状はやっぱり手書きじゃないとね」とか、「えらい先生にご連絡する場合はどうしても手書きじゃないとね」などと教わったものだった。それなら、まだまだ手書きじゃないとダメな場面はあるのだろう。けれど、タイプライターじゃないとダメな場面というのはあまりないだろう。だから、やっぱり単に偏屈なんだろうな。

私はワープロというやつをまだコンシューマ向けのものが出始めの頃に買った。書院とか、ルポとかそういうやつ。その理由は最初はタイプ代わりだった。学生のときにレジュメで必要だったからで、タイプライターより軽かったからだ。だが、せっかく日本語も打てるので、ほとんどメモリなんかないから一発勝負だったが、使ってみたりしていた。すると、新しいものを使う人間をバカにするヤツは必ずいるもので、「何も日本語までやらなくてもいいじゃねーか」みたいなことを言われた。そういう輩はそれから数年してPC全盛時代になったとき、使えないオヤジになってOLにバカにされていたに違いない。

私は古いものに固執するのは、カッコ悪いと思っている。むやみやたらと新しいものに飛びつくにも確かにカッコ悪いが、ミーハーな方がいろいろと役に立つだけマシだと思っている。私はPCはかなり初期の98note(DOS)から使っている。アナログレコードはCDが出た側から(ジャケットが気に入っているものは残したが)全部買い替えたし、ビデオやLDもDVDになってるものはすでに買い替えている。DVDになっていないものは、一応DVDに焼いてある。カセットテープは全部DATにしたし、その後DATも全部HDD AVプレイヤーに取って代わっている。次々と新しい機械が出てくるので、ついていけないと言う人は好きにしたらいいけれど、自分がそうなったらおしまいだと思っている。

それでも、古いものに、良いものはたくさんある。このタイプライターみたいな機械は、機械としての味わいが別次元だと思う。電気用品安全法のおかげで真空管アンプとか買えなくなるのか…と思うと、トシとったら欲しいと思っていたので、がっくりしている。

ともあれ、オシャレとかステキな、というタイプの絵ではないものの、とても面白い絵ではある。1600円なので、安いし、プレゼントに良いかも。

2006年3月 7日

ヴィトゲンシュタインの甥

ヴィトゲンシュタインの甥■原題:Wittgensteins Neffe: Thomas Bernhard, 1982
■著者:トーマス・ベルンハルト著,岩下真好訳
■書誌事項:音楽之友社 1990.7.10 ISBN4-276-21411-4
■感想
オペラ界では伝説のパウル・ヴィトゲンシュタインの晩年の友人だったベルンハルトがパウルの死後に刊行したエッセイ。狂人と呼ばれ、精神病院ので精神病院に入退院を繰り返したパウルだが、最初は金銭的にも恵まれた貴族階級の人間として人生のスタートを切った。そして、多くの才能にも恵まれ、音楽にもスポーツにも、生半可でない見識をもつ人物として有名だった。

オーストリアでも最も富裕な一族ヴィトゲンシュタイン家が産んだ二人の異端児、英国で有名になった20世紀の天才・哲学者ルードヴィヒとその甥パウルは、実際は会ったことがあるかどうかもわからないとベルンハルトは書く。しかし、二人には共通点が多くあり、片方は書いて公表し、片方は書かなかったのだと言う。何ものでもない天才というのは、こういう人のことを言うのだろう。

ベルンハルトの毒舌っぷりは痛快である。文学サロン、ヴィトゲンシュタイン一族、精神病院、田舎、なんでもぶった斬り状態である。そして自分自身の「カフェー・ハウス通い」が病気だという自分に矛先が向いていたりもするのがおかしい。どんなに大切な友人であっても「60過ぎの老人に泣きつかれるのはイヤだ」などと正直に言ったりするあたりも笑える。

本作に詰め込まれているいろいろなエピソードの中に興味深いものが多くある。ベルンハルトがビュヒナー賞を受けたときのこと、誰もベルンハルトの顔を知らず、誰も案内出来なかったという。文学サロンを拒否した作家に賞なんかあげるからだと思う一方で、そういう作家に受賞しなければならないオーストリア文学界もまた淋しい時代だったのかと思う。ベルンハルトのような偏屈な作家が賞を受けるというのも傑作と言えば傑作だ。

また、特に1974年にウィーンのベルン劇場で初演された「狩猟仲間」は本来スイスの産んだ天才俳優であるブルーノ・ガンツが主演を演じる筈だったが、劇場のユニオンの拒否にあって実現できなかったというエピソードが興味深い。ブルーノ・ガンツはこの後映画に出て世界に名前が知られることになるのだが、ちょうどこの頃は舞台俳優として完成された頃ではなかっただろうか。もうかなり有名だったことは知っている。同じドイツ語圏と言えども、スイスから出た俳優がオーストリアの一流劇場でオーストリアの俳優を押さえて主演するなど、オーストリア人のプライドが許せなかった

私のウィーンに関する知識は1920年代のもので終わってしまっているが、いくつかのホテルの名前はまだ覚えている。1960年~1970年代のウィーンのエレガントなホテルとカフェー・ハウスの名前がたくさん出てくる。ホテル・ザッハーは「ザッハー・トルテ」で有名なホテルだということはさすがに有名だろう。お菓子の名前も出てきて、ウィーン好きにはたまらないだろう。

ベルンハルトの「真実ではないもの」に対する憎悪、オーストリアが歴史的に背負って行かざるを得ない罪の意識(ナチの被害者のような顔をして、その実協力者も大勢いた)、世紀末の耀きから没落するよりほかない運命。それをペシミズムとは言えないのは、この筆の巧みさ故なのか、あるいは厳しさの中にときおり見えるユーモアのせいなのか。

私は長い間、こういう「真実ではないもの」に対する仮借ない批判を全身全霊で語るようなドイツ文学を好んでいたと思う。それは若い頃、とても自分が強かった頃だと思う。現実にさらされ、弱った心にはこういう過酷な作品に向かい合うには気力が足りず、かといってお気楽な小説にも向けず、後ろ向きな話なのに、何故かポジティブな変なアメリカ文学にはまっていたりした。そこからとんでもなく遠くへ遠くへと行けるラテンアメリカが好きになり、多分、今ある意味ではまた強くなれているんだろう。楽しめる余裕が出来ている気がする。