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2008年5月

2008年5月25日

かなしい生きもの

かなしい生きものモーニカ・マローンは1941年生まれの東独ベルリン出身の作家。1981年に西側でデビューした。この作品は50代になってから書かれたもので、ちょうど語り手が舞台としている時代の歳頃と同じ位だろうと思う。最初は語り手の女性が何歳なのか、何年頃なのかの設定もわからず、次第に明らかにされていくが、時折また記憶があやふやになっていく。「実際の起きたことと起こり得たことの違い」という表現がされているが、彼女の妄想なのか、実際に起きた事実なのかをあやふやにしながら、時に真実を明確に語りながら、物語は進んでいく。
ちょうど1989年のベルリンの壁の崩壊以後にベルリンの街がダイナミックに変化し、人々の価値観も変化しつつある時代に生きた女性の物語として読むと興味深い。戦争帰りであるその親の世代との世代間ギャップ、彼女の世代における夫婦間のギャップ、娘世代との世代間ギャップ等、激しく変わる時代の中で生きた彼女が信じられるものがなかったのは確かだろう。彼女が唯一信じていた「ブラキオザウルスの前での出会い」のことを気軽に不倫相手の妻に話されて彼女は壊れてしまう。「戻ってくる」という言葉を信じなかった結果が結末だ。

物語の間ずっと不倫相手だった「フランツはもう戻ってこない」と彼女は語り続ける。読者に「何故戻ってこないのか?彼はどこに行ったのか?」という興味で引っ張りながら、上記の時代を生きた女性の不信感というものを突きつける構造になっているのだが、全体として言うと、読み進めるには私にとっては少々厳しいものがあった。確かに、途中に入る過去のエピソードは面白い。特に犬の誘拐の件、「カーリンとクラウス」の件など。しかし、全体的に引っ張れないため、これだけの長さの小説にしては途中なんども放り出しそうになった。多分、50代の不倫っていうのが、あまりに興味が持てないジャンルだからだろうと思う。

できれば、この作者のもう少し前のものを読みたい。が、翻訳されているのは、現在のところこれだけだ。

■著者:モーニカ・マローン著,梁池孝子訳
■書誌事項:あむすく 2001.12.4 195p ISBN978-4-900621-22-0/ISBN4-900621-22-6
■原題:Animal Triste, Monika Maron, 1996
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memo
Flight of Ashes (Flugasche), 1981<飛散する灰>
Herr Aurich, 1982
Das Mißverständnis, 1982<誤解>
The Defector (Die Überläuferin), 1986<寝返った女>
Silent Close No. 6 (Stille Zeile Sechs), 1991
Nach Massgabe meiner Begreifungskraft: Essays und Artikel, 1993
Animal Triste, 1996<かなしい生き物>
Pavel's Letters (Pawels Briefe), 1999
Endmoränan, 2002
quer über die Gleise, 2002
Wie ich ein Buch nicht schreiben kann und es trotzdem versuche, 2005

2008年5月18日

バートルビーと仲間たち

バートルビーと仲間たちバートルビーというタイトルに惹かれて買ってしまったが、なかなか面白かった。最初の方はいわゆる文学エッセイみたいなものかな‥?と思っていた。25年前に小説を上梓したものの、書けなくなってしまった事務員「私」があらためて書く気になったテーマは「書けなくなった作家たちのことを書く」ということだった‥という設定で書かれた小説だった。しかもとても多作で期待されているスペインの現役の作家だった。

内容的にスペイン語圏の知らない作家の名前も多数出てくるが、大物も多いので、比較的平易に感じられる。一つの論旨を堀り下げたりはせず、メモを書き散らすというスタイルをとっているため、様々な作家が様々な理由をつけて書かなくなった話を断続的に次々出してくるだけなので、どんどん読み進めることが出来る。

ルルフォの話が最初の方に出てくる。この人も評価が高いわりに寡作だなーと思っていたら「ペドロ・パラモ」と「燃える平原」だけしか本当に書いていないんだ。どうりで翻訳が他に出てこないわけだ。当たり前だ。

書かなかった人といえばヴィトゲンシュタインの甥の方なんかも、実際何も書いてないけど、有名なんだがな‥。とかふと思ったりもする。
帯にゲーテの名前が出ているけど、本文中に名前は出ているが書けなくなった人の一人として言及されているわけではないんだがな‥とか。カフカなんかの場合、書けなくなったとかではなくて、己の作品を否定したという代表例としては正しい。ヘルダリンなんかも意志として書かなくなったわけではなく、狂気故に書けなくなった代表例だ。しかし、それ以外あまりドイツ語圏の作家が出てこないな‥。フランスやスペイン、イタリア人に比べるとたゆまぬ努力を惜しまない人たちだからかな‥。

ところで、中に出てきて気になった名前は次の二人。ロドルフォ・ウィルコック(Jules Flamart Wilcock 1919-78、アルゼンチン-イタリア)とフリオ・ラモン・リベイロ(Julio Ramon Ribeyro、1929-1994ペルー)。特にリベイロの方は「どこで衝突するかわからないバルガス=リョサにぶつからないようたえず用心しながら執筆していた」というくだりが笑えた。リベイロの方は各種短編集に入っているが、ウィルコックの方は翻訳はない。どこかで読めないものかな。

■著者:エンリーケ・ビラ=マタス著 木村榮一訳
■書誌事項:新潮社 2008.2.29 223p ISBN978-4-10-505771-8/ISBN4-10-505771-5
■原題:Bartleby de Compaña, Enrique Vila-Matas, 2000
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memo
ロドルフォ・ウィルコック(Jules Flamart Wilcock 1919-78、アルゼンチン-イタリア)

フリオ・ラモン・リベイロ(Julio Ramon Ribeyro)
「記章(バツジ)」 La insignia
井尻香代子訳 「エバは猫の中」サンリオ 1987.1.20(サンリオ文庫)/「美しい水死人」福武書店 1995.3.10(福武文庫)

「ジャカランダ」 Los Jacarandas
 井上義一訳「ラテンアメリカ怪談集」河出書房 1990.11.2(河出文庫)

「分身」 Doblaje
 木村榮一訳「遠い女―ラテンアメリカ短篇集 (文学の冒険シリーズ)」国書刊行会 1996.11