最近読んだ本、見た映画・芝居、聞いたCD

2011年9月

2011年9月18日

パレルモ・シューティング

パレルモ・シューティングようやく「パレルモ・シューティング」を見ることが出来た。3年ごしだ。海外在住の方々は観ておられるのだが、私には無理だった。

ヴェンダース監督はこういうパーソナルな作品をよく撮る。昔は一本おきにがっちりストーリーのある作品と、ちょっと行き当たりばったりの小さな作品を撮ってバランスをとっていたが、最近は音楽ドキュメンタリーを除くと、「ランド・オブ・プレンティ」がそれにあたるのだろうか。少し違うかもしれない。やはりドイツに帰ってきたことが大きいのだろう。

オープンカーでヘッドフォンを耳にかけて走るのはかなり危険だと思う。カーステレオは外の音も聞こえるが、あれでは周囲の音が全然入らない。その上、ハンドルをもちながら撮影しようとしたりもする。無茶するなと思って見ていると、やっぱり事故に遭いそうになる。主人公は不眠のためパレルモの町中で昼寝をしてしまうのだが、シチリア島で昼寝なんて危ないなと思っていると、彼女に危ないわよと言われてしまう。スクーターの多い街だなと思って見ていると、彼女は赤いスクーターに乗っている。パレルモってピンクのユニフォームだっけなと思っていると、サッカーのバッタもののユニフォームが売られているシーンが出てくる。そんな感じで、なんだか監督にいろいろとこちらの思うことが見透かされているような気がした。

パレルモの風景を楽しみつつ、ジョアンナ・メッツォジョルノの不思議と悲しげな美しさに魅了されつつ、デニス・ホッパーがいつ出てくるかなとかわくわくしながら最後まで見たが、何かとっかかりがないと「不思議な映画だなー」という感想になってしまうかもしれない。だから音楽は重要なアイテムだ。

吉祥寺バウスシアターではレイトショーで爆音シアターという形で上映している。自分が観たのは残念ながら、爆音での上映ではなかったが、なるほど、爆音がふさわしい作品だ。

主人公がヘッドフォンを耳にかけて音楽を鳴らすと同時に音量があがり、耳から外すと音楽が止まる。「ベルリン、天使の詩」の天使が人間になったときからモノクロ→カラー変換をやったように、こういうわざとらしいというか、わかりやすいとも言える演出をすることが度々ある。嫌いな人は嫌いだろうなぁ。

人生に行き詰まったときに音楽が人生を救ってくれた経験をもつ監督は、こういうパーソナルな作品ではたいへんに音楽を重要視する。その点で爆音シアターを主催するboid(配給元)の目にとまってくれたのなら、よかったと思う。なにしろ、日本での上映をほぼあきらめていたので、ちゃんとした映画館で見ることが出来て、boidには感謝している。

確かにプロモーションには難しい作品だと思う。デニス・ホッパー遺作とは言えるのだが、なんとおもしろさを表現すれば良いのか。ロードムービーという言葉もあったが、確かによそには行くが、その過程が描かれず、一足飛びに飛行機で行ってしまったので、ロードムービーとは言えないように思う。「リスボン物語」の方がまだ車での移動が少々だが入っていたのだけれど。

ライン川の男性は何者なのだろう?Bankerと役名はあるが、この人はいろいろ解釈できそうだ。ルー・リードはすごくストレートでいい。大好きなジューク・ボックスで曲がなっている時に出てくる。登場するのは一瞬だが、いい味を出している。

最後の方、結局死神の愚痴を聞いている主人公がそこはかとなくおかしい。

2011年9月3日~23日吉祥寺バウスシアター。9月24日~10月14日新宿K'sシアター。以後大阪、横浜、広島、京都など地方巡回が決定している。


Palermo Shooting 公式サイト

監督・脚本・製作:ヴィム・ヴェンダース
出演:カンピーノ、ジョヴァンナ・メッゾジョルノ、デニス・ホッパー、ルー・リード、ミラ・ジョヴォヴィッチ

→近日中にサイトの方も更新します。Wim Wenders Fansite

2011年9月17日

聴く女/トーベ・ヤンソン

聴く女/トーベ・ヤンソントーベ・ヤンソン・コレクションの最終巻はトーベ・ヤンソンが大人の本として出した最初の作品。何かに背中をつつかれるように、心がざわざわして焦りだしたときにトーベ・ヤンソンを読むと落ち着くことを思い出して、読んでみた。

多分それは「リス」のような作品に代表される"島暮らし"の描写なのだろう。厳しい自然と孤独に淡々と闘う姿を見ていると、次第に気持ちが落ち着いて来る。本作でも薪を割っていく仕事や、朝起きてからの一連の動作を儀式のように執り行うことで、気持ちが落ち着いてく様がこちらに伝わって来る。ともに冬を越そうとするリスともなれ合うでもなく、無視するでもない理想的な関係を築こうとするが、自然はやはり意外なことをしてくれるのだ。

表題作「聴く女」では、人間関係をきちんと押さえていく人の基礎能力はやはり「記憶力」なのだなとあらためて思い知らされる。忘れただけではないようだけれど、失われた記憶を再構築していく様が独特の方法で興味深い。「人の話をきちんと聞ける人」はいつの時代もどこででも高い評価を得るが、そんな人の中にもいろいろな思惑があるもの、という話だろうか。あるいは、いい人そうに見える人ほどなめてかかると怖いということだろうか?


「偶像への手紙」はあこがれの作家の新作が評判が悪く、励ましたくて初めて手紙を書き、そして自分の住所を書いたことから一線を越えてしまった女性の話。誰しも「偶像=アイドル」はいるが、そこに近寄ることを禁じているうちは良かったのに、踏み込んでしまったときのあの気まずさといったら独特のものがある。ファンレターのみの昔と違い、今はtwitterなどで気軽にみんな話しかけているが、あの気まずさを感じることが少しは減ったかもしれない。しかし、やはり踏み込んで良い相手と悪い相手がいるのだと感じている。それは相手にとって、という意味ではなく、自分にとって、という意味なのだが。


「砂をおろす」や「発破」に見られる、働く人に憧れる子供への目線が厳しくも優しいところがトーベ・ヤンソンらしいなと感じた。

■書誌事項
著者:トーベ・ヤンソン著,冨原眞弓訳
書誌事項:筑摩書房 1998.5.5 202p ISBN978-4-480-77018-9
原題:Lyssnerskan, 1971. Tove Jansson

■目次
聴く女
砂を降ろす
子どもを招く
眠る男
黒と白―エドワード・ゴーリーに捧ぐ
偶像への手紙
愛の物語
第二の男
春について
静かな部屋

灰色の繻子
序章への提案


発破
ルキオの友だち
リス

「島暮らしの記録」トーベ・ヤンソン
「フェアプレイ」トーベ・ヤンソン

今回は、ほぼ定価で古書にあったので買ってしまったが、上記2冊はまだプレミアついて高い。