最近読んだ本、見た映画・芝居、聞いたCD

2011年6月

2011年6月22日

バルガス=リョサ講演会(東京大学)

バルガス=リョサ講演会チラシバルガス=リョサの東大での講演会に行ってきた。まず、バルガス=リョサ氏へ、日本人の一人として、今この時に予定どおり来日してくれて、世界へ向けてメッセージを発信してくれたことに感謝します。日本はとても危険に思われ、来日を断ったり帰国する人が多い中でのこの男気というか仁義というか、大作家らしい態度はさすが。

実物のバルガス=リョサを見て、まず、なんて華やかな人だろうと思った。大柄で、背筋がしっかりと伸び、75歳とは思えない声量で精力的に話している。さすが、一時は政治家を目ざしただけのことはある。

最初に話したのはこの世界における文学の役割。文学は偏見や暴力、不正義から人々を守る役割がある、等々。ノーベル文学賞受賞者だから、そういうお話をしなくてはならない。例えば「作家にとって生きることは書くことだ」なんていう言葉を彼がスペイン語で言うと、たいへんな重みがあるのだけれど、それは書いた文ではとても伝えられない。

面白かったのが、「密林の語り部」ができるきっかけ。この作品はバルガス=リョサが実際に行ったアマゾンへの先住民に対する調査というか冒険の体験に基づくものであることは知っていたが、その詳細を話してくれた。大学在学中(?)、アマゾン川流域の街プカルバへ赴き、分散してしまった先住民であるマチゲンガ族のコミュニティを調査する調査隊に参加した。その中には文化人類学者であり宣教師でもある米国人夫妻がいて、彼等から自分は語り部の話を聞いた。分散してしまった部族の人と人を物語でつなぐのが語り部である。自分はこの語り部になろうと思った。文学はこのような役割を果たすものである、と。細かい言葉としては違うかもしれないが、そのような趣旨の話だった。20年後に再開した夫妻が覚えていなかったというオチがついていたが。

質疑応答タイムは野谷先生の教え子の学生たちが先を争って?あるいはきちんと仕込まれて?質問し、司会を務められる野谷先生も「若い人!」とご指名。

氏は詩人のルベン・ダリオの研究論文を発表しているが、詩という文学ジャンルについてはどう思うか?という質問に対し、すべての作家は詩を書くことから文学から入っており、詩人を羨望のまなざしで見ている。詩は完璧なものをつくることが出来るが、小説は完璧なものはつくり得ない。自分は詩人としては、ヘボでした、とのことで会場から笑いがもれる。

「専門化が進むことにより人々が分断されていく」という話をしていたが、研究者がどんどん専門的に先鋭化していくことについてはどう思うか?あるいは研究者の役割とは何?という大変良い質問が出たが、「批評家は読者と作家の橋渡しをするのが役割」という、わりと平凡でかつしごくまっとうな回答。

作品については昨日のセルバンテス文化センターの方が話が濃かったのかもしれない。少しうらやましい。

ゲットしてきた大事な情報を。

1.絶版中の「密林の語り部」が岩波文庫から出るらしい。

2.氏は今日の午前中、神保町で古書店巡りをした。かつてオクタビオ=パスが入ったのと同じ古書店で「北斎漫画」を見る。その際、偶然NHKがロケ中で急遽出演した。妖怪を扱った番組で、放送は後日とのこと。どこからか情報が出ると良いのだが。


最後にちょいと。

1. 東大文学部(教授)席が空きすぎ。バルガス=リョサの邦訳としては最新作の訳者である田村さと子先生をたいへん良い席ではあるけれど東大側の案内もなく一般席に座らせておいて、それはないんじゃないかなーと思った。

2. そんな中でも柴田元幸先生は英米文学の方だが、研究熱心な方だけあって出席されていたことを確認。さすが。(他にもおられましたが、どなたかまでは確認できず)。

3. 赤いポロシャツの素敵な先生は幻だったようです...。

2011年6月21日

低開発の記憶/エドムンド・デスノエス

4560081328.jpgキューバ革命が起こった直後のキューバ。主人公は親に家具店を買ってもらって経営していたインテリでブルジョアの男。妻や両親、友人らが皆国を逃げ出すのに自分だけは残る。それは主人公が革命に共鳴したからではなく、彼等と縁を切りたがっていたからだ。つまり、それまでの自分の生き方そのものを否定したいのだろう。彼の過去が徐々に明らかになるが、若い頃ユダヤ人の彼女とニューヨークで作家として暮らすことが出来なかったのが彼の挫折というわけだ。原因は安定を求める自分自身の優柔不断のせいなのだから、それはなるほど、納得できない人生だ。

自分の生き方に嫌悪感を抱いている一方、海外旅行を頻繁に出来るようなブルジョアの身分で、自国を「低開発」と嘲るように語る。妻を自分の思い通りにしつけられなかったからと言って、手ひどくいびって傷つけ別れる。そんな嫌悪感を抱かせる主人公にしたのは無論意図的なものだろう。では革命で彼も変わることができるのだろうか?以前からの希望だった作家になるチャンスなのだから、マンションの家賃で遊んで暮らせる身分になって、部屋の中で思う存分書けば良いのだ。だが書けない。だから街を歩く。けれど帰宅してからも書けない。人恋しくて、若い女の子をひっかける。やっぱりつまらない女だったと気付いて捨てる。やれやれだ。結局、彼は自分に何を望んでいるのだろう?

革命で何もかも変わる!と信じていたら、そうでもなかったというような話なのか。あるいは革命に身を投じるには、旧来のブルジョア的価値観から脱却できない優柔不断のインテリを糾弾する話なのか。そんなに単純に割り切れるような小説ではないから、傑作と言われるのだろうと思う。

ラストの方、主人公がキューバ危機についてアメリカのラジオを聞いているシーン、一般市民の代表であるノエミは英語がわからないから、彼の恐怖が伝わらない。主人公が海岸でミサイルを運ぶトラックをみかける場面と合わせ、作家が書きたかったのはこの「核の恐怖」だったのか。インテリで臆病で優柔不断で海外旅行経験があって多少はグローバルな視点をもつ主人公が、心底おびえているところを見せたかったのかもしれないなと感じた。

「低開発の記憶」は映画を先に見た。映画が先が良いか原作が先が良いか、どちらかは比較できないが、映画で今ひとつわかりづらかったところが明確になってよかった。例えば、デスノエス本人が出てくる文学討論会がとても唐突に感じられたが、「僕」とエディの関係が(映画の中でも少し触れられていたが)詳しく説明されている。また、エレーナとの裁判があっさりとセルヒオ側の勝利に終わった点で腑に落ちないところがあったが、「なるほど」という理由が小説には書かれている。そういった細かな点で映画を補完するような意味を小説が果たしている。これは小説が先だと、映画に別の意味が加わるのだろう。

「いやしがたい記憶」として小田実が1972年に翻訳したものを何故2011年になって野谷先生が訳したのかの謎は2003年に"Memorias del subdesarrollo" の新しい版が出たからだという事情を訳者解説で知った。追加された3つの短編は主人公がかつて書いた作品という設定だ。映画がきっかけにならなければ読めなかった作品だが、これもまたタイミングというか出会いなんだろうなと思う。装丁はカッコイイ。


■書誌事項
著者:エドムンド・デスノエス著, 野谷文昭訳
書誌事項:白水社 2011.6.5 196p ISBN978-4-560-08132-7
原題:Memorias del subdesarrollo: Edmund Desnoes , 1965