08/17

2015

かごめかごめ/池辺葵

かごめかごめ修道院に暮らす修道女の生活と揺れる思いを静かに描いた作品。池辺葵さんは私は実は「繕い裁つ人」より前に「サウダーデ」で知った。あれは偏屈な女の人が主人公だったが、「繕い裁つ人」も頑固な職人さんで、一風かわった味わいの作品を描く。台詞が少ない。静かで、淡々と、表情もあまり変わらないのに、伝わってくるものがあるという不思議な作品たち。この「かごめかごめ」はオールカラーという豪華な作品だが、彼女の作品らしく、やはり台詞の少ない静かなもの。

「かごめかごめ」の主人公マルエナは「修道院での神の御前で過ごす、実り豊かで静かな生活」と「好きな人と子どもを産んで育てる外での生活」のいずれかしか選べない。

彼女は修道院での生活に不満があるわけではないのだろう。でも、修道院の外での生活、外で出会ったコーリャへの想い、自分をずっと待っているコーリャの想いを受けて、思い悩む。

一方で修道院で自分を慕う幼いアミラや長い間の友人であるシスター・ヴィーへの想いもある。神の御前での精神的に充実した生活の魅力もわかっている。ルーチンワークかもしれないが、日々の営みの素晴らしさや集団生活につきものの責任感も感じる。修道院の生活は厳しいが、その分、精神的には充実していると思う。

どちらの生活も素晴らしい。でも、どちらかしか選べないのだ。

私たちの人生にも、こういうふうにどちらかを選ばなくてはならない時が来る。どちらか一方がイヤというのなら答えは簡単なのだが、そうではなく、どちらも捨てがたい魅力をもつ生活だということがある。どちらを選んでも後悔する。どちらを選んでもすべてが満たされることはない。

マルエナは幼い頃修道院に入った。おそらくは富裕な家庭で育ったが早く両親を亡くし、遺産ごと親類が入れたのだろう。後見人となる両親のいない良家の子女は嫁ぎ先も見つけにくく、他に方法がなかった、という舞台設定とだと思う。いい生活をした人は修道院での生活に馴染めないものだ、と作品中で言われている。マルエナが修道院の生活で満たされていないのは、外の生活を知っていることとは関係ない。ストレートにコーリャへの想いがあったのだろう。

コーリャとの最初の出会いから14年後にマルエナは修道院を去る。その間ずっと修道院の外の畑に彼がいることを知っている。一度、脱走しようとしたこともある。ヴィーはそれを知っている。その時にマルエナはアミラを拾ってくる。おそらく、それが最初の出会いから数年後なのだろう。それから更に時間が経ち、アミラが育ったのもあって、マルエナは出奔する。

修道院の外に出て、コーリャと結ばれたマルエナだが、それですべてが満たされたわけではない。修道院での祈りに満ちた生活への未練もある。アミラへの罪悪感もある。

最後、子どもが生まれている。神への祈りは、どこででも捧げられる。そういう流れなのだろうけれど、人生はずっと続く。マルエナは生きる限り、迷い続けるだろう。子どもが成人し、コーリャが死んだら、また修道院に戻るかもしれない。

私たちの人生もそういうことだろうと思う。できればすべてを選びたいが、何かを選んだら、どうしても何かを捨てることになる。これで良かったと思うこともあれば、あのときの選択は間違っていたと思うこともある。それはもう仕方がないんだろうな、と最近は思うようになってきた。

秋田書店 2014.9.20 ISBN978-4-253-10053-3