07/15

2013

京都国際マンガミュージアム「バレエ・マンガ展 外伝!」を聞いてきました。

バレエ・マンガ~永遠なる美しさ~日時:2013年7月13日(土)13:00~16:00
会場:京都国際マンガミュージアム 3階 研究室1
出演:
第一部(13:00~14:00)特別講座「描かれてきたバレエ」(講師:芳賀直子)

第二部(14:00~16:00)座談会「バレエ・マンガの魅力」(出演:ヤマダトモコ、芳賀直子、小西優里、卯月もよ、岩下朋世)
2013年7月13日から京都国際マンガミュージアムで開かれている「バレエ・マンガ~永遠なる美しさ~」展オープニングイベントの「バレエ・マンガ展 外伝!」に行ってきました。テープとか録音してませんので、例によってメモから記憶を掘り起こしながら書いていますので、部分的なものです。またミス・思い違い等あればこちらからご連絡下さい


まずは芳賀直子さんの特別講座から。芳賀直子さんはバレエ・リュスに関する著書などをおもちの舞踊研究家で、この展示のバレエ監修を務められています。エレガントでとても美しい方です。1時間でバレエを何も知らない人にもバレエの歴史の概要がつかめるよう、駆け足で、でもわかりやすく説明して下さいました。

第二部は座談会で、芳賀さんのほかに登壇されたのは、倉持佳代子(司会・京都国際マンガミュージアム学芸員)、ヤマダトモコ(マンガ研究家・米澤嘉博記念図書館)、岩下朋世(相模原女子大学講師)、小西優里、卯月もよ(図書の家)の面々(敬称略)。今回の展示を実現するまでの経緯、図録編集にあたってのご苦労や事情により展示に至ることの出来なかった漫画家のバレエ・マンガについて2時間たっぷり語って下さいました。
●この企画が立ち上がった経緯

まずは会場であり主催である京都国際マンガミュージアム(以下京都MMと略)の倉持さんから、この企画が始まったいきさつを。京都MMにバレエ・マンガの大量な寄贈があったのが、6年ほど前。兵庫県立芸術文化センター(常設展/企画展)の薄井憲二バレエ・コレクションのキュレーターを務められている芳賀直子さんから「バレエ・マンガ」に関する展示の企画書をいただいたのもその頃。2008年に川崎市市民ミュージアムで開催された「少女マンガ・パワー!」展のキュレーターを務められたヤマダトモコさんに全体監修をお願いしました。

次にヤマダさんから経緯説明。きっかけは1998年の川崎市市民ミュージアムで開催された「少女マンガの世界」展。この展覧会の際に図書の家の岸田さんが「バレエ・マンガ」の展覧会をやりたいと言って来た。それで、自分が仕事で整理収集しながら手書きで作成していた「バレエ・マンガ」のリストを渡した。すると、データがものすごく追加された立派なリストが公開されるとともに、図書の家のサイトが誕生した。また、6~7年前に芳賀さんは「バレエ・マンガ」展をやりたいという企画を川崎の方にも打診してくださっていた。

ヤマダさん「芳賀さんは、何故あんなに熱くバレエ・マンガの展示をしたいと思われたのですか?」

芳賀さん「バレエの日本での定着の仕方が世界に類を見ないやり方で、最初にバレエを知るきっかけがマンガである、ことが多いというところが非常に興味深いと思ったから。」

ヤマダさん「私自身は少女マンガが、「少女マンガらしい」表現を形成するのにバレエ・マンガが重要な役割を果たしたと考えていたのでリストをつくっていたし、展示をしたいとも思っていた。」

●バレエ・マンガの発祥について

ヤマダさん
(ここからは主にヤマダさんが話しています。小西さんともよさんがスライドに表示する資料を差し替えています。図録のp32~36に掲載されている内容を、図版を増やして紹介していると言えます)

まず、展示されている大正時代のバレエ風の叙情画は、雑誌では、このように横に詩が添えられて掲載されていました。今回の調査で初出がわかり、借用先から喜んでいただきました。次に1940年代後半の少女誌の中にバレリーナのグラビアが登場しはじめます。この頃すでにバレリーナが少女が憧れる職業の一つになっていることがわかります。それからバレエが記事や写真絵物語に取り上げられ、例えば1951年に松島ともこがバレリーナの姿でグラビアになっていたりします。やはりその前後に少女小説の中にバレエものが登場します。
→「白鳥はかなしからずや」(『少女倶楽部』1947年)


では、マンガにバレエが登場するのはいつ頃か。

→石田英助「ニャン子のアメリカ旅行」(『少女』1951年3月号)
→玉川一郎,小林和郎「バレーのノンコ」(『少女』1953年)

→手塚治虫「ナスビ女王」(『少女』1954年5月号~1955年7月号)


調査の結果、一冊丸ごと、バレエを題材にしたマンガ単行本が登場した1955年頃に、バレエ・マンガが登場したということにすればよいのではと、今回はとりあえず結論づけた。

→山内竜臣「火の島」(1955年)
→わたなべまさこ「愛の讃美歌」(1955年)

この頃、現在の少女マンガの元となる表現形式の試行錯誤が、少女誌の中で行われていた。バレエが登場する、現在の少女マンガ表現を思わせる斬新な絵物語が登場する。
→勝山ひろし「泣くな白鳥」(掲載誌『少女』1955年10月号~1956年3月号)


少女マンガの表現が洗練されてくる。

→高橋真琴が実験的な作品を書いていた。今の少女マンガのメソッドに近い。→「のろわれたコッペリア」(『少女』1957年12月号)
→牧美也子のようにマンガとして素敵な表現を模索する作家が登場する。→「白いバレエぐつ」(『少女』1957年12月号)
→少女マンガの中に初めて三段ぶち抜きを使った。高橋真琴「あらしをこえて」(『少女』1958年1月号)図録の藤本由香里さんの考察に詳しい。

「ニャン子のアメリカ旅行」からここまで全て雑誌『少女』の中で起きており、バレエ・マンガに関しては『少女』での展開が目立つが、表現の実験は『少女』以外の雑誌でも展開している。例えば「白鳥になったアンネ」(オオトモヨシヤス『少女クラブ』1958年お正月増刊号)、「白鳥のちかい」(木村光久『少女ブック』1958年新年増刊号)。この二作は、少女マンガに段ぶち抜きを初めて採用されたとされる、「あらしをこえて」連載第一回目と、ほぼ同じ時期の代表的な少女誌の増刊で描かれている。

イラストでもマンガでもないものを目指していた高橋真琴の方向性が、少女マンガの「図像的表現」に大きく影響したといえる。が、少女マンガの表現は、もちろん高橋一人が担ったわけではなく、この表現の試行錯誤が起こっていた頃、何人もの才能ある漫画家たちによって、どんどん洗練されていったといえる。また、『Girl』というイギリスの少女誌にも同時期の1950年代に、バレエ・マンガが登場している。マーゴ・フォンティーンや映画「赤い靴」に出演しているモイラ・シアラーなど、スター・ダンサーが登場していたからだろう。


●原画未出展で重要な作家

ヤマダさん
ここからは何らかの事情で展示できなかったけれど、バレエ・マンガを描かれている、重要だったり珍しかったりする漫画家さんを紹介します。

楳図かずお「母をよぶ声」(『少女ブック』1958年4月号~12月号)、「まぼろし少女」(『虹』1959年創刊号~10号)
赤塚不二夫
石森章太郎「水色のリボン」(『少女倶楽部』1957年11月号~1958年3月号)ほか
横山光輝「裏町の白鳥」(『少女ブック』1958年)、「白鳥の湖」(『少女クラブ』1956年)
巴里夫
細川知栄子「くれないのばら」(『少女クラブ』 1958年夏休み増刊号)からずっと『少女クラブ』でバレエ担当のように延々とバレエものを描かれています。その後、小学館『少女フレンド』に移籍、またその後で『プリンセス』で細川智栄子あんど芙~みんとして「王家の紋章」を描かれています。
ダーティ松本さんはバレエのエロマンガを多数描かれていて、とても重要な作家さんです。
最近のものだと、相田裕「GUNSLINGER GIRL」、朔田浩美「東京湾岸バレエ団」などがあります。
また、BLでは新也美樹「華麗なる俺達」などがすごくおもしろいです。


倉持さん
さいとうちほ先生(「もう一人のマリオネット」「ビューティフル」他)も。

会場から
細野みち子「白鳥少女」(『少女フレンド』1964年)も。


芳賀さん
えすとえむさんの「リュミエール」には、ベジャールの衝撃をどう受け止めるかといったところが反映されているような気がします。ジョルジュ・ドン(1947生)とモーリス・ベジャール(1927生)の関係のような印象を受けます(「リュミエール」は以前バレエ団をもっていた振り付け師の老人が過去に出会ったダンサーとの関係を話す。それを若い小説家志望の男が聞いて記録している。小説家志望の男にはダンサーの恋人がいて...という世代の違う芸術家のそれぞれの恋の物語)。


ヤマダさん
漫画家の先生の多くはバレエ・マンガを描き始めてから演目をたくさんご覧になるようになった方が多いですが、萩尾望都先生はバレエを観ることが大好きで、たくさんご覧になって、その蓄積のもと、作品に描き始めた方です。その萩尾さんがおっしゃってるのは"ベジャールの衝撃"というものは当時ものすごいものがあったと。


芳賀さん
ベジャールはすごくエロチックでセクシーなダンサーでした。


ヤマダさん
ジョルジュ・ドンはバレエ・ダンサーというより、ロックスターのようでしたね。


会場から(米澤英子さん)
日本でニジンスキーを有名にしたのは青池保子さんの「イブの息子たち」なのでは。


ヤマダさん
私もそう思います。会場にも青池先生のニジンスキーを紹介していますよ。


●バレエのオリジナル演目について

ヤマダさん
バレエ・マンガ作品の中では作者が創作したオリジナル演目がたくさん登場します。
まずは山岸凉子「アラベスク」。萩尾望都「フラワーフェスティバル」内の「十二宮物語」 ガイアの踊りなど。

芳賀さん
バレエのオリジナル演目はマクミランのもの以降重要なものは出ていない。それなのにバレエ・マンガの中ではいろいろとオリジナルの作品が登場している。

卯月もよさん
萩尾先生が友達のバレエ教室に提供した作品が現実的にあります。(1995年2月、安田博子バレエ研究所の「伊勢まほろば語(かたり)」


★バレエと少女マンガの共通点
ヤマダさん
ビジュアルと物語とを一緒に考える、そしてビジュアルがすごく大事、という点が共通しているので、バレエはマンガとの親和性が高いのだと思う。


●谷ゆきこさんについて
(※下記のお話に出てくるコマは図版のp42~43の倉持さんのコラムに登場します)

倉持さん
このバレエ・マンガ研究会のみんなで満場一致で"今日、みなさんにお話ししたい一番の作家"さんは谷ゆきこさんでした。谷ゆきこさんは学年誌などに多くのバレエ・マンガ作品を掲載されていた方です。

岩下さん
「バレエ星」に滝修業のシーンが出てきます。主人公が打たれている滝の上に石を投げて、すると主人公に岩が落ちてくるというシーン。ほとんど、じゃなくて完全に犯罪です。


芳賀さん
牧(阿佐美?)先生によると、バレリーナの滝修行は実際にやっていたらしいです。


倉持さん
主人公のかすみちゃんが生き埋めにされたのでどうしよう、という見開きのドアップが登場します。横に「谷先生が こんなに おおきな おかおを おかきになったのは、はじめてです。」と書かれています。この「にへい」記者という人が横のあおりによく登場します。

「さよなら星」という作品では途中からバレエではなく、バレーボールに変わっています。これは「アタックNo.1」などのスポーツ・マンガが影響しているのでしょう。例えば片足になってしまった主人公が2000回縄跳びで跳べば片足のバレリーナになれる、と縄跳びを続けるシーンがあったりする。


岩下さん
学年誌のバレエ・マンガは小学校1~2年生だと、こんな感じで本当にハチャメチャですが、4年生頃から落ち着いてきて普通のマンガになっていく。やはり小さい子に継続して読み続けてもらうには、これくらいの"引き"が必要だったのではないか(岩下さんの学年誌のバレエ・マンガに関するコラムが図録のp40~41にあります)。


●絵の初出調査について

小西さん
絵の初出を確認していく作業で思わぬ落とし穴がたくさんありました。例えば高橋真琴のイラストでは、「プチ・ラ」と書いてあるので、『少女』をたどっても見当たらない。他の調査をしているときに偶然、講談社の『なかよし』で同じ絵が見つかって、出版社も雑誌も違うのでは見つかる筈がなかったんだなと驚いた。牧美也子さんの「マキの口笛」(1960~1963 図録のp22にあり)でも同じようなことが。絵の横に「マキの口笛」と書いてあるので、『りぼん』の連載をたぐっていっても見つからない。ところが、更に別のものを探していたときに『りぼん』1966年春休み増刊号のふろくの総集編「マキの口笛」に該当のイラストがあった。連載が終わってずいぶん経つけれど、確かに「マキの口笛」だった。なので、図録のデータは「マキ~」になっているが、牧先生に詳しい友人から、「りぼんのワルツ」の扉が初出だ、という情報が来たので、正誤表を入れることとなった。こういう風に、突然別方向から初出がわかる現象が何度も起きた。


ヤマダさん
こうしたことが起きるたび、私たちは「バレエ・マンガの神様が降りてきた」と言っていました。


●質問コーナー
Q:「昴」は青年誌に掲載された作品ですが、それでも少女マンガにおけるバレエ・マンガの系譜なのでしょうか?
A:
ヤマダさん
この「昴」(2000~2002/2005~2011)はバレエ・マンガ史において非常に重要な作品だと考えている。まず、青年マンガ誌でバレエマンガが始まったということが大きかった。青年誌でもバレエを読んでもらえるということが驚きだった。また、当時「ドゥダ・ダンシン」(槇村さとる『YOU』2001~2005)、「テレブシコーラ」(山岸凉子『ダヴィンチ』2000~2006)が同じ時期に登場している。これはバレエ・マンガの一種の成熟度を現している。この「昴」という作品は、少女マンガの積み重ねがあった上で出てきた作品で、断絶されたところから突然現れたものではないと考えている。


芳賀さん
それまでのバレエ・マンガは稽古着でのダンスシーンは少なく、舞台の上を描くことが多かった。「昴」と同じ頃登場したマンガには楽屋の中や稽古着での場面が多く、バレエの裏側が描かれるようになった。過去のバレエ・マンガにはないリアリティを追求していると思います。流れる大量の汗とか、とてもリアルです。


岩下さん
「昴」は、これまでのバレエ・マンガとは違う路線で、まずは静止画の美しさより躍動感を優先しているため、腕や足が見切れていることが多い。


他にも質問が出ていましたが、申し訳ありません。失念しています。太田出版の編集の方から図版の色校が大変だったお話(先生の記憶の中にある色を再現......)、当時を知る方々から山岸凉子先生の「アラベスク」がいかに衝撃的だったか、などもっといろいろなお話が出ていたのですが、メモが追いつかず、抜けています。補足していただける方がいらっしゃると助かります。


途中ワイヤレスマイクの不調等ありましたが、登壇者が多いわりに混乱が少なく、和気藹々とした雰囲気の座談会でした。お客さんは特に谷ゆきこさんのお話のとき、図版が出てくると、どっかんどっかん大ウケでした。おもしろいというよりはおかしい座談会になっていました。


こちらも合わせてどうぞ。
萩尾望都作品目録 > 京都国際マンガミュージアムのバレエ・マンガ展に行ってきました。


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