2013年8月のエントリー一覧

08/27

2013

きわきわ―「痛み」をめぐる物語/藤本由香里

きわきわ―「痛み」をめぐる物語「きわきわ」は藤本由香里先生の久しぶりの評論集。社会の「際(きわ)」にいるさまざまな人々を取り上げ、小説やマンガを取り込みながら論を展開していく。読むと自分が過去にであった出来事、考えさせられた出来事が次々と思い出され、それを文章化したら終わらないような気がしてくる。刺激が強いと言うだけでなく、この本が強く時代に寄り添っているからだろう。いくつか絞って思いついたことを綴る。最後に主要な参考文献等を添えた。

1) 自傷行為のこと

ここで注目されるのは、今の時代、リストカットが当事者たちにとって、「みっともないこと、知られたくないこと」だと認識されていることである。もう少し前の時代なら、同じ手首を切るのでも、「見えない心の傷を見える身体の傷に変換することで自分でもそれを確認し、誰かに気づいてもらいたいという」という意図があったように思う。(p11)

のっけから驚いた。今はそうなのか、と。私が2000年頃に始まった無料ホームページの運営会社にいた頃、担当者が「リストカットの傷跡をアップしている人がいて、自殺予告はするし、どうしたものやら」と困っていたことを思い起こす。個人がインターネットという発表の場を手に入れ始めた時期、そこには「これは載せていい/これはダメ」という倫理的な基準がまだ明確にはなかったせいか、ポルノは無論のこと死体などもあり、無茶苦茶に混乱していた。その中の一つに「リストカットの傷跡写真」があり、「そうか、この人は世界中にこの傷跡を見て欲しいのか、見てもらえないと生きている感じがしないのか」と感じ入ったものだった。ユーザーのものは勝手に削除できないが、放置も出来ない。アップするものを制限できるルールづくりから始めたことを思い出す。リストカットそのものは決して肯定しないし、誰にでも見ることが出来るところにおいておくものでは絶対にないが、見てもらえると思うだけで生きていけるのなら、閲覧制限をかければそれを受け入れてくれる場所があるのは悪いことではないと思ったものだ。アピールする場所がなければ、彼女らにとってリストカットに少しなりともあった意味がなくなってしまう。今、彼女たちはどこに行ってしまったのだろう。


2) あざのある顔
高校生の頃、顔にあざのある友人がいた。さほど大きくはなかったし、すぐに見慣れてしまったのでまったくスルーしていたら、自分から「自分はいいのだけど、母が気にして...」と言っていた。そんなものかと思っていたら、次にまた社会人になって出会った。ほぼ顔の半分の大きさのあざだったが、これもまた毎日顔を合わせると慣れてしまい、気にならなくなった。目にはもちろん入っているのだが、そのあざも含めてその人と認知するようになるようだ。

本書にも登場する石井政之さんのインタビューをネットで読んだことがあり、ユニークフェイスの活動についてもネットで見た記憶がある。初対面の人に合う機会が多いジャーナリストだからこそそれが利用できるのだろうけれど、顔というのは視線を受ける側のストレスも凄まじいものがあるのだろうとそのときに思った。

確かにこの本にもあるように、最初は一瞬「ギョッ」としてしまう。だから相手にその気まずい思いをさせないための「思いやり」の化粧というのもすごくよくわかる。現実的に、彼らが毎日会う人たちにはそのままで、たまにしか会うことがなく、さらには思いやりをもって相対したい人には隠す、というようなTPOでの対応をしておられるのではないかと想像する。

石井さんの場合だって、誰も彼に化粧を強制しているわけではないが、するのとしないのとでは周囲の反応は明らかに違ってくるし、それは石井さんにとっては、「お前の顔はふつうと違う。それを隠せば私たちの仲間にいれてやろう」と暗々裏に脅迫されているような気がするのだろう。(p50)

この点については一時ネットの一部で盛り上がった「名誉障害者」という言葉をめぐる論争を思い起こさせる。ここでは触れないが、興味のある方はリンク先を見て下さい。

化粧をすることをどのように受け止めるかは当事者次第、千差万別で決めつけることは出来ない。だが、下記の文には私の胸が痛んだ。

外国に行った時に比べて、日本では若い人からの侮辱や差別が露骨である、という指摘には胸が痛む。(p61)

顔にあざがあるとかないとかではなく、ちょっと変わった格好をするだけで、海外に比べ日本の若い人は侮辱的な態度をとることが多い。だから日本は窮屈だと出て行った友人がいた。おそらく若いうちから海外に飛び出していく人の中にはそういう感触をもっている人が多いのだろう。実際、海外へ行くと驚くような格好をしている人が誰からも注目されないでいる。しばらくすると、こちらもそれに慣れていく。これだけ様々なスタイルが街に登場しても、未だに奇抜な格好は注目されてしまうのだろう。それが「顔」だったら、どれだけのストレスになるのだろうか。


3) 風俗について

一流のプロとして、お金をもらっている間は、全身全霊をつくして最高のサービスを提供する。なのに客が求めてくるのはいつも時間外。タダで時間外で風俗上に会えてこそ、お金を払った甲斐をがある、と考えるこの矛盾。(p137~138)

風俗嬢に時間外に会ってもらうことで「自分は特別」だと思いたい。その理由は「金で女を買う」ことへの罪悪感とみじめさをごまかすためだと指摘する。

実際に買ったものが、実はセックスではなく、《「女が喜んで自分の相手をしてくれる」という幻想》そのものであることにはまったく気付かないままで。(p145)

2012年に流行った2ch発の「風俗行ったら人生変わったwww」なんて本も実際は時間外の誘いを受けて迷惑している風俗嬢にとっては迷惑千万なのだろう。(秋には映画も公開)。

社会人になったばかりの頃、大学の部活(サークルにあらず)のひとつ上の先輩たちと呑んでいた時のこと。特に容貌が悪いというわけでもないのに、彼女がいたという話を聞いたことがない男性が一人いて、その人が突然「素人の女の子をデートに誘い出して映画見て食事して...にかかる金って、風俗に行くのと変わらないからバカらしいな。」と言い出してビックリしたことがある。そういう考え方があることは無論知っていたが、女性の前で口に出す人がいるとは。そもそも学生時代から女性のいる前でそういう話題を出すことが一切ない人たちだった。彼はおそらくお金が入るようになって、会社(銀行)の同僚の女性を誘い出したり、風俗行ったりした体験が出来、嬉しくてそう言ったのだろう。

そのときわかったのは「普通の女性と風俗嬢を一緒にして...」などということではなく、「彼にとって、女性とはセックスする相手である、という以外の価値は見いだせないのだ」ということだ。だから学生時代に自分自身の魅力で彼女を作ろうと努力する気はなかったのだろうし、女性と一緒にいて楽しいと思うこともなかったのだろう。逆に非モテであることの鬱屈から女性をそういうように扱うようになったのかもしれないが、他の男性陣だって何もせずに彼女が出来ているわけではないのだ。ひょっとしたら彼らの努力をバカにしていたのかもしれない。

だが、こういう男性の方が風俗嬢にとっては余計な期待がなくて良いのかもしれない、と本書を読んで初めて気付いた。

ちなみに、その男性が5年ほど後に結婚したが速攻で成田離婚になった。ちゃんと友人たちを招いて結婚式を上げて、新婚旅行に行って、帰ってきて、すぐだったそうだ。詳しい事情は聞いていないからどちらが良い悪いというようなことは言えないが、この話をすると、女性陣はみな「スカっとした」と言う。ふむ。

4) 神聖なもの
最後の章は圧巻だ。宮台真司「サイファ覚醒せよ」によって呼び覚まされてしまった感覚から、著者がその思考や精神を泡立てさせられ、研ぎ澄まされていく過程を丹念に追っている。

 ところで、暗閣の中でまんじりともせず「世界は波動でできている」という考えと向き合っていたとき、「異次元が漏れ」、そこから吹き上がってくる風に精神が吹きさらわれそうになっていたとき、私は自分の正気を保つために「自分にとっての神聖なもの」の記憶を必死でたぐりよせていた。その中で、イメージや感覚ではなく、具体的に私が「信じられる」もの、神聖さの指標として浮かび上がってきたもの、それがシルビィ・ギエムの踊り(バレエ)であった。
 萩尾望都『青い鳥』の中に「なにもかもなくしても 希望がなくても 世界が不条理でも 舞台だけは楽しかった......(あそこには幸福があった) 舞台にだけは青い鳥が住んでた」という一節があるが、ギエムの踊りはまさにそれを彷彿とさせる。(p217)

この一文にひどく動揺させられた。もちろん「青い鳥」が登場するから、というのもあるが、「正気を保つために」というところ。私はどうやって自分を世界につなぎとめてきただろう。過去に二度ほど自分が世界と切り離されそうになる感覚を覚えたことがある。どうやってそれを乗り越えて来たのか。自分にとって「神聖なもの」は何なのだろうか。簡単に答がみつかりそうもない。

それでも、最後の方、私にもわかったのはジョン・アーヴィングに登場する人物はいつも何か大切なものを失っているということだ。「ガープの世界」では交通事故で次男を、「ホテル・ニューハンプシャー」では母と小さい弟を。しかし「未亡人の一年」では最初からマリアンは息子二人をなくし、ルースは兄二人を失っている。過去の作品に比べてもその喪失感は大きく、それこそが物語の出発点だ。そして「喪失感」は萩尾先生の作品にも当てはまるという指摘に、自分の中にある何かを指さされたような気がする。すると、ふと清水邦夫「あらかじめ失われた恋人たちよ」という作品が思い浮かんだ。私は「喪失」をテーマにした作品を好んでいるとしか思えない。それはまた何故なのだろうと考え始めると止まらないのである。

■書誌事項:亜紀書房 2013年6月27日 245p ISBN978-4-7505-1311-9

■内容

リストカットの痛みから辛うじて感じる自分の実在、同じように体をモディフィケーションさせることによって確かめる自我の境界、ヒーラーとしかいいようがないセックスワーカーの在り方。美容整形、障害者の性、ホームレスとひきこもり......社会の際や行為の極限から見えてくる、この社会のかたち。まんが、映画、小説、舞台などを題材にしながら、2000年代の日本を照射する。私たちは何を欲して、どこへ行こうとしているのか? 待望の長編評論ついに刊行!

■目次
I 表面の傷・「痛み」の力―コミックの中の自傷
II 第1話 徴のある顔
  第2話 他者になりかわりたい
  第3話 婚外の恋
  第4話 恋と日常
  第5話 社長になるか、社長夫人になるか
  第6話 風俗という「お仕事」
  第7話 セックスワーカーはヒーラーでもある
  第8話 せまいせまい私の場所
  第9話 一瞬だけの永遠
あとがき
〈附録〉都条例とBLのいま

■参考文献ほか
I 表面の傷・「痛み」の力―コミックの中の自傷
○映画
「ヘルター・スケルター」2012(蜷川実花監督作品)
「問題のない私たち」2004

○漫画
「ライフ」全20巻すえのぶけいこ 講談社 2002~2009
ももち麗子「とぴら」講談社 2002
「問題のない私たち」牛田麻希〔原作〕,木村文〔漫画〕 1巻2巻3巻 集英社 2002~2003
「アユの物語」Yoshi〔原作〕、吉井ユウ〔漫画〕 1巻2巻 講談社 2004
「ヘルター・スケルター」岡崎京子 祥伝社 2003
「ホムンクルス」全15巻 山本英夫 小学館 2003~2011
「ハートを打ちのめせ!」1巻2巻 ジョージ朝倉 祥伝社 2002~2003

○小説
「問題のない私たち」牛田麻希 集英社 2001
Yoshi:Deep Love「アユの物語」完全版 スターツ出版 2002
「蛇にピアス」金原ひとみ 集英社文庫 2006
「空の境界」上巻中巻下巻 奈須きのこ 講談社文庫 2007


第1話 徴のある顔
「メイク・セラピー」かづきれいこ 2001
「這い上がり」古市佳央 2001
「クィア・ジャパン vol.3 魅惑のブス」勁草書房 2000
「顔面漂流記―アザをもつジャーナリスト」石井政之 かもがわ出版 1999
「顔とトラウマ」藤井輝明 かもがわ出版 2001
「顔面考」春日武彦 紀伊國屋書店 1998.12/河出文庫 2007
「整形美女」姫野カオルコ 新潮社 1999
「人間仮免中」卯月妙子 イースト・プレス 2012

○ウェブサイト
かづきれいこ(フェイシャルセラピスト)
古市佳央
NPO法人ユニークフェイス
藤井輝明(医学者)

第2話 他者になりかわりたい
「接続された女」ジェイムズ・ティプトリー・ジュニア(「愛はさだめ、さだめは死」に収録)ハヤカワ文庫SF 1987
「魔女と呼ばれて」フェイ・ウェルドン 集英社文庫 1993
「モンスター」百田尚樹 幻冬舎 2010
「エリノア」谷口ひとみ さわらび本工房 2008(初出『週刊少女フレンド』1966年第15号)
「累 かさね」松浦だるま イブニング公式サイト
「地獄でメスがひかる」高階良子 講談社 1976
「洗礼」楳図かずお 小学館文庫 2013(初出『週刊少女コミック』1974年~1976年)
「おろち」楳図かずお 全5巻 ビッグコミックススペシャル 2005(初出『週刊少年サンデー』1969年25号~1970年35号)
「ボクの初体験」弓月光 集英社文庫 2001(初出『週刊マーガレット』1975年~1976年)

第3話 婚外の恋
「薔薇の木 枇杷の木 檸檬の木」江國香織 集英社 2001
「A2Z」山田詠美 講談社 2000

第4話 恋と日常
「にこたま」渡辺ペコ 全5巻 講談社 2010~2013
「HER」ヤマシタトモコ 祥伝社 2010

第5話 社長になるか、社長夫人になるか
「モダンガール論」斎藤美奈子 マガジンハウス 2000
「格闘するものに○」三浦しおん 草思社 2000
「早春恋小路上ル」小手鞠るい 幻冬舎文庫 2010
「何者」朝井リョウ 新潮社 2012
「Good Job」かたおかみさお 全7巻 講談社 2001~2007
「新Good Job」かたおかみさお 全7巻 講談社 2009~2013
「30婚 miso-com」米沢りか 全15巻 講談社 2006~2013

第6話 風俗という「お仕事」
「風俗嬢菜摘ひかるの性的冒険」菜摘ひかる 光文社知恵の森文庫 2000(洋泉社 1998)
「恋は肉色」菜摘ひかる 光文社文庫 2000
「バブルの逆襲」 片桐舞子 ビジネス社 2000
「デリバリーシンデレラ」NON 集英社 全11巻 2010~2012
「セックスボランティア」河合香織 新潮社文庫 2006(新潮社 2004)
「私は障害者向けのデリヘル嬢」大森みゆき  ブックマン社 2005
「「裏」恋愛論」中谷彰宏 総合法令出版 2001
「ワタシが決めた」松沢呉一 ポット出版 2000
「売る売らないはワタシが決める」要友紀子ほか ポット出版 2000
「風俗嬢意識調査―126人の職業意識」要友紀子,水島希 ポット出版 2005

○ウェブサイト
一般社団法人ホワイトハンズ
SWASH(Sex Work and Sexual Health)
ガールズヘルスラボフォーワーカーズ
一般社団法人 Grow As People(グロウアズピープル)
セックスワーク・サミット2012・風俗嬢の『社会復帰』は可能か? ―― 風俗嬢の『社会復帰支援』の可能性を考える(WEB RONZA Synodos Journal 2013年1月10日)


第7話 セックスワーカーはヒーラーでもある
「売男日記」ハスラー・アキラ イッシプレス 2000
「ファッキンブルーフィルム」藤森直子 ヒヨコ舎 2001

第8話 せまいせまい私の場所
「もう消費すら快楽じゃない彼女へ」田口ランディ 晶文社 1999
「コンセント」田口ランディ 幻冬舎 2000
「ロストハウス」大島弓子 白泉社文庫 2001(初出『ヤングロゼ』1994年4月号)

第9話 一瞬だけの永遠
「石川淳 コスモスの知慧」加藤弘一 筑摩書房 1994
「サイファ覚醒せよ」宮台真司,速水由紀子 筑摩書房 2000
「気流の鳴る音」真木悠介 ちくま学芸文庫 2007(筑摩書房 1977)
「空飛ぶフランスパン」金子郁容 筑摩書房 1989
「青い鳥」萩尾望都(「ローマへの道」収録/初出『プチフラワー』1989年11月号)
「昴」曽田正人(初出『ビッグコミックスピリッツ』2000年~2002年、2007年~2011年)
「未亡人の一年」ジョン・アーヴィング 新潮社 2000

08/04

2013

宝石の国 第1巻/市川春子

宝石の国 第1巻/市川春子デビュー作がかなり話題になり短篇をこつこつとあげていたのに、ここにきて連載開始。デビュー前に作者が自作サイトにアップしていた作品がベースになっているらしい。残念ながら私は未見。以下は感想ではなく、作品を読むための自分用のメモです。

宝石たちが自分たちを宝飾品にしようと企む月からの狩人に抗して戦う物語。

リーダーである金剛先生を含め総勢28名が原則として2人1組となり、それぞれ得意なもので役割を分担している。見張り、戦闘、医務、戦略計画、服飾織物、意匠工芸、武器制作などなど...。
宝石の国1目次


フォス(フォスフォフィライト)薄荷色、薄緑色硬度三半得意分野なし
モルガ(モルガナイト)薄ピンク硬度七~七半見張り及び戦闘
ゴーシェ(ゴシェナイト)無色、シルバー硬度七~七半見張り及び戦闘
ヘリオ(ヘリオドール)黄色、ゴールド硬度七~七半
ルチル(ルチルクォーツ)茶色(金紅石)硬度六~六半医療担当
シンシャ(辰砂)赤色、紅色硬度二~二半夜の見張り
ベニト(ベニト石)青色、紫色硬度六~六半 
ジュード(ジェダイト、翡翠)淡緑色、緑色硬度七 
ダイヤ(ダイヤモンド)虹色硬度十戦闘
ボルツ(ブラックダイヤモンド)硬度十戦闘
ユーク(ユークレース)青色(左)硬度七~七半 

※ボルツは多結晶ダイヤモンド。ダイヤモンドの微細な結晶が緻密に集積した鉱物の変種。
この星は6度流星が訪れ 6度欠けて 6組の月を産み 痩せ衰え 陸がひとつの浜辺しかなくなったとき
すべての生物は海へ逃げ 貧しい浜辺には不毛な環境に適した生物が現れた

月がまだひとつだった頃繁栄した生物のうち逃げ遅れ海に沈んだ者が 海底に棲まう微少な生物に食われ無機物に生まれ変わり 長い時をかけ規則的に配列し結晶となり 再び浜辺に打ち上げられた
それが我々である

宝石たちの中には微生物が内包物として閉じこめられて、光を食べ物としその微生物を生かしているようだ。そのため、宝石が壊れても、その微生物がある程度集まりさえすれば傷をつないで生き返らせることが出来る。溶けてしまえばその部分は使い物にならず削るしかないため、完璧とは言い難いがほぼ不死である。そして、生命維持のための食事が必要ないので、光にあたっていれば良いだけ。生殖もないために性別というものもない。だが、他者を思う感情は強くもっていて、あまり役に立たないフォスを救おうとみんなで力を合わせたり、夜に追いやられているシンシャに対してのフォスの強い思いがあったりと、友情や恋愛感情に近い感情は展開されている。

薄荷色の美しいフォスは硬度も高くなく、得意分野もなく、皆の役に立っていないのに、その美しさ故に月人に狙われることが多い。金剛は"博物誌の編纂"という仕事を命じるが、みんなと同じように戦いたいフォスはさぼり気味。そんな中で知り合ったシンシャが自分同様はぐれ者であることを知り、何かとちょっかいを出すようになるが、シンシャの孤独は深い。

光を栄養とする彼らにとって夜は活動が鈍り危険な時間帯。シンシャは自分の中から無尽蔵に出る銀色の毒液で夜のかすかな光を集めることができ、それをもって活動することが可能だ。彼の毒に触れてしまうと、その部分は光が通らなくなり、削り捨てるしかない。そこでシンシャは自ら他の宝石たちから離れている。強い才気と戦闘力をもちながら、何もかもダメにしてしまうシンシャは、月にさらわれたいという願望を持っている。

フォスは月人が残していった巨大カタツムリのような謎の生物に食べられてしまう。仲間の宝石たちが急所を見つけて生物を殻から取り出し潮水につけると小さく縮んでしまうが、殻は空っぽでフォスは見あたらない。殻をもつ生物は、石を食べ殻を修復したり強化したりする習性がある。フォスの身体は殻の薄荷色の部分にある。薄荷色のところを集めて修復することができた。つまり、かたつむりはフォスではない。

では、このかたつむりは何者か、というところで第1巻は終わり。

宝石の美しさと脆さと強さを擬人化し、ドラマ化したSF作品。「鉱物」だけでなく著者お得意の「海洋生物」も両方登場するというお得な作品。本来なら大判で全てとは言わないまでも、できるだけカラーで読みたいところだ。何故著者はこの作品を描こうと思ったのかという問いへの回答がこちら。

仏教系の高校だったのですが、授業で読んだお経に「浄土は道から建物から池から樹木から全てが宝石で厳かに飾られている」というような記述があったんです。極楽だけど宝石は装飾品扱いのままでやるせないなあ、と当時思ったことが元になっています。(『cocohana』2013年1月号)


書誌事項:講談社 2013.7.23 ISBN978-4-06-387906-3 (アフタヌーンKC)
初出:「アフタヌーン」2012年12月号~2013年5月号