最近読んだ本、見た映画・芝居、聞いたCD

2014年11月

2014年11月27日

ムーミンの生みの親、トーベ・ヤンソン/トゥーラ・カルヤライネン

ムーミンの生みの親、トーベ・ヤンソン/トゥーラ・カルヤライネン「トーベ・ヤンソン展」のキュレーターを務めたトゥーラ・カルヤライネンが書いた伝記だというので、読んでみた。絵がたくさん印刷してあるので、紙質が良く、ページ数のわりに分厚い。そして、この本を展覧会の図録と併わせて読むと、より楽しめる。その生涯について、ざっとは知っているが、詳しいというほどではなかったので、良い機会だと思って購入した。

原題は「トーベ・ヤンソン 働け、そして愛せ」。つまり「仕事と愛」。芸術家としてのさまざまな仕事とさまざまな男女との愛をトータルで描いたバランスの良い伝記ではないかと思う。「ムーミン」はヤンソンの生い立ちや経験が色濃く反映された作品だが、しかし彼女の作品の一部でしかないのだ。

生涯を通じて、彼女はよく働いた。よく生きた。才能豊かで、愛情も豊かな人だった。だが、常に反骨精神に満ちた人だった。芸術家の娘だから、すんなりと芸術家の道には進んだが、父との思想の相違、当時の画壇での女性の位置、漫画というジャンルへ踏み込んだこと、抽象画が主体の時代に自然主義の絵を描く。芸術家であっても妻は夫を支えるべきという時代に、男性と結婚せずに同棲し、更にリヴ・ゴーシュを選んだ。(本書で解説されているが、これは「レズビアンの道を選ぶ」という意味)

サム・ヴァンニ、タピオ・タピオヴァーラ、アートス・ヴィルタネンとそれまで3人の男性ととても深く付き合い、アートスとは事実婚のような状態だったのに、ヴィヴィカ・バンドレルと出会い、愛し合うようになって戸惑いながらもごく自然とレズビアンとなった。周囲の無理解もあったが、その決意のままに生きて、トゥーリッキー・ピティエラという生涯の伴侶を得る。愛については様々あったが、幸せな一生だったと思う。そして芸術家としても画家としては思ったような評価は生前は得られなかったが、それでも後年には評価された。何より世界中の子供達に愛され続けるキャラクターと物語を産み出した。類い希なる才能の持ち主であったことは間違いない。

そもそもは画家であり、絵では食べられなくて、漫画家・イラストレーターへと進み、世界中を旅し、最後に小説家に転じたトーベ・ヤンソン。日本人には本当に愛されている作家なので、100周年を機にムーミンだけでなく、その生涯について興味をもってくれる人が増えると良いなと思う。

蛇足。よく語られる話だが、岸田今日子の「ムーミン」の話だ。1969年バージョンの再放送か1972年のバージョンかで見たのだろうと思う。トーベ・ヤンソンの作品世界と相容れない作品となってしまい、国内での放送のみとなり、現在はDVD化などは自粛している状態となっている。1990年代に「たのしいムーミン一家」がつくられて放映され、こちらは原作に沿った形でトーベも認めたものだ。他国にも翻訳されて世界中にムーミンアニメを広めた名作である。けれど1969年1972年のバージョンのムーミンの方が人間くさく、話もおもしろかった。あれはあれで良かったなと今でも思うのだ。(Youtubeからは削除されているが、Dailymotion、ニコ動あたりにはある)。

■書誌事項:セルボ貴子,五十嵐淳訳 河出書房新社 2014.9.25 376p ISBN978-4-309-20658-5

2014年11月 5日

疎外と反逆―ガルシア・マルケスとバルガス・ジョサの対話

疎外と反逆―ガルシア・マルケスとバルガス・ジョサの対話本書の主役はガルシア=マルケスなのか、バルガス=リョサなのか。その両方にとってありがたい対談、評論、インタビューとなっている。最初は標題通り、ガルシア=マルケスとバルガス=リョサの対談、次がバルガス=リョサが書いたガルシア=マルケスに関する評論、最後がバルガス=リョサへのインタビューという三部構成になっている。

対談は謹厳実直なリョサが若干おちゃらけたようなガボに切り込んでいくような感じで、今ひとつかみ合ってないところが楽しい。もちろん、ガボも真面目に答えるときもあるのだが、リョサがキリキリすればするほど、ホラ話っぽいかわしが入り、なんだかクスリ、とさせられてしまうのだ。

ボルヘスに対する二人の見解が実によく一致している。ガボがボルヘスのことを書き方を学ぶには高く評価しているが、あれは「逃避の文学」であるとし、リョサも具体的現実に題材を求めていないと断じている。興味深いのはここでリョサが過去に語ったことをガボが繰り返させている箇所だ。曰く、経済的豊かさや内的平和に支えられた社会より、ラテンアメリカのような転換と変化の時期にさしかかり、どこへ向かっているかすらわからない社会の方が魅力的な文学的題材にあふれていて、作家達の想像力を刺激する、と。ガボの言う「あらゆる文学は具体的現実に根ざしたもの」と一致しているところが多い。ガボがボルヘスを称賛しているけれど、大嫌いだというところ。「ラテンアメリカの非現実とは、いわゆる現実なるものと区別がつかないほどリアルで日常的なもの」だというあたりを読んで納得するところが多かった。私自身、ボルヘスを嫌いではないものの決して好きとは言えず、読む気持ちになかなかなれないのは、私の求めているラテンアメリカの文学ではないからなのだと、あらためて確認出来たように思う。幻想文学ファンだったら違うのだろうけれど。

二番目の「アラカタカからマコンドへ」は「神殺しの物語」に先立つ、バルガス=リョサが書いたガルシア=マルケスに関する評論。「神殺しの物語」は例の1976年メキシコでのパンチ事件(この事件に名前はないのかなぁ?調べたが見あたらず...)のせいで復刊されず手に入らないらしい。だから「神殺しの物語」に先立つこの論文は貴重(集英社「世界の文学 38 現代評論集」に鼓直訳が収録されている)。

最後はバルガス=リョサのインタビュー。これを読む限り、この本の主役はバルガス=リョサのような気がしてくる。インタビュアーのエレナ・ポニアトウスカは1968年のメキシコでおきた事件のルポルタージュ「トラテロルコの夜」という著作があるメキシコのジャーナリスト。おもしろいのは、最初の対談ではガボが作家が特定の政治思想に与し、政治的役割を果たすことを肯定しているのに対し、リョサの方は最後の因手ビューで作家が特定の政治思想に与することを否定しているところだ。「最初から文学を道具として何かの役に立てようとすると、作家の内なる政治家が文学をダメにしてしまう」と語る。後に、個人の趣味嗜好としての政治家の好みと政治思想との矛盾を超えらず、あからさまな政治音痴ぶりを露呈するガボと、政治力の差により破れたとは言え、大統領選にうって出て広範囲な支持を得たリョサの違いを考えると、この時点での意見の相違は非常に興味深い。

ところで、また「ジョサ」に戻った。もう気にしないようにしてるけど、毎回言う。書誌DBを作っていたから、こういう泣き別れは本当に迷惑。商業的に考えてもメリットも少ないだろうなと思うのだが、どうせ売れないのだから一緒、というように見えて、それはそれで寂しいものだ。

■目次
ガルシア・マルケスとバルガス・ジョサの対話
アラカタカからマコンドへ
M・バルガス・ジョサへのインタビュー
訳者あとがき

■書誌事項:寺尾隆吉訳 水声社 2014.3.30 172p ISBN978-4-80100023-0