最近読んだ本、見た映画・芝居、聞いたCD

2005年10月

2005年10月23日

ランド・オブ・プレンティ

ランド・オブ・プレンティ■原題:The Land of Plenty 2004年 独=米 122分
■監督:ヴィム・ヴェンダース
■出演:ミッシェル・ウィリアムズ/ジョン・ディール/ション・トウブ/ウェンデル・ピアース/リチャード・エドソン/バート・ヤング
■感想
アメリカが嫌いな人は見て損はしないんじゃないかと思います。ハリケーンによる被害で初めてアメリカの貧困を知った方には特にいいんじゃないかと。でもアメリカが好きな人に見てもらいたい映画です。
それほどつまらなくはないと思うのだけど、その辺は自信がありません。ただ肩の凝った巨匠の作品ではなく、わざわざお金出して見るほど?というくらい低予算のさらっとした映画です。根は深いけど、こねくり回してないというか、そんな時間はなかったというか。とにかくとても率直でわかりやすい映画じゃないかなと思います。
とりあえず、自分で書いた感想はこちら

シネカノン有楽町にて10/22~上映中。

2005年10月16日

ウェイクフィールド/ウェイクフィールドの妻

ウェイクフィールド/ウェイクフィールドの妻■著者:ナサニエル・ホーソーン,エドゥアルト・ベルティ著,柴田元幸、青木健史訳
■書誌事項:新潮社 2004.10.30 ISBN4-10-544901-X
■感想
「ウェイクフィールド」は1835年に発表されたホーソーンの短篇で、特に理由なく家を出て、すぐ隣の通りに居住を構え、家の様子をうかがい続ける。そして20年後に何気なく帰って、そのまま終生良い夫であり続けた男の話。文学批評上よく引き合いに出される有名な作品である。「ウェイクフィールドの妻」はアルゼンチンの新鋭作家が書いた「妻の側から見たウェイクフィールド」。妻は夫が近くに住んでいることを知っていながら20年を過ごしたというお話。

ホーソーンの短篇の位置づけは「都会小説の始まり」といったような感じだろうか。ロンドンが舞台で、人間と人間のかかわりが薄くなっている時代からこそ出来た芸当なのだから。隣の通りに住んでいて、近所の人に気付かれずに済むなどというのは田舎しかなかった時代にはあり得ないだろう。

では、謎の多い「ウェイクフィールド」に対し、「ウェイクフィールドの妻」の方はすべてに解答を出しているかというと、そうではなく、淡々と妻の日常を追う。それでも「夫の方は仕事はどうしたのだろう?どうやって生計を立てていたのだろう?」「妻の方はどうやって生計を立てていたのだろう?別にお貴族様でもないようだし、夫がいなくなって、家を維持するのはどうしたのだろう?」「妻は夫の仕事先に聞かなかったのだろうか?」「親類縁者は?」等々。

ベルティはウェイクフィールド家に色づけをする。二人の家庭は典型的な中産階級で、メイドが一人と力仕事をする男の使用人が一人。子供はいない。夫の両親は死んでおり、兄弟もいない。妻の方は姉が一人いて、姪もいるが、両親は死んでいない。夫の仕事は役人のようだ。夫は仕事を休暇という形でいなくなり、結果的には退職して他の仕事につく。妻には時折匿名で仕送りするが、最後の方は姉の夫に経済的に援助してもらっているようだ、というような流れで組み立てている。

だが、何故特に理由もなく夫は出て行ったのか、妻は夫の居場所を知りながら夫に戻って来るよう頼まなかったのかというような肝心な疑問には答えていない。でも、この元の短篇に厚みを増したようなベルティの作品を読んでいるうちに、都会に暮らす孤独で平凡な人間ほど、先の見える人生が怖くなってしまったり、わけのわからない狂気じみた行動に走ってしまうことはあるだろうなぁと、納得している自分に気付く。

ただ、ベルティがラストを変えてしまったのは気に入らない。夫は20年経過して死にに戻ってきた。家に帰って1日で死んでしまった、というのはもともとのホーソーンの作品とは異なる結末である。それでは妻があんまりだ。

2005年10月 2日

トランス=アトランティック

トランス=アトランティック■著者:ヴィトルド・ゴンブローヴィッチ著,西成彦訳
■書誌事項:国書刊行会 2004.9.30 ISBN4-336-03594-6(文学の冒険シリーズ)
■感想
ポーランド人の作家で、第二次大戦勃発直前にアルゼンチンに行き、そのまま故国に帰れなくなったゴンサロヴィッチの作品は日本で意外に訳されている。本作はアルゼンチンの様子は、意図的に出てこないが、当時の文壇を揶揄するような言説が少々ある。ボルヘス全盛期かぁ。そりゃあヨーロッパ気取りが鼻につく、イヤな感じの文壇だったんだろうな。裏寒いのヨーロッパからわざわざラテンアメリカの血湧き肉躍る(?)南を目指した作家には居心地悪かろう。それにしてもシルビア・オカンポとビオイ・カサレス夫妻は毎度評判いいな。

最初、ひどい訳で驚いたが、読み進めるうちにこれが強く意図したものであり、原文にたくさんのしかけがあることを察することができる。次々と現れる「?」と引っかかる言葉たちにどんな意味があるのかあれこれと考えてしまう。「すたすた歩き」とか「ムシャムシャ」とか「バカッ、ボコッ」とか。「息子」が「若さ」くらいのことはわかるんだけど‥なかなか厳しい風刺文学である。

世界中にはたくさんの祖国喪失者はいるが、当時のポーランド人というのも、精神的には相当悲惨だったんだろうな。蹂躙されるとはこのことだ、という分割に次ぐ分割で、ついになくなっちゃったという状態。それを同じ亡命者としては「我々にはショパンがいる」と言い続ける連中を惨めったらしくてイヤ~な感じだったんだということはわかる。

実際、後ろについている日記の方が面白かったりする。他の作品も機会あれば読んでみよう。