最近読んだ本、見た映画・芝居、聞いたCD

2005年9月

2005年9月29日

フェンス

フェンス■著者:マグナス・ミルズ著,たいらかずひと訳
■書誌事項:DHC 2000.7.27 ISBN4-88-724190-9
■感想
以前から名前は知っていたが、トマス・ピンチョンに絶賛されたっていうところが能書きとしてはイヤだったので、近寄らないようにしていた。しかしよく考えたら現代イギリス文学はまるで知らないので、労働者階級から出てきた作家というところがちょっと気になり読んでみる気になった。

ちょっとブラックが入っていて、基本的にはリアルな描写なのだが、少しずつずれていくところが面白い。そう。面白い「??」という違和感はあるものの、いろいろなモチーフでの「繰り返し」がしつこくはいってくるあたりで、リズムとしてはのって来るので安心して読めるのだが、ちゃんと「カクッ」というオチがつくところが良い。ともかく不思議な内容。

イギリスのような階級社会で労働者階級からインテリの職業である作家が出てくるのはあまり例のないことなのだろう。彼らはいつもパブへ行きたがる。夜ほかにやることがないのだ。イングランドのパブはスコットランドのパブと違って10時過ぎないと人が集まらないとか、独特だなぁと思う。本人は今でも郵便配達夫をしているらしいが、また面白いネタでも仕込んでいるのかもしれない。

それにしてもこの本を読んでいると、ポール・オースターの「偶然の音楽」を思い出さざるを得ない。あのときは「石を積む」という行為が何を現しているのかと、そればかり考えて読み進めていたが、多分それは「苦行」のように見えたからだろう。今回はどうも「フェンスを作る」ことの描写が詳細なので、「主人公たちは、なんだかんだ言ってフェンスを作るのが楽しいらしい‥」とか単純に思ったりしたが、それは間違いなんだろうか?

2005年9月24日

200X年文学の旅

200X年文学の旅 ■著者:柴田元幸,沼野充義
■書誌事項:作品社 2005.8.27 ISBN4-86-182051-0
■感想
柴田元幸氏の翻訳されている多数の英米文学の作品のうち、私がはまるのが、とりあえずポール・オースターだけなのだが、これだけ精力的にやってるんだから、なんか他にもあるんじゃないかと思って買ってみた。ロシア、スラブ文学の沼野氏と半分ずつというのがまたよかった。沼野氏の方も、現代ロシア文学はわからないが、東欧圏のものは縁浅からず、といったところ。だが、それぞれの評論だったら、ちょっと手が出なかったかもしれない。贅沢な組み合わせについつい、というのは出版者の思惑通りだろう。

こういう評論は自分の幅を広げて面白そうな本を探すときにはぴったりだ。おかげでエステルハージとかゼーバルトとかマグナス・ミルズとかケルテース・イムレとか。いろいろ見つかったので、これからぼちぼち読もうと思う。もちろん、外れもあるだろうが、そこそこ読書が楽しめれば充分。あたりがあったらラッキーと思う。

しかしロシア文学も英米文学も、こういう気鋭の翻訳家・研究者がいるので、その辺の読者は恵まれている。ラテンも独文もあまり若手がいない。ラテンは杉山晃と安藤哲行くらいなものか。それでもやっぱり最近の作品は出てないのだが、それは翻訳家のせいじゃなくて、版元のせいだろう。売れないからなぁ。

最後に独仏クレオール文学の3人の翻訳者を加えた海外文学の座談会がのっている。面白いのだけど、こういうところでもラテンは排除されちゃうんだな。クレオール文学を入れるくらいなら、ラテン入れてくれと思うのだけど、東大がこのライン弱いんだよな‥。現代独文の代表的翻訳家が池内紀になっちゃうんだ。そうかぁ?ま、ちょっと周辺の方ということではぴったりかもしれない。

「ほぼ日刊イトイ新聞」内の担当編集者は知っている。コーナーに詳細が記してある。

2005年9月12日

闇に問いかける男

闇に問いかける男 ■著者:トマス・H・クック著, 村松潔訳
■書誌事項:文藝春秋 2003.7. ISBN4-16-766140-3
■感想
まだクックの未読本が残っていた。やむを得ずさかのぼって読む。

半日ほどの取調の時間を時系列で追うミステリ。複数の登場人物のそれぞれの動きを追うという手法はここから始まり、「孤独の…」につながるのだとわかる。内容的にはこちらの方がぐんと面白い。ということは以前の作風のクックの方が面白いということになりかねないのだが、面白いのだからしょうがない。オチもすごいし。すごいというか、ひどいよ。だから途中の緻密というか、チクタク音がしているような緊迫感のある描写を楽しむ方が正しい。

登場人物の中で一番関係がわからなかった清掃車の男が、さいごにオチを作るんだが、それが真実なら、まだまし。結果的にはひどい結末なんだが、何が一番ひどいかというと、本当のことを誰も知らないということ。結果的には犯人は死んでいるのだからいいのかもしれないけど、被害者の親にとってみれば犯人の命よりも本当はどうなの?の方が大事だろうなと。まぁ、結局おそらくは犯人が自殺したということに落ち着くのだろうが。

いつもそうなんだが、この人のラストは「えーなんだよー」と怒りすら湧く。でもやめられない。……というのが作風だったので、この作品まではそうだった、ということになるんだろうか。ホントに、この後どこへ行くんだろうな、この人は。