最近読んだ本、見た映画・芝居、聞いたCD

2001年9月

2001年9月18日

西海岸物語

■著者:ジョー・コットンウッド著, 中山容訳
■書誌事項晶文社 1986.11.1 ISBN4-7949-2456-9
■感想
なつかしのヘイト・アシュベリー(ヒッピー)ものだ。懐かしいと言っても、昔の出来事だからなつかしいんじゃなくて(いくらなんでもそんなにトシ食ってない)、以前結構読んでいたことがある、ので懐かしいのだ。
当時、この手のヒッピーものは、今一つ好きではなかった。もうちょいハードなものが好み。カウンターカルチャーの文化論みたいなやつとか、ノンフィクションとかルポ。こういう小説はどうにも軟弱なイメージが強くて、近寄りがたかった。特にこの晶文社マークのものは。
今読んでみても、どちらかというと当時と同じく「興味」が先に立ち、共感はない。こんな汚い部屋でお金もなくて暮らしているのが何が楽しいのか?ということもあるが、暇だからすぐに人間関係が複雑になっちゃうところとか、すぐに、よく知らない人たちが入り込んで来るところとか。フリーセックスとか言ってるから、さらに複雑になってしまう。
人間って時間に余裕があると人間関係が面倒になる生き物だと思う。フリーターの子とか友達多くない?仕事ばかりしていると仕事の人間関係ばかりになってしまって、友達の数は減る。そのこと自体は私は嫌いじゃない。共通の目的をもった人間関係の方が楽だし、友達なんて数人で充分というか、それだけいればラッキーだと、学生時代は楽しかったけど、さんざん面倒くさい思いもしたので、割り切ってしまってるところはある。
脱線した。ヒッピーたちは、ひどい状態であっても、この生き方を貫きたいと思うのだから、それはそれで強い決意なんだろうな、と。それを支えたのは何だったのか?という点の興味は以前も強かったし、今でも残っている。歴史的事実としてのベトナム、とかは知っても本当の理解まではほど遠い。
自動車事故とか起きちゃうあたりが、「イージー・ライダー」の世界なのね、やっぱり。

2001年9月14日

むずかしい愛

■著者:イタロ・カルヴィーノ著,和田忠彦訳
■書誌事項:福武書店 1991.12.1 ISBN4-82884034-6
■感想
何の気なしに、ふらりと買った本が面白いと非常に得した気がする。カルヴィーノは現代イタリア文学の巨匠。ちょっとシュールな作風が気に入っていた。ふと古本屋で見かけたので、軽い気持ちで久しぶりに読んでみた。
現代人の日常の断面で展開される12篇のすべてが「ある○○の冒険」(原題通り)と名付けられた短篇で、どれもこれも面白い。特に気に入ったのは「ある旅行者の冒険」「ある読者の冒険」「ある妻の冒険」あたりか。
「旅行者」はローマへの長い夜行列車でのこだわりっぷりがユーモラス。「読者」は海辺で読書する人のちょっとしたアバンチュールを描いているが、読書と現実とのじりじりした関係が何となくよくわかる(私も海辺では本を読むのが常なので)。「妻」の方は特に不貞をはたらいたわけではないが、やむを得ず朝帰りになった貞淑な夫人が門が開くまでの小一時間を過ごすカフェでの様子を描き、普段は接しない、夜遊びの帰りの人や朝の早い工員などに囲まれている、そのことこそ不貞だ、とするオチがいい。なんとなく、どれもこれも「ニヤ」としてしまうオチばかりだが、「ある夫婦の冒険」のように、ほほえましい作品もある。
なかなかエスプリのきいた作品集。文庫本(岩波文庫 1995.4.1 ISBN4-00327093-2 560円)の方はまだ健在。これはオススメできる。

2001年9月12日

舌の上のプルースト

■著者:木下長宏著
■書誌事項:NTT出版 1996.11.1 ISBN4-87188-629-8
■感想
重い本を読んでいると、次は必然的に軽いものを読みたくなる癖がある。こういう、なんとなく眺めていて買った本、というのがそんな感じ。
マルセル・プルースト「失われた時を求めて」に出てくる、おいしそうな料理について、作品と合わせて紹介する文学エッセイ。うーん…おいしそう。でも、プルーストがグルメだったわけではなく、小さな記憶を頼りに、想像で書いている、というのだから、すごいな。
お料理と同様、作品の舞台のモデルとなった土地についても書かれている。旅とグルメと文学。平凡な題材のように見えるが、相手が「失われた時を求めて」だから、面白いのか。
実は私はまだ「失われたときを求めて」を読んでいない。こういう大長篇は好きなんだけど、学生のときにはまだ訳が出ていなかったからだ。刊行されたときは、これも隠居後の楽しみかな?と思って、とっておいてある。いわゆる「人をぐいぐい引きつける長篇小説」と違うから、という理由もあって、遠目に予定したのも理由の一つではある。少し早めに読みたくなった。
関連書籍:プルーストの食卓―『失われた時を求めて』の味わい:柴田都志子,アンヌ ボレル,アラン サンドランス著 宝島社 1993.5.1 7,573円

2001年9月10日

春の祭典

■著者:アレッホ・カルペンティエル著,柳原孝敦訳
■書誌事項:国書刊行会 2001.5.1 ISBN4-336-04025-7
■感想:
これは偉大なる政治小説である…というふれこみ、この膨大なページ量にめげず、カルペンティエルの作品である、しかも新刊、というだけで買ってしまった。
政治活動によってキューバを追い出されたブルジョアの青年がヨーロッパで出会う、ロシア革命、スペイン内戦、そして故国キューバ革命などの壮大な歴史絵巻…なんだけど、この中の歴史にロマンがないので引っ張るのがつらい。全部に全部自分の博学っぷりを披露しているんだけど、それが鼻につく人の方が多いんじゃないか?という気がする。
大統領選に出馬したバルガス・リョサやカストロを讃えるガルシア=マルケスをはじめ、ラテンアメリカと政治は切り離せない。この人も例外ではないが、今一つ距離を置いてるのはこの本を読めば理解可能。というよりは、前述の二人もそうだが、この人もやはり「政治オンチ」と言わざるを得ない。晩年もカストロ政権下のキューバにとどまるが、傑作は生み出せなかったのもなんとなくわかる気がする。だって現実の政治とはかけはなれたところにいるんだもの。
国書刊行会の「文学の冒険」シリーズは好きなものが多いのだが、他に先に出した方がいいんじゃないかな、というラインナップがまだまだ残ってます。第一期に入ってるくせに未刊の「フリアとシナリオライター」とか。
よっぽどもの好きな人にオススメします。

2001年9月 9日

緋文字

■Der Scharlachrote Buchstabe ,1972 独=西
■スタッフ:
監督:ヴィム・ヴェンダース Wim Wenders
原作:ナサニエル・ホーソーン Nathaniel Hawthone
撮影:ロビン・ミュラー Robin Muller
音楽:ユルゲン・クニーパー Jurgen Knieper
出演:ゼンダ・ベルガー,ハンス・クリスティアン・ブレヒ.ルー・カステル,イェラ・ロットレンダー,リュディガー・フォーグラー

ヴェンダースの作品のうち、卒業制作の「アラバマ2000光年」(1969)から「夢の涯てまでも」(1991)の間で見てないものはこの「緋文字」と「ニックス・ムービー」の2本だけなので、せっかくDVD PLAYER(SONY DVD PLAYER DVP-NS500P)を買ったことだし、ちょっと見てみた。
劇場用映画としては3作品目なのに、もうカラー。しかも、時代ものってこれだけか?どの本を読んでも、あまり面白くなさそうなので避けていた。期待していなかった分、楽しめた気がする。
父親は誰だ?という謎は実は当初から明らかになっており、それよりは「何故そこまでして隠すのか?」という疑問を引っ張って、最後まで退屈せずに済んだ。自然環境の厳しさが画面に全面に現れているので、新大陸に来たばかりの清教徒たちの宗教や戒律の厳しさを納得させる効果がある。全般的に暗く、寒そうな画像が多いが、唐突に明るい海の絵が出ると、その開放感に何故か安心してしまうのが、不思議だ。
姦通の証である赤い「A」の文字を胸につけ、堂々とした面立ちで父親の名を隠し続ける、自己犠牲の固まりのような主人公が実は非常に強い情熱の持ち主で、秘密の父親と旧大陸へ逃げようと誘うところで、ようやく何故隠し続けていたのかがわかる。父親の方は終始苦しんでいるだけで、その苦しみから解放されることの方が、本来の義務を果たすことより重要だったという、しょうもない奴だ。
子役のイェラ・ロットレンダーがかわいい。おなじみのリュディガー・フォーグラーがちょい役の水夫役で出ている。この二人が仲良くなって、それを見ていたヴェンダースが次回作「都会のアリス」を撮る気になった、ということだ。

2001年9月 7日

イル・ポスティーノ

■著者:アントニオ・スカルメタ著,鈴木玲子訳
■書誌事項:徳間書房 1996.3.1 ISBN4-1989-0485-5(徳間文庫)
■感想:
パブロ・ネルーダはチリの詩人だが、これほど大衆的な人気があったとは知らなかった。さえない郵便配達夫がメチャメチャいい女をくどくことが出来たのはネルーダに教わった「詩」のおかげ、というハートウォーミングなお話。
ネルーダについては、アジェンデ政権時代フランス大使を務め、ノーベル文学賞を受賞した、程度の知識しかない。相変わらず「詩」は苦手なので、有名だけど読んだことがなかったし、これからも読むことはあまりないだろうと思って、何も知らないままよりはマシだろうと思い、こんな本を読んでみた。作者の方はチリの、例によって亡命作家。
1996年に映画化されている。映画はイタリアを舞台にしているため、内容的に微妙に趣がことなるらしい。サンチアゴからバスで2時間の町、バルパライソの実際にネルーダの別邸として使われていた「ラ・セバスチアーナ」で撮影してくれたんだったら見たのにな。見えてないけど、いかにもブエナビスタ→シャンテって感じの映画だろうね。

2001年9月 6日

W杯南米予選第15節 アルゼンチン対ブラジル

アルゼンチンはすでに前節でW杯出場を決定しているが、たった一つの負けがこのブラジルとあって、絶対に消化試合にはしない、と予想していたけれど、やっぱりそう。ホームだし、ブラジルに2敗してW杯に行っても不安だし。
気合い入れて、朝7:45からの生中継をしっかり見てしまいました。開始2分でオウンゴールという不運。予想外の早い時間帯での得点は、こういった実力差のない重要な試合では、たいていの場合、得点した方に不利に働くことが多い。
ブラジルは引いて守りまくる。リバウドまで守備ばかりしている。ひたすら攻めるアルゼンチンだが、得点できない。ベーロンが累積イエローで出られないのが大きい。このまま負けると、アルゼンチンの弱点をさらけ出すことになる。
アイマール好きなんだけどなー。今日みたいにガチガチに守られると、彼のパスは生きない。まだまだだな、というところ。
後半投入されたオルテガによって、ドリブルから早いパスで引いた相手の裏をつく、という攻撃が始まり、これが少しずつ効果を出しはじめる。後半30分すぎにようやく1点、44分に追加点で、アルゼンチンの勝ち。ガジャルド、クラウディオ・ロペス(相手にオウンゴールになっちゃったけど)の得点って、ちょっと懐かしいメンツって感じ。
とにかく、見ていて疲れた。ブラジルは引いてる一方で全然効果的な攻撃がなかったが、しかし、必死で守る。当然アルゼンチンも必死で攻撃する。面白いことは面白い。
アルゼンチンの強さは徹底的に戦術理解が浸透していること、それに加えての豊富なタレントであって、良い選手が大勢いるから、強いわけでは当然ない。攻撃にいろいろとオプションがあるから勝てたようなものだ。
やっぱり最大の弱点はGKか。

2001年9月 5日

小野リサ

BOAS FESTASBOSSA CARIOCA
職場で集中するために聞く(アンド雑音を排除するために聞く)音楽を求めている。需要は非常に高い。耳障りでないことが第一条件だが、眠くなるような環境音楽はダメ。ボーカルは入ってる方がいい。音はガシャガシャしてない方がいい。リズムは激しくない方がいい。でも、「imago」とかには走りたくない。なんとなく。安直すぎる気がするので。 というところで、なんだかなぁと思いながら、これまでは絶対耳を傾けなかったようなCDを買う。 何気なく「ボサ・ノヴァ」で検索してみて、BOSSA NOVA with AKIKOというサイトを見つけて、入門編を見て、なんとなく、まずは日本人の方がいいかなぁ、ということで、小野リサにした。名前は知ってるし、CMソングとかにも流れてるんだけど、あまり記憶に残ってない。ということは、ニーズには合ってるのかな? 例によって公式サイトを見つけ、視聴して…という段取りなんだけど、どうも新譜は「ハワイアン」ということで買う気になれず(もう季節はずれだし)、「BOAS FESTAS」と上記サイトのオススメ「BOSSA CARIOCA」を買ってみた。「BOAS FESTAS」の方がニーズには合っていた。いい感じである。「BOSSA CARIOCA」の方が、ちょっと耳障りかな?という気がする。 先月のPM2と言い、ちょっとぼんやり系の女性ボーカルに凝っているのかもしれない。耳障りじゃないから。でもなー。本当はハスキーボイスの方が好きなんだけど。

2001年9月 2日

第七の十字架―Das Siebte Kreuz

■著者:アンナ・ゼーガース Anna Seghers著,山下肇訳
■書誌事項:河出書房新社 1972.7.10 (モダン・クラシックス)
アンナ・ゼーガースの文学:第七の十字架に移動。