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    The Style Council : Profile

    The Style Councilは人気絶頂だったThe Jamを解散させたPaul Wellerがデキシーズ・ミッドナイト・ランナーズのキーボード奏者だったMick Talbotと1983年3月に結成したバンドで、正式には1990年3月に解散している。まさに80年代のバンドである。

    The Jamを解散させたPaul Wellerは数ヶ月で新しいグループをスタートさせた。1983年3月10日シングル "Speak Like A Child"でデビュー。それに先立った記者会見で「現代のモータウン・サウンドを作りたい」と語った。The Jam時代の鋭いビートではなく、 R&Bやソウル、ファンクなどをベースにしたモダンな感覚のポップ・チューンの曲を次々と発表した。伝説のバンド、The Jamとの方向性の違いに戸惑った人は多かったようが、The Jamのラストアルバム"The Gift"にはすでにその要素が見えているため、日本国内で事の成り行きを見守っていた私には、それほどの違いは感じられなかった。むしろ、こっちの方が断然カッコいいと素直に感じたものだった。

    セカンドシングル"Money Go Round", EPというか4曲入りシングルというか"A Paris"と続いて、7曲入りミニ・アルバムとも呼ぶべき"Introducing"が1983年9月に発表された。アルバムを待っていただけに、ちょっと残念だった。ともあれ、"Introducing"の前には黒人女性ボーカリストで、Wham!のバックシンガーをしていたD.C.Leeとビル・ブラッフォードの弟子だった若干17歳のドラマー Steve Whiteがほぼパーマネントなメンバーとなる。だからThe Style CouncilとはPaul WellerMick Talbotの二人のグループと思われがちだが、4人のバンドという側面もあったことは確かである。

    "Introducing"と時期を合わせて10月にヨーロッパツアーに出かけて大成功を修める。その後もシングルの発表が続く。このバンドはシングルを非常に重視していた。当時は12inchシングルというのは非常に先鋭的なバンドが使う手、という印象があった。だが、LPと同じ大きさで、曲が1〜2曲多いだけで1200円〜1500円。7inchシングルが700円だったから結構割高感があった。LPが2800円くらいだったので、貧乏な学生には次々出される12inchシングルを買うのは辛かった。ただ、良い曲が12inchのB面に入っていたり、7inchと違うバージョンだったりしたために、どうしても買いたくなってしまうのだ。特に次のシングルの"My Ever Changing Moods"は7inchと12inchでまったくバージョンが違ったために、12inchは必須だった。そう言えばCDはまだ出てなかったと記憶している。

    1984年3月、待ちに待ったデビュー・アルバム"Cafe Bleu"が発表される。インストが4曲も入っていたり、ボーカルも何故か女性が入っていたりして、すごく変なアルバムだった。サウンドもソウル、ファンクだけでなく、ジャズやラップなども取り入れた、幅広い音楽性…というよりはむしろ単に「いろんな曲が入ってて楽しい」と感じ、夢中で何度も何度も聴いたものだ。チャートも最高位2位まで上がり、1年以上のチャートにいるという大ヒットもした。

    当時イギリスでは「ジャズ」に対して新たなアプローチをした曲を発表するアーティストが多かった。Sade, Animal Night Lifeなどについては私も聴いていた。だが、"Cafe Bleu"はその中でも最も知られたアルバムで、1980年代中盤のUKの音楽シーンにおいて長く記憶されることとなる。

    再開されたツアーや"Soul Deep"やシングル発売で1984年は終わり、翌1985年1月1日という日にセカンドアルバム"Our Favourite Shop"が発表される。節操のなさは更に広がり、ボサノバやシャンソンも含まれたこのアルバムは半年もの時間をかけて6月にようやくチャート第1位を獲得。1985年は次々とシングルが発表され、ギグや政治的な集会によく顔を出して話題には事欠かなかった。この頃が活動内容も人気もピークだったように思われる。

    ところが、1986年になるとシングル"Have you ever had it blue"及びライブツアーの模様を収録した"Home & Abroad"を発表するにとどまる。Dee C. LeeとPaul Wellerの結婚が発表されたのも、この年だった。多分この頃だと思うが、The Style Councilが来日し、私も出かけていった記憶がある。記憶がある、という程度だから、あまりライブとしては印象に残らなかったのだろう。

    1987年2月、2年振りに発表されたサードアルバム"The Cost Of Loving"にはソウルやジャズの色が薄れ、Mick Talbotのキーボードも鳴りを潜める。"It Didn't Matter"はCMでも使われたし、日本でのセールスはそれほど悪いものではなかったようだが、なにせ2年ぶりのオリジナル・アルバムだっただけに期待も高く、個人的には「外れた」という感が強かった。カッコいいのは確かなんだけれど、なんというか、Paul Wellerに冒険心や遊び心が少なくなっていった上に、曲としても面白いものが減ってしまったのだ。

    これは多くの人も同じ印象を受けたようで、シングルなどのセールスは徐々に落ち込み始める。1988年6月に発表された4枚目の"Confessions of a Pop Group"の頃には完全に行き詰まりを見せていた。ツアーもこの頃にはほとんど行われていないが、1989年7月のアルバートホールでのコンサートを最後に、翌月活動停止を発表。正式な解散は翌年の3月だが、その頃にはPaul Wellerのソロ活動は始まっており、彼の活動の落ち込みが一時的なものに過ぎなかったことを、すでに証明していた。

    こう考えてみると、1983年から85年の3年間だけのバンドだった気もする。華やかだったけれど、短命なグループだった。

    The Style CouncilとEverything but the girl

    この二つのグループは因縁浅からぬ中で、当時のUKロックファンにはスタカンは有名だったが、EBTGは更に突っ込んだ人じゃないと聴いていなかったと思う。

    The Jam解散後Paul Wellerが最初に大勢の人の前に姿を現せたのは、Everything but the girlのライブだった。それも招待されて、というよりは話を聞きつけて飛び入りだったらしい。これは真偽のほどはわからない。ただ、EBTGのデビュー・シングル"Night and Day"が発表されたのは1982年だから、それを聴いて相当気に入ったのは確かだ。自分の方向性と近いものを感じたのだろう。

    その後自分のレーベル「レスポンド・レーベル」と契約しようとした、という話も伝わって来ている。それが出来なかったために、"Cafe Bleu"内での"Paris Match"はTracy Thronにうたわせというのだ。本当っぽい気はする。私はPaul WellerのバージョンよりTracy Thornのバージョンの方が好きだ。

    こんなサイト名をつけておきながら、Everything but the girlのファンサイトを先に作るべきではなかったのかもしれない。どちらかというとEBTGの方がファンが少なかっただけに、思い入れが更に深いのだ。だが、この組み合わせ、悪くはない。というよりむしろお約束かもしれない。うーん…私が一番聴いているのはこの辺りじゃあないんだけど、まぁ、あまりこだわらないことにしましょう。

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