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2004年10月25日

ガルシア=マルケス新作 Memoria de mis putas tristes

Memoria de mis putas tristesマルケスの新作発売-10年ぶり、スペイン語圏で
ラテンアメリカ文学の巨匠マルケス、最終修正で海賊版も退治

めでたい!やぁやぁ。生きててよかったす。
でも「私のメランコリーな娼婦の想い出」‥?。
どこか手を出してくれないかなぁ。国書刊行会でも集英社でも何でもいいから。

2004年10月24日

世界文学のフロンティア 3 夢のかけら

世界文学のフロンティア 3 夢のかけら■著者:今福龍太編
■書誌事項:1997.1.10 岩波書店 ISBN4-00-026143-6
■内容
死者の百科事典―生涯のすべて(ダニロ・キシュ著,山崎佳代子訳)
海岸のテクスト(ガブリエル・ガルシア=マルケス著,旦敬介訳)
最後の涙(ステーファノ・ベンニ著,和田忠彦訳)
一分間(スタニスワフ・レム著,長谷見一雄訳)
災厄を運ぶ男(イスマイル・カダレ著,平岡敦訳)
ユートピア奇跡の市(ヴィスワヴァ・シンボルスカ著,沼野充義訳)
ゆるぎない土地(ヴォルフガング・ヒルビッヒ著,園田みどり訳)
魔法のフルート(ボフミル・フラバル著,赤塚若樹訳)
かつて描かれたことのない境地(残雪著,近藤直子訳)
コサック・ダヴレート(アナトーリイ・キム著,有賀祐子訳)
ハーン=ハーン伯爵夫人のまなざし―見えない都市(エステルハージ・ペーテル著,早稲田みか訳)
金色のひも(アブラム・テルツ著,沼野充義訳)

■感想
「夢」を扱っていると単純に考えると幻想文学のアンソロジーのように一瞬思われるが、テーマは「ポスト・ユートピア」である。「実現されたユートピア」であるロシア革命に対する反ユートピア文学は社会主義批判の作品である。そしてその後の文学は?ということになる。となると単純に旧東ドイツの作品かと思われるが、そう簡単なくくりでもない。確かにこの中の「ゆるぎない土地」は旧東独出身の作家の手によるものだし、チェコやロシアから亡命した作家の作品もあるのだが‥。
ガルシア=マルケスの「海岸のテクスト」を読みたくて買ったのだが、これは本当にほんの一部だった。なんだか不動産情報誌に載っている「吊り」の物件のようだが、他がはずれてないので文句はない。印象に残ったものだけ。
「死者の百科事典」は死んだ人のすべての行動を記録した百科事典。全員掲載されているわけではないが、対象となった人物の誕生から死までをとある委員会が影ながら見守って報告し、まとめたものだ。非常に詳細なディティールを客観的に記述したものとなっている。これを娘が読む話だが、どこかで同じようなアイディアの作品を読んだことがあるような気がするのだが思い出せない。多分ラテンアメリカ作家の短編だと思うのだが‥。ダニロ・キシュはセルビア語で書く作家というか、旧ユーゴスラビアを代表する作家。東京創元社から同名の短編集「若き日の哀しみ」が刊行されている。
「最後の涙」はイタリアの作家。学校が舞台の作品はどうも苦手なんだな。学校が嫌いだったわけじゃないが、教師が嫌いでね。「聖女チェレステ団の悪童」は売れたようだ。
「災厄を呼ぶ男」のイスマイル・カダレはアルバニアの作家。映画「ビハインド・ザ・サン」はイスマイル・カダレの小説「砕かれた四月」を原案としたもの。この映画の監督は「モーターサイクル・ダイヤリーズ」のウォルター・サレス監督だったりする。ご縁だなぁ。この人の作品は単行本で出ている。
「ゆるぎない土地」は前述のように旧東独出身の作家の手によるもの。他の訳出されたものは
「魔法のフルート」はチェコの作家、故ボフミル・フラバルはちょっと読んでみたいと「世界×現在×文学 作家ファイル」を読んで思っていた作家だ。雑誌「すばる」のチェコ特集とこのアンソロジーにしか入っていないのが残念。単行本出ないかなぁ。こちらのホームページに作品が掲載されている。

2003年12月 3日

予告された殺人の記録

予告された殺人の記録■Cronaca di una morte annunciata 110分 イタリア/フランス ヘラルド・エース=ヘラルド 1988.7公開
■スタッフ
監督:フランチェスコ・ロージ Francesco Rosi
製作:イヴ・カセール/フランシス・ヴォン=ブーレン
製作総指揮:ジャン=ジョゼ・リシェール Jean-Jose Richer
原作:ガブリエル・ガルシア=マルケス Gabriel Garcia-Marquez
脚本:フランチェスコ・ロージ Francesco Rosi/トニーノ・グエッラ Tonino Guerra
撮影:パスクァリーノ・デ・サンティス Pasqualino De Santis
音楽:ピエロ・ピッチオーニ Piero Piccioni
出演:ルパート・エヴェレット Rupert Everett/オルネラ・ムーティ Ornella Muti/ジャン・マリア・ヴォロンテ Gian Maria Volont/アントニー・ドロン Anthony Delon/イレーネ・パパス Irene Papas/アラン・キュニー Alain Cuny
■感想
社会派で名高いイタリアのフランチェスコ・ロージ監督が上記ガルシア=マルケスの作品を映画化。南米はコロンビアの川沿いの田舎町、外国人の金持ちの息子に見初められ結婚した娘が、その初夜に処女でないことから追い帰される。それを知った娘の兄達は彼女を問い詰め、相手の男が近所に住む青年サンチャゴだと分かる。彼らは家の名誉を守るため青年の殺害を予告する、というストーリー。
映画の「語り手」であるお医者さんは小説では一登場人物にすぎませんが、実在しています。彼が主人公のサンチャゴと親友であることは事実として、このお医者さんが村に戻って来て再度調査を行う、という筋立てになっています。

映画の方が男性陣の情けなさが強調されていると思います。ビカリオ兄弟の名誉の回復が何故必要だったのか。これがラテンアメリカのマチスモなんでしょう。それにつけてもマチスモ(男性優位主義)とはあまりにも男性が弱いから作られたものじゃないかと疑いたくなるくらい、こういう南米映画では女性が強く描かれています。止められる立場にいた町長や神父らは何のかんの言ってちゃんと止めず、当のビカリオ兄弟ですら非常に情けない。必死で止めようと動くのは母親たちです。婚約者の母親、カフェの女性などなど。特にバヤルド本人が最高に情けない。そんなに悲劇の主人公を気取るのなら、追い返さないで事情を聞いて受け止めてやればよかったのに。
多くの人に予告され、止めようとする人もいるのに何故事件は起こったのか、映画では下記のように見えるように処理しています。


  1. サンチャゴは実は(家の女中に)恨まれていたので意図的に知らされていなかった
  2. 結婚のお祝い=「祭り」の延長のように「殺人」をとらえ、人々が殺人を期待したからではないか?という疑問符が投げかけられている

小説に比べると絵としてわかりやすい方向に流れているのは致し方ないでしょう。サンチャゴがあまりに「ぼんぼんでたらし」っぽい風貌のアラン・ドロンの息子であるが故に少々「アンヘラに名指しされてもしょうがない」風情があるという点はありきたり過ぎな気もしますが…。広場で遠巻きに見ている人々がまるで劇場の観客のようで、追いかけるバヤルド兄弟と逃げるサンチャゴが舞台の上の登場人物のようです。
アンヘラとバヤルドのデートがジャングルの川上りというところが南米っぽいというか、ワニが泳いでるすぐそばでデートするんだ…というのがちょっと鼻につくというか。また、無垢の象徴である白(サンチャゴ)と黒(バヤルド兄弟)の対比があまりにも美しすぎて、南米の臭いはあまりしません。イタリア映画ですね。南米を描くのならもう少しほこりくさくないといけないのでは?と思いました。きれいすぎます。

2003年12月 3日

予告された殺人の記録

予告された殺人の記録■原題:Crónica de una muerte anunciada : Gabriel García Márquez. 1981
■著者:ガルシア=マルケス・ガブリエル著,野谷文昭訳
■書誌事項:新潮社 1997.12.1 ISBN4-10-205211-9(新潮文庫)
■書誌事項:新潮社 1983.4.1 ISBN4-10-509004-6(新潮世界の文学)
■感想
予告された殺人の記録
何故今頃こんな作品…という理由を説明するとちょっと面倒なのですが、一応自分用の記録なので記載しておかないと。下の映画の方が主体です。以前LDで買っておいたのに、何となく見ないままでいたので、DVDになってない所有LDチェックをしていて引っかかったものです。原作の方は更に以前に読んでます。ガルシア=マルケス本人が住んでいた故郷のスクレという街で1951年に起こった事件です。著者は当時はすでに故郷を離れていたのですが、新聞でこの事件を知り、急ぎ故郷に帰って調査したものの、ビカリオ家(殺害した方)と親戚だったためマルケス本人の母親が反対し発表することが出来なかったようです。それを30年後に再度調査し発表したのが本作品です。
映画も小説も同じテーマなのですが、「何故このような不可思議な事件が起きたのか?」を追求しています。そういうとミステリーみたいですが、小説の方はドキュメンタリータッチのノンフィクションノベル風ですし、映画の方は美しい芸術作品に仕上がっています。
非常に不可思議な事件における世界観を自分用にメモっておきます。


A.【小説及び映画内での前提となる価値観】…下記の価値観が絶対的に存在します

  1. 結婚したら花嫁が処女じゃなかったから家に戻される/戻さないとならない
  2. 上記は花嫁の家にとっては非常に不名誉である。不名誉の原因となった者に復讐することは名誉を回復するために必須である

B.【これは微妙な価値観】

  1. 名誉の問題は個人の問題なので、止めてはならない→止めようとする人もいるためこれは絶対じゃない
  2. 己のアイデンティティを守るためには名誉を回復しなければならない(A-3の次に来るもの)→予告しまわって、誰かに止めてもらおうとする/途中で逃げようとする

C.【物語を複雑にしている要因】

  1. アンヘラが名指ししたサンチャゴは嘘である可能性がきわめて高い
  2. ビヤルド家は今一つ貧しいけれど、サンチャゴの方は金持ち
  3. アンヘラがバヤルドを結婚するときは愛していないが、その後本当に愛し始めた


A.を前提としない場合はじゃあ誰がこういう事件を引き起こしたのかという問題が簡単にクリヤになります。まずは処女じゃないので家に戻さないといけないという価値観が崩れるため、バヤルドが原因ということになります。これは新しい価値観をもって外部から入って来た人間なので、これくらいクリヤして、従来の世界を打破した存在にならないといけないのですが、脱していない。
次に、復讐する必要性もなくなるので、殺したビカリオ兄弟が原因ということになります。これが一番単純な原因です。が、そんなこと言っても無駄ですね。A.については絶対的な価値観として君臨するわけですから。ここのところは「何故?」と思う方が圧倒的だと思いますが、今からだと50年前のコロンビアですから、もうキリスト教は人々の生活に密着し、かつ非常に重要な存在で、処女性を重視するのは当然の価値観でしょうね。この辺りが作家としての著者の興味を大いにひいたことでしょう。

では、多くの人に予告され、止めようとする人もいるのに何故事件は起こったのか。小説ではアラビア系の富裕階層であるサンチャゴと貧しいビカリオ家の対立構造をもって「差別」「妬み」といった感情をベースにしています。また、複雑に偶然のすれ違いと人々の作為や回避の意志などを積み重ねて構築し、まるでサンチャゴの死が必然だったかのような緊迫感あふれる筋運びとなっています。母親がドアを閉めてしまったり、心の底では止めて欲しかった、ビカリオ兄弟の必死の願いが聞き届けられなかったのは、もはやサンチャゴとビカリオ兄弟の宿命だったとしか思えません。

最後にC.についてですが、これが結構私は問題かと。嘘である可能性が高い理由は、もし本当だったらサンチャゴは自分が殺される可能性が高いと自覚し、逃げますからね。兄弟が探していることを聞きつけるとかいう以前に、夕べ二人は大丈夫だったのか?と気にしますよね。何の事やら?と人に嘘をつくことはしても、実際殺されそうなのですから、体裁気にしている場合ではなく逃げますよね。ところが逃げていないので、それが潔白の証明になっているわけです。それでもアンヘラがためらいもせずに「彼が相手だ」とその後も言い続けること、庇っている相手を隠し通す点が謎です。最後は開き直って処女である小細工をしなかったのは女の潔さなのなら、開き直って本当の相手の名前を言っても良いでしょうに。よくわかりません。
で、後日談。アンヘラは結婚したくなかったけれど、家に追い返されたとき、バヤルドを愛してることに気づいた。そこで30年近く毎週手紙を書き続ける。そしてその手紙をバヤルドは一つも開封しない。送り返せばいいのに受け取る。受け取るから送られ続けているのはわかっていても受け取る。そいで再会する、と。この辺の流れの方がよっぽど私からすると「なんじゃそりゃ」なわけですが…。
事件が起きたことは不思議ですし、悲劇でしょうけれど、実際には日曜の深夜から月曜の午前中くらいにかけて起きた事件ですし、突発的には何が起きても、そういうこともあろうかなと私は思えます。が、長い年月をかけて起きた出来事、それが特に人間の意志の継続性に基づいているケースの方が私にはよっぽど不思議です。

2002年4月 1日

物語の作り方―ガルシア=マルケスのシナリオ教室

物語の作り方■著者:ガブリエル・ガルシア=マルケス著,木村榮一訳
■書誌事項:岩波書店 2002.2.18 ISBN4-00-025291-7
■内容
「お話をどう語るか」Cómo se ciento um cuento, Ollero & Ramos, Editores, S.L.,1996
「語るという幸せなマニア」La bendita monía de contar, Ollero & Ramos, Editores, S.L.,1998
■感想
映画人の育成を目指してキューバに創設されたサン・アントニオ・デ・ロス・バーニョス映画テレビ国際学園で、若い映画人と脚本作りのためのワークショップを行っていたガルシア=マルケスだったが、それをまとめた3冊が出版され、うち2冊が訳出された。
参加者各人が持ちよった物語の骨格を30分の映画にするために、様々な弱点を補い、新たな展開を見い出し、ちょっと脇道にそれたり、と非常に面白い討論が展開されている。特に前半の方が持ち寄る話がちょうどワークショップに適した程度の骨格であるため、議論がどんどん展開されて、物語が形作られていく様をつぶさに読みとることができる。


ストーリーテラーというのは努力してなれるものじゃなくて、生まれつきのものさ。でもそれだけじゃあ、十分じゃない。職業にするためには、教養や、技巧、経験といったものが求められるからね。……でも、技巧やトリック、そうしたものなら教えられるよ。

とマルケスがいう通り(帯が的確)、映画の脚本を創作した経験や映画というものに対する知識をもって彼らに語りかける。時にそれがちな議論を本筋に戻し、驚くほど激しい言葉も言えば、完全に脱線して周囲に元に戻るための手助けをしてもらったりと、とにかくよくしゃべる。
後半の方が議論としては今一つだが、「苺とチョコレート」の原作及び脚本を書いたセネル=パスが登場し、どうやって脚本を作っていったかが詳細に語られていて、興味深い話が満載である。
小説と脚本はそもそも違うもの、として定義し、ここでは「脚本」のみについて取り上げられているが、ただ、共通なのは「物語」であるという点。「物語」を語るということにとりつかれた人たちが熱に浮かされたように語り合っている。つくづく、マルケスという人はノーベル文学賞をとったアーティストというよりは、面白い話を書くストーリーテラーなのだな、という思いを強くした。

2001年12月 4日

現代ラテンアメリカ短編選集

■著者:桑名一博編
■書誌事項:白水社 1972.11.20
■内容
転轍手/フワン・ホセ・アレオラ
女王人形/カルロス・フエンテス
聖ヤコブの道/アレッホ・カルペンティエル
バルタサルの素晴らしい午後/カブリエル・ガルシーア・マルケス
アナ・マリア/ホセ・ドノソ
別れ/マリオ・ベネデッティ
ようこそ、ボブ!/フワン・カルロス・オネッティ
原住民/カルロス・マルティネス・モレノ
キルケー/フリオ・コルタサル
泥棒/グラシリアノ・ラーモス
太陽/バスコンセロス・マイヤ
■感想
入手困難だったアンソロジー。ようやく見つけた買えた。特にこのホセ・ドノソが読みたかった。...と期待していたほどではなかったけど。

2001年3月20日

集英社ギャラリー世界の文学 19 ラテンアメリカ

■著者:ボルヘスほか著,篠田一士ほか訳
■書誌事項:集英社 1990.2


伝奇集 エル・アレフ 砂の本/ボルヘス著,篠田一士訳
大統領閣下/アストゥリアス著,内田吉彦訳
ブルジョア社会/ホセ・ドノソ著,木村栄一訳
赤い唇/マヌエル・プイグ著,野谷文昭訳
族長の秋/ガルシア=マルケス著,鼓直訳
ある虐殺の真相/マリオ・バルガス=リョサ著,桑名一博訳
太鼓に踊る/ウスラル=ピエトリ著,荻内勝之訳
イレーネの自伝/シルビーナ・オカンポ著,安藤哲行訳
樹/M・L・ボンバル著,土岐恒二訳
裏切り者との出会い/A・ロア=バストス著,吉田秀太郎訳
ルビーナ/フアン・ルルフォ著,桑名一博訳
モーツァルトを聴く/マリオ・ベネデッティ著,内田吉彦訳
痩せるための規定食/ホルヘ・エドワーズ著,高見英一訳
時間/A・O・アタナシウ著,野谷文昭訳
パラカスでジミーと/A・ブライス=エチェニケ著,野谷文昭訳
顕現祭の夜/ホセ・レブエルタス著,木村栄一訳
魔術師顛末記 ゴドフレードの三つの名前/ムリロ・ルビアン著,武井ナヲエ訳
解説・年譜・著,作年譜:p1227〜129
ラテンアメリカ文学史年表:p1335〜1338

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