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2012年3月 4日

pina a film for Pina Bauch by Wim Wenders

pina dance,dance,otherwise we are lost昨年10月に東京国際映画祭で観たときは、何しろピナ・バウシュのダンスを観るのが初めてで、面食らってちゃんと映画を観る余裕はなかった。だからそのとき、もう一度見ようと決めていた。今回はダンサーの動きがほとんど映像として頭に入っていたようで、その分余裕をもって3Dを楽しめた。

3Dだから、例えば速い手の動きがコマ送りのようになって、それがイヤだという言葉をどこかで見かけたけれど、自分にはそれはまったく気にならない。重層感のある動きが、特に群舞の際には凄まじい迫力となって襲いかかってきた。また、ドレスや髪がダンスとともにふわっと浮かぶときの質感や舞い上がる葉っぱの動き、そして水の飛び散るしぶきが、まるで触っているかのような感覚として伝わってきた。

女性ダンサーのほとんどが髪が長いのは,やっぱりその辺意識してのことなんだろう。水についてはポスターの水しぶきを見てもわからない。あの自分にかかってくるような感じは3Dならでは。舞台を観ているというよりは、舞台に上がってしまっているような感覚。ヴェンダースはこれが欲しくてずっと撮れなかったんだなということが、今回観てようやくわかった。

本当にたくさんのシークエンスを撮影していて、舞台の中も外もすべてよく考えられた構図で飽きさせない。特に舞台を離れた映像は、舞踊団の公演だけを観ていたら観られない光景だ。背景の選び方からすべて、これがヴェンダース、という映像美で、この人は変わらないなとあらためて思う。

おそらくもう一度くらい観ないと自分にはこの映画の真価はわからないのだろう。でも、次はDVDで止めたり戻したりしてじっくりと鑑賞したいと思う。

pina 踊り続けるいのち

2011年11月30日

ピナ・バウシュ強化月間

ピナ・バウシュ タンツテアターとともに ピナ・バウシュ 怖がらずに踊ってごらん
「ピナ・バウシュ タンツテアターとともに」
ライムント・ホーゲ著,五十嵐蕗子訳
三元社 1999.5.20(2011.1再版)
「ピナ・バウシュ 怖がらずに踊ってごらん」
ヨッヘン・シュミット著,谷川道子訳
フィルムアート社 1999.6.1(2005.6.1第2版)

ヴィム・ヴェンダース監督の「Pina/ピナ・バウシュ 踊り続けるいのち」(PINA 3D)を観た。舞踏シーンの美しさには目を見張ったし、舞台芸術を映像化するのに3Dを使った点も理解できた。ただ、それとは別に自分がピナ・バウシュをまったく知らないことで、とまどったのも事実だ。私がピナ・バウシュについて知っていることと言えば、彼女のすばらしく美しいタバコを吸っている写真だけだ。実にカッコイイ。これだけ美しくタバコを吸える女性は少ないと思った。

言葉(戯曲)から舞台芸術に入っている私には縁のない存在だった。嫌いとか敬遠しているわけではなかったが、ピナ・バウシュだけでなく、コンテンポラリー・ダンスというか、現代舞踊というか、そういったジャンル全般に疎い。ダンスそのものに縁がなかった。

映画を観て感じたのは、まずこれがピナ・バウシュとヴッパタール舞踊団の作品の中で重要な作品の、しかも印象的で有名なシーンが詰まっているのだろうということ。それだからこそ、なのかもしれないが、とても面白いと感じた。その一方で、おそらくは一元的な解釈を嫌うのだろうということに不安を覚えるのだ。「これは何を意味しているのだろう?」と考えても、「それはあなたがそう思うのなら、そうなんじゃない?」と言われるのだろうなと簡単に予想できる。

何故カバなの?あの大きな石は何なの?イスをどかす人は何なの?正面に向き合っているカップルの体勢をしつこく変えようとしているのは何故なの?などと考えてはいけないのだろうか?いけないわけではないけれど、答えを人に押しつけてはいけないのだろうな、などと思うにつけ、正直少々面倒くさく感じるのだ。

それでもせっかくの映画を味わうのに少しでも手がかりがあった方が良いかなと思い、「春の祭典」「カフェ・ミュラー」「アリア」「コンタクトホフ」の4作品の動画(一部しかないが)をYouTubeで観た。それから本を2冊読んだ。予想通り、言葉でピナ・バウシュを説明することの困難さを訴える内容だが、それでも私たち読者に少しでも手がかりをくれようとして著者が努力していることがわかった。ロルフ・ボルツィクという名もその一つ。メリル・タンカード、そしてドミニク・メルシィ。たくさんの名前が出てきた。彼女の伝記も、少し役に立ちそうだ。

彼女がインタビュー嫌いなのはよくわかる。言葉で表現できる人なら劇作家にでもなっていただろう。本人がいわゆる「解釈」をいやがるのは当然だろうと思うが、観る方が安心できないので舞踊評論家がちゃんと説明してくれている。それに自分及び自分の芸術に対する一元的な捉え方「フェミニスト」「ドイツ人」といった定義付けを嫌う。「人間主義者」「人類の芸術家」であると訂正させる。それでも周囲は彼女の芸術の中から何かをつかもうとして、言葉を尽くしたくなるものだ。その気持ちはわかる。

ピナ・バウシュの舞台では彼女が問いかけを投げ、それに対し劇団員が自分自身で考えた動きをすることをベースに振り付けを組み立てていくという作り方もするという。「現代美術用語事典ver2.0」によるとタンツテアター Tanztheater は「ダンサーたちが日常的で個人的な経験に基づく断片的な場面をリハーサルに持ち寄ることによって作品が構成される」ものだそうだ。

本を読んだ結論から言うと、ピナ・バウシュの舞台を観て動揺するのは人としてまっとうだということのようだ。否定であれ同調であれ、魂が揺さぶられるのは間違いない。なんだか安心した。付け焼き刃でも何でも何もないよりはマシ。これでもう一度「PINA 3D」を観ることができる。一般上映は来年の2月だ。


最後に、フェリーにの「そして船は行く」はプレミアついて高い。レンタル屋なんかにはどこにもない。観たい...。

2011年9月18日

パレルモ・シューティング

パレルモ・シューティングようやく「パレルモ・シューティング」を見ることが出来た。3年ごしだ。海外在住の方々は観ておられるのだが、私には無理だった。

ヴェンダース監督はこういうパーソナルな作品をよく撮る。昔は一本おきにがっちりストーリーのある作品と、ちょっと行き当たりばったりの小さな作品を撮ってバランスをとっていたが、最近は音楽ドキュメンタリーを除くと、「ランド・オブ・プレンティ」がそれにあたるのだろうか。少し違うかもしれない。やはりドイツに帰ってきたことが大きいのだろう。

オープンカーでヘッドフォンを耳にかけて走るのはかなり危険だと思う。カーステレオは外の音も聞こえるが、あれでは周囲の音が全然入らない。その上、ハンドルをもちながら撮影しようとしたりもする。無茶するなと思って見ていると、やっぱり事故に遭いそうになる。主人公は不眠のためパレルモの町中で昼寝をしてしまうのだが、シチリア島で昼寝なんて危ないなと思っていると、彼女に危ないわよと言われてしまう。スクーターの多い街だなと思って見ていると、彼女は赤いスクーターに乗っている。パレルモってピンクのユニフォームだっけなと思っていると、サッカーのバッタもののユニフォームが売られているシーンが出てくる。そんな感じで、なんだか監督にいろいろとこちらの思うことが見透かされているような気がした。

パレルモの風景を楽しみつつ、ジョアンナ・メッツォジョルノの不思議と悲しげな美しさに魅了されつつ、デニス・ホッパーがいつ出てくるかなとかわくわくしながら最後まで見たが、何かとっかかりがないと「不思議な映画だなー」という感想になってしまうかもしれない。だから音楽は重要なアイテムだ。

吉祥寺バウスシアターではレイトショーで爆音シアターという形で上映している。自分が観たのは残念ながら、爆音での上映ではなかったが、なるほど、爆音がふさわしい作品だ。

主人公がヘッドフォンを耳にかけて音楽を鳴らすと同時に音量があがり、耳から外すと音楽が止まる。「ベルリン、天使の詩」の天使が人間になったときからモノクロ→カラー変換をやったように、こういうわざとらしいというか、わかりやすいとも言える演出をすることが度々ある。嫌いな人は嫌いだろうなぁ。

人生に行き詰まったときに音楽が人生を救ってくれた経験をもつ監督は、こういうパーソナルな作品ではたいへんに音楽を重要視する。その点で爆音シアターを主催するboid(配給元)の目にとまってくれたのなら、よかったと思う。なにしろ、日本での上映をほぼあきらめていたので、ちゃんとした映画館で見ることが出来て、boidには感謝している。

確かにプロモーションには難しい作品だと思う。デニス・ホッパー遺作とは言えるのだが、なんとおもしろさを表現すれば良いのか。ロードムービーという言葉もあったが、確かによそには行くが、その過程が描かれず、一足飛びに飛行機で行ってしまったので、ロードムービーとは言えないように思う。「リスボン物語」の方がまだ車での移動が少々だが入っていたのだけれど。

ライン川の男性は何者なのだろう?Bankerと役名はあるが、この人はいろいろ解釈できそうだ。ルー・リードはすごくストレートでいい。大好きなジューク・ボックスで曲がなっている時に出てくる。登場するのは一瞬だが、いい味を出している。

最後の方、結局死神の愚痴を聞いている主人公がそこはかとなくおかしい。

2011年9月3日~23日吉祥寺バウスシアター。9月24日~10月14日新宿K'sシアター。以後大阪、横浜、広島、京都など地方巡回が決定している。


Palermo Shooting 公式サイト

監督・脚本・製作:ヴィム・ヴェンダース
出演:カンピーノ、ジョヴァンナ・メッゾジョルノ、デニス・ホッパー、ルー・リード、ミラ・ジョヴォヴィッチ

→近日中にサイトの方も更新します。Wim Wenders Fansite

2006年2月20日

アメリカ、家族のいる風景

アメリカ、家族のいる風景■原題:Don't come knocking 2004年 独=米 124分
■監督:ヴィム・ヴェンダース
■出演:サム・シェパード/ジェシカ・ラング/ティム・ロス/サラ・ポーリー/フェアルーザ・バーク<Fairuza Balk>/エヴァ・マリー・セイント/カブリエル・マン
■感想
この監督も60歳を過ぎて、肩の力の抜けた、ステキな映画を作ったなぁと素直に思う。子供がいることを知らないで20数年を過ごしてしまい、30年以上放っておいた自分の母親から子供のいることを聞かされて、息子とその母親を探しに行く父親の物語。平凡で使い古された家族再生のストーリーだけれど、映像美はさすがなんです。


サム・シェパードは老けてもカッコイイが、それでもやっぱり若い頃の方がもっとカッコ良かった。感想はこちら

2005年10月23日

ランド・オブ・プレンティ

ランド・オブ・プレンティ■原題:The Land of Plenty 2004年 独=米 122分
■監督:ヴィム・ヴェンダース
■出演:ミッシェル・ウィリアムズ/ジョン・ディール/ション・トウブ/ウェンデル・ピアース/リチャード・エドソン/バート・ヤング
■感想
アメリカが嫌いな人は見て損はしないんじゃないかと思います。ハリケーンによる被害で初めてアメリカの貧困を知った方には特にいいんじゃないかと。でもアメリカが好きな人に見てもらいたい映画です。
それほどつまらなくはないと思うのだけど、その辺は自信がありません。ただ肩の凝った巨匠の作品ではなく、わざわざお金出して見るほど?というくらい低予算のさらっとした映画です。根は深いけど、こねくり回してないというか、そんな時間はなかったというか。とにかくとても率直でわかりやすい映画じゃないかなと思います。
とりあえず、自分で書いた感想はこちら

シネカノン有楽町にて10/22~上映中。

2004年12月31日

DVD-BOX Wim Wenders Collection

「ヴィム・ヴェンダース・コレクション」2005年1月21日発売予定

「緋文字」「まわり道」「ニックス・ムービー/水上の稲妻」「東京画」「ベルリン・天使の詩」

の5枚収録で15,750円(Amazonだと12600円)

どういうセレクションなんでしょう?超マイナー作品群+「ベルリン・天使の詩」って…。「ベルリン~」につられて、あと4枚必要だと思うとは思えないんですが。
この後特価1万円以上でオークションに出ている「パリ、テキサス」とかほかにメジャーな「アメリカの友人」や「都会のアリス」あたりが出るんでしょうか?
全部持ってるのに、また買わなきゃならないのかぁ…やれやれ。

2004年9月16日

ソウル・オブ・マン

20040916いつの間にか音楽映画の巨匠のようになってしまったヴェンダースですが、少なくともいい映画を撮っていることは断言できます。いわゆるワンパターンの自己撞着に陥っている巨匠にならずによかったと思ってます。それは素直に。ただ、音楽映画のドキュメンタリーの人だと思われても困るというか、それは本業ではないと思いたいなと。

ブルース100年を記念し、「The Blues Movie Project」と称してマーチン・スコセッシの総監督のもと、7本の映画が撮られました。その中の1本をヴェンダースがとっています。対象となったブルースメンはブラインド・ウィリー・ジョンソン、スキップ・ジェイムス、J.B.ルノアーの3人です。私はブルースは全然わかりません。例えばクリームの曲でスキップ・ジェイムスの名前を知ってたりとかしますけど、せいぜいそのくらいです。が、それでも充分楽しめます。その点に関しては「ブエナビスタ・ソシアル・クラブ」を見たときに感じたので、安心して見に行きました。

「ブエナビスタ・ソシアル・クラブ」は本当に素材がよくて、それに対して素直に、ハバナの陽光の明るさに対してもストレートに、難しく考えず撮ったことが勝因でした。おじいちゃんたちのインタビューとライブという構成でしたし。
ところが今回の対象となった3人のブルースメンは亡くなっていますから、そう単純には行きません。で、どうしたかというと、少ない素材で彼らの人生と音楽を考えて再構築したわけですが、そこは気持ちよくだまされてみると、なかなか楽しいです。
ヴェンダースは映画100年のときにリュミエールの頃の映像を作ろうというプロジェクトに参加したり、「都市とモードのビデオノート」で手回しカメラを使ったり、「リスボン物語」でもサイレントのような古いカメラを使っています。こういった撮影方法に対して素直というかミーハーなところが、今回の映画で大いに役立っているようです。

もう亡くなったブルースメン3人の曲を今のミュージシャンが演奏していますが、こちらもあまりに最近の人なので、ベックとかよく知りません。でもルー・リードがまたしぶくトシ食ったなぁとかニック・ケイブも結構トシなのに元気だなぁとか、そんな感じで楽しんでました。

「The Soul of a Man」というタイトルはソウルマンじゃないです。「人の魂」です。曲名です。まだ上映中ですから、このへんにしておきます。ヴァージンシネマズ六本木ヒルズ単館です。あと公式Blogだそうです。

2004年7月30日

ゴールキーパーの不安

ゴールキーパーの不安■Die Angst des Tormanns beim Elfmerter
■スタッフ・キャスト
監督・脚本:ヴィム・ヴェンダース Wim Wenders
原作:ペーター・ハントケ Peter Handke
撮影:ロビー・ミューラー Robby Muller
音楽:ユルゲン・クニーパー Jurgen Knieper
出演:
 ヨーゼフ・ブロッホ:アルトゥール・ブラウス(アーサー・ブラウス) Arthur Brauss
 グローリア:エリカ・プルハール
 ヘルタ・ガブラー:カイ・フィッシャー
 アンナ:リプガルト・シュヴァルツ
 マリア:マリー・バルディシェフスキー
 村の白痴:リュディガー・フォーグラー
■物語
ヨーゼフ・ブロッホはプロのチームに所属するサッカー選手でゴールキーパー。ウィーン遠征での試合でオフサイドをめぐって審判ともめ、退場になってしまう。何故か彼はチームと行動を共にせず、試合中にもかかわらず試合会場を離れてしまう。
映画を見、安ホテルに一人宿泊し、二人組に殴られたりしながら、街をぶらぶらとしている。映画館のチケット係であるグローリアと親しくなって飛行場の近くにある家に泊まりに行く。一夜明け、朝食を共にしたところで唐突にグローリアを絞め殺す。そして特に動揺する様子も見せず、指紋を拭き取り部屋を後にする。
ウィーンを引き上げバスに乗って国境の町へ向かう。小さな村に夜到着し、そこにあるホテルに宿泊。翌日昔なじみのヘルタがやっている居酒屋へ向かう。その村にとどまることにしたブロッホだが散髪したり映画の上映会に行ったり、居酒屋で隣合った男と喧嘩をしたり、と毎日ぶらぶらするだけで特に逃げようともしない。そんな中散歩をしていると、偶然その土地の人間が行方不明だと騒いでいた聾唖の子供の死体を見つける。
警察がグローリア殺人の犯人の新しいてがかりを発表した。アメリカの硬貨があったというのだ。それはブロッホがアメリカ遠征の際使い残した硬貨をグローリアの部屋に忘れて行ったのだった。しかしまったく動じない。
偶然サッカーの試合をやっているのを見つけ、見に行く。隣の席の中年男に話しかける。「ペナルティキックのとき、ゴールキーパーはどこに飛んでくるかわからない」という不安について語る。

■感想
ヴェンダースの劇場用長篇映画第一作。卒業制作の「都市の夏」は学生時代の作品なので、いくら長篇であっても、私の中ではやはり実験映画時代に分類したいと思う。本人も「都市の夏」はいわば最後の短篇映画だと語っている。

内容は一応サスペンスなのだが、まったくといっていいほどサスペンスっぽくない。動機の見えない殺人を犯した犯人が一応旅するのだが逃亡というわけでもなく、淡々と映画が進行する。

そもそも原作者のペーター・ハントケを知らない人は観てもしょうがないと思う。しょうがないというか、わけがわからいのではないかと思う。原作の「不安…ペナルティキックを受けるゴールキーパーの…」(三修社 1979.12 ISBN4-384-02214-X)は絶版になっており、古書市場でも滅多に見ないため、どうしても読みたい場合は図書館にしかなさそうだ。

もちろん、ヴェンダースはハントケとは違う視覚から描いており、批評家からは当時「違うことに意義があり」という声と「わざわざ映画化する意味がない」という批判と両方出たそうだ。いずれにせよ、元々が実験的な小説なので映画単体で観ても理解に苦しいだろうなと思われる。

まだ実験映画時代の流れで撮影されており、アメリカ映画の文法に慣れた日本の観衆に鑑賞が耐えうる劇場用映画ではない。最初はテレビ放映だったそうだが、よくこんなものテレビで流したもんだと思ったら、オーストラリアの製作会社はよくわからないで、サッカーの映画だと思ってゴールデンタイムにかけたそうだ(笑)。当然理解されなかった。その後一応は劇場にかけられ、アメリカの映画祭にて特別上映もされたそうだ。それにつけても、ありがたいことなんだが、よくDVDにしてくれたもんだ。

後々のヴェンダース作品を理解する上では注目すべき点がいくつかある。この作品がヴェンダース自身が自分の映像言語を確立するための第一歩だったことが伺える。

1. 映画や音楽へのこだわり
音楽というよりはジューク・ボックスと言った方が良いだろう。主人公はどこへ行ってもジューク・ボックスをかける。短い時間しかないのにかける。主人公が柱の影にかくれてしまい、ジューク・ボックスが主役か?と思われるくらい執拗にカメラが追っている。
また、映画館への出入りも頻繁。田舎に行けば映画館がなければ上映会に顔を出すというしつこさ。

2. メディアへのこだわり
テレビ、ラジオ、新聞が頻繁に使われる。特に新聞は自分の起こした事件が気になるのか主人公が常に「新聞は?」と聞いて回るが、じゃあそこに自分の似顔絵が出ていたとしても何か行動を起こすわけではない。だから事件に対する反応としての新聞へのこだわりではなさそうだ。むしろテレビやラジオも頻繁に登場し、付けたり消したり主人公の行動は落ち着かない。

3. 旅へのこだわり
ウィーンから国境の町まで行くバスの旅が出てくる。バスターミナルの自販機、途中休憩所、到着地のバス停等々、当時のドイツの旅では必須の風景だったのだろう。


リュディガー・フォーグラーが白痴の役で出ている。もうすでにして髪が薄い…

■データ:西独 101分 1971
■日本公開:1984年東京ドイツ文化センター ヴィム・ヴェンダース特集にて

2002年11月 1日

ヴィム・ヴェンダース(E・Mブックス)全面改訂新版

■著者:エスクァイアマガジンジャパン編,遠山純生ほか著
■書誌事項:エスクァイアマガジンジャパン 2002.4. ISBN4-872-95080-1
■感想
1997年に出たものの全面改訂版。うっかりしていて気づかなかった。最新作「ミリオンダラー・ホテル」までの紹介記事が掲載されている。

2002年10月 8日

都市とモードのビデオノート

都市とモードのビデオノート■1992.3 81分 仏/独
■スタッフ
監督・脚本:ヴィム・ヴェンダース Wim Wenders
製作:ウルリッヒ・フェルスベルク Ulrich Felsberg
撮影:ロビー・ミューラー Robby Muller/ミュリエル・エーデルシュタイン/ウリ・クーディッケ/ヴィム・ヴェンダース Wim Wenders/中島正利/近森真史
出演:ヴィム・ヴェンダース/山本耀司
■感想
「東京画」に引き続き、ヴェンダースが東京を撮影したドキュメンタリー作品。残念ながらDVDになっておらず、ビデオも絶版である。でも、何とか手には入るものだ。
ファッション・デザイナー「Yoji Yamamoto」をテーマにヴェンダースが撮影した、シネ・ポエムというべき小作品。山本耀司の仕事風景を撮影しようと、ヴェンダースは35ミリの10分しかもたない手回しカメラを使用する。が、非常に音がうるさく、仕事の邪魔になると感じ、忌み嫌っていたビデオを使うことになる。
単純にビデオを使うのもしゃくだったらしく、というか、いろいろと冒険したい気持ちが伝わって来るが、


  1. 35ミリ映像(ちょっとしかないな)

  2. ビデオ映像を画面に取り入れた35ミリ映像

  3. ビデオ映像を画面に取り入れたビデオ映像

  4. ビデオ映像そのものの


といろいろな試みが行われ、どれもなかなかカッコ良く仕上がっている。
山本耀司と言えば「黒」の巨匠だ。似合う奴も似合わない奴もひたすら黒が大流行した時代があったなぁと思い出す。今でも黒は多いが、そんなね、みんながみんな似合うわけじゃないので、それほど高いパーセンテージではないが。山本耀司の自信と職人気質をうまく見せている。
これ自体はさほど悪くはないのだが、ただ、この次の作品があの「夢の涯てまでも」であることを考えると、どうなんだろうな。パリと東京の両方で撮影して、都市と都市の流れを感じてしまったのが、いかんかったのかもしれないな。

2002年10月 2日

東京画

東京画■TOKYO-GA 1989.6 93分 西独/米
■スタッフ
監督・脚本:ヴィム・ヴェンダース Wim Wenders
製作:クリス・ジーヴァニッヒ Chris Sievernich
撮影:エド・ラッハマン Ed Lachman
音楽:ローリー・ペッチガンド/ミーシュ・マルセー/チコ・ロイ・オルテガ
出演:厚田雄春/笠智衆/ヴェルナー・ヘルツォーク Werner Herzog
■感想
これは初見だ。あまり深い意味はなく、なんとなく見てなかった。「パリ、テキサス」のクランクイン前に撮影し、公開後に編集したドキュメンタリー作品。小津安二郎監督をこよなく尊敬するヴェンダースが小津やそのスタッフと作品に捧げたオマージュ。
ヴェンダースは基本的に非常に素直で謙虚なアーティストだ。多くの映画を見て、たくさんの映画監督を尊敬している。その中でも小津はNo.1なのだが、言ってみるとちょっとミーハーなところがある。それがいいんだけど。
冒頭と最後に小津の「東京物語」の作品がそのまま使用されている。まずはヴェンダースが撮影監督と二人で東京を見てまわる。撮影されたのが1983年当時のため、タケノコ族とかロカビリー族とか、原宿あたりのすでに懐かしい風景が、昭和30年代の更に懐かしい風景と対比的に撮影されている。パチンコ屋や後楽園の巨大なゴルフ練習場をわざわざ選んでいる。「夢の涯てまでも」のときはカプセルホテルだし。あと、外人のお約束で合羽橋の食品見本製造工場を訪ねている。うーむ。浅いなぁ。東京の風景って、そんなんか?当時だって一部の人しか見ないと思うんだが、そんなの。
夜のゴールデン街はきっとあまり変わらないんだろうな。新宿御苑の花見はきれいだと思って撮っているんだろうけど、花見をしている日本人がバカみたいな気もして、ちょっと迷う。
北鎌倉の小津のお墓は有名で墓碑銘はなく「無」とだけ刻まれている。お参りする笠智衆も故人だ。そう言えば亡くなったときは、とにかくショックで絶句したな、と思い出す。この作品を観て、あらためて、小津監督と笠智衆は雰囲気が似ているなと思う。よく言われることだが、二人は年齢的に一つしか違わない。笠智衆が「すべて先生の指示に従って、自分の演技などしなかった」と語っているが、まさに彼は小津の分身だったのだな、と
撮影監督の厚田雄春のロングインタビューも良い締めくくりだった。ただ、ヴェンダースの語りはいつもは好きなのだが、今回に限っては邪魔だ。翻訳しなくても、わかるんだから、ちょっと黙ってて欲しい、というのは無理な話で、フランス向けに作られているのだから、仕方がない。
私にとって小津作品は正直退屈だ。あのリアリスティックな「間」と目線と同じ、低いアングルがいいんだっていうことは理解できるんだが、受け入れるのが難しい。日本人である私がヴェンダースの「間」は受け入れられても、小津の「間」がダメというのは同じアメリカ文化で育っているのに、世代の違いかなぁと不思議な気がした。

2002年8月 3日

時の翼にのって―ファーラウェイ・ソー・クロース!

Faraway so close■著者:田村源二
■書誌事項:ギャガ・コミュニケーションズ 1994.3.1 ISBN4-924880-28-0
■紹介
上記のノベライズ。

2002年8月 3日

時の翼にのって―ファーラウェイ・ソー・クロース!

Faraway so close■Farway so close! 147min 独 1994.5
■スタッフ
監督・製作:ヴィム・ヴェンダース Wim Wenders
製作総指揮:ウルリッヒ・フェルスベルク Ulrich Felsberg
脚本:ヴィム・ヴェンダース Wim Wenders/ウルリヒ・ツィーガー/クヒアルト・ライヒンガー
撮影:ユルゲン・ユルゲス Jurgen Jurges
音楽:ローラン・プティガン Laurent Petitgang
出演:オットー・ザンダー Otto Sander/ピーター・フォーク Peter Falk/ナスターシャ・キンスキー Nastassja Kinski/ホルスト・ブッフホルツ Horst Buchholz/リュディガー・フォグラー Rudiger Vogler/ブルーノ・ガンツ Bruno Ganz/ソルヴェーグ・ドマルタン Solveig Dommartin/ウィレム・デフォー Willem Dafoe/ルー・リード Lou Reed/ミハイル・ゴルバチョフ
■感想
「夢の涯てまでも」(1991)を最後に、すっかり見なくなったヴェンダース映画をさかのぼってこつこつ観ている。これは「ベルリン天使の詩」の続編ともいうべき作品。前作がベルリンの壁崩壊前に撮影されたものであるため、崩壊後のベルリンを撮影したかった、という点は理解できる。が、前作がペーター・ハントケの協力により非常に詩的な作品に仕上がっているのに対し、ハントケが抜けたせいか、途中で安易なアメリカ映画のような展開になり、少々残念。それを除けば「夢の涯てまでも」よりはずいぶんマシだ。
前回と登場人物は基本的には変わらず、ダミエルが人間になってから6年後のベルリンという想定なのだろう。「鼻歌を歌いたい」と切望していたダミエルが大声で鼻歌を歌いながら登場して、幸せそうな様子がわかる。また、ダミエルと八代亜紀の間に子供が産まれていて、ピザ屋を開いていたりする。引き続きピーター・フォークがピーター・フォークの役で出てたりする。
今回の主人公はオットー・ザンダー(カシエル)の方だが、前回出なかった女の天使(がいるんだ)に扮したナタキンはこれでヴェンダース作品は3回目。モノクロでもカラーでもきれいだなー。常連リュディガー・フォグラー、パリ・テキにも出たルー・リードが今回はちゃんとルー・リードとして出ていたりする。ホメロス役のクルト・ボワの代わりがゴルバチョフな気がするな。カッコよかったのが、フィレム・デフォー。しぶい悪役なのだけど、それなりに堕天使っぽいのは台詞に予言者の言葉がちりばめられているからか。
カシエルの墜ちっぷり、だまされっぷりがあまりに通俗的でありきたりなため、最初何で酒飲んでるのか理解出来なかったくらい。ナチ時代に運転手だった老人と彼が育てたた娘の話はよかったのだが、悪人の貿易会社社長との再会がどこでどう間違ったか、妙な具合にカットされていたようで、後味が悪い。
長いわりに退屈はしなかったけど、大喜びでロードショー見に行くようなことをしなかったのは正解だったな、と思った。

2002年7月29日

「愛のめぐりあい」撮影日誌―アントニオーニとの時間

■著者:ヴィム ヴェンダース著,池田信雄,武村知子訳
■書誌事項:キネマ旬報社 1996.9.1 ISBN4-8736-185-9
■感想
ヴェンダースだって一流と言える映画監督なのだから、いくらイタリアの巨匠といえども、そうそう「はいはい」と何でも言うこと聞くわけにはいかん、でもなー。という雰囲気の伝わる撮影秘話。だいたいが映画監督なんて強烈なエゴがある人たちが、よくまぁ一緒にやれたもんだと思う。意外とヴェンダースってお人好しなんだな、とも言えるが、要するに自己顕示欲と謙虚さは一人の人間にきちんと宿ることもあるのだ。
自分の撮影したフィルムを自分が編集する権限がない、という経験を「ハメット」でしたヴェンダースは、それ以後自分で製作まで携わり、自分の映画の権利を強く主張する。がミケランジェロが手を入れたカットをいったんは受け入れがたいものとしながらも、受け入れる。クリエイターvsクリエイターの闘いの中に、相手を思いやる
ミケランジェロのおかげで、マルチェロ・マストロヤンニの教師や猟師が見られなかったこと、枠物語の多数がバッサリ切られていたことが判明。私の立場からすると、残念無念。

2002年7月28日

愛のめぐりあい

■110min 仏/伊/独 1996.8
■スタッフ
監督:ミケランジェロ・アントニオーニ Michelangelo Antonioni/ヴィム・ヴェンダース Wim Wenders
製作:フィリップ・カルカソンヌ Philippe Carcasonne/ステファーヌ・チャルガディエフ Stephane Tchal Gadjeff
脚本:ミケランジェロ・アントニオーニ Michelangelo Antonioni/ヴィム・ヴェンダース Wim Wenders/トニーノ・グエッラ Tonino Guerra
撮影:アルフィオ・コンチーニ Alfio Contini/ロビー・ミューラー Robby Muller
音楽:ルチオ・ダルラ Lucio Dalla/ローラン・プティガン Laurent Petitgang
出演:ジョン・マルコヴィッチ John Malkovich
■内容


  • フェラーラ「ありえない恋の話」:イネス・サストーレ Ines Sastre/キム・ロッシ=スチュアート Kim Rossi-Stuart
  • ポルトフィーノ「女と犯罪」:ソフィー・マルソー Sophie Marceau
  • パリ「私を探さないで」:ファニー・アルダン Fanny Ardant/キアラ・カゼッリ Chiara Caselli/ピーター・ウェラー Peter Weller/ジャン・レノ Jean Reno
  • エクス・アン・プロヴィンス「死んだ瞬間」:イレーヌ・ジャコブ Irene Jacob/ヴァンサン・ペレーズ Vincent Perez
  • 3話〜4話:マルチェロ・マストロヤンニ Marcello Mastroianni/ジャンヌ・モロー Jeanne Moreau

■感想
ミケランジェロ・アントニオーニ自身の小説から映画化した、4部構成のオムニバス作品。そのうちの枠となる前後の物語とつなぎの物語をヴェンダースが撮影している。どういう事情でこのイタリアの巨匠とドイツの現代映像作家が一緒になったのか、詳しいことは不明だが、12年間もあたためていた企画がようやく撮影にこぎつけたところで、ミケランジェロが脳卒中により倒れ、言語を失ってしまったからだ。ミケランジェロの方から助けを求め、撮影開始にあたり製作者側がつけた条件がヴェンダースが枠物語を撮影し、共作とすることだった。
ある映画監督が一本の映画の製作を終え、イタリアへ飛行機でやって来る。次の作品の舞台を探すためだ。まず最初にやって来たのが北イタリアの小さな村、フェラーラ。そこで伝えられる「ありえない恋の話」は純粋すぎる愛について語る。次に監督は南のポルトフィーノへ赴き、そこで自らの父親を殺したという女性と一夜を過ごす「女と犯罪」。一転、パリへ飛んで現代的なアパルトマンを舞台にした「私を探さないで」。夫の3年来の浮気に苦しみ家出する人妻が広告が出ていた貸しアパートの一室を訪ねると、そこには妻に去られた男が家に帰って来たところだった、というお話。最後の「死んだ瞬間」はキリスト教の色合い強い作品。
一番力があるというかパワーを感じたのがポルトフィーノで撮影された「女と犯罪」。急勾配の崖が多く見られる入り江の街の、小径の描き方が印象的。「死んだ瞬間」での男女二人が話しながら歩くシーンも記憶に残る。
ただ、この2話と3話はソフィー・マルソーやキアラ・カゼッリのヘア・ヌードが話題として先行したらしい。記憶にないのでよくわからないが、DVDにも「無修正版」というシールが貼られていた。
ヴェンダースが共同監督をした、という以外で私が見る理由は特にない映画だ。ただ、4本オムニバスはイタリア映画では珍しくない手法なのだろうか?「昨日・今日・明日」という私のお気に入りのデ・シーカ作品も3本オムニバスだった。

2002年4月20日

ミリオンダラー・ホテル

ミリオン・ダラーホテル■122分 独・米 2001/4/28
■スタッフ
監督:ヴィム・ヴェンダース Wim Wenders
製作:ディーバック・ネイヤー Deepak Nayar/ボノ Bono/ニコラス・クライン Nicholas Klein/ブルース・デイヴィ Bruce Davey/ヴィム・ヴェンダース Wim Wenders
製作総指揮:ウルリッヒ・フェルスベルク Ulrich Felsberg
原案:ボノ Bono
脚本:ニコラス・クライン Nicholas Klein
撮影:フェドン・パパマイケル Phedon Papamichael
音楽:ボノ Bono/ジョン・ハッセル Jon Hassell/ダニエル・ラノワ Daniel Lanois/ブライアン・イーノ Brian Eno
出演:ジェレミー・デイヴィス Jeremy Davies/ミラ・ジョヴォヴィッチ Mila Jovovich/メル・ギブソン Mel Gibson/ジミー・スミッツ Jimmy Smits/ピーター・ストーメア Peter Stormare/アマンダ・プラマー Amand Plummer/グロリア・スチュアート Gloria Stuart/バッド・コート Bud Cort
■感想
ミステリー仕立ての美しいラブ・ストーリー。ロサンゼルスのダウンタウンに立つ古びたホテル。そこには奇妙な人々が社会から隔絶されたかのようにひっそりと暮らしていた。ところが、トムトムの親友イジーが屋根から飛び降りるという事件が起きた。FBIの捜査官がやってきて捜査を開始する。イジーがメディア王の息子だったことから、住人たちはイジーの同室だったジェロニモのタールで描いた絵をイジーの絵として売ろうとする。
一方、トムトムはエロイーズに恋をして追いかけ始める。はじめは逃げていたエロイーズだったが、次第にトムトムの純粋さに心を開き始めるが…

2000年に公開されたヴェンダース最新作。U2のボノの製作・原案。U2が好き、というあたりに比較的ロックの王道を好むヴェンダースらしさが見える。
オープニング・シーンが非常に美しい。これだけでU2のプロモビデオのようだ。「Million Doller Hotel」の看板のある屋上を走る若者。意志をもってジャンプするように飛び降りる。落ちていく。一つ一つの部屋がはっきり見える。墜落する。そしてエンディングに近い頃、再度このシーンは出てくる。
ヴェンダースはいつも同じような俳優、同じようなスタッフで「ヴェンダース一家」を作って撮影するが、今回他の映画である程度知名度のある各国の俳優を集め、スタッフも丸ごと一新した。20作品目にあたるこの作品で何か一つ転機としようという意志がよく見える。
一新されたスタッフ陣の中でも驚いたのが撮影のフェドン・パパマイケルの若さと編集がデジタルになったことだ。インタビューで「寂しい」とつぶやいていたが、それが時代の流れを無視することができない監督らしい変身ぶりだ。
これまでと最大に違うのが登場人物の多さ。ここまで多いのは初めてじゃないだろうか?単なる人数、という意味ではなく、意味をもつ人物の人数のことである。それがはっきりと意味をもって個性的に描けたのが、この映画の底を支えている気がする。彼らがこれだけしっかり存在感を示さずに、ジェレミー・デイヴィス、ミラ・ジョヴォヴィッチ、メル・ギブソンの3人だけで話が展開していったら、アンバランスな感じがしただろう。
また、ほとんどホテルという一つの空間だけで物語が進行するのも目新しい。
キャストについては、ミラ・ジョヴォヴィッチは魅力的だが、私にとってやっぱりこの顔はリュック・ベッソンの顔に見えてしまう。トムトムとの二人の絡みがあまりにpureで、やはりフランスの小さな映画に見えてしまう。そういうメガネ抜きに見たら、この曖昧な雰囲気は好感をもてたのだろうか?
喜劇を描きたい、という気持ちは歓迎すべきことだと思う。ただ、喜劇とも悲喜劇とも思えなかった。周辺の人物は面白いのだけれど、核になる3人は一つも笑えない。監督はどんなものを撮っても、美しい映像を描き、美しい物語を描く抒情詩人であることは忘れないで欲しい。
ヴェンダースはいろいろとチャレンジしてこれまでの自分と違う作品を出してくれるのだろう。もう一度好きだった頃のヴェンダースに戻って欲しいとは思わないが、もう一度嫌いだった頃のヴェンダースには戻らないだろうということが決意表明されているような、そんな気がする。

2002年3月21日

リスボン物語

■Lisbon Story, 1995 ドイツ/ポルトガル
■スタッフ
監督・脚本:ヴィム・ヴェンダース Wim Wenders
製作:ウルリッヒ・フェルスベルク Ulrich Felsberg/パウロ・ブランコ Paolo Branco
撮影:リサ・リンズラー Lisa Rinzler
音楽:マドレデウス/ユルゲン・クニーパー Jurgen Knieper
出演:リュディガー・フォグラー Rudiger Vogler/パトリック・ボーショー Patrick Bauchau/テレーザ・サルゲイロ/ペドロ・アイレス・マジャルハス/ロドリゴ・レアオ/ホセ・ピショット/ガブリエル・ゴメス/フランシスコ・リベイロ/マノエル・デ・オリヴェイラ Manoel de Oliveira
■感想
こんな映画があることを最近まで知らなかった。「夢の涯てまでも」(1991)以降、如何に自分が興味を失っていたかがよくわかる。「時の翼にのって」(1993)もカンヌ国際映画祭でブーイングくらったことを聞いて、まぁ、そうなんだろうな、と思った記憶しかない。
しかし、見ておけばよかった、と思った。全作品はまだ見てないが、これは90年代の作品の中でもっとも良いのではないか?これで5度目のフィリップ・ウィンター役のリュディガー・フォーグラー、「ことの次第」で死んだ筈の映画監督フレデリック・モンロー役にパトリック・ボーショーと昔の仲間と楽しそうに映画を撮っているのがよくわかる。当初はリスボン市の依頼により、リスボンのドキュメンタリー映画を撮るつもりが、リスボンでドキュメンタリー映画を撮る人の話にしてしまったヴェンダース。映画100年を記念したお祝いの映画らしく、明るく、コメディタッチの作品に仕上がっている。長年暖めていた大作を撮って、それが不評だった。そこで肩の力を抜いて原点に帰り、映画を撮ることを楽しむ、その思いが画面にあふれているようなロード・ムービーだ。
出だしから非常に快調にとばす。欧州統合で国境のなくなったヨーロッパ。フランクフルトからリスボンまですっ飛ばす車内からの画像に気分をよくさせられる。ポルトガルまであと一息のところでパンクしてしまい、やむを得ずタイヤ交換をするが、橋の上に新品のタイヤをおく。この時点で予想がつく。パンクしたタイヤからささった釘を抜き、川に捨てようとして、新品のタイヤをつい落としてしまい、呆然とするウィンター。
録音技師が映画監督の元に走る。それだけで、また「映画についての映画」だなとわかる。やっとの思いでリスボンの映画監督の元にたどり着いたのに、本人が失踪。録音技師なので、音を作るための様々な小道具をもって来ている。馬の蹄の音やフライパンで卵を焼く音などを子供たちに教えるシーンが、個人的には非常に懐かしい。学生の頃教わった作り方、そのままだ。
実際に録音された音も鮮明に町の音をとらえて、素晴らしい出来だ。風景を音で見る、ということができるのは、私は知っている。ゼンハイザーのマイクにソニーのDATも嬉しい。画像を撮影するのは手回しカメラというのがミスマッチで面白い。
ポルトガルのフォルクローレバンド・マドレデウスが登場するリハーサル・シーンはその辺のプロモーションビデオより遙かに格好いい。正直、この女性ボーカルはあまり好みではないが、バックの演奏はとても好みだ。
加えて、ポルトガルの現代詩人フェルナン・ペソアの詩もうまく織り込まれている。結局こういうリリカルな言葉の使い方、音の使い方。音楽、映像もすべてリリカルだ。それがヴェンダースなんだと思う。
DVDになっていないため、LDを探したが、当然絶版。ラッキーなことにネットで見つけて最後の1枚(新品)を買うことができた。

2002年2月24日

アメリカの友人

■原題:Der Amerikanishe Freund, 1977 西独/仏
■スタッフ
監督・脚本:ヴィム・ヴェンダース Wim Wenders
撮影:ロビー・ミュラー Robby Müller
原作:パトリシア・ハイスミス Patricia Highsmith
音楽:ユルゲン・クニーパー Jurgen Knieper
出演:デニス・ホッパー Dennis Hopper/ブルーノ・ガンツ Bruno Ganz/ジェラール・ブラン Gerard Blain/ダニエル・シュミット Daniel Schmid/ニコラス・レイ Nicholas Ray/リサ・クロイツァー Lisa Kreuzer
■感想
何という「赤」。フォルクスワーゲン、マリアンネのショールの赤。何という「黄色」。ダニエルのレインコート。そして死んだ筈の画家デルワットの「青」。もう何度目になるだろう。これを見るのは。覚えているシーンというかカットが多いので我ながら驚くほどだ。
デニス・ホッパーはこの頃が一番カッコいいんじゃないかな。「Easy Riderのバラード」なんか歌ってくれちゃって。
ヴェンダースの作品で安易に人に勧められるとしたら、これしかないだろうと思う。原作付きのサスペンスだから。もちろん、それだけの理由じゃないんだけど。

2002年2月21日

ヴィム・ヴェンダース―E/Mブックス〈1〉

■書誌事項:カルチュア・パブリッシャーズ 1997.11.1 ISBN4-87295002-X
■感想
『エスクワイヤ』などの掲載された評論集。梅本洋一の「東京画」の旅が一番良かった。

2002年2月16日

ヴィム・ヴェンダース―期待の映像作家シリーズ

■著者:青山真治編
■書誌事項:キネマ旬報社 2000.6.1 ISBN4-8737654-1(キネ旬ムック―フィルムメーカーズ)
■感想
90年代に入ってから見向きもしなかったものだから、こんな本が出ているのも知らなかった。デビューから「ミリオン・ダラー・ホテル」までの全作品をつかめるお得な一冊。
作品解説も軽めで、巻末のバイオグラフィやフィルモグラフィなど、資料性は高い。長めの評論はまぁまぁだが、座談会は余計。
「ベルリン…」か「夢の崖てまでも」でがっかりして二度と観なくなって、「ブエナビスタ…」でふと「あぁ、まだやってたのね。」という私のような人に、最近の作品を多少は観る気にさせるには充分な一冊だった。

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