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2017年7月30日

ムッシュー・パン/ロベルト・ボラーニョ

ムッシュー・パン/ロベルト・ボラーニョボラーニョ・コレクションというシリーズの中で内容的にも量的にも一番読みやすく、一気読みしてしまった。そのせいか、メモを残すのを忘れていた。

1938年のパリ、第一次大戦で肺をやられて戦傷者の年金で細々暮らしながら催眠療法/メスメリスムを学んだピエール・パンはしゃっくりが止まらない病で瀕死の夫の治療を頼まれる。ところがその前後から怪しいスペイン人の2人の男に尾行され...というフイルム・ノアール的な内容。モンマルトルの倉庫の中で迷って出られなくなるシーンやアラゴ診療所に潜り込むシーンは映像にしたらいいのにとゾクゾクする。

特に気になったのが海底墓地の水槽ジオラマ。水槽ジオラマはいろいろあるけれど、飛行機や列車の事故現場というのはなかなか突飛だ。沈没船の水槽ジオラマならわかるけれど。

ナチスに走った旧友プルームール=ポドゥーとの決別のシーンのカッコ良さの一方でマダム・レノーへの横恋慕という情けない感じもまたいい。映画という素材でテルゼフという人物を登場させたアイディアもおもしろい。

バジェホという名前が出たときに、すぐにセサル・バジェホだなとわかった。この亡命した詩人を貧しい南米人として登場させたのは自分自身も貧しい亡命作家だった若きボラーニョの思いが感じられる。

■原綴:Monsiur Pann, 1999 Robert Bola˜no
■書誌事項:松本健二訳 白水社 2017.1.25 194p ISBN978-4-560-09268-2(ボラーニョ・コレクション)

2016年9月 3日

「第三帝国」から「アメリカ大陸のナチ文学まで」―「第三帝国」刊行記念イベント

第三帝国/ロベルト・ボラーニョ野谷文昭 × 斎藤文子 × 柳原孝敦「『第三帝国』から『アメリカ大陸のナチ文学まで』 ――訳者三名がボラーニョの初期三作を読む」ボラーニョ・コレクション『第三帝国』刊行記念


日時:2016年9月3日(土)18:30開演
会場:MARUZEN&ジュンク堂書店 渋谷店
出演:野谷文昭(名古屋外国語大学教授、東京大学名誉教授)
   斎藤文子(東京大学大学院教授)
   柳原孝敦(東京大学大学院准教授)
料金1,000円(ワンドリンク付き)
定員:40名

渋谷東急百貨店本店7Fの丸善ジュンク堂書店喫茶室にて。

ボラーニョ「第三帝国」刊行記念イベント、3本目にしてようやく行けました。「アメリカ大陸のナチ文学」「はるかな星」「第三帝国」の3ボラーニョの初期3作が完成したとのことで、野谷先生と斎藤先生と柳原先生のお三方の登壇。会場には「鼻持ちならないガウチョ」の久野量一先生のお姿も。

私が個人的に一番気になっていたのは「火傷」がツインボートをどういう形で積んでるなってるのかというところ。中に入って寝泊まりしてるって、それだけの空間はどうやって作っているのか、すごく不思議でした。「本当はどうなってるのか?やっぱりよくわからない。」というお話になって、なんだか安心しました。

ボラーニョはそうやって謎を提示しておきながら解かないことが多い。描いている対象を突き放した、クールな感じがいいのは、共感します。

ボラーニョは物語の中で不安感を徐々に肥大化させていき、最後、最高潮に達した不気味さの中に読者を置き去りにしていくことが多い。でも「第三帝国」のラストがちょっと拍子抜けと斎藤先生がおっしゃっていて、そうそう!と私もそう思いました。インゲボルクと「ヨリは戻っていないけど関係は持った」と書いてありますが、ヨリが戻ったと同じ意味だと私は思いますよ。少なくともインゲボルグ的にはそうでしょう。ちょっと懲らしめてやったくらい。柳原先生の「あれは「アメリカン・グラフィティ」の後日譚のような感じ」というのも

ボラーニョのドイツ文学に対する博学っぷりにいつも驚かされていましたが、やはり翻訳者の方もそう思うのですね。チリのファシズムにナチが関連していた話を解説して下さって、「何故チリ人なのに、こんなにナチにこだわるのか?」の疑問が少し解けました。

話は満載だったので書ききれませんが、ネルーダの「altura」を「高み」と訳した柳原先生に野谷先生が「ボクは「頂き」としたけどね...」という突っ込んだ場面に、なんだかほのぼのとしました。

(この手のイベントでサイン会に参加出来る胆力のない私...。)

2016年8月26日

第三帝国/ロベルト・ボラーニョ

第三帝国/ロベルト・ボラーニョこれはボラーニョの初期の作品で、死後に刊行されたもの。若書きという印象は全然ないけれど、説破詰まったような勢いが感じられる。

これは破滅へ向かう物語だ。ゲームの進捗も相まってとてもスリリング。ウドは単に同胞というだけで友達とも言えない、実際はあまり気に入らない男のために、恋人だけを先に帰国させ一人でコスタ・ブラーバ(カタルーニャの海岸)に残る。そんな義理はないのに。

今のところ趣味に過ぎないが後にこれで食べて行ければと思っている原稿を書き上げるためか、少年の頃憧れたホテルの支配人夫人への想いを遂げるためか、〈火傷〉とのゲームを続けるためか。休暇が終わっても仕事に戻らなければ、クビになるかもしれない、恋人を失うかもしれない、親友に恋人を奪われるかもしれない、親友はその後ろめたさから金を貸してくれているのかもしれない。〈火傷〉は実際は何者なのか、ゲームを続けているのは何故か、自分をどうしようとしているのか...?

このままここにいると、切望的な状況しか思い浮かばないのに、彼はこの地を去らない。それが不思議だけれど、こういうドラマを私はよく見ているような気がしてならない。この物語でウドは結局どうなるかはさすがにここには書けない。

この「第三帝国」はボードゲームの名前だが、やはりナチの気配が濃い。「アメリカ大陸のナチ文学」「はるかな星」、そして「2666」の中にもナチ時代の話が登場する。チリ人なのに何故か。独裁政権での投獄経験者だからというのもあるだろうが、それだけではないのだろう。

登場人物たちがバルセロナへ頻繁に行くので、どのくらいの距離なのかと思ったら車で40分~1時間程度。三浦海岸に宿をとって東京へ遊びに行く感じかな?バルセロナの海は都会過ぎて泳ぐものではないらしい。長期リゾートって日本ではなじみないからな...。


■原綴:El Tercer Reich, 2010 Robert Bola˜no
■書誌事項:柳原孝敦訳 白水社 2016.8.10 404p ISBN978-4-560-09267-5(ボラーニョ・コレクション)


この本に関係して3回のイベントが開かれている。最初の二つは出られなかったが、最後のだけは出られそう。

2016年7月22日(金)紀伊國屋新宿南店:〈ボラーニョ・コレクション〉『第三帝国』(白水社)訳者・柳原孝敦さん×解説者・都甲幸治さんライブトーク

2016年8月22日(月)下北沢B&B:柳原孝敦×米光一成 「訳者とゲーム作家、『第三帝国』を語る!」ボラーニョ・コレクション『第三帝国』(白水社)刊行記念

2016年9月3日(土)MARUZEN&ジュンク堂書店渋谷店:野谷文昭×斎藤文子×柳原孝敦「訳者三名がボラーニョの初期三作を読む」

2016年3月 9日

はるかな星/ロベルト・ボラーニョ

はるかな星「アメリカ大陸のナチ文学」の最後の章に登場する主人公を膨らませた物語。カルロス・ラミレス=ホフマン→アルベルト・ルイス・タグレ→カルロス・ビーダーの物語。最初は詩を学ぶ大学生として登場し、猟奇的な殺人を行って姿をくらますと、突然空軍のパイロットになっている。パイロットの訓練は学生になる前に受けていたのだと思うが、謎だ。
空中に詩を書くパフォーマンスというのは広告ではあるようだが、5機が息をそろえて飛ばないと出来ないものらしい。後書きにカルロス・ビーダーのモデルとなったラウル・スリータという詩人について、そしてその詩人が「新しい生」という詩を1982年6月2日、ニューヨークの上空に詩を描いたパフォーマンスがYouTubeにあるというので、探してきた。

La vida nueva de Raúl Zurita. Escritos en el cielo, Nueva York, 2 de junio, 1982 [Fragmento]

この動画で私はようやく、イメージがつかめた。なんとなくはわかっているのだが、空に詩...?とピンと来ていないところもあったから。

さて、このカルロス・ビーダーは空軍のパフォーマーとして名をはせていたのにもかかわらず、突然自分のやったことを写真にして見せるという行動をとる。どんな写真かは「アメリカ大陸のナチ文学」には書かれていなかったが、「はるかな星」でははっきりとガルペンディア姉妹の死体と書いてある。それもバラバラのものらしい。その残虐行為を何故人に見せたのか。そして逮捕されずにどうやって逃げたのか。全て謎だ。

「はるかな星」の「はるか」とはスペインからチリを見たときのボラーニョの視線であることに間違いはないだろうけれど、望郷の念は感じず、謎の多い、空虚さを感じる筆致だ。でもぐいぐい引き込まれるのは初期からそうだったのだと確認できた。

■原綴:Estrera Distante, 1996 Robert Bola˜no
■書誌事項:斎藤文子訳 白水社 2015.12.10 184p ISBN978-4-560-09266-8(ボラーニョ・コレクション)

2015年8月17日

アメリカ大陸のナチ文学/ロベルト・ボラーニョ

アメリカ大陸のナチ文学ナチ時代から現代・少し先の未来に活躍した南米の右翼作家の人名事典という体裁の短編集。パロディと言っても良いかもしれない。私は事典・辞書の編集作業をしたことがあるが、事典には文体というものがある。主観をできるだけ排し、文字数に厳しい制限があるためシンプルで短い文章になる。この作品も文体は事典風にはなっているが、やはり文章の力が強くて、どう見ても短編集だ。
架空の作家ばかりだが、完全に架空ではなくて、アルゼンチンのこの地域にドイツ人の村があったかもしれないなどと思わせる信憑性もある。ボカ・サポーターにこんなバーバ・ブラバのリーダーがいたら、本当に伝説だろうな、などと想像することができる。
最後に突然一人称になって、事典風から短編小説に文体も変わる。内容も殺人鬼を追う探偵小説のようだ。

■目次
メンディルセ家の人々
エデルミラ・トンプソン・デ・メンディルセ
フアン・メンディルセ=トンプソン
ルス・メンディルセ=トンプソン

移動するヒーローたちあるいは鏡の割れやすさ
イグナシオ・スビエタ
ヘスス・フェルナンデス=ゴメス

先駆者たちと反啓蒙主義者たち
マテオ・アギーレ=ベンゴエチェア
シルビオ・サルバティコ
ルイス・フォンテーヌ・ダ・ソウザ
エルネスト・ペレス=マソン

呪われた詩人たち
ペドロ・ゴンサレス=カレーラ
<小姓>ことアンドレス・セペーダ=セペーダ

旅する女性作家たち
イルマ・カラスコ
ダニエラ・デ・モンテクリスト

世界の果ての二人のドイツ人
フランツ・ツビカウ
ウィリー・シュルホルツ

幻視、SF
J・M・S・ヒル
ザック・ソーデンスターン
グスタボ・ボルダ

魔術師、傭兵、哀れな者たち
セグンド・ホセ・エレディア
アマード・コウト
カルロス・エビア
ハリー・シベリウス

マックス・ミルバレーの千の顔
マックス・ミルバレー、またの名をマックス・カシミール、マックス・フォン・ハウプトマン、マックス・ル・グール、ジャック・アルティボニート

北米の詩人たち
ジム・オバノン
ローリー・ロング

アーリア同盟
<テキサス人>ことトマス・R・マーチソン
ジョン・リー・ブルック

素晴らしきスキアッフィーノ兄弟
イタロ・スキアッフィーノ
<デブ>ことアルヘンティーノ・スキアッフィーノ

忌まわしきラミレス=ホフマン
カルロス・ラミレス=ホフマン

モンスターたちのためのエピローグ
1.人物 2.出版社、雑誌、場所 3.書籍


■原綴:La Litteratura Nazi En América, 2007 Robert Bola˜no
■書誌事項:野谷文昭訳 白水社 2015.6.1 250p ISBN978-4-560-09265-1(ボラーニョ・コレクション)

2014年6月11日

鼻持ちならないガウチョ/ロベルト・ボラーニョ

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鼻持ちならないガウチョ「鼻持ちならないガウチョ」を「老いぼれグリンゴ」のようなイメージで読み始めたら、あたっていた部分もあるが、大枠では外れていた。わがままに生きることが出来なかった紳士が最後に挑戦したのが「ガウチョ」。「男のロマン」的な意味合いが強いチャレンジだったようで、「鼻持ちならない」感じが確かにする。牛はおらず、兎を追うだけ。なんと情けない。それでも、頑張って彼は続けるのだ。「ガウチョ」ごっこ」を。最初は悲惨かつ滑稽だと感じたが、次第にその悲哀のある姿に何故か胸うたれていく。

「鼠警察」は最初「鼠」というあだ名の警官の話なのかと思ったら、本当に「鼠」の話で驚く。鼠の世界ではあり得ない鼠による鼠を殺す殺人(殺鼠?)事件を追う、ハードボイルドな本格派ミステリー。「2666」での連続殺人を想起させるお話。

「アルバロ・ルーセロットの旅」は「剽窃」、今ならさしずめ「著作権違反」?をテーマにした作品で、相手を糾弾することを意図的に行わず、ひそかに剽窃されることに喜びを見出し、剽窃されなくなると寂しく感じたりする、奇妙な作家の気持ちを追ったもの。最後に、相手を追い詰めたつもりはなかったのに、結果的にそうなってしまったことは、確かに寂しさを感じる。

「二つのカトリック物語」は一度全部読んだら、戻って、それぞれ「I 天職」の1を読んだら「II 修道士」の1を読む、という作業をするとわかる。この二つの物語は合わせ鏡のようになっている。

「クトゥルフ神話」を読むと、あぁ、現代のスペイン作家もアメリカ人の作家と同様、いろいろと忙しいのだなと思う。現代作家は大変だ。

■目次
ジム
鼻持ちならないガウチョ
鼠警察
アルバロ・ルーセロットの旅
二つのカトリック物語
文学+病気=病気
クトゥルフ神話
解説 青山南
訳者あとがき

■原題:EL Gaucho Insurfrible by Roberto Bolaño, 2003
■書誌事項:久野量一訳 白水社 2014.4.10 183p ISBN978-4-560-09263-7

2013年12月30日

売女の人殺し/ロベルト・ボラーニョ

売女の人殺しロベルト・ボラーニョが生前最後に出した短編集。若い頃のボラーニョ自身と思われる人物が登場することが多い。フィクションだが、ノンフィクションのような部分が時折顔をのぞかせる。

巻末の若島正氏の解説にもあったが、ボラーニョの写真には様々な印象がある。年代にもよるのだろう。一番多いのは眼鏡をかけた神経質そうな小説家の顔なのだが、時に浮浪者に見えたり、年齢に比してもひどく老けていたり、あどけなかったり、ボヘミアンだったり。若い頃の流転の経歴からスペインで落ち着くまでの間の変化なのだろうか?その後はあまり変化がないように感じたが。

目玉のシルバ
カメラマンのマウリシオ・シルバが取材先のインドで生け贄になるために去勢された少年達と逃げる話。主人公(B)が20歳頃、彼と出会った20歳頃の話と、後年ドイツで出会い、彼のインドでの話を聞く。

ゴメス・パラシオ
Bが23歳頃、メキシコの田舎にある国立芸術院の施設で詩を教えた話。すごく田舎だが、ちゃんと国立で詩の創作教室が開かれていて、詩人である中年の女性が所長を務めている。Bとこの中年女性とのちょっとしたふれあいが描かれているが、こんな田舎に詩の創作教室!というだけで、少し驚く。日本中どこに行っても公民館みたいなところで俳句の講座が開かれているようなものか?

この世で最後の夕暮れ
元ボクサーの父親とアカプルコのバカンスに出かける。22歳。マッチョな父親とナイーブな息子のリゾートを楽しむ筈の旅だったが...。訳者後書きによると、お父さんは本当にこんな感じのマッチョだったそうだ。ボクシングのチャンピオンでトラック運転手なんて父親とボラーニョのような文学青年が大人になってから二人で行動をともにするなんて、ちょっと実際には考えられない。事実はどうだったのだろう?

一九七八年の日々
25歳。バルセロナにやってきて、亡命チリ人たちとは距離を感じている日々のこと。

フランス、ベルギー放浪
25歳くらいの頃は少しお金が出来ると旅に出ていた感じだ。ベルギー人の友人の家にアポもなく押しかけるボヘミアンな日々。

ラロ・クーラの予見
「2666」に登場した、警官見習いのラロ・クーラと同じ名前の人物がここで登場した。まだ若かった「2666」に比べると大人だから成長したのか、あるいは同じ名前の別人なのか。物語はまるで関係ない。メキシコのポルノ映画のお話。

売女の人殺し
娼婦の一人称なのだが、彼女が語っているその場所で、今何が起きてるのかすぐにわかるというところのが、凄いというか怖い。なんという文章力。

帰還
幽霊と死姦者の話。明確にSFって、この短篇集には他にないかな。

ブーバ
バルセロナにあるプロのサッカー・チーム(FCバルセロナとは限らないけれど、ワールドカップに出場するような選手を多数抱えているということはバルサかな?)にやってきた南米の選手が主人公。彼とスペイン人選手はアフリカからやってきた選手と試合前に3人で秘密の儀式を行っていた。アフリカ系の選手といかにもアフリカンな呪術の結びつきというのも、今時の感覚すると少しずれているような...。ヨーロッパ・サッカーにこれだけアフリカ系の選手が増え、まだまだ国際的には強いとは言えないものの、それは選手のレベルでというより各国協会内の政治的腐敗が原因という昨今。ヨーロッパで長く生活する選手達の近代化を考えるとギャップを感じる。10年前とはやはり状況が違うのだろう。

歯医者
メキシコの田舎で歯医者をやっている旧友の家へ行き、そこで早熟の天才詩人である少年と出会う。この子は誰なんだろう?ボラーニョ自身か?

写真
これは非常に面白く、興味深い一篇。「野生の探偵たち」の旅の途中のような風景。アフリカの砂漠で古い詩人達の載った写真集を見ながら、その世界を旅するのだ。なんという場所で、なんというものを見つけるのだ。その状況を想像するだけで血が沸く想いがする。まさに短篇映画のよう。

ダンスカード
アレハンドロ・ホドロフスキーやレイナルド・アレナスなど多くの関係性の高そうな人たちの名前が登場する。

エンリケ・リンとの邂逅
エンリケ・リンというチリ詩人はいわばボラーニョにとってはヒーローの一人。チリの若い人にとっても同様で、20世紀を代表するチリ詩人なのだが、日本では知られていない。ニカノール・パラも同様。ネルーダに対する評価はボラーニョにとっては一筋縄ではいかないものだったのだろうということは察することが出来る。

ところで、「2666」が2013年末の段階で10,000部以上売れているそうだ。880ページ、7,000円の本がだ。これはちょっと異常事態と言えないだろうか?ボラーニョはおもしろい。でも私がおもしろいと思っても、そんなに多くの人がおもしろいとは思わないという状況が長く続いていると、なんだかにわかには信じられない。解説の冒頭にあったように、やはりボラーニョは「他にない新しさ」をもっているからだろうか。


著者:ロベルト・ボラーニョ著,松本健二訳
書誌事項:白水社 2013.10.15 269p 2,625円 ISBN978-4-560-09262-0(ボラーニョ・コレクション)
原題:Putas Asesinas, 2001, Robert Bolaño

2013年5月 1日

「2666」ナイト第1回に行ってきました

2666ナイト2666ナイト第1回に行ってみた。「2666」のイベントはこれまでも開かれていたが、久野さんが帰国したため、三人で揃って人前に出るのは初めてとのこと。

「2666」はものすごく量も多いが中身も豊穣。語ることは本当に尽きないと思う。白水社はこの全5回シリーズをまとめて1冊の本として是非出して欲しい。

以下、印象的な部分をメモし、そこから書き起こしたもの。正確性には欠けるが、雰囲気はつかめると思う。小さい会場だから大丈夫だろうと思い後ろの方に座ったせいか、野谷先生の声だけがかなり聞き取りにくく、聞き漏らしが多い。マイクの調整レベルでなんとかなると思うのだが。それだけが残念。

出演:野谷文昭氏、内田兆史氏、久野量一氏
日時:2013年4月26日(金)19:00~
会場:西武池袋本店別館9階池袋コミュニティ・カレッジ28番教室

野谷:おそらくこの本書の読み方は「ニセンキュウヒャクロクジュウロク」。「ニロクロクロク」は通称。
訳の担当は1部、2部、3部が野谷、4部が内田、5部が久野。

内田:2009年に出版するための資料を作るために原書を久野さんと一緒に読んでいた。お互いに「どこまで読んだ?」とメールしあっていたが、久野さんが先に「アルチンボルディ、キタ~!」と言ってきた。訳した部分以外だと、このとき読んだ切りになっているところもある。それで読んでみたら、原書と訳書の差ではなく、再読がこんなに面白いんだと思った。2回読む本だと思った。

久野:『ユリイカ』2008年3月号 新しい世界文学でボラーニョの「ジム」というアメリカ人が主人公の非常に短い短篇を訳したから、このお話をいただいたのだと思う。2009年の夏にボラーニョの原書をもってブエノスアイレスで読んでいた。そのときに作った資料を見返してみたが、あまり感想は変わっていない。最初の読書がまだ終わってないのかなという気がする。全然読み終われない本であると思う。

野谷:頭から読んでいくという読み方以外にも読み方があるのではという説もある。
内田:例えば第4部目線で第1部、第2部を読むという読み方はある。
久野:第5部から第1部、2部を読むと、あれはそうかと思い出すときもあれば思い出さないときもある。読む角度が常に変わっていく。

野谷:舞台が知性や理性のヨーロッパ、アメリカ大陸を経て、混とんとしているメキシコへと物語が進んでいく。みんな自由を奪われるためにサンタテレサに向かう。

内田:アルチンボルディはドイツ人だが、研究者たちは全員ドイツ人以外。スペイン、ポルトガル、イギリス、フランス。外国人としてアルチンボルディの本を読む。

久野:作家に出会って、その作品を好きになって、翻訳たら、その作家に会いに行こうと思う。文学好きなら誰でもやりたくなること。

内田:なんでそんなに会いたがるんだって言われて、「俺たちが会わなきゃ誰が会う」「生きているとわかっているのにどうして会わないでいられようか」みたいなことを言っている場面もある。

久野:ヨーロッパの秩序だった世界で、批評家たち4人が三角関係、四角関係になりながらも研究者としてのライフスタイルを謳歌している。それがアメリカ大陸に入ってくるとカオスの方へ引きずられていく。2部、3部、4部とだんだん壊れていく。最後また5部でヨーロッパの秩序の世界の物語に戻っていく。

内田:第一次大戦に始まって同時多発テロで終わる"暴力の二十世紀"みたいなものが凝縮されている。第1部でエスポノーサが「暴力に暴力を重ねることはなかったんだ」みたいなことを言うが、第4部に至っては暴力の上に暴力を塗り重ねていって、何が元にあったのかが見えない。自分はそうしたいわけではないのに、どんどん飲み込まれていく。第2部のアマルフィターノはチリから亡命してメキシコに行かざるを得ず、第3部のフェイトは本来全然関係ないのにサンタテレサに取材に行く。だんだん自由を奪われていく。第5部も暴力的なシーンは出てくる。

野谷:自分の訳したところでイチオシのところは?第1部の好きな箇所はたくさんあって、アフォリズム的な、メモしたいようなセリフがたくさんある。一つは、リズかアルチンボルディの2冊目の本を読み、たまらず雨の中を飛び出していくところ。すごく高揚感がある。また、夜のブレーメンの夜に発光しているシーンは美しく、訳していて楽しかった。「音楽隊」とは書いてないが明かに「ブレーメンの音楽隊」のイメージ。
この人の作品を翻訳をやっていると、夢を見てしまい、よくうなされた。それは何故か考えたが"文体がポエティック/詩的"だから合理性と違うところを刺激され、その刺激で夢を見るのではないかと思う。

内田;数えてみたら死体は110体(女性のみ)。

久野:ブエノスアイレスで翻訳していた。時差はちょうど12時間。つまり日本時間の朝がこちらの夜。寝ようかなという時間にメールをちらと見ると、出版社から細かい内容のメールが来ていて、どうしてももう一回やろうかなと思ってしまい、本当に寝られなくなる、というようなことが何度もあった。校正用の赤い細いボールペンがなくて困った。出版社にお願いしたら大量に送ってくれた。

内田:「2666」を翻訳してしばらくして、研究計画書を出さなくてはならなくなった。「○○について考察する」て書いたら「絞殺する」と出て、「2666」が自分のパソコンにまで入り込んでいるのだと衝撃でした。

野谷:第2部にアマルフィターノの洗濯物干しにつり下げられた本が出てくる。それはデシャン(Marcel Duchamp's Unhappy readymade, 1919)の模倣。
「助けてくれ」と、いろいろな声かきこえてくるシーンがある。それは砂漠で殺された女性たちの声かなのか、アマルフィターノ自身の声なのかわからない。

第3部はフィクション的な文体でアメリカの小説を意識している。5部構成で、部ごとに五種類書き方を変えている。
インカの彫像のうなものが出てくるが、解答がない。そうやって全部こちらにたまっていく。

内田:便器が欠けている話が出てくる。失うとか欠けているとか、喪失・欠落が繰り返し出てくる。

久野:片足、片目、空白といった言葉がよく出てくる。

内田:第1部にモーリーニが右手を切った画家に会いに精神病院へ行くシーンがある。

久野:5部にも精神病院が出てくる。

内田:2部にもアマルフィターノの奥さんが精神病院に行く。閉じこめられている、というようなイメージの使い方か?ラテンアメリカはヨーロッパの精神病院だみたいなことをボラーニョがどこかで言っていたような気がする。ヨーロッパの狂気がラテンアメリカに閉じこめられているというような意味か。

久野:アルチンボルディは西欧的というよりは東欧的で、東ヨーロッパは西ヨーロッパの辺境の扱いをされている。ラテンアメリカもヨーロッパの辺境の扱い。

野谷:物語の進行の中で、メディアがかわっていく、手紙→電話→Eメール。

久野:以前の物語はどんな話も最終的には歴史というかヒストリーに落ち着いていった。ひとつにはならない話、複数の世界の話になっていくところが前の物語と違う。

野谷:同時多発的で、中心がいくつもある。

内田:第4部の元になっているセルヒオ・ゴンサレス(・ロドリゲス。実名で4部に登場するジャーナリスト。)「砂漠の骨」(Bones in the Desert)というシウダーフアレスの女性殺人事件を扱ったフィクションだが、ジャーナリスティックな作品がある。
この本をボラーニョが読んで、「ラテンアメリカに今なお生きている伝統は二つしかない。それは冒険と黙示録である。」と言った。セルヒオ・ゴンサレスの本は黙示録である。ボラーニョが「2666」でやろうとしたことは、この"黙示録"的な部分をもつ"冒険"ではないかと。

野谷:「野性の探偵たち」は冒険。

内田:「野性の探偵たち」の方がラテンアメリカで売れたのはわかる。

第4部の好きなところ。捜査官フアン・デ・ディオス・マルティネスとその恋人エルビラ・カンポスのマンションから見る風景や二人の関係が美しい。二人の話が出てくるとちょっとホっとした。

久野:第5部で好きなところ。ハンスの少年時代に図鑑を読み上げるところ。言葉がたどたどしくてかわいい。

野谷:ハンスの妹のロッテの存在も良い。家族小説的なところがある。砂漠を抜けて、第5部の森の世界へやってくる。一種のおとぎはなし。ルーマニアのお城が出て来たりして、ゴシック小説的なところもある。
第4部の殺された女性にわかる限りは名前が与えられてる。柴田元幸さんが言うには、アメリカだったら絶対編集者に削られていたと。全てに名前をつけるのは、アイデンティティを与えているということ。

ボラーニョ的と言える、コーモアが見られる。

内田:ユーモアと言えば、メキシコ的な黒い、女性蔑視的なところも見られる。真面目をつきつめて出てくるユーモアがある。

久野:すごい悲壮感の中で書かれていたと思うが、ユーモアはあると思う。

野谷:彼の文体にユーモアはあると思う。セルバンテスやガルシア・マルケスの文体がボラーニョにはある。バルガス=リョサやプイグには(セルバンテスのユーモアは)ない。

内田:ボラーニョのインタビューに「あなたにとって天国ってなんですか?」という質問があり、解答が「ベネチア」というもので、「あなたにとって地獄ってなんですか?」という質問には「シウダーフアレス」と答えてる。シウダーフアレスにラテンアメリカの暗い面が集約されている。その地獄を描き出そうとしていることは間違いない。だから多くの人に名前がついているし、多くの人にそれぞれの物語がある。

野谷:第4部はみんな吐き気がするとか感想を書いているが。

内田:幼い姉妹が殺されるところは(翻訳が)進められないほどの痛みだった。

質問:3人で分担して翻訳してどうやって文体を合わせたのか。

野谷:白水社の編集担当者がよく調整してくれた。

久野:それぞれへの信頼があった。お互いによくわかっていたので、あの人はこう訳すだろうという予測をもって、自分も翻訳していた。

野谷:長いつきあいなので、こう訳すだろうというのはわかっていた。そこは信頼関係があった。

2013年3月12日

2666/ロベルト・ボラーニョ

誕生日/2666/ロベルト・ボラーニョ読書には体力がいる。体力と言うと少し違うが、読書をする力というものが。読解力という以前の問題で作品を受け止める力というか、読みこなす力というか...。これが年々衰えているような気がする。疲れた。だが、一つ一つの章が一つの小説のように独立していると思えば、納得もできる。この濃密さ。このおもしろさ。それほどまでに五つの章は内容も書き方も違う。

第1章:批評家たちの部
幻のドイツ文学者を追う第一章が一番気に入っている。導入部なので比較的読みやすいのかもしれないが、私自身がドイツ文学が好きだからかもしれない。アルチンボルディという作家はどんな作品を書くのだろうと思いながら読んでいるが思い当たる人物が出てこない。21作も残しているのだから、多作な方だとは思うのだが。仏伊英西というドイツ以外の4ヶ国の四人の研究者がおりなすカルテットがロマンチックで美しい。ここで登場するブービス夫人に要注意。彼等はメキシコのサンタテレサにアルチンボルディが現れたと聞いて探しに出かける。


第2章:アマルフィターノの部
アマルフィターノはサンタテレサに住むチリ人の哲学者。亡命してきたという彼の鬱屈が反映してか、物語も文章も徐々に陰鬱としてくる。その一方、アマルフィターノの妻のロラの行動がおもしろい。ヒッピーっぽい野放図さがあって、ひどいこと、危なっかしいことばかりしているのだが、あまり悪く思えない。


第3章:フェイトの部
物語がかなり混沌として来る。アフリカ系アメリカ人の新聞記者がボクシングの試合の取材をしに来たサンタテレサで、殺人事件が起きていることを知る。ハードボイルドな語調で、ミステリー小説を読んでいるような、緊張感あふれる筆致。かつての黒人の公民権運動に対するシンパシーのようなものも感じられる。


第4章:犯罪の部
1993年以来、メキシコのフアレスという街では700名以上の女性が暴行・殺人にあっており、行方不明者は4000人以上とも言われる。この事態(もはや事件とは言い難い)をモデルにしたこの章はすべてノンフィクションなのかもと思わせるほどの精密さ。名前、年齢、遺体が発見された場所、殺害のされ方が延々と果てしなく続く。この途中で実は一度挫折している。やっぱりきつかった。何がきついって、これらの事件は実際に起こっていることであることを知っている上に、解決される見通しが立っていないからだ。
1ヶ月以上休んで、再開。エルビラ・カンポス(精神病院の院長)、フロリータ・アルマーダ(聖女)、エスキベル・プラタ(下院議員)の話が織り込まれていなかったら、乗り切れなかったに違いない。

シウダード・フアレスにおける殺人事件については、2008年に映画になっており、ジェニファー・ロペスがプロデュースしながら出演している(「ボーダータウン・報道されない殺人者」)。


第5章:アルチンボルディの部
後にアルチンボルディとなる、ハンス・ライターの物語。第二次大戦に徴兵され、ポーランド、フランス、ルーマニアと転戦する中で、あるSF作家の手記を手に入れる。ろくな教育も受けていない、でくのぼうくんだったハンスがどうやって偉大な作家になっていったか、正統派教養小説になってる。ポーランドで収容所に行くはずだったユダヤ人を押しつけられた男が出てくるが、私が読んだ戦時中のドイツ人の所業にあったものとまったく同じ行動に出る。大量殺人を「効率的に処理するにはどうしたらよいか」を考えて実行するのだ。メキシコの砂漠で殺された女性たちもポーランドで生き埋めにされたユダヤ人も、人間として扱われていないのは同じだということに気付かされる。

そして、「おお!ここかぁ!」と思う瞬間がやってきた!嬉しかったなぁ...。


著者:ロベルト・ボラーニョ著,野谷文昭,内田兆史,久野量一訳
書誌事項: 白水社 2012.10.20 868p ISBN978-4-560-09261-3
原題:2666, Robert Bolańo, 2004.


●書評一覧

涯てしない「極上の悪夢」、恐るべき物語(鴻巣友季子) 毎日新聞 2012.11.4

人間の尊厳のない現代の姿(西村英一郎) 産経新聞 2012.11.4

めまいを誘う小説の魔術(佐藤亜紀) 日本経済新聞 2012.11.18

小説を怪物にする死と詩情と俗悪さ(小野正嗣) BOOKS asahi.com 2012.11.18

読む度に新たな発見と解釈(木部与巴仁) Figaro Japon 2012.10.30

『2666』とシウダード・フアレス連続殺人(柳下毅一郎) ブログ 2012.11.28

五つの物語 総体に妙味(杉山晃) 北海道新聞 2013.1.6

世界へとつながる「周縁」(越川芳明) すばる 2013年2月号

2012年11月24日

チリの夕べ―ロベルト・ボラーニョと「野性の探偵たち」

メモです。メモ。殴り書きです。

柳原先生の講演を拝聴したのは2010年4月23日セルバンテス文化センターで開かれた「野生の探偵たち」翻訳本出版記念講演会以来ですが、あの日も雨でした。今日は午前中でほぼ雨はあがりましたが。神奈川大学で約1時間の講演でした。


講演「R. Bolañoと作品 Los detectives salvajes―ロベルト・ボラーニョと「野性の探偵たち」柳原孝敦氏(東京外国語大学)

チリの文学について
●1960年代ラテンアメリカのブームの時代のチリの作家
ホセ・ドノソ
ホルへ・エドワース(もうすぐ翻訳が出る)

●詩人を輩出
カブリエル・ミストラス(詩人・ノーベル文学賞受賞)
バブロ・ネルーダ(詩人・ノーベル文学賞受賞)
ニカノール・パーラ(詩人・2011年セルバンテス文学賞受賞)

●ブーム以後の作家
アントニオ・スカルメタ「イル・ポスティーノ」
アリレル・ドルフマン「死と乙女」「マヌエル・センデロの最後の歌 」
イサベル・アジュンデ「精霊の家」ほか
ルイス・セプルベダ「カモメに飛ぶことを教えた猫」
アルベルト・フゲッ

●ブーム以後の作家で代表的な作家
ロベルト・ボラーニョ(1953~2003)「野性の探偵たち」「2666」
チリには生まれてから15歳くらいまでと、あと少しだけ帰国した時期があるが、メキシコかヨーロッパ各地に住み、最後はスペインに長く住んでからなくなっているため、あまりチリについて書いていたりはしない。「2666」にアマルフィターノというチリ出身の哲学者が出てくるが、直接的にチリに言及したものは少ない。

「チリ夜想曲」(2000)中編小説。
まもなく死にゆく作家が若く作家志望であった頃の回想。

列車がカタコトと音を立てたのでウトウトとすることができた。
私は目を閉じていた。
今閉じているのと同じように閉じていたのだ。
だが突然、再び目を開けた。
するとそこに風景があった。
変化に富み、豊かな風景。
おかげでときには熱くなったし、ときには悲しくなった。そんな風景。
(Bolano, Nocturno de Chile, 2000: 16)
柳原先生のブログから引用)

「詩と旅」と言えばピートニク。ポラーニョはビートニクに影響を受けている。

「ロバ」"El burro"という若い頃のボラーニョの詩を紹介。「幾可学」という言葉が再び出てくる。これはボラーニョの幻覚のあり方と思われる。
「野生の探偵たち」の中でアルトゥール・ベラーノがパブロ・ネルーダを擁護して泣いたという話がある。

ボラーニョは1968年にメキシコで「インフラ・リアリズム」という詩の運動を起こし、「改めて何もかも捨てろ」というマニフェストを作る。"詩とは抒情性である。詩は冒険である旅である"。風景から心理に働きかけるのではなく直接的に語りかける。

「野生の探偵たち」の主役アルトゥール・ベラーノはボラーニョ自身で、ウリセス・リマは一緒にインフラ・リアリズムの運動を起こしたマリオ・サンティアーゴをモデルとしている。マリオ・サンティアーゴ(メキシコの首都)→ウリセス・リマ(ベルーの首都)。ウリセスはユリシーズのこと。

登場人物の心象風景を描写するために、風景を描写をするとされてきた文学の定石を覆すようなボラーニョの手抜き。風景を描写していないのに登場人物の心理は激しく動いている。だから風景の描写から入るのではなくもっと直接的でいいのではないか。


「野生の探偵たち」は詩人が詩人をおいかける、詩への情熱にあふれた作品だが、一方で詩を冗談のように捉えている箇所もある。セサレア・ティナヘーロの絵のような図を詩と言い出してみたり。




大学へ行くと、学生時代を思い出すというより、社会人として大学へ足繁く行った編集者時代を思い出す、かな。生協で国書刊行会フェアで20%オフをやっていて、すごく悩んだけど重いのでやめた。

2010年5月11日

野生の探偵たち/ロベルト・ボラーニョ

野生の探偵たち野生の探偵たち

「エクス・リブリス」シリーズ発刊当初よりのラインナップに入っていたロベルト・ボラーニョの「野生の探偵たち」。1年間待ちかねていた。上下巻850ページほどの大著で、読書の愉しみを満喫した。

物語は1970年代のメキシコから始まり、バルセロナやパリ、イスラエルなど世界中をまわって、1996年で終わっている。最初にそう聞いたときはなんだか壮大な教養小説のように思えたのだが、読み終えたら全然そんなんじゃないなと思った。第一部、第三部が日記形式、第二部が53名の証言集。第一部と第三部の話はつながっていて、1975年の出来事。第二部は第三部の後からで基本的に時系列になっているが、アマデオ・サルバテイェラの証言だけ、ずっと1976年のまま続いている。

主人公はアルトゥーロ・ベラーノとウリセス・リマの二人。基本的にはこの二人の話なのだが、証言者の話があちらこちらに飛ぶので、全然関係のない話も入ってくる。証言の一つ一つも長いものと短いものがあり、長いものだと一つのエピソードがしっかり語られているので、短編の連作集のようにも見える。登場人物は第二部で語手となっている53人だけでなく、語られている人物たちも入るため、相当数に上る。白水社のホームページに主な登場人物の一覧があるので、プリントアウトして参照しながら読むと良いと思う。

この作品の「語り」は複雑だ。第一部と第三部はガルシア・マデーロという17歳の詩人志望の少年が語っている。第一部ではアルトゥーロとウリセスは最初に出てくるが、すぐに消えてしまい、あまり姿が見えない。二人は「はらわたリアリズム」の中心人物のはずなのだが、その周辺にいるフォント家の人々や新派の詩人たちの話ばかりだ。そして復活したと思ったら、インパラに乗ってメキシコ北部に去っていく。(ここでSteppen Wolfの"Born to be wild"が聞こえて来る)

第二部は証言集で、最初にアマデオ・サルバテイェラが登場する。彼の証言はセサレア・ティナヘーロに関する証言で、これを聞いているのはアルトゥーロとウリセスになる。それ以外の証言は誰に向かって話しているのかわからない架空の人物になっているが(ガルシア・マデーロのような気がする)、一つだけ、アルトゥーロに話しかけている証言(アンドレス・ラミレス)があり、ちょっと不思議だった。

この最初のアマデオの証言の次の証言をスタート地点とする。アルトゥーロの高校時代から始まり、メキシコでどのような活動をしていたかが語られ、それからメキシコ北部から帰った後にヨーロッパへ飛んで放浪が始まる。読み進む中でキーワードとして頭にあったのが「不在」という言葉だ。アルトゥーロとウリセスはここにいないセサレアを追い、証言者たちはここにいないアルトゥーロとウリセスについて語っている。不在の多重構造になっていて、いったいこのインタビュアーは何を(誰を)探しているのだろう?という落ち着きのなさというか、ぼんやりとした浮遊感がつきまとう。

そして、第三部になって初めてアルトゥーロとウリセスの声が聞こえて来たような気がした。第一部でも多少はしゃべっているし、第二部の証言者たちも「アルトゥーロはこう言った」というようなことは言っているのだが、声については、ずっと距離を感じていた。

ところが、姿はすぐに思い浮んだ。作品の中で最初の方、度々語られていたせいもあるのだが、ウリセスについては背が低くてがっちりしている。ところがアルトゥーロについては裏表紙のボラーニョの若いころの写真のイメージそのままだ。汚い格好をして、麻薬の密売をして、メキシコにいる...。オートバイに乗ってはいないものの、まるっきり「イージー・ライダー」の世界だなと思っていたら、下巻冒頭でそのまま出てきたので、ちょっと驚いた。確かに、アルトゥーロはピーター・フォンダではないが、私の頭の中ではアルトゥーロとウリセスは凸凹コンビで出来上がっていため、そのまま修正せずに年をとらせていった。

第一部、ガルシア・マデーロが街のカフェや書店をうろうろしているところは、先日読んだガルシア=マルケスの自伝の若い頃にそっくりだ。カフェや書店に行って人と会い、議論をし、ものを書き、本を読む。女の子に恋をし、失恋し、親兄弟ともめる。若い文学を志す作家はみなそんなふうに過ごしていかなければならないのだろう。こういう話を読むといつも思い出すのが「山月記」だ。芸術を志す者は「臆病な自尊心と、尊大な羞恥心」と戦い、切磋琢磨しなくては大きくなれないというわけだ。アルトゥーロがベラーノ自身の反映と聞かされているが、ガルシア・マデーロの物語の中に自身の経験も反映されているように思えた。

第二部からいろいろな人々の証言が出てくる。ウリセス・リマはパリでうさんくさいペルー人に騙されたり、イスラエルでネオ・ナチの若者に出会ったり、と変な男たちとかかわることが多い。南仏で漁師をして稼いだり、メキシコ帰国後にサンディニスタ政権のニカラグアに行ったりと、なんだか男くさい、硬派な感じなのだが、それに対してアルトゥーロは女性とのかかわりが多い。シモーヌ・ダリュー(フランス人)、メアリー・ワトソン(イギリス人)、エディット・オステル(メキシコ人)、スサーナ・ブーチ、マリア・テレサ(スペイン人)とバラエティに富んでいる。その割に元妻が出てこないのだが、そこは証言が得られなかったということか。高校生の頃は美少年だったそうだからモテるんだな。それに対してウリセス・リマの方はクラウディアをイスラエルまで追いかけて行って、そしてふられるという悲しい出来事しか恋バナがない。アルトゥーロ=モテ、ウリセス=非モテということらしい。ひどいな。しかし、この二人、南仏で会って以後はまったく会っていないようだ。

ウリセス・リマがフランス→イスラエル→オーストリア→メキシコ→ニカラグアと転々としているのに対し、アルトゥーロ・ベラーノの方は移動しているものの、基本的にスペインの中にいる。そして最後にアフリカへ行ってからは、あちらこちらに行っているようだ。アルトゥーロの最後は暗示的ではあるがはっきりとわかるのだが、ウリセス・リマの方は最後に登場するのがオクタビオ・パスの秘書の証言だから、DF(作品内ではメキシコシティのことをこう表現する。Distrito Federalの略)にいるようだ。登場するのがオクタビオ・パスだし、まさに原点回帰だろう。それにしてもスペインで小説家として本も出版したこともあるベラーノに対し、ウリセス・リマについては最初から一貫して詩に対する才能がないという証言が見られる。この差はなんだろう?それでも何故二人が主人公なんだろう。もう一度読めばわかるだろうか。

下巻の261ページにレイナルド・アレナスと思われる人物への言及がある。既存の体制への反逆という点でボラーニョには共感するところがあったのかもしれないなと、ちょっと思った。

ところで、この本の装丁だが、ジュール・ド・バランクールの『衆愚の饗宴』という絵が上下巻で2分割されている。とても素晴らしい。これくらい装丁に気合いが入ってると、本を買って得した気分になる。もちろん、中身もいいけど、外見もいい。電子出版物ではこれは味わえない(パッケージソフトありならあるかも)。版元の気合いが感じられて素晴らしい。

次は「2666」だそうだ。いつ出るかは不明だが、やはり白水社からのようだ。待っている間に、もう一度読み返すことになるだろう。


■著者:ロベルト・ボラーニョ著,柳原孝敦、松本健二訳
■書誌事項:白水社 2010.4.20 上:449p/下:422p 上:ISBN978-4-560-09008-4/ISBN978-4-560-09009-1
■原題:Los Detectives Salvajes. Robert Bola´o, 1998



以下は白水社とチリ大使館が2010年4月23日セルバンテス文化センターで開催した翻訳本出版記念講演「野生の探偵たち」のときのメモ。

  • 野谷先生が真ん中で向かって左に柳原先生、右に松本先生。野谷御大はダンディでカッコいい。
  • 記者の質問に対して答える柳原先生:スラングの翻訳に苦労したそうだ。柳原先生が読み上げたのは以下の文章。
    詩の大海にはいくつかの潮流が見て取れる。ホモ、おかま、ヘンタイ、痴カマ、隠れホモ、フェアリー、ニンフ、オネエ。だが、いちばん大きな潮流はホモとおかまだ。たとえばウォルト・ホイットマンはホモ詩人だ。パブロ・ネルーダはおかま詩人だ。ウィリアム・ブレイクはホモ詩人だ。間違いない。そしてオクタビオ・パスはおかま詩人だ。ボルヘスはオネエ、つまりふとホモになったかと思えば次の瞬間には単に無性愛者にもなる。ルベン・ダリオは痴カマ詩人、事実、彼は痴カマ詩人たちの女王にして規範だった。

    ......「痴カマ」って何ですか?それは野谷先生訳の「苺とチョコレート」の中の訳を使ったそうだが、よくわからない。そもそもがセクシャル・マイノリティの詳細な分類について知っているわけがないので大変だったそうだ。

  • ラテンアメリカ文学はジャーナリズム出身の作家(ガルシア=マルケスやバルガス=リョサ)がいる一方、ボラーニョのような詩人出身の作家もいるという話。ボルヘスとかそうですか?でも詩人出身で長編小説って、なんだかすごいかも。

  • 松本先生によると、ボラーニョがイサベル・アジェンデと仲が悪いというか公に悪口を言い合っていたそうだ。これは納得できる。「精霊たちの家」「エバ・ルーナ」以外はどうも私もダメだから(エッセイは別だけど)。どんどんただのロマンス小説になっていったような気がする。

  • 田村さと子先生、いらしてました?野谷先生が壇上から「田村さん」と話しかけてらしたのですが。チリの詩人と言えば、パブロ・ネルーダとガブリエラ・ミストラルですからね。大使館主催だし、招待されていて当然だろうとは思うのですが、後ろの方の席にいたため確認できず。

2009年6月22日

通話/ロベルト・ボラーニョ

ロベルト・ボラーニョ 通話少し読み進めただけで、親しみの持てる作家だとわかる。率直でまわりくどいところがない。スピーディで「だからどうした」的な結末がない。チリの作家、故・ロベルト・ボラーニョの短編集。「通話」「刑事たち」「アン・ムーアの人生」の三部構成で、その中に独立した4~5篇の短編が収められている。

「通話」は表題作を除き作家に関する短篇を集めたもの。「センシニ」は多分、私の感覚ではサッカー選手の「(ネストル・)センシーニ」なんだけれど、アルゼンチンの作家ダニエル・モヤーノがモデルの一人と言われている。そこそこ有名だがアルゼンチン軍事政権下を逃れスペインに亡命、糊口を凌いでいる某作家と主人公が「文学賞で賞金をもらおう」と情報を交換しあうお話。しぶとく、しぶとく、物を書き続ける。

「アンリ・シモン・ルブランス」は時代を遡り、第二次大戦直前からのフランスで活動していた、これも「ぱっとしない」作家の話。文学的にはまったくぱっとしないが、何故かレジスタンス活動で活躍するも、やはり「ぱっとしない」という冴えないお話。

「エンリケ・マルティン」(立ち読み)はまったく才能のない文士で、すぐに詩作を諦めてしまった、かのように見える。この名はおそらくエンリケという名前を借りたのだろう。エンリケ・ビラ=マタスに捧げられている。本書の中のエンリケは全然才能のない三文作家だが、ビラ=マタスは違う。この自伝的なように見せかけた一人称のフィクションで、作家や文学をテーマにしている、という点では「バートルビー...」に共通点があるかもしれない。

「文学の冒険」は嫉妬心から一流作家に対して自作の中でちょっといたずらしたが故に、自ら罠にはまってしまったかのような、これもまた情けない作家の話。

最後の「通話」だけ色合いが違うが、この固まりはどれもこれも「しぶとく書き続ける、ぱっとしない作家」の物語。一連のこの作家たちは、ポラーニョにとって執拗なほど自虐的な自画像なのだろう。だが、不思議とそこに悲壮感はないから、「バカだけど、ずっとやり続けることはえらいな」といった好感がもててしまったりする。現実に近くにこんな奴いたら嫌だけど、こうやって読んでいると、ちょっと悪くない気がしてしまう。

次の「刑事たち」は全体のまとまりとしては「犯罪」とか「歴史の闇」とかいった言葉が共通項かなと思う。「芋虫」の冒頭の一文"ストローハットにバリ煙草をくわえた姿は、まるで白い芋虫だった"は、最初「?」だったが、白いスーツを着ているんだろうなと想像したが、では何故「白いスーツ」が抜けてるのか。自分でも何故「スーツ」だと思ったかというと、やはりそれは「ストローハット」という言葉から連想しているので、それでいいのか、というところに落ち着く。この作品はかなりボラーニョの若い頃の姿が反映されているそうだ。

次の「雪」だが、こちらに立ち読みが。アジェンデ政権崩壊時に父親が共産党幹部だったためロシアに亡命してロシアの闇社会で生き、ボスの女と駆け落ちしてヨーロッパを彷徨い、バルセロナに落ち着いた男の話。最初の「センシニ」もそうだが、ラテンアメリカの現代を語る上で欠かせない「アルゼンチンの軍事政権」「チリのピノチェト政権」という二つの政治事情がさらりと作品に反映されているが、だからといって何か声高に言うようなところはまるでない。ロシア続きの「ロシア語をもう一つ」はスペイン語の「conõ(クソッ)」がドイツ語の「Kunst(芸術)」に聞こたが故に命拾いした兵士の話。だが、この話のどこが「ロシア語をもう一つ」なんだろう。ファランヘ党とか青い旅団とか、スペイン現代史が少し頭に入っていた良かったと思う。「ウィリアム・バーンズ」はそういう名前の作家ががいたが、まるで関係ない話。そして最後の「刑事たち」はチリで弾圧に加わった警官二人の会話。

「アン・ムーアの人生」は女性群像というべきか。「独房の同志」のソフィアはスペイン人の教師で主人公が一時一緒に暮らした女性。「クララ」は主人公がまだ本当に若い頃恋をして、その後も長い間ずっと連絡を取り合っていた女性。「ジョアンナ・シルヴェストリ」はスペインのポルノ女優がアメリカに撮影に行ったときの話を、おそらくはエイズのために入院している病院で語っている。こういう女性の一人称を書く男性作家、しかもラテンアメリカで、というと、ふとマヌエル・プイグを思い起こす。最後の「アン・ムーア...」は1948年生まれ、1960年代後半のヒッピー文化真っ盛りのバークレーで過ごし、その後のアメリカやメキシコ、ヨーロッパなどを転々とし、男を転々とし、仕事も転々とした、そんな一人の女性の人生を40歳くらいのところまでだが描いている物語。アンは確かに繊細なクララとは違うが、タフとも言い難い。かといっていい加減な女性とも思えないのだが、一言でいうと、落ち着こうとは一つも考えてないでしょ?という人生だ。4人の女性はそれぞれ違うタイプで違う人生だが、みんな大変だなという印象。

ボラーニョに関しては、短篇一編しか読んでいないのに、自分のなかですごく期待度が高かった。前評判が良かったことやアメリカで英訳が売れているといったことも、その理由の一つだ。が、最大の理由は私が新しいラテンアメリカの作家に飢えていた、ということだ。いくら好きでも、いつまでもガボやリョサだけではいい加減飽きる。

『エクス・リブリス』シリーズで予定されている、次の「野生の探偵たち」も早く読みたい。

1.通話 Llamadas telefónicas
センシニ Sensini
アンリ・シモン・ルブランス Henri Simon Leprince
エンリケ・マルティン Enrique Martín
文学の冒険 Una aventura literaria
通話 Llamadas telefónicas

刑事たち Detectives
芋虫 El Gusano
雪 La nieve
ロシア語をもう一つ Otro cuento ruso
ウィリアム・バーンズ William Burns
刑事たち Detectives

アン・ムーアの人生 Vida de Anne Moor
独房の同志 Compañeros de celda
クララ Clara
ジョアンナ・シルヴェストリ Joanna Silvestri
アン・ムーアの人生 Vida de Anne Moor

訳者あとがき

■著者:ロベルト・ボラーニョ著,松本健二訳 ■書誌事項:白水社 2009.6.25 290p ISBN4-560-09003-3/ISBN978-4-560-09003-9 ■原題:Llamadas Telefónicas : Roberto Bolaño

2009年5月 3日

群像 2009年5月号

「特集 海外文学最前線」のスペイン文学は木村榮一先生。ロベルト・ボラーニョの記述があるというので購入した。以下、木村先生のあげられた作家と作品のメモ。

ロベルト・ボラーニョ Roberto Bolano(チリ)1953~2003
「アイススケート場」(1993)「象の道」(1994)、「アメリカのナチ文学」(1996)、「遠い星」(1996)、「野生の探偵たち―Los detectives salvajes」(1998)…もうすぐ刊行、「チリ夜想曲」(2000)、「我慢ならないガウチョ」(2003)

オラシオ・カステジャーノス モヤ Horacio Castellanos Moya(エルサルバドル)1957~
「蛇とのダンス」(1996)、「男の武器」(2001)、「あなた方のいない場所」(2003)、「愚行」(2004)、「吐き気」(2007)

フリオ・リャマサーレス(スペイン) 「狼たちの月」(1985)、「黄色い雨」(1988)・「どこにもない土地の真ん中で」(1995)、「無声映画のシーン」(1994)、「マドリッドの空」(2005)

エンリーケ・ビラ=マタス(スペイン)「ポータブル文学の縮約史」(1985)、「垂直の旅」(1999)、「バートルビーと仲間たち」(2000)、「モンターノの病気」(2002)、「パリは死なない」(2003)、「パサベント博士」(2005)、「気まぐれなメモ帳」(2008)

キム・ムンゾー(スペイン)「86の短篇」(一部「バルセロナ・ストーリーズ」に収録)

サンティアーゴ・バハーレス (スペイン)「「螺旋」の渦」(2004)

ロドリゴ・レイ・ローサ(グアテマラ) 「船の救世主」(1992)、「その時は殺され…」(1997)、「アフリカの海岸」(1999)

セサル・アイラ(アルゼンチン)
ゴンサーロ・セロリオ(メキシコ)
ファン・ピリョーロ(メキシコ)
イグナシオ・パディーリャ(メキシコ)イグナシオ・パディージャ
ホルヘ・ボルピ Jorge Volpi(メキシコ)1968~ 「クリングソルを探して」(ユリイカ 2000年4月号に書評あり)

ボラーニョと言えば、3月に発売予定だった、ボラーニョの「通信」が刊行延期になり心配していたら、無事6月9日に発売されることが決定された。


■書誌事項:群像 2009年5月号(4月7日発売)64(5) 講談社

2009年2月 9日

サラミスの兵士たち

サラミスの兵士たち2003年にスペインでベストセラーになった作品を日本ではようやく2008年に読むことができる。読めないよりは良いけれど、こんなに面白いのに売れないんだろうなぁ、やっぱり。

スペイン現代史に詳しくなくても読めるが、一応スペイン内戦、フランコ、ファランヘ党などといったキーワードは事前に知っておいた方が理解が早いが、あまりとらわれるのも良くない。何しろスペイン内戦は他国の人間から簡単には頭に入りにくい。共和国が正義で国民軍が悪、あるいはその逆といった単純な図式を先入観でもっていると、それはそれでわかりづらくなる。ファランヘ党だって同じファシストでもナチとは成り立ちがまるで違うし、旧ファランヘとフランコが統合したファランヘ党ではやはり性格が違うものだし。

本書は小説であるが、ノンフィクションノベルに近い物のような気がする。まるっきりノンフィクションでは絶対にないと思うが、すべてがフィクションとは言えないだろう。ノンフィクションノベルが出来るまで、というフィクションのようにも思える。

第一部が作品にとりかかるまで。第二部が本編のお話。第三部がまるで別の展開から始まる、最後の締め。第三部にロベルト・ボラーニョが出てきたのには驚いた。まだ1作の短篇しか読んでいないが、何故かここのところ耳にする作家だ。よほど面白いのだろう。それと、ラテンアメリカ出身の最近の作家の作品を読めないから、自分自身、その面での期待もあるのだと思う。

ファランヘ党の中心人物で詩人のサンチェス=マサスがスペイン内戦末期、共和国軍による集団銃殺を逃れたが、その逃亡を助けた共和国軍の兵士がいた。国民軍が来るまでの9日間、彼の潜伏を助けた「森の友」と呼ばれる若い脱走共和国軍兵士がいた。ファランヘ党の中心人物を助けたなどという話は要はフランコ側の人物を助けたことになるわけで、カタルーニャの人たちからすると「悪」なのだが、もちろん、そんなに簡単な話ではない。

キーワードは「パソ・ドブレ」だ。人物とエピソードがパズルのように組み上がっていく。それをドキドキしながら読み進めることが出来るのは、なんとも幸せな経験だ。果たして、最後に文明を守った兵士は誰だろう?

■著者:ハビエル・セルカス著, 宇野和美訳
■書誌事項:河出書房新社 2008.10.30 264p ISBN4-309-20503-8/ISBN978-4-309-20503-8
■原題:Soldados de Salamina,2001 Javier Cercas


Soldados de Salamina
118分
監督:ダビッド・トルエバ
出演: アリアドナ・ヒル、マリア・ボット、ラモン・フォンセレ
公式サイト:http://www.soldadosdesalamina.com/

2009年1月18日

メモ:白水社「エクス・リブリス」

白水社から新しい世界の文学シリーズ「エクス・リブリス」が刊行される。
http://www.hakusuisha.co.jp/exlibris/

その中のラインナップにチリの故ロベルト・ボラーニョの翻訳が2冊。「通話」「野生の探偵たち」が入っている。
http://www.hakusuisha.co.jp/exlibris/pamph04.html

『ユリイカ』の「新しい世界文学」で短編が一つ(「ジム」)翻訳されていたけど、それだけ。ただ、ときどき名前を聞く作家だった。人気のある作家だったようで、映画の原作になったとか、英訳されてアメリカで売れたとか。60年代ブームの後のラテンアメリカ文学を代表する若手だったようだ。でも若くして亡くなってしまったらしい。

翻訳者の松本健二氏と言えば、かつて「BAR Trilce」というラテンアメリカの作家について詳細な、とてもありがたいサイトを作っていた大阪外大の先生だった。サイトはしばらく休止中の後、いまはもうなく、ブログだけ残っている。おそらく退官されたかなんかだろうと思っていたら、現在は世界言語研究センターにお勤めの様子。ボラーニョに関しての論文を書かれていたが、いよいよ翻訳家としてもデビューか。楽しみ。

ラインナップのうち、ロベルト・ボラーニョ2冊と鈴木仁子さん訳のヴィルヘルム・ゲナツィーノ Wilhelm Genazinoの「そんな日の雨傘に」が気になる。時たま名前を聞くけど、作品は知らない。ゼーバルトっぽいのかな?

それにしても白水社さん。PDFしかないって…。ちゃんとウェブページにしなよ…。仕方がないので一部引用。



2009年3月5日予定
デニス・ジョンソン著(アメリカ) 柴田元幸訳「ジーザス・サン」190p 1890円
ロベルト・ボラーニョ著(チリ) 松本健二訳「通話」270p 2100円

以降2009年奇数月上旬
ポール・トーディ(イギリス)小竹由美子訳「イエメンの鮭釣り」
ロイド・ジョーンズ(ニュージーランド)大友りお訳「ミスター・ピップ」
クレア・キーガン(アイルランド)岩本正恵訳「青い野原を行く」
デニス・ジョンソン(アメリカ)藤井光訳「煙の樹」
ヴィルヘルム・ゲナツィーノ(ドイツ)鈴木仁子訳「そんな日の雨傘に」
ロベルト・ボラーニョ(チリ)松本健二訳「野生の探偵たち」
ポール・トーディ(イギリス)小竹由美子訳「ウィルバーフォース氏のヴィンテージ・ワイン」
ペール・ペッテルソン(ノルウェー)西田英恵訳「馬を盗みに」
エドワード・P・ジョーンズ(アメリカ)小澤英実訳「地図にない世界」
ラウィ・ハージ(カナダ)藤井光訳「デ・ニーロのゲーム」
サーシャ・スタシニチ(ドイツ)浅井晶子訳「兵士はどうやってグラモフォンを修理するのか」
オルガ・トカルチュク(ポーランド)小椋彩訳「昼の家、夜の家」

ロベルト・ボラーニョ Roberto Bolano
1953-2003 チリ 
チリ、サンティアゴ生まれ、メキシコで前衛詩の運動を立ち上げるが、チリに帰国した際、クーデターに遭遇し、思想犯として投獄される。その後もメキシコ、スペインなどを転々とし、それまでの大物ラテンアメリカ作家たちとは一線を画した小説を書きつづけたが、2003 年に50 歳で他界する。没後、スーザン・ソンタグ、エンリーケ・ビラ=マタスらによる賞賛を得て、英訳が次々と出版され、長編Los detectives salvajes(『野生の探偵たち』)が《ニューヨーク・タイムズ年間最優秀図書》に選ばれる。Llamadas telefonicas(『通話』)は自虐的かつユーモラスな作風で、作家の初期を代表する傑作短編集。『野生の探偵たち』は弊社より刊行予定。

2008年3月20日

ユリイカ 2008年3月号 特集・新しい世界文学

ユリイカ 2008年3月号 特集・新しい世界文学「ユリイカ」の海外文学全般特集。最近海外文学を取り上げる頻度が低いので、年2~3回くらいのペースでやってもらいたい。今回の特集で特に注目したのが、ドイツ文学とラテンアメリカ文学。ドイツ文学の解説は瀬川裕司。瀬川裕司と言えばドイツ映画の人...と思っていたのだけど、考えてみたら、そんな狭い範囲のわけがないか。ベストセラーで話題のダニエル・ケールマン「世界の測量―ガウスとフンボルトの物語」(三修社 瀬川)2008年春刊だそうだ。楽しみ~。あとは、モーニカ・マローン「かなしい生きもの」とウーヴェ・ティム「カレーソーセージをめぐるレーナの物語」あたりを読んでみようか。

収録作品の中で気になったのが以下。

イグナシオ・パディージャ(メキシコ)「動物小寓話」Ignacio Padilla, "Bestiario Mínimo", 2001 久野量一訳
エドムンド・パス=ソルダン(Edmundo Paz Soldán, ボリビア)「夕暮れの儀式」"Ritual del atardecer", 1998 安藤哲行訳
セサル・アイラ(César Aira, アルゼンチン)「悪魔の日記」"Diarion de un demonio"収録 久野量一訳
※セサル・アイラは映画『ある日、突然』の原作として知られる。
ロベルト・ボラーニョ(Roberto Bolaño チリ)「ジム~我慢ならないガウチョor鼻もちならないガウチョより」"Jim:El gaucho insufrible,2003"久野量一訳

ラテンアメリカ文学は「ブーム」以後の作家がなかなか日本に入ってこない。ガルシア=マルケスやバルガス=リョサの新作も良いが、そろそろいいかげん新人のを読みたい。別に私は「マジックリアリズム」に限って好き、というわけではないし、南米の人ならなんでもいいというわけでも、もちろんない。ただ、ちっさい話(身近な、卑近な話)があまり好きじゃないというだけだから。

以下は今後なんらかの形でひっかかってくるかもしれないので、キーワードとしてメモをしておく。下で読んだことがあったのはホルヘ・フランコだけだ。というか、それしか翻訳されていないのだから仕方がない。


「ウォークマンと短篇を」
アルベルト・フゲー/セルヒオ・ゴメス(チリ)

「マッコンド」
ロドリーゴ・フレサン/ファン・フォルン/マルティン・レットマン(アルゼンチン)
サンティアゴ・ガンボア(コロンビア)
エドムンド・パス=ソルダン(ボリビア)
ホセ・アンヘル・マニャス/マルティン・カサリエゴ/ライ・ロリガ(スペイン)
ホルディ・ソレール/ナイエフ・イェヤ(メキシコ)


「クラック宣言」
ペドロ・アンヘル・パロウ/エロイ・ウロス/イグナシオ・パディージャ/リカルド・チャベス・カスタニェダ/ホルヘ・ボルピ(メキシコ)

ほか、まとめて。
ロベルト・ボラーニョ(チリ)
フェルナンド・イワサキ/イバン・タイス(ペルー)
ホルヘ・フランコ/マリオ・メンドーサ/(コロンビア)
クリスティーナ・リベラ=ガルサ(メキシコ)
ゴンサロ・ガルセス(アルゼンチン)