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2012年9月29日

君の誕生日は来て、過ぎた/ポール・オースター

Coyote No.47めでたく復刊した『Coyote』No.47に早速、柴田先生訳のポール・オースターが掲載されていた。これは「Winter Journal(冬の日記)」と題したこれまでの人生で出会った女性達を書いた2作目の自伝の中からの一篇だ。

ポール・オースターにとっての大切な女性と言えば、シリ・ハストベットとリディア・デイヴィスとお母さんだろうなと思う。これは、そのお母さんのことを書いた短篇だ。若いうちに結婚した1度目の結婚の子であり、彼女にとっては長子であったオースターはその後の彼女の人生をずっと見つめていくことになる。彼女の人生はいろいろと山あり谷ありで、母親に失望させられることもあったようだ。しかし、小さい頃に深い愛情に包まれ面倒をみてくれたことや、一緒に遊んでくれたことは彼の人生にとって大きいことだったのだろうということが伺える。少し大きくなっての野球チームのつきそいと活躍は印象に残っているという話から、親にとってはしんどさの方が比重の高い「スポーツチームのつきそい」は子供にとっては意外に大事なことなんだなと思い知らされる。

ご祝儀のつもりもあったのだが、短い一篇だけれど、このためだけに『Coyote』を買う価値はあった。「Winter Journal」が翻訳されるのは、順番通りにいくとまだまだ先だが、いつまでもお待ちしています>柴田先生。

Your Birthday has come and gone by Paul Auster. Autumn 2011
「Coyote」No.47 スイッチ・パブリッシング 2012.9.15

2012年9月27日

ブルックリン・フォリーズ/ポール・オースター

ブルックリン・フォリーズ"人生で大きなものを失った男"、"死んでいてもおかしくはないほどの状況に陥った男"の再生物語第3弾。「幻影の書」は家族を飛行機事故で亡くした男、「オラクル・ナイト」では重い病気からなんとか治ったばかりの男だった。主人公のネイサンは肺ガンから復活したが、妻とは離婚、仕事は辞めざるを得なくて、生まれ故郷のブルックリンに越して来たところ。そこで甥のトムに偶然出会うが、これも将来を嘱望された文学研究者だったのが、一時はタクシードライバーにまでなっている。ダブル負け犬である。そして二人は、一時は完全に負けたものの今は多少は復活しているハリーという古書店主と出会う。この三人の負け犬話が物語の前半を占めていて、なんだかどんよりしている。

それを打開するのがルーシーという9歳の少女だ。彼女が登場して一気に物語は転がり始める。ルーシーのおかげなのか、「愚行の書」なるものをつけるほど"愚かな"人生だったネイサンが変わり始め、次々にやってくるトラブルを解決し、周囲の人を幸福にしていく姿は爽快ですらある。ハリーのために忠告し、詐欺師を恫喝して蹴散らし、甥にふさわしいパートナーを見つけ(偶然も手伝うが)、姪を救い出しに行き(彼女を捜すことが出来たのはかつての同僚というコネがあったからだ)、姪とその子の住まいを見つけ、姪のカウンセリングを行い、娘の精神的な危機を救い...と、負け犬がその豊富な経験を生かして素敵に復活する。もちろん、中には破滅してしまう人もいるのだが...。

「緋文字」の偽原稿の話は昔一時流行ったジョン・ダニングの古書ミステリーものを思い出す。LGBTの世界(ルーファスの表記はドラッグクイーンでもドラァグクイーンでもいいのか)、古典的なアメリカのクルマでの旅、新興宗教、モラハラ&セクハラ...豊穣な物語世界をさまざまなモチーフが彩る。

オースターがブルックリンの街を描く文章はいつも素晴らしいが、今回特に印象に残ったのがこの一節。

白、茶、黒の混ざり合いが刻々変化し、外国訛りが何層ものコーラスを奏で、子供たちがいて、木々があって、懸命に働く中流階級の家庭があって、レズビアンのカップルがいて、韓国系の食料品店があって、白い衣に身を包んだ長いあごひげのインド人聖者が道ですれ違うたび一礼してくれて、小人がいて障害者がいて、老いた年金受給者が歩道をゆっくるいゆっくり歩いていて、教会の鐘が鳴って犬が一万匹いて、孤独で家のないくず広いたちがショッピングカートを押して並木道を歩き空壜を探してゴミ箱を漁っている街。

人種だけでなく、さまざまな階級、国籍、性的アイデンティティの人が混在している街。これを"豊かさ"と言わず、いったいなんと呼べばよいだろう。

本書の明るさは、「9.11以前」であることから来るのだろう。この次は、どんな作品になるのだろう。まだまだ残ってます。それと、今年自伝が出ているようだ。


著者:ポール・オースター著,柴田元幸訳
書誌事項:新潮社 2012.5.31 331p ISBN978-4-10-521715-0
原題:The Brooklyn Follies, Paul Auster 2006

「幻影の書」
「オラクル・ナイト」

2011年4月24日

モンキービジネス 13 ポール・オースター号

モンキービジネス ポール・オースター号『モンキービジネス』13号はポール・オースター特集です。これはその中のポール・オースターが出てくる部分の内容のメモです。

冒頭はオースターと柴田元幸との対談ですが、これは2010年12月7日にNYで行われたものと思われます。冒頭はオラクル・ナイトの英語→日本語での読み上げです。そのときの模様が動画でアップされています
次の「ポートレイツ」はオースターの未翻訳の散文5本。この中でもジャック・デュパンとの40年にわたる交友のお話が印象深い。文学者たるもの若いうちにパリで文無しで苦労しなくては。それもこれも、こうやって助けてくれる年長者がいるからこそ。コロンビア大学在学の話は時折出てくるのですが、有名な1968年の紛争に巻き込まれた話はあまり本人から語られたことがないように記憶しています。ここにあるように、もともとは本を読むのが好きな物静かな大学生で、政治活動とは無縁だったのでしょう。それが何故か飛び込んで行ってしまったのだけれど、本人は後悔はしていないようです。

インタビューは「パリス・レビュー」2003年秋号の翻訳。7年も前のインタビューだが、「オラクル・ナイト」の刊行直後なので、日本にはちょうどよいタイミングなのかもしれない。タイプライターの話、ノートの話、野球の話、ホーソーンの話。ナショナル・ストーリー・プロジェクトの話。そして自作の中で語られているもののうち、実際に体験したエピソードの話。「幻影の書」のヘクター・マンにモデルがいないこと(意外!)などなど。

オースター書き出し集は「オラクル・ナイト」以後の未訳5作の書き出し部分だけを柴田元幸が訳出したもの。翻訳が出ていないことのサービスかな?
2002年の「幻影の書」、2003年の「オラクル・ナイト」、2005年の「ブルックリン・フォリーズ」、2007年の「写字室の中の旅」、2008年の「闇の中の男」の5作を「初老回復期五部作」というおかしな名前で呼んでいます。

対談での柴田氏の言うとおり、日本ではちょうど7年オースターのペースより遅れているのです。それはすべてあなたのせいです。

■書誌事項
モンキービジネス 2011 Spring vol.13
書誌事項:ヴィレッジブックス 2011.4.20 ISBN978-4-86332-318-6

■目次
Conversation ポール・オースター×柴田元幸 私はジャガイモ
Essay ポートレイツ
 「シェイ・スタジアムでの一夜」
 「ジョルジュ・ペレックのための絵葉書」
 「ベケットの思い出 生誕百年に際して」
 「交友の歴史 ジャック・デュパン八十歳の誕生日に寄せて」
 「コロンビア―一九六八年」
Interview ポール・オースター 聞き手:マイケル・ウッド
Fiction オースター近作書き出し集
 「ブルックリン・フォリーズ」The Brooklyn Follies / 2005
 「写字室の中の旅」Travels in the Scriptorium / 2007
 「闇の中の男」Man in the Dark / 2008
 「インヴィジブル」Invisible / 2009
 「サンセット・パーク」Sunset Park / 2010

2010年10月12日

オラクル・ナイト/ポール・オースター

オラクル・ナイト ポール・オースターポール・オースターの2004年の作品。その後The Brooklyn Follies、Travels in the Scriptorium、Man in the Dark、Invisible、Sunset Parkと精力的に刊行されているので、全然追いついてませんが、とりあえずめでたいということで。

オースターの本を読むとき、なんだかとても身構えている。何に身構えているのかというと、普通に起こり得る出来事が書かれているので、そのまますーっと読み進めていると、突然「変なもの」が出てくるからだ。例えば延々石を積み上げるとか、24時間誰かを見張るとか。最初あれ?と思うのだが、そのまま読み進めていくと、なんだかたいしたことがないような気がしてしまう。でも違うんだということに気付いたときの、「異化効果」みたいなものが怖くて楽しみなんだということに気付いた。

今回、「歴史保存局」が出てきたとき、「ほら来た!」と思った。電話帳の保存図書館だ。そしてそれを作った原因が解放直後のダッハウの強制収容所での体験という「変な話」。それまで一人の男の「日常からの逸脱」話をすんなり読んでいたところに、爆弾が落ちてきたようだ。

このエピソードは物語の中の小説の中での話。その前からこの小説を書いている間に著者である主人公が文字通り「消えて」しまうという現象が起きたり、ジョン・トラウズの義弟が3Dビューアーにはまって現実に戻ってこられなくなったりと、ちょっと変わったエピソードがあったりする。でも「歴史保存局」の爆発力にはちょっと負ける。この後、少し落ち着いて読めるようになった。けれど、「変な」出来事は次々と現れていき、それがわくわくさせてくれるので、「オースター・ワールドに浸っている」感じがつかめて来る。

「青いノート」とは何だろう?選ばれた人が物語を書くためのノートのようだ。チャンに嫌われてしまったオアは二度とそれを手に入れることが出来ない。だが、オアにとって「青いノート」に書いた物語は不吉で不幸なものとなり、破いて捨ててしまう。けれど、それが「始まり」だったりする。他にも不思議なお話が頻出する。チャンの存在も彼が連れて行く売春宿のようなところも不思議だし、オアの書く宇宙大戦争の脚本のシナリオもおかしな話だ。長い注(オアの書いたもの)が入っているのも妙な作りだが、これをぴったりとページの版面に合わせて入れ込むのはちょっと面倒な作業だったのではないだろうか?

この物語の重要なベースは「愛」なんだろうとは思う。グレースへのオアの愛は「Just keep on loving me, and everything will take care of itself」と相手に言わせるほど深い。グレースやトラウズのつく嘘は保身ではなくオアに対する愛情だと心底思う。ただ、その分厳しい暴力もチャンによるオアへの暴力、トラウズの息子によるグレースへの暴力。破壊されつくしたオア夫妻だが、借金はなくなっているから文字通り「ゼロ」からの再出発ということになるのだろう。果たして二人はこのまま二人で歩いていけるのか、私にはちょっとわからない印象を残した。


■著者:ポール・オースター著,柴田元幸訳
■書誌事項:新潮社 2010.9. ISBN4-10-521714-3/ISBN978-4-10-521714-3
■原題:Oracle Night, 2004: Paul Auster

2009年6月29日

いずれは死ぬ身

いずれは死ぬ身初訳はないが、『エスクァイア』をマメに読んでいたわけではないので、知らない作品ばかり。スチュアート・ダイベックとポール・オースターが入っていれば、買うでしょ、そりゃ。

「ペーパー・ランタン」スチュアート・ダイベック
高速道路では危ないよ…。いや、これを楽しみにしていたのだけれど、やっぱりシカゴから離れるとピンとこなくなるのかなぁ。中華料理店の様子は面白かったんだけど。

「ジャンキーのクリスマス」ウィリアム・バロウズ
ジャンキーの人情話。過去に読んだバロウズと同じノリで読み進めていったら、あまりに違う結末なので、驚いた。というか、笑った。

「青いケシ」 ジェーン・ガーダム
「すすり泣く子供」を「紙の空から」で読んだ。マザコン女性のお話ね。なるほど、同じような話だわ。

「冬のはじまる日」ブリース・D'J・パンケーク
これは好み。荒涼たる冬に閉じこめられた人々の生活。わびしく、苦しい話だけれど、どこかたくましい。舞台はウェスト・バージニアらしいが、アメリカ北部の田舎っぽいにおいがする。作者はもう亡くなっているのが残念。でも「三葉虫」の方も読んでみよう。

「スリ」 トム・ジョーンズ
「そんな歌手いなかったっけ?」の方なので自分は年配なのか…。面白い。オートミール朝昼晩と食べれば糖尿病が良くなるのか…。ダイエットにもいいのかしら。

「イモ掘りの日々」ケン・スミス
すみません。パス。

「盗んだ子供」クレア・ボイラン
ブラック過ぎて笑えない…。まぁ、確かに親になる資格のない母親はごまんといるだろうけれど。

「みんなの友だちグレーゴル・ブラウン」シコーリャック
「変身」スヌーピー版。

「いずれは死ぬ身」トバイアス・ウルフ
トバイアス・ウルフは邦訳も多く出ているし、現代アメリカ作家の中で評価の高い一人だけれど、だからと言って、あまり読む気にはならない。

「遠い過去」ウィリアム・トレヴァー
このアンソロジーの中では最も著名な作家の一人。アイルランドはあれだけ過激にテロしていれば、全体が急進的な反英なのかと思っていた。過去はそうでもなかったのか。しかし、ちゃんと馴れ合えているところが、じんわりとよかったのに。

「強盗に遭った」エレン・カリー
もうちょっといろいろ危機感を持った方が良いのでは?

「ブラックアウツ」ポール・オースター
オースター初期の戯曲。「幽霊たち」の原型で、ブラックとブルーが登場。フランス不条理劇の臭いがプンプンする。これのためだけでも新刊で買ったかいがあった。

「同郷人会」メルヴィン・ジュールズ・ビュキート
「墓の上で踊る」というと、この「おれの墓で踊れ」という本をどうしても思い出してしまう。

「Cheap Novelties」ベン・カッチャー
アメコミ…どうしても慣れないなぁ

「自転車スワッピング」アルフ・マクロフラン
男の子はどうしてこうバカなんでしょう。

「準備、ほぼ完了」リック・バス
終盤、突然視点が変わるので、ふいをつかれた。

「フリン家の未来」アンドルー・ショーン・グリア
最初「アマルフィ」っていうからイタリアの話かと思ったら、お店の名前なんだ。まぁ、だからといって何?という感想なのだけれど。


■著者:柴田元幸編訳
■書誌事項:河出書房新社 2009.6.20 293p ISBN4-309-20521-6/ISBN978-4-309-20521-2
■原題・初出:
Paper Lantern : Dybek Stuart(初出『エスクァイア日本版』1997年12月号)
The Junly's Christmas : William Burroughs(初出『エスクァイア日本版』1997年1月号)
Blue Poppies : Jane Gardam(初出『新潮』1998年7月号)
First Day of Winter : Breece D'J Pancake(初出『エスクァイア日本版』1996年11月号)
Pickpocket : Thom Jones(初出『エスクァイア日本版』1996年11月号)
Casual Labour : Ken Smith(初出『エスクァイア日本版』1997年3月号)
The Stolen Child : Clare Boylan(初出『エスクァイア日本版』1997年9月号)
Good ol' Gregor Brown : Sikoryak(初出『鳩よ!』2001年8月号)
Mortals : Tobias Wolff(初出『小説現代』2004年3月号)
The Distant Past : William Trevor(初出『エスクァイア日本版』1996年8月号)
Robbed : Ellen Currie(初出『エスクァイア日本版』1997年2月号)
Blackouts : Paul Auster(初出『エスクァイア日本版』1996年10月号)
Landsmanshaft : Mervin Jules Bukiert(初出『新潮』1998年7月号)
Cheap Novelties : Ben Katcher (訳し下ろし)
Swopping Bikes : Alf Mac Lochlainn(初出『新潮』1998年7月号)
Ready, Almost Ready : Rick Bass(初出『すばる』1989年5月号)
The Future of the Flynns : Andrew Sean Greer(初出『エスクァイア日本版』1998年1月号)

2008年12月30日

幻影の書

幻影の書アメリカ人の大学教授が妻と子ども二人を飛行機事故でなくす。その喪失感は「何故彼は生きていられるのだろう」というくらいに差し迫ったものとして感じられるように書かれているのだが、こういうところがさすがだなと、最初から恐れ入ってしまう。実際は当たり前のようなことなのだが、そういう「暴力」や「喪失」をあまりにもさらっと書いてしまう作品に何度も出会って来たからだろうと思う。平凡だが重いテーマだからこそ、書いて欲しいものなのだが。

この作品はジマーの喪失と再生の物語であると同時に、ヘクター・マンの生涯の物語である。ジマーが妻子を亡くした後の苦しい状態からヘクター・マンの作品に出会って研究をし本を出す。その後も仕事を通じて何とか生き延びている重苦しい物語が続き、そこへフリーダ・スペリングの手紙がやってきて、アルマ・グルンドが訪ねて来る。ジマーとアルマのまさに生死を賭けたとような激しい場面の後、急激に物語は滑り始める。それがヘクター・マンの贖罪の物語であり、ジマーのメキシコへの旅のストーリーである。そこからまた、ふと立ち止まる瞬間がやってくる。予想されているとは言えヘクター・マンが死に、映画「Inner Life Of Martin Frost」を見るところで、映画をじっくりと見る、という「Innner Life」に入っていく。そこからまたぐっとスピードをあげて、物語の終息へと向かう。このリズム感がどうにもたまらない。

ところで、本作はポール・オースターの2002年の作品である。オースターはあと4作も未訳がある。
・Oracle Night, 2003
・The Brooklyn Follies, 2005
・Travels in the Scriptorium, 2007
・Man in the Dark, 2008
ポール・オースターが好きなのではなく、柴田元幸が訳したポール・オースターが好きなのかも、と思うくらいなので(「シティ・オブ・グラス」を読めば誰でもそんな錯覚に陥るだろう)、上記の作品も是非柴田氏に訳してもらいたい。何度か過去に書いているが、柴田元幸が特別好きなわけではなく、何でも読むというわけではないのだが、この相性は何物にも変えがたい。

また、「Inner Life Of Martin Frost」はオースターの手によって映画化され、DVDにもなっている上、シナリオも出ている。興味はあるが、日本で上映されることはおそらくないだろう。「スモーク」はよかったけど「ルル・オン・ザ・ブリッジ」はどうもパっとしない。この人は監督はしない方が良いと思います。


■著者:ポール・オースター著,柴田元幸訳
■書誌事項:新潮社 2008.10.30 334p ISBN4-10-521712-7/ISBN978-4-10-521712-9
■原題:The Book Of Illusions, 2002 Paul Auster

2007年9月17日

ガラスの街

コヨーテ21号Switch Publishingが刊行している『Coyote』という雑誌に柴田元幸訳のポール・オースター「City of Glass」が掲載されている。

これはオースターのニューヨーク3部作と呼ばれる初期の傑作だ。日本では「シティ・オブ・グラス」として角川書店から刊行されたが、オースター・ファンの間では柴田訳が待望されていた。白水社の「鍵のかかった部屋」を選ぶ前に本作を選んでいて、最初の方だけ訳して、版権が取られていたことを知らされたと、いういきさつが本誌に掲載されている。

私は「翻訳にケチつけるなら、原文で読め」と思っているので、公然と翻訳にケチつけるようなことはしない。日本語で読まさせていただいて、ありがたい、という気持ちを翻訳者の方々にはもっていないとと思う。しかしこうやって2種類目の前に出されてしまうと「うーん、やっぱり柴田先生の言うように、翻訳は一語一語にこだわっていないで、日本語のリズムが大事なんだなぁ」と思わずにはいられない。簡単に言うと「読みやすい」。

今回久しぶりに読み返してみて気づいたが、クインという人物の顔が思い浮かばない。意図的にそうしているのだろう。これはクインが街の中へ「消えてしまう」までのお話だが、もともと「顔をもたない」存在だったのだなぁと思う。

ポール・オースターと間違えたのは何故か、スティルマン夫妻はどんな意図があってクインを巻き込んだのか、スティルマン夫妻のアパートでクインに食事を出していたのは誰か等々、説明をつけていないことが大量にあるからこそ、今も魅力的な作品だ。ふと思ったが、ヴァージニア・スティルマンが間違えた人物の名前が「ポール・オースター」でなかったらどうだっただろうと思う。おそらく、かなりつまらない。やっぱり、レベルの高い作品はパズルのように組み上がっているのだなぁと思う。

本作の中でクインが言う、ミステリは無駄のないところが好きだという意見には同意するが、この作品も無駄がまるでないな。

書名:COYOTE No.21 特集・柴田元幸が歩く、オースターの街―二〇〇七年、再び摩天楼へ
書誌事項:スイッチ・パブリッシング 2007.9.10 ISBN978-4-88418-208-3

2006年10月 5日

ティンブクトゥ

ティンブクトゥナ■原題:Timbuktu by Paul Auster, 1999
■著者:ポール・オースター著,柴田元幸訳
■書誌事項:新潮社 2006.9.28 ISBN4-10-521711-9 207p

■感想
1999年の作品なんである。7年もかかったのか。「スモーク」や「ルル・オン・ザ・ブリッジ」は発表されて即翻訳されたのに。「トゥルー・ストーリーズ」「タイプライター」はあったものの、ちゃんとした長篇は本当に久しぶりなんである。もちろん、洋書読めば良いのだ。けど、柴田訳で読みたいのに、オースターに飽きちゃったのか、全然やってくれない。他の若手の翻訳ばかり出していたかと思ったら、自作で小説とか書いちゃったりして、イライラが募っていたところに、ようやく出た。ともかく、出たことだけはありがたい。が、もう2000年に入ってから小説4本出てるんですが。どんどん訳してくださいよ。
The Book of Illusions, 2002
Oracle Night, 2003
The Brooklyn Follies, 2005
また今年もなにやら出たらしい。Travels in the Scriptorium, 2006

本書は犬が主人公なのだが、日本版の装丁だけ、何故かかわいい犬なんである。本当はむさくるしい犬の筈なのに。愛犬家を狙ったというか、まぁタイトルも変てこりんだし、売るためには仕方がないだろう。前半はずっと長い間パートナーだったウィリーの死にゆく姿と回想、後半はウィリーを失ったミスター・ボーンズが様々な旅をする。短いわりに、いろいろなことが起こる冒険で、コンパクトでおもしろく読める。

ミスター・ボーンズのパートナーだったウィリーは、まるでブコウスキーやジャック・ケルアックのようだ。春から秋にかけて放浪し、冬に母親のいる家に帰って物を書きためているているというとおろが、特にケルアックみたい。少し時代は後になっているが、ウィリーが1960年代~1970年代のヒッピーカルチャーを代表するとしたら、ディックとポリーのジョーンズ夫妻は1980年代から1990年代の豊かなヤッピー?というわけでもないが、アメリカの中流家庭の代表のような豊かな家庭だ。真ん中のヘンリーは移民社会のアメリカらしい緩衝地帯のようだ。

ティンブクトゥとは、西アフリカのマリ共和国の都市である。砂漠の中にあってなかなかたどり着けないため、「異国」や「遠い土地」の比喩として使われるようになり、本書では「天国」を指す。

ウィリーは結局恩師のミセス・ビーと逢えたのだろう。あれはミスター・ボーンズの夢ではないと思う。孤独で貧しいけれど、自由に好きなことをしたウイリーの方がポリーより幸せだなと思う。美しい芝生のある家は愛しているけれど、夫は愛していないポリー。裕福だけれど不自由で、ウィリーとは真逆なんだが、孤独である点がウイリーと共通する。だから、二人ともミスター・ボーンズを必要とした。犬を求めるのはやっぱり孤独な魂なのだなというお話。

それにしてもディックみたいな男は大嫌い。独善的で一方的でケチくさい。仕事に出たがる妻に家を買ってやってそれでいいにしろ、みたいな感じがありあり。パイロットだから優秀なんだろう。実行力もあり、誠実で良い夫で良い父親なのだが、プライドが高く、他人は支配するものであって、尊重するものではないというタイプだな。

ポリーとディックの仲が決定的なことになる前に唐突に物語は終わる。引っ張ってもしょうがないか、とも思うのだが、少々物足りない気がどうしてもする。アリスをもっと出して欲しかったなぁ。的を得た発言をずばっとするクレバーな子供は気持ち良い。なんか、こうちょっと少しフラストレーションが残る。

だから、早く次を訳して欲しいわけですよ、柴田先生に。

2006年3月 9日

わがタイプライターの物語

わがタイプライターの物語■原題:The Story of My Typewriter: Copyright 2002 by Paul Auster, Work of art 2002 Sam Messer
■著者:ポール・オースター著,サム・メッサー絵,柴田元幸訳
■書誌事項:新潮社 2006.1.30 ISBN4-10-521710-0
■感想
少々重たいのが続いているので、閑話休題。

おそらくはUSの版元の事情により、ポール・オースター/サム・メッサーになっているが、本来は逆だろう。ポール・オースターのエッセイにサム・メッサーが絵を添えているのではなく、サム・メッサーの画集にオースターがコメントを添えているのである。

主役はオースターのタイプライター。今でもオースター自身が執筆に使い続けている現役のタイプライターを、サム・メッサーが絵にしている。作品は最初はリアルなタイプライターだが、次第に怖い絵になってくる。アルファベットの部分が歯のようで、まるで怖い顔のような絵になってくる。それでもどこかユーモラスなんである。

今でもタイプライターを使い続けていることで、人々から偏屈と呼ばれているらしいが、単に本人としては頑固に古いものに固執しているつもりはなく、「数ヶ月の仕事が一瞬でなくなってしまう」(バックアップをマメにとれよ…)という噂やブーンというあのモーター音が嫌いで使わないでいるようだ。でも、今時テキスト入稿は当たり前だろうに、大家だから許されているのかなぁ…と思っていると、実際は最初手書きで、本格的にはタイプライターでうって、最後の入稿はPCでテキストにしているらしい。うわ、面倒な。その最後の工程は本人がやっているとは思えない(そこまでは柴田氏も追求していない)。

日本ではあまりに効果で操作が大変なので和文タイプが普及せず、企業レベルにとどまっているので、本当のところ、タイプライターのポジショニングというのは、よくわからない。おそらくは我々の「手書き」と同じなのだろうが、ちょっと違う気もする。昔先輩に「ちゃんとした挨拶状はやっぱり手書きじゃないとね」とか、「えらい先生にご連絡する場合はどうしても手書きじゃないとね」などと教わったものだった。それなら、まだまだ手書きじゃないとダメな場面はあるのだろう。けれど、タイプライターじゃないとダメな場面というのはあまりないだろう。だから、やっぱり単に偏屈なんだろうな。

私はワープロというやつをまだコンシューマ向けのものが出始めの頃に買った。書院とか、ルポとかそういうやつ。その理由は最初はタイプ代わりだった。学生のときにレジュメで必要だったからで、タイプライターより軽かったからだ。だが、せっかく日本語も打てるので、ほとんどメモリなんかないから一発勝負だったが、使ってみたりしていた。すると、新しいものを使う人間をバカにするヤツは必ずいるもので、「何も日本語までやらなくてもいいじゃねーか」みたいなことを言われた。そういう輩はそれから数年してPC全盛時代になったとき、使えないオヤジになってOLにバカにされていたに違いない。

私は古いものに固執するのは、カッコ悪いと思っている。むやみやたらと新しいものに飛びつくにも確かにカッコ悪いが、ミーハーな方がいろいろと役に立つだけマシだと思っている。私はPCはかなり初期の98note(DOS)から使っている。アナログレコードはCDが出た側から(ジャケットが気に入っているものは残したが)全部買い替えたし、ビデオやLDもDVDになってるものはすでに買い替えている。DVDになっていないものは、一応DVDに焼いてある。カセットテープは全部DATにしたし、その後DATも全部HDD AVプレイヤーに取って代わっている。次々と新しい機械が出てくるので、ついていけないと言う人は好きにしたらいいけれど、自分がそうなったらおしまいだと思っている。

それでも、古いものに、良いものはたくさんある。このタイプライターみたいな機械は、機械としての味わいが別次元だと思う。電気用品安全法のおかげで真空管アンプとか買えなくなるのか…と思うと、トシとったら欲しいと思っていたので、がっくりしている。

ともあれ、オシャレとかステキな、というタイプの絵ではないものの、とても面白い絵ではある。1600円なので、安いし、プレゼントに良いかも。

2005年7月21日

ナショナル・ストーリー・プロジェクト

ナショナル・ストーリー・プロジェクト■原綴:National Story Project
■著者:ポール・オースター編, 柴田元幸訳
■書誌事項:新潮社 2005.6.29 ISBN4-10-521709-7

■感想
ポール・オースターが著書「トゥルー・ストーリーズ」で語っていた、あの物語だとすぐに思い出した。ラジオ番組で全米から募集したお話をオースターが選出し、放送する。条件は本当にあったお話であること、そして短い話であること。ここに収録されているのは、ラジオで放送されたものの中から更に厳選されたもので180収録されている。オースターの「偶然」好きが産んだ副産物だろう。集まったのは、テレビでいうところのアン・ビリーバボーみたいな話ばかりでなく、おかしな話ばかりでもなく、様々な年齢、職業の人が様々な時代を背景に語ったお話だった。

印象に残ったのは、やはりクリスマス・ツリーを引きずってブルックリンを歩く11歳の女の子、の図だったりするのだが。他にもO.ヘンリーの原稿のO.ヘンリーっぽい物語とか、「キルトを洗うこと」とか、消しゴムみたいなトルテリーニの話とか、街中を停電させた話とか、たくさんある。哀しいお話もあるし、戦争の話もあるし、内容は本当にいろいろだが、ふーん。アメリカ人のこういう職業の人はこういう生活をしていたのだな、というところにも興味がもてる。だからこそ「ナショナル・ストーリー」というネーミングになったんだなということがよくわかる。

いろいろとお話が分類されているのだが、偶然は「死」と「夢」のあたりに密接な関係があるようだ。つまり人が死んだその時間に夢に出てきたというようなお話がいくつかあった。日本人は幽霊に親しんでいるというか、仏教文化のせいだろうか、霊的なものに対してあまり頑なではないような気がする。お盆にご先祖様が帰って来る国だからか、古来より木や物に「言霊」というか、それぞれの精霊が住み着いていると信じられている国だからか。私自身、幽霊については別に特別に信じるとか信じないとか、あまり考えたことはない。考える前に、それはそこにあったというか…科学で解明できるものとできないものが世の中にはあるんだ、と漠然と思っているというか…。そんな日本人としては、うーん別に普通じゃん?というような話をアメリカ人は一生懸命誤解のないように語っていたりするあたりに、ちょっと文化の差を感じたりもした。

総じてとても面白く、なかなか本を閉じることが出来ない本で、実際はかなり一気に読んだような気もするが、それなりには時間がかかったと思う。読み応えありです。

2005年1月14日

空腹の技法/ポール・オースター

ポール・オースター 空腹の技法■著者:ポール・オースター著,柴田元幸,畔柳和代訳
■原題:The Art of Hunger and other essays, 1992
■書誌事項:新潮社 2003.8.1 (新潮文庫) ISBN4-10-245108-0

単行本読んだし、持ってるし、いいやと思って油断していたら、3篇ほど追加されているという。うう~もったいないが買おう。うん。買って損はなかったと思う。

序文集の終わりに「心配の技法」「家庭人ホーソーン」「見えない作家ジュベー」の3篇が追加されている。「心配の技法」は『マウス』で知られる漫画家(風刺画家?)アート・スピーゲルマンについての文章。

「家庭人ホーソーン」はホーソーンが子供や妻について書いたノートブックの序文。あの暗~い鬱々としたナサニエル・ホーソーンの意外な一面について教えてくれる。これが長い文章で相当引用してくれるので、なかなか面白い。

「見えない作家ジュベール」はフランスの哲学者というか作家というか、箴言家とも違うし、なんとも肩書きがつけがたいが素晴らしい文筆家であるジョゼフ・ジュベールについて書いた文章。

2004年4月25日

目かくし

目かくし■原題:The Blindfold Siri Hustvedt
■著者:シリ・ハストヴェット著,斉藤英治訳
■書誌事項:白水社 2000.4.10  ISBN4-560-04687-5
■感想
田舎からニューヨークに出てきた女子学生の神経症的なお話だったらイヤだなぁと思って読んだのだけれど、まぁ当たらずとも遠からず。どうしてニューヨーカーはみんな神経を病むかねぇ。それだけ生きるのが大変なんだろうな。

主人公の名前であるアイリス(Iris)はシリ(Siri)のスペルを逆にしているのだから、本人の経験を元にしているのだろうが、しかし当然フィクションである。主人公アイリスの恋と病気と勉強と貧乏をベースにおかしな人たちとの交流が描かれる。

第一章「ミスター・モーニング」:同じアパートで死んだ看護婦の遺品に異常な関心をもつ変人の話。主人公はアルバイトで遺品を描写してテープレコーダーに吹き込むという仕事をする。
第二章:人間より写真が好きなジョージと恋人のスティーブとの話。
第三章「フーディーニ」:入院した病院で同室になったO夫人の話。
第四章:美術評論家パリスと恋人になるローズ教授との話。

第一章と第三章は先に短篇として発表されて、第二章と第四章が加筆されて長篇となっているのだが、第四章がもっとも長く、全体を包み込んでいる構造。時間的に前後しているし、第一章から第三章のつながりが希薄なため、第四章で流れをまとめて理解できる。なかなかおもしろい。

以前多く読んだことがあるが、1980年以降のアメリカの現代小説は基本的にみんな神経症的でミニマリズムで、私のような前時代的な「物語」を好む読者にとっては"So What?"な作品が多い。だから1970年代までの作品か、あるいは例外的な2〜3人の作家しか読まないのである。でも読まず嫌いなのかもしれないなと思って少しはまた読んでみているのだ。

で、わりと面白かった。幻想的で、ちょっと神経質で、でもちゃんと物語があるのだ。一種の教養小説に近い。新しく見えて、意外に古い形にベースをもっていっている。なるほどなぁと。

夫のポール・オースターに本書は捧げられている。オースターは再婚らしいが、彼女はおそらく初婚で26歳のときに結婚している。ニューヨーカーの作家どうしの結婚で23年ももっている、というのは珍しいことではないだろうか。

2004年4月15日

ナイン・インタビューズ―柴田元幸と9人の作家たち

ナイン・インタビューズ■著者:柴田元幸
■書誌事項:アルク 2004.3.30 ISBN4-75740781-5
■感想
英文学者・柴田元幸氏が自分の翻訳した作家たちをアメリカ各地に訪ね歩いてまとめたインタビュー集。収録されているのは、シリ・ハストベット、アート・スピーゲルマン、T.R.ピアソン、スチュアート・ダイベック、リチャード・パワーズ、レベッカ・ブラウン、カズオ・イシグロ、ポール・オースター、村上春樹の9人である。いずれも蒼々たるメンバーである。村上春樹はアメリカ人ではないが、短篇がよくアメリカの文芸誌に掲載されるので、ここに含まれている。

私の目的はポール・オースターなのだが、他に興味をもったのは、シリ・ハストベットとアート・スピーゲルマン。シリはオースターの奥さんだが、作風が似ているかどうかも知らないので、一応読んでみようかなという気はする。シリ・ハストベットの「目かくし」アート・スピーゲルマンの「シカゴ育ち」、あと、カズオ・イシグロの原作はともかく、下記で見た映画のせいもあり、「日の名残り」を観ようかと。元々あまりアメリカ文学は好きじゃないんです(カズオ・イシグロはイギリス文学なのですが)。カート・ヴォネガットJr.とかね。

しかし、柴田氏にはこんなことやってる暇があったら、Timbuktu(1999), The Book of Illusions(2002), Oracle Night(2003)を翻訳して欲しいなぁ。って、たぶんやってるんでしょうけど、進んでないんだろうなぁ。

2004年3月22日

トゥルー・ストーリーズ

True Stories : Paul Auster■著者:ポール・オースター著,柴田元幸訳
■書誌事項:新潮社 2004.2.25 ISBN4-10-521708-9
■感想
オースターの最新エッセイ集。収録対象作品の組み合わせにより、原著が存在しないという日本オリジナル作品となる。オースターお得意の「偶然の出来事」「本当にあった不思議なお話」が多数収録されている。おそらく、この人がこういうの好きだっていうことが知られていて、知人や読者から集まって来るんだろうなと思っていたら、ラジオで1年間一般公募の番組をもっていたと書いてあったので、ちょっと笑った。相変わらず面白い本が欠乏しているので、久しぶりにのんびり読書を楽しんだ気がする。

Hand to Mouth「その日暮らし」という一品が一番長いのだが、若い頃の苦労話である。貧乏話も彼の得意話の一つだが、なかなか笑えて楽しい。パリ時代の詳細なども含まれていて興味深い。新潮社のサイトに抄録があった。

柴田氏のあとがきにあったけど、オースターのインタビューも収録されているナイン・インタビューズを買おうかどうしようか思案中。奥さんのシリのインタビューの方が興味あったりしたりして。

2002年2月 9日

空腹の技法/ポール・オースター

空腹の技法


1.Essays
空腹の芸術
道程
カフカのためのページ ほか

2.Prefaces
ジャック・デュパン
アンドレ・デュブーシェ
白地に黒 ほか

3.Interviews
翻訳
インタビュー

インタビューは過去の作品について様々に語られていて、これは面白い。

■原題:The Art of Hunger and other essays, 1992
■著者:ポール・オースター著,柴田元幸,畔柳和代訳
■書誌事項:新潮社 2000.8.30 ISBN4-10-521706-2

2002年2月 3日

ミスター・ヴァーティゴ/ポール・オースター

ミスター・ヴァーティゴ俺はけだもの同然、人間の形をしたゼロだった。師匠に拾われ、誰一人なしえなかったことをやってのけた。各地を巡業し、人々を魅了した...。20年代を背景に"空飛ぶ少年"の飛翔と落下の半生を描く、ポール・オースターのアメリカン・ファンタジー。



ファンタジックな部分も持ち合わせていたオースターだが、この作品は過去のオースター作品の中で最もファンタジックである。「空中浮遊」を過去からあった「芸」とし、この芸の修行にいそしむ姿は、ちょっと異常な肉体改造な点を除けば、サーカスの芸と同じように詳細に、まるで本当に出来るかのように描かれている。

主人公の運命は落ちたり、上がったり、また落ちたり、上がったりの繰り返し。空中浮遊の後の人生も時代背景を反映してしっかりと書き込まれてはいるが、どことなくファンタジック。

かつてファンだったが、落ち目となったメジャーリーガーに過去の自分を見て、引導を渡そうと銃を向ける、というジョン・レノン暗殺事件のようなエピソードが入っているのが、少し違和感があるが...。

■著者:ポール・オースター著,柴田元幸訳
■書誌事項:新潮社 2001.12.1 ISBN4-10-521707-0

2002年1月28日

リヴァイアサン/ポール・オースター

リヴァイアサンこれまでの作品とかなり違う。何が違うって、いつもの「なんか変」感がない。おそらく、1970年代~90年代という限定された時間を想定しているため、これまでと違う背景の見通しの良さ、みたいなものが原因かとも思う。どうも不思議な(妙な)話、という感じがしない。

あるいは。この作品はベンジャミン・サックスという男の物語、と言うには書き手(ピーター)自身の物語が多く含まれている上、その二人以外の登場人物も、彼・彼女らとの密接な連携がなければ成り立たなかった、という前提が書かれているくらい、重みがおかれていること、も特徴か。

能弁で筆の早いサックスと、こつこつ型のピーター、理論より行動するサックスと、じっくり腰を据えて書くピーターという、対照的な二人の作家がオースター自身のような気もする。というのも、単純にこの後映画を撮ったりするから、というだけの話なんだけど。なんとなく、ニューヨーク三部作の作家がそんなに行動的だとは意外な感じがした記憶があったため。

結局、タイトル通り「アメリカ」という天下国家に行ってしまうあたりが多分好きではなかった理由。サックスの「落ちる」事件(事故)までは、ぐいっと読めたが、この後のサックスの転落ぶりがどうも気にくわない。どこが、と言われると、今はちょっと思いつかない。

総じて、これまでのオースターの作品に比べると、好みとしては、少し落ちる。


■原題:Leviathan, 1992
■著者:ポール・オースター著,柴田元幸訳
■書誌事項:新潮社 1999.12.25 ISBN4-10-521705-4

2002年1月17日

偶然の音楽/ポール・オースター

偶然の音楽おいしいアイテムのいっぱいつまった喜劇的な、かつ悲劇的な物語。「石」好きな作家なんだなと、つくづく。石をひたすら積み上げる、という誰が聞いても不条理な仕事。これがなんだかとても意味深。カフカ愛好家だけのことはある。

何もかも捨ててアメリカをひたすら走り回るなんて、ニール・キャサディか。これもアメリカ文学としては非常においしいアイテム。そして、それが終わって、「停止」してからが物語が始まるなんて、とても90年代らしい。

登場人物の中で唯一まともなのがジャック・ポッツィ。あとはみんなおかしい。すべての出来事が、ジャックをきっかけに生まれているのだが、それに群がるイカれたオヤジどもに翻弄されて、あげくの果ての悲劇的な最後。

ひたすら金の切れるのを待っているだけのナッシュに、まさに最後の金まで失わせるチャンスを与えてしまうポッツィ。申し訳ないと思ってつきあってしまうが、それを望んでやったのだと思わないまともな神経が災い

フラワーとストーンのいかれっぷりは、最初非常に愛すべきものかと思えてしまう。金にあかした超がつくオタクっぷり。やくみつるのような無意味な物の収集家であるフラワーのコレクションの一部にオタクの本質を見抜いたオースター。

ナッシュを魅了するのはあくまで、本来の居場所から引きずり出されて、何の理由もなく存在しつづけることをフラワーによって強いられているという事実だ。

「何ものからも切り離されている」ものに惹かれる、ということ自体が、いかにフラワーとナッシュがイカれているか、よくわかる。

「生きている」ことに追いつめられたナッシュはもう完全に「生きていない」くせに時々「生きている」と感じて「生きたい」と強く念じたりしている。矛盾だらけの主人公の行く末はいかに?という開かれた結末になっている。

■原題:Music of chance
■著者:ポール・オースター著,柴田元幸訳
■書誌事項:新潮社 2001.11.1 ISBN4-10-245106-4
■内容:妻に去られたナッシュに、突然20万ドルの遺産が転がり込んだ。すべてを捨てて目的のない旅に出た彼は、まる一年赤いサーブを駆ってアメリカ全土を回り、〈十三カ月目に入って三日目〉に謎の若者ポッツィと出会った。〈望みのないものにしか興味の持てない〉ナッシュと、博打の天才の若者が辿る数奇な運命。現代アメリカ文学の旗手が送る、理不尽な衝撃と虚脱感に満ちた物語。