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2014年1月 8日

いま、世界で読まれている105冊

いま、世界で読まれている105冊 2013日本で未訳の海外作品を105冊紹介するブックガイド。"これはおもしろそう、読みたい"と思っても、すぐには絶対に読めないというストレスの貯まりそうな本だなぁと思いつつ、好奇心には勝てず、つい買ってしまった。ひょっとして、うまくいけばいずれ読めるかも、でもだいたいは読めないと思って間違いないわけで、やはりちょっと悔しいものがある。

まず、この本を読んで驚いたのは、これだけの数の言語・文学を研究する研究者・翻訳者が日本にいるということだ。自治領含め63カ国、関わった83人のうち、50人から先はSNSでひっぱってきたそうだ。本当によくこんなにたくさんの国について研究している人がいると感嘆する。素晴らしい。あの沈みそうで有名なツバルまで入っているとは。グアドループという国名(自治領)を私は初めて知った。

本書は確かにブックガイドなのだが、最近の作品が多く取り上げられているので、いま世界の国々で人々がどんなことを考えているのか、どんな様子なのかが少しずつわかるような本に仕上がっていて、一通り読むだけで楽しめる。

●まず、やっぱりこの辺が読みたい5冊。

キューバのレオナルド・パドゥーラ「犬が好きだった男」。トロツキーが亡命先のメキシコで暗殺された事件を取り扱った小説。キューバとトロツキーと言えば、亡命中のフリーダ・カーロとの短い関係を思い起こす。この作品は暗殺者の方に焦点が当てられているようで、おもしろそうだ。翻訳されている「アディオス、ヘミングウェイ」から考えるとミステリー小説のような作品かもしれない。パドゥーラと言えば脚本を担当した映画「セブン・デイズ・イン・ハバナ」も観なくては。

プエルト・リコのエドゥアルド・ラロ「シモーヌ」。ボラーニョも受賞したロムロ・ガジェゴス賞を2013年に受賞した作品だそうなので、これも気になる。ジュノ・ディアスやダニエル・アラルコンとは違うようだが。

ペルーのサンティアゴ・ロンカリオーロ「赤い四月」は連続殺人を扱かったサイコ・スリラーだが、地方都市アヤクーチョの様子がわかる小説なんて、巡り会うことはなかなかないので、読んでみたい。

ボリビアのエドムンド・パス=ソルダン「北」はアメリカに渡ったラティーノたちの三つのストーリーが並行して進むそうだが、後半は実在の連続殺人犯をモデルとした登場人物の話。この辺が気になってしまうのは、どうしたって「2666」の影響だろうと思う。

アルゼンチンのメンポ・ジャルディネッリ「熱い月」。この作家もロムロ・ガジェゴス賞を受賞しているが、1993年とずいぶん前になる。これは1983年の作品で、ゴシックロマン風に不死身のファム・ファタールが活躍するなんてすごそう。長く読み継がれているそうなので、それだけおもしろいのだろう。


●この辺は翻訳が出ていてもいいのではないかと思った5冊。

ドイツのペーター・ハントケ「戯曲集」なのだが、「観客罵倒」が引用されていて、これは原文で読んだ。翻訳が出ている筈と思ったが、1977年の白水社「現代世界演劇 17」に入っている。が、ハントケの戯曲集は確かに未訳だ。

フランスのヤン・ポトツキ「サラゴサで発見された原稿」も「サラゴサ手稿」という名前で1980年の国書刊行会「世界幻想文学大系 19」に入っている。だが、これが抄訳で、全文は未刊。原文で2冊組1600ページというのはちょっと現実的ではないが、「サラゴサの写本」という邦題で映画にもなっているし、是非読んでみたい。

イギリスのキャトリン・モラン「女になる方法」はわかりやすく親しみやすいフェミニズムのようで、これは是非読みたい。小説ではなく自伝、その上英語で、イギリスでベストセラーになったようだから、比較的訳される可能性は高いような気がする。期待したい。

スペインのハビエル・マリアス「恋情」。スペインの大物作家で、2001年に翻訳された「白い心臓」を読んだが、正直、あまりおもしろいと思えなかったので、今度こそ、という想いがある。

カナダのローリー・ランセンズ「ザ・ガールズ」。これは双子もの、しかも結合性双生児の話。だから読まないといけないという気がした。「ふたりの結合性双生児が一人称で語る自叙伝」とは、どんな話法なのか想像もつかない。けれどワクワクする。


●あとでまとめてみて、比較的よく知らない国の現代人女性の物語が読みたいらしいということがわかった。以下の6冊が気になった。

ブータン「輪廻の輪」クンザン・チョデン
イラン「灯りは私が消す」ゾヤ・ビールザード
フィンランド「赤い鼻」ミッコ・リンミネン
アルジェリア「ファティマ、辻公園のアルジェリア女たち」レイラ・セバール
南ア共和国「ビューティの贈り物」シンディウェ・マゴナ
ベリーズ「記憶、夢、そして悪夢」ゲイ・ウィレンツ編

●ちょっと気になった2冊

スウェーデンのヨナス・ハッセン・ケミーリ「片目は赤」はスウェーデンの移民問題を扱っているもの。ヨーロッパの各国のサッカー代表チームを見ると、どの国にどんな移民が多いのかなんとなくわかる。フランスのアフリカ系、ドイツのトルコ系、オランダのモロッコ系などは見慣れている。スウェーデン代表は長身の白人のみだったが、これからはモロッコ系も入って来るんだろうなという気がした。

ブラジルのルイス・フェルナンド・ベリッシモ「天使たちのクラブ」はグルメ小説か、サスペンス小説か?ストレートにストーリーがおもしろそうなのだ。2014年はワールドカップイヤーなのだから、少しはブラジルの作品が増えても良い気がする。


ところで、この本はSNSを駆使して選者を見つけたり、ネットに選者探しの進捗状況が残っているくらいなので、出版社のサイトに目次くらいおいてあっても良いと思うのだが、書籍紹介すらないのが不思議だ。


書誌事項:テン・ブックス 2013.12.9 272p 2,100円 ISBN978-4-88696-030-6(eau bleu issue)

2004年7月30日

ゴールキーパーの不安

ゴールキーパーの不安■Die Angst des Tormanns beim Elfmerter
■スタッフ・キャスト
監督・脚本:ヴィム・ヴェンダース Wim Wenders
原作:ペーター・ハントケ Peter Handke
撮影:ロビー・ミューラー Robby Muller
音楽:ユルゲン・クニーパー Jurgen Knieper
出演:
 ヨーゼフ・ブロッホ:アルトゥール・ブラウス(アーサー・ブラウス) Arthur Brauss
 グローリア:エリカ・プルハール
 ヘルタ・ガブラー:カイ・フィッシャー
 アンナ:リプガルト・シュヴァルツ
 マリア:マリー・バルディシェフスキー
 村の白痴:リュディガー・フォーグラー
■物語
ヨーゼフ・ブロッホはプロのチームに所属するサッカー選手でゴールキーパー。ウィーン遠征での試合でオフサイドをめぐって審判ともめ、退場になってしまう。何故か彼はチームと行動を共にせず、試合中にもかかわらず試合会場を離れてしまう。
映画を見、安ホテルに一人宿泊し、二人組に殴られたりしながら、街をぶらぶらとしている。映画館のチケット係であるグローリアと親しくなって飛行場の近くにある家に泊まりに行く。一夜明け、朝食を共にしたところで唐突にグローリアを絞め殺す。そして特に動揺する様子も見せず、指紋を拭き取り部屋を後にする。
ウィーンを引き上げバスに乗って国境の町へ向かう。小さな村に夜到着し、そこにあるホテルに宿泊。翌日昔なじみのヘルタがやっている居酒屋へ向かう。その村にとどまることにしたブロッホだが散髪したり映画の上映会に行ったり、居酒屋で隣合った男と喧嘩をしたり、と毎日ぶらぶらするだけで特に逃げようともしない。そんな中散歩をしていると、偶然その土地の人間が行方不明だと騒いでいた聾唖の子供の死体を見つける。
警察がグローリア殺人の犯人の新しいてがかりを発表した。アメリカの硬貨があったというのだ。それはブロッホがアメリカ遠征の際使い残した硬貨をグローリアの部屋に忘れて行ったのだった。しかしまったく動じない。
偶然サッカーの試合をやっているのを見つけ、見に行く。隣の席の中年男に話しかける。「ペナルティキックのとき、ゴールキーパーはどこに飛んでくるかわからない」という不安について語る。

■感想
ヴェンダースの劇場用長篇映画第一作。卒業制作の「都市の夏」は学生時代の作品なので、いくら長篇であっても、私の中ではやはり実験映画時代に分類したいと思う。本人も「都市の夏」はいわば最後の短篇映画だと語っている。

内容は一応サスペンスなのだが、まったくといっていいほどサスペンスっぽくない。動機の見えない殺人を犯した犯人が一応旅するのだが逃亡というわけでもなく、淡々と映画が進行する。

そもそも原作者のペーター・ハントケを知らない人は観てもしょうがないと思う。しょうがないというか、わけがわからいのではないかと思う。原作の「不安…ペナルティキックを受けるゴールキーパーの…」(三修社 1979.12 ISBN4-384-02214-X)は絶版になっており、古書市場でも滅多に見ないため、どうしても読みたい場合は図書館にしかなさそうだ。

もちろん、ヴェンダースはハントケとは違う視覚から描いており、批評家からは当時「違うことに意義があり」という声と「わざわざ映画化する意味がない」という批判と両方出たそうだ。いずれにせよ、元々が実験的な小説なので映画単体で観ても理解に苦しいだろうなと思われる。

まだ実験映画時代の流れで撮影されており、アメリカ映画の文法に慣れた日本の観衆に鑑賞が耐えうる劇場用映画ではない。最初はテレビ放映だったそうだが、よくこんなものテレビで流したもんだと思ったら、オーストラリアの製作会社はよくわからないで、サッカーの映画だと思ってゴールデンタイムにかけたそうだ(笑)。当然理解されなかった。その後一応は劇場にかけられ、アメリカの映画祭にて特別上映もされたそうだ。それにつけても、ありがたいことなんだが、よくDVDにしてくれたもんだ。

後々のヴェンダース作品を理解する上では注目すべき点がいくつかある。この作品がヴェンダース自身が自分の映像言語を確立するための第一歩だったことが伺える。

1. 映画や音楽へのこだわり
音楽というよりはジューク・ボックスと言った方が良いだろう。主人公はどこへ行ってもジューク・ボックスをかける。短い時間しかないのにかける。主人公が柱の影にかくれてしまい、ジューク・ボックスが主役か?と思われるくらい執拗にカメラが追っている。
また、映画館への出入りも頻繁。田舎に行けば映画館がなければ上映会に顔を出すというしつこさ。

2. メディアへのこだわり
テレビ、ラジオ、新聞が頻繁に使われる。特に新聞は自分の起こした事件が気になるのか主人公が常に「新聞は?」と聞いて回るが、じゃあそこに自分の似顔絵が出ていたとしても何か行動を起こすわけではない。だから事件に対する反応としての新聞へのこだわりではなさそうだ。むしろテレビやラジオも頻繁に登場し、付けたり消したり主人公の行動は落ち着かない。

3. 旅へのこだわり
ウィーンから国境の町まで行くバスの旅が出てくる。バスターミナルの自販機、途中休憩所、到着地のバス停等々、当時のドイツの旅では必須の風景だったのだろう。


リュディガー・フォーグラーが白痴の役で出ている。もうすでにして髪が薄い…

■データ:西独 101分 1971
■日本公開:1984年東京ドイツ文化センター ヴィム・ヴェンダース特集にて