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2012年7月 5日

あの川のほとりで/ジョン・アーヴィング

Last Night in Twisted River, 2009

あの川のほとりで 上あの川のほとりで 下
小竹由美子訳 新潮社 2011.12.20
上:380p ISBN978-4-10-519113-9下:410p ISBN978-4-10-519114-6

読み進みづらい小説だった。つまらないとか難しいといった理由ではない。これから何が起こるのかわかっていて、それが起こって欲しくはないが、アーヴィングの場合、運命的にそこへ吸い寄せられるように向かっていくことがわかっているからだ。そこに至るまでに様々な物語が展開するであろうことは予想できて、かつその内容まではわからないので楽しいものもあるのだが、いつだってそのことがちらついて頭のどこからか離れない。読み進めて行くと、それが起こるシーンを読みたくない度合いが更に強まるという状況で、どうしてももたついてしまうのだ。それが実際に起こってしまえば、その後はさーっと読めるのだが。

(以下ネタバレ)

物語はぐっと先に進んでそこから遡る形をとっているから、この期間に何が起こったかをある程度の幅の期間で示してくれるので心の準備が出来る。それでも最後は示さないので、それがどこで起きるかはやはりわからない。

新潮社の紹介文に半自伝的と書いてあるが、確かに大学は同じだし、ヴォネガットが登場するのはさすがに初めてだし、カナダに住んでいるし、要素としてはいくつか当てはまる。けれどこれまでの作品もみなそうだし、その要素がいつもより少し強いだけで、半自伝的は言い過ぎだと思う。お話は基本的に新しい物語だが、アーヴィング特有のいつものアイテムも収められている。「あらがいがたい暴力」「クマ」「自動車事故のおき方」「子供を亡くす」等々。

このお父さんは、結局のところ結構長く生きたので、そんなに悲しい出来事ではないのかなと思うのだけど、その場面に出くわしてしまうとやはり悲しい。結局のところ47年間息子を最後まで守り通したのだから、本当に立派だと思う。それぞれ彼女も出来たし子供(孫)も産まれたし、仕事も順調だし、といろいろあっても、この父子の絆は変わらない。高校生のときに離れて暮らしたりしたら、そのまま離れるかと思いきや、ちゃんとまた大人になって一緒に暮らしていたりするのだから。

この作品を読み終えて、人生は長くてそして面白いものなのだなと感じる。80歳を過ぎても結婚したがる女性がいたり、60歳になっても運命の出会いがあったりするのだ。「未亡人の一年」はじめすべての作品の根底を流れているのがこの感じ。暴力的で悲惨な出来事がたくさん起きているからこそ、アーヴィングの人生賛歌っぷりは際立つ。そして、だから飽きずに読み続けるのだろう。「人生は素晴らしい」なんてことが書かれた小説を読んだことのなかった20年前から変わらずに。

この装幀の絵が印象的。中川貴雄さんというイラストレーターの方が書かれているのだが、下巻の男の子の手をひいてるお父さんの絵が、そのまま中表紙にも使われているように、この作品を象徴しているように思えた。

2007年12月18日

また会う日まで/ジョン・アーヴィング

Until I Find You, 2005

また会う日まで 上また会う日まで 下
小川高義訳 新潮社 2007.10.31
上:566p ISBN978-410-519111-5下:550p ISBN978-4-10-519112-2

このお話、ただでさえ長いアーヴィングの話の中でも新記録で長い。けれど、つまらないとか冗長だとかは私は少しも感じなかった。

主人公はジャック・バーンズで、彼の長大な教養小説であることには間違いないのだが、私にとっては、とにかく問題はアリス。物語の序盤は主役級だが、トロントに帰ると、急に影が薄くなっていく、不思議な母親。見た目の雰囲気はすごくよくわかる。髪が長く、細身で、ヒッピー風。氷の貼った池に落ちたジャックを半狂乱になって叱るあたりはごくごく普通の母親だ。刺青師なんて仕事をしていて、明らかに独立心の強い女性なのに、うるさそうなおばさんの家に住んで、面倒を見てもらい、子どもを身持ちの堅い学校に入れたり、偉いなぁなんて思ったりした。最初から不思議だったのは、何故4歳になってから父親を捜しに行ったのか、また、5歳で諦めたのか(オーストラリアへ行ったからとなっていたが、小学校に入るまでにと言ってたのに)。足手まといであろう子どもを連れて旅に出て、帰った後は少し子どもに無関心になっているようで、ついに10歳で寄宿学校に入れるのはちょっとどうにも理解出来ない感じになっていく。

この先はしばらくアリスは見えてこず、ジャックの成長の過程が延々と描かれる。そして下巻に入って、またアリスの存在がまったく別の角度から浮上する。

アリスが死んだ後、ジャックが北海を再度旅して、真実をつかんだ後、どうしてジャックはおかしくなってしまうのだろう。父親がジャックを捨てたわけではなかったことがわかったのに。でも、それ以上に、自分の生きてきた過程の多くのエピソードが嘘とわかってしまうというのは、無茶な話なんだろうな。自分の人生を再構築しなくてはならない、という自体はアイデンティティの崩壊以外の何ものでもない。

そして父親探しを途中でやめてしまうのは何故だろう?と思いつつ読み進んで行くと、ちゃんと会えてほっとした。ウィリアムがはっきりと、明確にアリスを許せと言ってくれて、何故か私もほっとしてしまった。

書けばキリがないので、また機会があったら追加しよう。

2002年8月25日

第四の手/ジョン・アーヴィング

The Fourth Hand, 2001

第四の手 上第四の手 下
小川高義訳 新潮文庫 2009.11.28
上:500円 ISBN978-4-10-227315-9下:540円 ISBN978-4-10-227316-6

TVジャーナリスト、パトリックは、インドでサーカスの取材中、ライオンに左手を食いちぎられる。幸い、事故死した男の手が移植されることになるが、手術を目前に「手」の未亡人に子作りを迫られ、やがて男の子が誕生する......。稀代の女ったらしが真実の愛に目覚めるまでのいただけない行状をつぶさに描く、抱腹の純愛長篇。


アーヴィング、第10作目の長篇。日本の翻訳としては「158ポンドの結婚」以来の1巻本だ。ずっと長篇=2巻本だったので、本来は充分に長篇の長さだが、今回はアーヴィングとしては「中篇」になるのかもしれない。
学生時代までは存在感希薄だったハンサムが、次第に女性にもてるようになり、ついには「来る者拒まず」になって、軽薄きわまりない男になってしまう。妻には「大人になりきれない、子供のままの男」とあきれられ、次から次へと性懲りもなく女をたらし込む。それが仕事中ライオンに左手を食われてしまう。事故死した男の手を移植されるが、その未亡人に初めて本気で惚れてしまって、さて、どうしよう。というお話。
一種のラブコメものにしたかったのだろうが、あまり成功しているとは感じられなかった。主人公を「笑う」気になれないのは、「女の尻を追いかける」タイプの男ではないせいかな?とも思う。あくまで受け身のぼんやりとした主人公に感情移入が難しいためと思われる。
それより「災害チャンネル」という世界中の小さなしょうもない災害や事故を追いかけ回しているニュース番組の低俗さ、そこから抜け出そうとしながら、なかなか抜け出せない主人公の方に共感を覚えることができる。
また、ドリスという女性がニューヨーカーのカッコいいキャリアウーマンと対照的に官能的で、意志が強く、非常に好ましく描かれているために、ずいぶんと落ち着いた作品に仕上がっているような気がする。
アメフトになんか一つも興味のないアメリカ人もいるのだなぁと思いつつ、ニューヨーカーはそんなものか、とも思う。ともあれ、知らない男を一族に向かい入れる儀式として、競技場を選んだあたりが、どういうわけか興味深く感じた。アメフトじゃなくて、サッカーだったら、と思うからかもしれない。

第四の手小川高義訳 新潮社 2002.7.25 ISBN4-10-519110-1 2,200円

2002年8月 8日

未亡人の一年/ジョン・アーヴィング

A Widow for One Year, 1998

未亡人の一年 上未亡人の一年 下
都甲幸治,中川千帆訳 新潮社 2000.6.30 2,300円
上:ISBN4-10-519108-X下下:ISBN4-10-519109-8
(ジョン・アーヴィング・コレクション)
都築まゆ美〔装画〕,新潮社装幀室〔装丁〕

1958年、ロングアイランド。4歳の少女ルースは、母がアルバイトの少年エディとベッドにいるところを目撃する。死んだ兄たちの写真におおわれた家。絵本作家で女ったらしの父。悲しみに凍りついたままの母は、息子たちの写真だけもって姿を消う。母を失ったルースと、恋を失ったエディがのこされた。夏が終わろうとしていた―。母の情事を目撃してから37年。こわれた家族とひとつの純愛の行きつく先は?/1990年、ニューヨーク。いまや世界的人気作家のルースは、冴えない小説家のエディと再会する。アムステルダムで彼女は、父の絵本のモグラ男そっくりの犯人が、娼婦を殺害するのを見てしまう。5年後。ルースは幼子を抱えた未亡人。エディは相も変わらぬ独身暮らし。謎のカナダ人作家の存在が二人をゆすぶり、オランダ人の警官まであらわれて...。遠い夏の日から37年。毀れた家族と一つの純愛の行きつく先は?圧倒的ストーリー展開、忘られぬ人物造形、緻密なディテール、胸を打つエピソード、そして登場人物の手になる小説内小説―。長篇小説の愉しみのすべてがここにある。


「サイダーハウス・ルール」で一つの頂点を迎え、落ちることなくまた面白くなってきた。「サイダーハウス・ルール」以前は、なんのかんの言っても同じモチーフを近いテーマを繰り返し扱っていたのが、それ以後は様々な舞台、様々なテーマに広がって行き、そして、1990年代最後の作品で、本当に上手い「枠」のある物語をつくったものだと。
マリアンにはじまり、マリアンに終わる、素晴らしいエンディングである。エディとルースが再び出会って恋にでもおちたら、それはそれでいいのだけど、ありきたりだなぁと思いながら読み進めて行くと、なかなかじらされる。
それでも「愛と暴力」は変わらない。家族の物語であり、ラブストーリーであり、作家論であり、ミステリでもある。一つ一つの要素に上手下手はなく、すべてがうまく織り込まれている。アムステルダムで殺人事件を目撃するルースが殺されはしないかと、本当にドキドキした。

タイトルは未亡人の姿を描いて読者に「これは本物の未亡人ではない」と読者に罵倒されたルースが、自分が未亡人になってみると、かつて自分が書いた未亡人の姿にそっくりなことに驚く、という部分から出ているのだろう。物語の力を信じて小説を書くが、逆説的に「個人的体験を物語にすること」を余儀なくされていくルースの姿を描いている。「物語」と「個人的体験」との差を感じさせずにはいられない文学ジャーナリズムへの皮肉なんだろうなと想像する。アーヴィングを読んでいると、本来はそれを区別することに意味はなく、両方をどう昇華させていくか、で物語が決まるのではないかという気がする。
それにつけても子供を失った親の哀しみの深さというものは、とてつもなく大きいのだとマリアンを見ていると思う。自分の子供でさえその哀しみに巻き込まないようにする、子供を失う哀しみをもう一度味わいたくないから子供を捨てるマリアンの心情。
人から見たら「変人」と言わざるを得ないほどのエディの「ピュアな愛」とアメリカ的とも言える、ハナやテッドの「消費する愛」の対比も見事だ。
他のものもいろいろ混ぜながら、ぼちぼちとだが、結局「熊を放つ」から10作品を半年近くかけて読み終えることができた。はじめて読んだのは「オウエンのために祈りを」からだが、じっくり読み直すことができた。充実感は満点。やってみてよかった。


未亡人の一年 上 新潮文庫未亡人の一年 下 新潮文庫2005.8 新潮文庫
上:ISBN4978-4-10-227308-1
下:ISBN978-4-10-227309-8
都築まゆ美〔装画〕,新潮社装幀室〔装丁〕。映画公開にともない表紙はワンシーンを使ったものになったが、意図的にこの装画を使った。

2002年7月10日

サーカスの息子/ジョン・アーヴィング

A Son of The Circus, 1994

サーカスの息子 新潮文庫 上サーカスの息子 新潮文庫 下
岸本佐知子訳 新潮社 2008.11.27 新潮文庫(ジョン・アーヴィング・コレクション)
上:899円 ISBN978-4-10-227314-2下:939円 ISBN978-4-10-227313-5

カナダで整形外科医として成功しているダルワラは、ボンベイ生まれのインド人。数年に一度故郷に戻り、サーカスの小人の血を集めている。彼のもうひとつの顔は、人気アクション映画『ダー警部』シリーズの覆面脚本家。演じるのは息子同然のジョン・Dだが、憎々しげな役柄と同一視されボンベイ中の憎悪を集めている。しかも、売春街では娼婦を殺して腹に象の絵を残すという、映画を真似た殺人事件まで起きる始末。ふたりは犯人探しに乗り出すのだが。/連続娼婦殺人犯は、とうとうダルワラとダーの間近にまで迫ってきた!犯人はいったい何者で、狙いは何なのか。事の真相は、二十年前のゴア海岸に遡る。ダルワラは、張形とともに旅していたヒッピー娘を助けるが、彼女こそ犯人のゼナナ―女装の売春夫を唯一目撃していたのだ。ダルワラやダー、そして担当刑事の記憶の糸を繋ぎあわせていくうちに、意外な人物が浮かび上がってくる。犯人逮捕は出来るのか...。そんな折り、ダーと生き別れとなった双子の片割れがアメリカからやってくる。神父見習いの生真面目な宣教師マーティンが、とんでもない騒動を次々に起こして...。


推理小説仕立てなようで、それでいてコミカルで、楽しめる作品だ。異邦人の気持ちをアーヴィング自身がカナダで味わったであろうことは想像できるが、そこから生まれる哀しみを克服できるラストが美しい。

サーカスの息子 上サーカスの息子 下新潮社 1999.10.30(ジョン・アーヴィング・コレクション)
上:2,520円 ISBN4-10-519106-3
下:2,625円 ISBN4-10-519107-1

2002年6月14日

オウエンのために祈りを/ジョン・アーヴィング

A Prayer for Owen Meany, 1989

オウエンのために祈りを 上オウエンのために祈りを
中野圭二訳 新潮社 1999.7.30(ジョン・アーヴィング・コレクション)
上:2,300円 ISBN4-10-519103-9下:2,400円 ISBN4-10-519104-7

5歳児ほどの小さな身体。異星人みたいなへんてこな声。ぼくの親友オウエンは、神が遣わされた天使だった!?宿命のファウルボールによる母の死。前足を欠いたアルマジロの剥製。赤いドレスを着せられた仕立用人台。名人の域に達した二人組スラムダンク。―あらゆるできごとは偶然なのか?それとも「予兆」なのか?/名門プレップ・スクールの学校新聞編集長として活躍するオウエンと、なにかと彼に頼りっきりのさえないぼく。ヴェトナム戦争が泥沼の様相を呈しはじめるころ、オウエンは小さな陸軍少尉として任務につく。そしてぼくは、またもや彼のはからいによって徴兵を免れることになる。椰子の木。修道女。アジア人の子供たち。―オウエンがみる謎の夢は、二人をどこへ導くのか?映画「サイモン・バーチ」原作。


オウエン・ミーニーという人物に「ブリキの太鼓」のオスカーを重ねないのは、私には無理というものだ。小人症、奇妙な声。もちろん全然違う人物なのだけれど。オウエンの運命に向って突き進んでいく姿は自分の生きる意味を求めて、そこには自らの死があると知りながら、使命に従おうとする強い意志に共感しました。

「神様には何か計画がある」という言い方に宗教的な面を感じて、日本人には合わないと思われる人も多いでしょうけれど、これは別に宗教ではないように思います。「天意」といったら我々にもわかりやすいというか、歴史上の人物がよく言う台詞です。現代人には失われてしまった「生きる力」を感じさせてくれて、充分楽しめました。

オウエンのために祈りを 新潮文庫 上オウエンのために祈りを 新潮文庫 下新潮文庫 2006.9
上:ISBN978-4-10-227310-4
下:ISBN978-4-10-227311-1


サイモン・バーチ「サイモン・バーチ」Simon Birch
1999年5月 113分 アメリカ

監督:マーク・スティーヴン・ジョンソン<Mark Steven Johnson>
製作:ローレンス・マーク<Laurence Mark>/ロジャー・バーンバウム<Roger Birnbaum>
脚本:マーク・スティーヴン・ジョンソン<Mark Steven Johnson>
撮影:アーロン・E・シュナイダー<Aaron E. Schneider>
音楽:マーク・シェイマン<Marc Shaiman>
出演:イアン・マイケル・スミス<Ian Michael Smith>/ジョセフ・マッゼロ<Joseph Mazzello>/アシュレイ・ジャッド<Ashley Judd>/オリヴァー・プラット<Oliver Platt>/デヴィッド・ストラザーン<David Strathairn>/ジム・キャリー<Jim Carrey>

2002年5月14日

サイダーハウス・ルール/ジョン・アーヴィング

The Cider House Rules, 1985

サイダーハウス・ルールサイダーハウス・ルール 下真野明裕訳 文藝春秋社 各1,600円
上:1987.9.1 ISBN4-16-309900-X
下:1987.9.15 ISBN4-16-309910-7

主人公ホーマー・ウェルズは、"望まれざる存在"として生を享けた孤児だが「人の役に立つ存在になれ」というルールを、師のドクター・ラーチに叩きこまれる。ドクター・ラーチはセント・クラウズ孤児院の創始者。赤ん坊を分娩させる(deliver)産科医であり、同時に母親を救う(deliver)堕胎医でもある。堕胎に自分を「役立てる」ことへの反発と、堕胎医として「人の役に立つ」ことの桎梏に引きさかれるホーマーのディレンマが、そのままこの作品の投げかける問いかけとなっている。堕胎を描くことで人間の社会と歴史を捉えた、J・アーヴィングの最新長篇。


アメリカで中絶が合法化されるには、1970年のいわゆるウーマン・リブの隆盛を待たなければならない。これは先進各国でも似たりよったりの状況で、私は学生時代にドイツの中絶禁止法によってもたらされる悲劇の小説を読んで以来、この問題は胎児が人間かどうか、どこからが人間か、という論争では結論が出ないものだ、という確信をもっている。母親か子供か、誰を生かすか、の問題なのだ。

しかしホーマーは孤児である。中絶された胎児も子供も望まれない子供である、という点では似ている。そのため中絶を肯定することはとうてい出来ない。ドクター・ラーチが中絶を肯定する立場に陥ったことも理解できる。そういった一見すると込み入ったそれぞれの立場の対比を誰にでもわかりやすく描くのがアーヴィングだ。

アーヴィングは孤児に読んで聞かせるにもっともふさわしい物語として「大いなる遺産」デビット・コパフィールドの物語を提出する。ディケンズの信望者らしく、わかりやすく骨太でエンターテイメント性あふれる小説を書く。小難しい法律の話をわかりにくく書いているわけではないので、誰にでも安心して勧められる。ちょっとメロドラマの色合いが強いかなという気はするが。

「孤児は決まり切った日常の繰り返しを好む」という言葉が繰り返し出てくるが、全体の基調(ムード)は静かなトーンが貫いている。舞台もセント・クラウズの孤児院とオーシャンビュー果樹園の二カ所に限定されているため、移動のめまぐるしさも少ない。その中で時たま登場する「暴力」の力が際だっている。やっぱり愛と暴力の作家だと思う。

それにしても駅長の死に方は、相変わらずおかしな死に方だ。それはfunnyのおかしさである。これも定番だと思う。が、デビュー作からホテル・ニューハンプシャーとこのサイダーハウス・ルールには大きな断層があるように感じられる。前作でも中絶や強姦といった暴力を扱っているのだが、本作にはようやくウィーンの影(りんご園というところは実はオーストラリア体験の一つなのだが)が感じられなくなり、熊も出てこない。いい加減に飽きてきたアイテムなので、助かった。

サイダーハウス・ルール 文春文庫 上サイダーハウス・ルール 文春文庫 下文春文庫 1996.7.10 各750円
上:ISBN4-16-730964-5
下:ISBN4-16-730965-3

映画 サイダーハウス・ルール映画「サイダー・ハウスー・ルール」
2000年6月 131分 アメリカ

監督:ラッセ・ハルストレム<Lasse Hallstrom>
製作:リチャード・N・グラッドスタイン<Richard N. Gladstein>
撮影:オリヴァー・ステイプルトン<Oliver Stapleton>
音楽:レイチェル・ポートマン<Rachel Portman>
プロダクションデザイン:デヴィッド・グロプマン
出演:トビー・マグァイア<Tobey Maguire>/シャーリーズ・セロン<Charlize Theron>/マイケル・ケイン<Michael Caine>/デルロイ・リンドー<Delroy Lindo>/ポール・ラッド<Paul Rudd>/キーラン・カルキン<Kieran Culkin>

シナリオ対訳 サイダーハウス・ルールシナリオ対訳
藤田真利子,伊東奈美子訳 愛育社
2000.8.10 1,400円 ISBN4-7500-0077-9

『サイダーハウス・ルール』の舞台は20世紀前半のメイン州の田舎。物語の主人公である孤児のホーマー・ウェルズは、孤児院の医者ウィルバー・ラーチによって育てられる。ドクター・ラーチはまた、師として、医学に関する知識をホーマーに教え込む。聖人のような優しさに満ちたラーチだが、エーテル常用者という一面もある。やがて、2人は、世間の父と子同様、次第に衝突するようになる。堕胎をめぐる意見の相違が原因で、2人の対立はさらに深まる。その結果、ホーマーは彼が知りえた唯一の家族のもとを去ることになる。新しい生活は、想像以上の興奮をホーマーにもたらし、そしてついに彼は、生まれて初めての恋に落ちる。しかし、人生の方向を変えるであろう決断に迫られた時、ホーマーはようやく、自分の過去から逃れることはできないことに気づく。『サイダーハウス・ルール』が描き出すのは、人生の中で私たちが行なう選択や破られるための規則(ルール)なのである。

2002年4月30日

ホテル・ニューハンプシャー/ジョン・アーヴィング

The Hotel New Hampshire, 1981

ホテル・ニューハンプシャー 新潮文庫 上ホテル・ニューハンプシャー 新潮文庫 下
中野圭二訳 新潮社 新潮文庫 1989.10.1 各560円
上:ISBN4-10-227303-4下:ISBN4-10-227304-2

1939年夏の魔法の一日、ウィン・ベリーは海辺のホテルでメアリー・ベイツと出会い、芸人のフロイトから一頭の熊を買う。こうして、ベリー家の歴史が始まった。ホモのフランク、小人症のリリー、難聴のエッグ、たがいに愛し合うフラニーとジョン、老犬のソロー。それぞれに傷を負った家族は、父親の夢をかなえるため、ホテル・ニューハンプシャーを開業する。/フロイトの招きでウィーンに移住したペリー一家は、第二次ホテル・ニューハンプシャーを開業、ホテル住まいの売春婦や過激派たちとともに新生活をはじめる。熊のスージーの登場、リリーの小説、過激派のオペラ座爆破計画...さまざまな事件を折りこみながら、物語はつづく。現実というおとぎ話の中で、傷つき血を流し死んでゆくすべての人々に贈る、美しくも悲しい愛のおとぎ話。


「ホテル・ニューハンプシャー」が初めて読んだアーヴィングの作品だった。おそらく、1990年頃だったと思う。それまで読んだアメリカ文学で気に入ったのは、音楽からの流れでビートニクの作品だけだったし、サリンジャー、ヘミングウェイ、メルヴィル、フォークナー等、読んでもあまり好きになれずにいた。映画を先に観てから原作を読むのは登場人物などの絵が固定されてしまいあまり良いことではないと思うが、今回はまったく原作を知らずに映画を観てしまい、それから原作を読んだので、良い感想は書けない。

それでも「ホテル・ニューハンプシャー」の力強さ、明るさは自分を圧倒した。それにしても苦悩しながら様々なものを引きずって歩きながら、それでも前進しようというこのパワーはなんだろう?そして、一筋縄で行かないこの変てこな登場人物はなんだろう?アメリカの田舎にこういう人がいるとは、最初は何故か信じられなかった。アメリカの田舎に住む人はみな素朴で純朴であるという、まさに偏見だった。

物語の中にウィーンが登場して慣れ親しんだヨーロッパ文学の香りもしたことも、自分が親しみやすいと感じた理由の一つだろう。いつもふんわりオーストリアの匂いがする。

ホテル・ニューハンプシャー 新潮・現代世界の文学 上ホテル・ニューハンプシャー 新潮・現代世界の文学 下
新潮・現代世界の文学 上下 1986.6.25 各1,700円
上:ISBN4-10-519102-0下:ISBN4-10-519101-2

映画 ホテル・ニューハンプシャー「ホテル・ニューハンプシャー」
1986年7月 109分 アメリカ

監督:トニー・リチャードソン<Tony Richardson>
製作:ニール・ハートレイ<Neil Hartley>
脚本:トニー・リチャードソン<Tony Richardson>
撮影:デヴィッド・ワトキン<David Watkin>
音楽:レイモンド・レポート
出演:ジョディ・フォスター<Jodie Foster>/ロブ・ロウ<Rob Lowe>/ポール・マクレーン<Paul McCrane>/ボー・ブリッジス<Beau Bridges>/ナスターシャ・キンスキー<Nastassja Kinski>ほか

熊、ウィーンといったおなじみのアイテムがそろう中、「レイプ」という性的暴力が大きく取り上げられている作品。好きなのに、どうしても何度も映画を見る気になれないのは、ひとえにこのシーンのせいかと思う。
実は、ジョディ・フォスターとナタキンの豪華な組み合わせに惹かれて映画を見てしまったのが、アーヴィングにはまるきっかけだった。一見、平和なアメリカの一家が、どんどん変てこりんな人たちになっていくのが不思議でしょうがなかった。悲しいことが相次ぐのに、その悲しみを抱えたままにもかかわらず、なんてパワフルな人たちだ。このポジティブさが暗いヨーロッパ文学ばかりの世界に囲まれていた私にどれほどパワーを与えてくれたことか。忘れられない映画になった。

2002年4月 7日

ガープの世界/ジョン・アーヴィング

The World According to Garp, 1978

ガープの世界 新潮文庫 上ガープの世界 新潮文庫 下
筒井正明訳 新潮社 新潮文庫 1988.10.5
上:560円 ISBN4-10-227301-8下:600円 ISBN4-10-227302-6

看護婦ジェニーは重体の兵士と「欲望」抜きのセックスをして子供を作った。子供の名はT・S・ガープ。やがで成長したガープは、ふとしたきっかけで作家を志す。文章修業のため母ジェニーと赴いたウィーンで、ガープは小説の、母は自伝の執筆に励む。帰国後、ジェニーが書いた『性の容疑者』はベストセラーとなるのだが―。/結婚したガープは3編の小説を発表し幸福な毎日を送るが、妻ヘレンの浮気に端を発した自動車事故で1人の子供を喪い、ガープ夫妻も重傷を負う。女性に対する暴力をテーマに、傷ついた心と体を癒しつつ書いた小説は全米にセンセーションを巻き起こした。一躍ベストセラー作家となったガープは悲劇的結末への道を歩み出していた―。現代をコミカルに描く、アーヴィングの代表作。


「ガープの世界」はかなりの人が面白いと感じるに違いないと思う。ベストセラーだけのことはある、というべきか、ベストセラーにしては面白いというべきか。だが、一言では語れない様々な面白さが詰まっている。

作家論・小説論:本来、小説とは次がどうなるか知りたくて読むものだ。1950年代~60年代に流行していた「ニューフィクション」と呼ばれる現代小説は小説の伝統から横道にそれている、と主張する。
教養小説:ドイツ文学で言うところのBulidungs Roman、主人公が成長していく過程を描いた作品である。ガープが自己と自分の周囲の世界を見つめながら、芸術性を高めていく過程を描いている、とも言える。
政治的色合い:1970年代の女性運動の興隆を背景としている。女性運動の中でもくだらないものもある(エレン・ジェイムズ党のような)。州知事選や暗殺といった政治色の強い

暴力:暗殺、強姦、事故といった暴力が支配するアメリカ社会を描いている。ガープは必死に子供達を守ろうとする。しかしながら、実際に子供に最も大きな危害を加えたのが自分自身だったのは皮肉というか、
家庭の物語:ジェーンという母親、へレンという妻、そして子供達、というある家族の物語である。

ウィーンやレスリングなど、自分の経験してきた(これまでずっと小説に書いてきた)アイテムを入れており、ガープという作家の作品数と自分のこれまでの作品数そして内容を等しくしていることから「自伝的」と書かれてしまうこともあるのだが、これは違う。まずガープ誕生の秘話、そしてガープ一家の事故、この二つに特に突出して見られることだが、どこでこういう話を思いつくのか、というくらい独創的なエピソードが大量に放り込まれている。
なんというか、面白いのだが、とにかく変な小説である。悲惨な事件や事故が相次ぐのに、全体を貫く明るさ、ユーモアが、全然悲壮さを感じさせない。重要なキーワードは「ひきがえる」ではなくて「エネルギー」なんだろう。
1983年の映画公開直後に読んで以来だったから、もう20年近く経つ。まったく色あせない面白さを満喫した。

ガープの世界 上ガープの世界 下サンリオ 1983.3.30 各1600円
上:ISBN4-387-83016-6
下:ISBN4-387-83017-4
ガープの世界 サンリオ文庫 上ガープの世界 サンリオ文庫 下サンリオ文庫 1985.5.30
上:620円 ISBN4-387-85038-8
下:640円 ISBN4-387-85039-6

映画 ガープの世界映画「ガープの世界」
1983年10月 137分 アメリカ

監督・製作:ジョージ・ロイ・ヒル<George Roy Hill>
脚本:スティーヴ・テシック<Steve Tesich>
音楽:デヴィッド・シャイア<David Shire>
出演:ロビン・ウィリアムズ<Robin Williams>/メアリー・ベス・ハート<Mary Beth Hurt>/グレン・クローズ<Glenn Close>/ジョン・リスゴー<John Lithgow>ほか

2002年3月21日

ウォーターメソッドマン/ジョン・アーヴィング

The Water‐Method Man, 1972

ウォーターメソッドマン I/ジョン・アーヴィング ウォーターメソッドマン II/ジョン・アーヴィング 川本三郎,柴田元幸,岸本佐知子 訳
国書刊行会 文学の冒険シリーズ 1989.3.1 各1700円
I:ISBN978-4-336-02465-7
II:ISBN978-4-336-02464-0

〈ある種の感染症〉により、放尿時の異常な痛みに苦しむ男、フレッド・トランパーは、古代低地ノルド語で書かれた神話を研究する大学院生である。将来の見込みは殆どない。しかもスキーのアメリカ代表選手ビギーを妊娠させたことで父の逆鱗に触れ、援助を絶たれてしまう。息子コルムも生まれたものの、トランパーの生活はいっこうに落ち着かない...。トランパーは遂に家出し、旧友メリルに会うためウィーンへ飛ぶが、行方不明だった彼はドナウ河で水死していたことがわかる。その上、帰国してみれば、妻ビギーはトランパーの親友と結婚していた。傷心のトランパーはニューヨークで映画製作に加わり、トゥルペンという女性と暮らし始めるが...。現実から逃げ続けてきたトランパーに救いは訪れるのか?コミカルな現代の寓話。


「熊を放つ」の売れ行きはさんざんだったが、幸運にも後に「スターウォーズ 帝国の逆襲」の監督になるアーヴィン・カーシュナーの目にとまり、映画化権が売れた。映画化は実現しなかったが、映画化権が売れたことで経済的に余裕ができ、妻子とともにオーストラリアに2年間滞在。この間に書かれたのが「ウォーター・メソッドマン」である。
「ウォーター・メソッドマン」とは直訳すると「水治療の男」。尿道の感染症にかかり、その治療として水をとにかく飲む、という変わった治療をしている男、という意味。言外に「大人になりきれない男」という意味をもたせているように思われる。
小説は実験的な色合いが強く、だからと言ってつまらないわけではないのだが、大きく分けると過去と現在の二つの物語が入り組んで進んでいる。過去から唐突に大昔に突入したりするので、下記のような流れになる。

・現在:ニューヨークでのトゥルペンとの同棲生活。治療中。
・過去:アイオワ大学でのペギーとコルムとの生活
・大昔:ウィーン留学中、メリル・オーヴァーターフとスキーに行ってペギーに出会った頃の話

それぞれの物語が進んでいくが、「過去の話→大昔→過去→現在の出発点→現在から→」という流れに組み替えることもできる。
アイオワ大学時代、生活が苦しくて、公共料金をためてしまい、あちらこちらに支払いを待ってくれという手紙を書くが、それをずらずらと並べていたり、構成上は様々な試みがなされている。内容が面白いので、失敗してる、とは言えないが、後の作品を考えると、あまり成功しているとも言い難い。
また、人称の問題もある。主人公はトランパー、ボーガス、サンプー=サンプなど複数の名前で呼ばれる。しかも、三人称だったり、一人称だったり、語り手が時折入れ替わる。過去の物語の場合は一人称で、現在の物語になると三人称になったりする。
これらの試みはすべて、ボーガスが「大人になりきれない」「行き当たりばったりで中途半端」「何事も成しきれない」男のドタバタぶりを描くのに効果的に使われているように見える。本当にどうしようもない奴である。ラルフという実験映画の監督がトランパーの生活を描いた映画を作り、上映するのだが、この映画評の中に「どうしてこんなどうしようもない男に立派な女性がふたりも関わる気になったのか不思議」というくだりがあるが、まったくその通りだ。
気になるのが、実際のメリル・オーヴァーターフが大活躍してくれないところかなと思う。彼はジギーの生まれ変わりなのだから、もう少し頑張って欲しかった。でないと、どうしてウィーンまで探しに行ったのか、の意味が薄れているような気がする。
結局、このどうしようもない「夫にはなれない。だが、父親には...」というトランパーが何かを成し遂げ、父親として、夫として、社会に立ち向かうべくたたずむところで終わる。主人公が成長する過程を描くなんて、これも一種の教養小説か。
最初の3作までのアーヴィングは意外と小説の古典的なテーマのベースをもって、実験的な試みを行う「小説を学んでいる学生」っぽさがあり、後の巧みさから考えると、かえって新鮮に見えたりもする。もちろん、だからと言って内容がつまらないわけではない、というところが最大のポイントだが。

ウォーターメソッドマン 上ウォーターメソッドマン 下新潮文庫 1993.7.25 各520円
上:ISBN4-10-227306-9
下:ISBN4-10-227307-7

2002年3月12日

158ポンドの結婚/ジョン・アーヴィング

The 158‐Pound Marriage, 1973-74

158ポンドの結婚/ジョン・アーヴィング斎藤数衛訳 サンリオ 1987.1.15 1,500円 ISBN4-387-86152-5

歴史小説家である「僕」には、ウィーンで数奇な育ちをしたウチという妻がいる。一方、「僕」の友人で大学でレスリングのコーチをしているセイヴァリンは、ウィーンで知り合ったヤンキー娘のイーディスと結婚した。これら2組のカップルのユーモラスで鮮烈な夫婦交換の物語を通して浮かびあるがる現代人の内面風景とは?『熊を放つ』と『ガープの世界』をつなぐJ・アーヴィング会心の力編。


ウィーン、りんご園、新聞記者を逃したタクシー運転手、熊などに続き、戦時中に動物園に入って檻から逃がそうとして(あるいは食糧難だったために食べようとして?)食べられてしまった男の話など「熊を放つ」から引き続き使われるモチーフが出てくる。今回初めて出てきたのは「レスリング」という要素で、前回の「バイク」に代わるものだ。

物語はアメリカの大学での話だが、登場人物のうち二人は戦前のオーストリア出身だ。セイヴァリンとイーディス、ウチと僕の2組の夫婦はそれぞれ見た目にも不釣り合いなカップル。前者は体格の良い背の低いレスラーと上品な教養ある作家、ドイツの子牛のような妻と年齢より老けて見える細身のインテリ歴史作家。レスリングコーチと歴史作家が同じ大学の教員というあたりがそもそも変てこりんな話だ。

このウチという女性は学生の頃のドイツ語会話の先生の奥さんを彷彿とさせる。本当に人間か?と思えるほどお尻がでかい。単なる日本によくいるデブとは違って、はじけそうなくらいパンパンに張ったお尻なのだ。

この物語はゲーテの「親和力」である。二組の男女がそれぞれの連れ合いでない相手に惹かれ合うというメロドラマを物理学的な言葉を用いて文学に浄化させた作品だ。ありがち設定を芸術作品に仕上げるあたりが文豪だなぁと思ったものだ。というか、当時アメリカで流行り始めた言葉でいうと単に「スワッピング」なんだけど。

この関係は四人のうち誰か一人でも不満を感じたら、そこで終わり、という危ういものだった。そもそも一人が自分の妻(夫)を寝取られながらも、妻(夫)以外の人物と関係をもつことで「お互い様」という関係を成り立たせようという、無茶な話である。人間はそんなに公平には出来ていない。公平であろうと思っても、自分にとってメリットであることだけを残し、自分にとってマイナスな要因はできるだけ排除したいものだ。

彼らには子供がそれぞれ二人いる。子供を愛しているようでいて、誰もが子供のことよりも自分たちの欲望に忠実で、放っておいたり、一緒に食事をしなかったり、である。所詮「子供」であることを脱し切れてない中途半端な大人なのだ。

セイヴァリンとイーディスの二人の問題からこの関係は発生しているのだから、同じ問題に立ち返ったとき、四人の関係は崩壊する。崩壊後もウチはセイヴァリンを愛し続け、「僕」はそれが許せず、ウチの抱えている問題と取り組もうとせず、放っておくことで復讐しようとする。結果、「僕」からウチは去って行く。

「僕」にとってイーディスは魅力的な相手だったけれど、イーディスの方は「僕」に恋をしていたわけではなかったわけだから、実際、セイヴァリンとイーディスの二人に「してやられた」夫婦だっただけのこと、という結論が明らかになる。「僕」はイーディスとの情事に夢中になり、ウチのことを本当は考えていなかった。それはセイヴァリンにしても同じことで、ウチのことはろくに考えていなかった。だが、イーディスのためにこの関係を続けていたのだから、セイヴァリンとイーディスには修復の余地があるとも考えられる。

果たして、この「歴史小説家」は何かを学んだのか、それとも何も学ばなかったのか。ウチと彼は復縁できるのか?彼は未来に希望をもってウチを迎えに行くのだが、それは実を結ぶのだろうか?


158ポンドの結婚/ジョン・アーヴィング斎藤数衛訳 新潮社 新潮文庫 1990.8.25 560円 ISBN4-10-227305-0

2002年3月 4日

熊を放つ/ジョン・アーヴィング

Setting Free The Bears, 1968

熊を放つ/ジョン・アーヴィング熊を放つ/ジョン・アーヴィング
村上春樹訳 中央公論社 村上春樹翻訳ライブラリー 2008.5.25
上:1365円
ISBN978-4-12-403509-4
下:1260円
ISBN978-4-12-403510-0

ウィーンの市庁舎公園で出会った二人の若者ジギーとグラフ。中古のロイヤル・エンフィールド700ccを駆り、オーストラリアの田舎を旅する二人が見つけたものは、美しい季節の輝きと、手足のすらりとした女の子ガレン。すべてはうまく運ぶはずだった。ジギーが、動物園襲撃などという奇妙な計画を持ち出すまでは...。瑞々しく、痛々しく、優しく、そして未完成な青春を描くジョン・アーヴィングの処女長篇。


アーヴィングのデビュー作。デビュー作と言っても、アイオワ大学での修士論文として書かれたものである。1963年から64年にかけてウィーンに留学していたときの経験に基づき、65年からアイオワ大学のライターズ・ワークショップに入って本格的に長篇を書き始めた。68年に刊行されたが、部数は微々たるものだった。ちなみに日本での刊行は「ガープの世界」の後。
第一部はウィーンの学生グラフとジギーの出会いと旅。サイダーハウス(りんご園)とか熊とか、後々アーヴィング作品に出現するのアイテムがすでに出て来ている。これは作家のウィーン留学時代の体験に基づいて書かれたもの。

第二部は動物園潜入記とジギーの自伝の二部構成。ジギーの自伝の方はドイツ軍によるオーストリア侵攻からユーゴ内戦、ドイツ敗戦が描かれている。ジギーの母親とその家族、母の最初の婚約者の物語。この婚約者がものすごい「変わり者」なのである。この変わり者というキャラクターも延々と続いて出てくることになるのだが、何というか、ともかく「変わり者」なのだ。突拍子もない行動をとる人物、とでも言おうか。
その後はジギーの父親であるユーゴ人(当時はセルヴィア、クロアチア)のヤヴォトニクの物語。ドイツ人のオートバイ隊の体調ヴッドとの出会いとオートバイによる戦争からの逃避旅行。二人は敗戦を迎え、ウィーンに赴く。ヤヴォトニクとジギーの母との出会いや終戦直後のウィーンでの生活が描かれる。
この第二部を読んでいて気づいたのだが、後年の作品に比べると、面白くない。というか、短い話が入れこになっている二部構成という構造自体が悪いわけではなく、どうしてもこの動物園の偵察記が興味を引かれないのだ。そのせいで、中身全体がぼやけてしまった気がする。
アーヴィングの作品というのは非常に長いものが多いが、印象に残るエピソードが多く、長さを感じさせないストーリー展開が特徴。小説を書くために小説を書く、という実験的というよりは、つまらない試みにすぎない小説に対するアンチテーゼのような作家なのに。これが若書きと言うのか?カート・ヴォネガット・Jr.の影響と言われるが、私はカート・ヴォネガットを読んだことがないからわからない。
第三部はグラフが動物園に潜入する話。ジギーの遺志をついで?なのか、ジギーに乗っ取られてしまったのか。ともあれ、展開はスリル満点、結末はなかなか愉快なものとなっている。第二部の停滞感を払拭して、一気にエンディングまでもっていく力に、後年の作家としての力量がかいま見られる。

熊を放つ/ジョン・アーヴィング熊を放つ/ジョン・アーヴィング熊を放つ/ジョン・アーヴィング
初版
1986.5.23 1,500円
ISBN4-12-001480-0
中公文庫 上
1989.3.10 500円
ISBN4-12-201593-6
中公文庫 下
1989.3.10 500円
ISBN4-12-201594-4
 改版 中公文庫
上 1996.2.18 800円
ISBN4-12-202539-7
改訂版 中高文庫 下
1996.2.18 800円
ISBN4-12-202540-0