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        <title>Cafebleu Diary</title>
        <link>http://www.cafebleu.net/blog/</link>
        <description>最近読んだ本、見た映画・芝居、聞いたCD</description>
        <language>ja</language>
        <copyright>Copyright 2010</copyright>
        <lastBuildDate>Fri, 10 Sep 2010 10:40:09 +0900</lastBuildDate>
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            <title>ゆるふわSF特集</title>
            <description><![CDATA[<p>『FRaU』2010年9月号の本とマンガ特集に「女子もハマれるネオSFマンガ」という門倉紫麻さんの選んだマンガのページがありました。この最初のものが「山へ行く」（萩尾望都）だったことや、ちらちらと知っているものもあったので、全部読んでみようかと、思って読んでみました。</p>

<p><span class="mt-enclosure mt-enclosure-image" style="display: inline;"><a href="http://www.amazon.co.jp/dp/409167027X?tag=cafebleu0b-22"><img alt="山へ行く　萩尾望都" src="http://www.cafebleu.net/blog/images/409167027X.jpg" width="100" height="141" class="mt-image-left" style="float: left; margin: 0 20px 20px 0;" /></a></span><div style="font-size:18px;font-weight:bold;">「山へ行く」萩尾望都　小学館</div><br />
ハードなSFのイメージの強い萩尾先生ですが、こちらは短編集ですし、日常の中のなんとなく違うなという感じの作品群なので、とっつきやすいです。家族の話が多かったりもします。名作「柳の木」収録。鳥肌が立ちます。『flowers』で連載中。<br clear=all /></p>

<p><span class="mt-enclosure mt-enclosure-image" style="display: inline;"><a href="http://www.amazon.co.jp/dp/4063407977?tag=cafebleu0b-22"><img alt="小煌女 海野つなみ" src="http://www.cafebleu.net/blog/images/4063407977.jpg" width="100" height="154" class="mt-image-left" style="float: left; margin: 0 20px 20px 0;" /></a></span><div style="font-size:18px;font-weight:bold;">「小煌女」1～2巻　海野つなみ　講談社</div><br />
当初はクラシックな感じのSF学園ものだったのが、突然の大逆転が起こってあれよあれよという間に話が拡大していきます。絵は好きではないのですが、意外におもしろいです。『KISS』で連載中。<br clear=all /></p>

<p><span class="mt-enclosure mt-enclosure-image" style="display: inline;"><a href="http://www.amazon.co.jp/dp/4063407977?tag=cafebleu0b-22"><img alt="世界の合言葉は水 安堂維子里" src="http://www.cafebleu.net/blog/images/4199501711.jpg" width="100" height="146" class="mt-image-left" style="float: left; margin: 0 20px 20px 0;" /></a></span><div style="font-size:18px;font-weight:bold;">「世界の合言葉は水」安堂維子里　徳間書店</div><br />
『コミックリュウ』に発表された短篇を集めたもので、私は初見でした。水がテーマなので海や雨が多く出てきます。ゆったり、ほんわりとした優しさに包まれた不思議なSFです。どれも良いのですが、特に「ぎゅう」が気に入りました。こういう感覚って、言葉で説明できないのですが「なんとなく本当はこうだったらおもしろい」と思えるツボなのです。これはオススメです。<br clear=all /></p>

<p><span class="mt-enclosure mt-enclosure-image" style="display: inline;"><a href="http://www.amazon.co.jp/dp/4047261270?tag=cafebleu0b-22"><img alt="テルマエ・ロマエ　ヤマザキマリ" src="http://www.cafebleu.net/blog/images/4047261270.jpg" width="100" height="142" class="mt-image-left" style="float: left; margin: 0 20px 20px 0;" /></a></span><div style="font-size:18px;font-weight:bold;">「テルマエ・ロマエ」1巻～　ヤマザキマリ　エンターブレイン</div>昨年大ブームを起こした作品です。「マンガ大賞2010大賞」「手塚治虫文化賞短篇賞」を受賞。以前イタリア家族漫画を読んだことがありましたが、最初はあれを書いた人と同一人物とは思いませんでした。古代ローマに現代日本のお風呂を導入していく話なのですが、これを「上から目線」という人の考え方はよくわかりません。ルシウスが「平たい顔族の風呂はここがすごい！」と思うところでこちらも再発見があり、そして様々な機器類を勘違いしながらもその効果をきちんと読み取り、自分なりに作り直していくところがおもしろい。比較文化論とかいうおおげさなものではありませんが、ルシウスの柔らかい頭に学ぶところは多いです。『コミックビーム』連載中で、<a href="http://www.amazon.co.jp/dp/4047267708?tag=cafebleu0b-22">まもなく2巻が発売されます。</a><br clear=all /></p>

<p><span class="mt-enclosure mt-enclosure-image" style="display: inline;"><a href="http://www.amazon.co.jp/dp/4063106179?tag=cafebleu0b-22"><img alt="虫と歌 市川春子" src="http://www.cafebleu.net/blog/images/4063106179.jpg" width="100" height="142" class="mt-image-left" style="float: left; margin: 0 20px 20px 0;" /></a></span><div style="font-size:18px;font-weight:bold;">「虫と歌」市川春子　講談社</div><br />
すごい人が出てきたなと、最初は言葉が出ませんでした。初期の作品こそ高野文子を思いっきり意識した作風でしたが、徐々に離れて行って、今は完全に独自のスタイルを作っています。ネットの中でがっちり論評が出ているので、そちらを読んだ方だ良いです（<a href="http://www.h2.dion.ne.jp/~hkm_yawa/kansou/mushitouta.html">ひとりで勝手にマンガ夜話</a>｜<a href="http://www.webdice.jp/dice/detail/2164/">webDICE マンガ漂流者（ドリフター）</a>）。<a href="http://www.seidosha.co.jp/index.php?%C6%A3%C5%C4%CF%C2%C6%FC%CF%BA">『ユリイカ』2010年2月号</a>に小特集が載っています。</p>

<p>『アフタヌーン』に1年に1作ずつ描いていったもので、もうデビューして5年です。この単行本の後はスピードアップしたのか、今年に入って2本すでに発表されています。シンプルで細い線、白と黒とグレーのシンプルな組み合わせ。本当にマンガってこれだけシンプルなものなのだなということが実感できる絵です。お話はとても不思議なSFなのに、徹底した家族愛。特に兄弟が繰り返し出てきます。最新作「25時のバカンス」では姉と弟になっていますが、兄と弟、兄と妹だったり、いずれも微妙な人間関係で、だからこそエロティック。それにしても「虫と歌」っていうのは、なかなか手に取りにくいタイトルだなと思ったりします。私、虫がダメなので。<br clear=all /></p>

<p><span class="mt-enclosure mt-enclosure-image" style="display: inline;"><a href="http://www.amazon.co.jp/dp/4063145786?tag=cafebleu0b-22"><img alt="ともだち100人できるかな" src="http://www.cafebleu.net/blog/images/4063145786.jpg" width="100" height="142" class="mt-image-left" style="float: left; margin: 0 20px 20px 0;" /></a></span><div style="font-size:18px;font-weight:bold;">「友達100人できるかな」1～3巻　とよ田みのる　講談社</div>ごくたまに連載を読んでました。肩に力の入っていないものを読みたいときに、ちょうどいい感じのSF作品。子供時代に戻っているせいか、こちらものびのびとした気持ちになれるのが不思議です。『アフタヌーン』で連載中。<br clear=all /></p>

<p><span class="mt-enclosure mt-enclosure-image" style="display: inline;"><a href="http://www.amazon.co.jp/dp/4199501347?tag=cafebleu0b-22"><img alt="第七女子会彷徨" src="http://www.cafebleu.net/blog/images/4199501347.jpg" width="100" height="146" class="mt-image-left" style="float: left; margin: 0 20px 20px 0;" /></a></span><div style="font-size:18px;font-weight:bold;">「第七女子会彷徨」1～2巻　つばな　徳間書店</div><br />
初見。そもそもイマドキの普通の女子高生がこんなに天然でかわいいのかどうか、それすらわからない私に、これが日常生活の中での異世界なのかどうかもわかりません。しかし、どんな不思議なことが起きても、女子高生はきっとたくましく対応していくのだろうなと思えます。二人とも恋に無縁なため余計な雑音が入ってこなくて、純粋に不思議な世界を楽しめるところもポイントでした。尾崎翠の「第七官界彷徨」からタイトルはとられているようです。『コミックリュウ』で連載中。<br clear=all /></p>

<p>初見の作品もありましたが、興味深い作品ばかりでした。やはり『コミックリュウ』や『コミックビーム』『アフタヌーン』といった普段少女マンガとは縁のないところでがんばっている人たちです。その中で王道少女マンガとして『flowers』『KISS』も健闘しているというところでしょうか。門倉さん、おもしろい作品を教えてくださって、ありがとうございました。</p>]]></description>
            <link>http://www.cafebleu.net/blog/archives/2010/09/post-265.html</link>
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                <category domain="http://www.sixapart.com/ns/types#category">075)マンガ</category>
            
            
            <pubDate>Fri, 10 Sep 2010 10:40:09 +0900</pubDate>
        </item>
        
        <item>
            <title>島暮らしの記録／トーベ・ヤンソン</title>
            <description><![CDATA[<p><span class="mt-enclosure mt-enclosure-image" style="display: inline;"><a href="http://www.amazon.jp/dp/4480837051?tag=cafebleu0b-22"><img alt="島暮らしの記録" src="http://www.cafebleu.net/blog/images/4480837051.jpg" width="200" height="304" class="mt-image-left" style="float: left; margin: 0 20px 20px 0;" /></a></span>せっかく<a href="http://www.cafebleu.net/blog/archives/2010/08/post-261.html">トーベ・ヤンソンの「フェアプレイ」</a>を読んだのだから、クルーヴハルにまつわるエッセイを読んでみようと思った。</p>

<p>30年間もの島暮らしをするからには、それだけの土壌があるのだと知った。さすが彫刻家の父と画家の母の間に産まれた子だけあって、子供の頃から夏は「島」というのが定番だったようだ。</p>

<p>プロの助けは借りたが、自分たちで作った小屋だったということを知った。もう結構売れっ子だったと思うのだが、ヨーロッパ人というのは意外となんでも自分で作る。どんな貧乏でもサウナを自宅に作るのがフィンランド人だそうだ。サウナは日本人でいうところの風呂なので、それはなんとなく理解できる。</p>

<p>伝記には1965年～1995年頃までトーベはここにいたとある。1964年秋から作り始め、雪が降る頃に一度停止、翌年春からまた再開して、夏には住んでいた。ムーミンが書かれたのは1945年～1970年なので、「ここでムーミンが産み出されました」というのは嘘ではないが、かなり違う気はする。</p>

<blockquote>
さて、長い待機が始まった。わたしは孤立とは似ても似つかぬ、新手の隠遁にはまりこむ。<br>
だれともかかわらず、部外者を決めこみ、なんにしろ良心の呵責はいっさい感じない。
</blockquote>

<p>トーベとトゥーリッキとトーベの母親のハムの3人の女性芸術家がそれぞれ自分の芸術に向かい合う。諍いがないわけではないが、それぞれの領分をそれなりに守って暮らしていたのだろうと想像する。だって、あんな狭い小屋の中で...と思ったら、ちゃんと外に仕事場を作っている人もいたようだ。</p>

<blockquote>
石と水平線ばかりで暇をもて余さないか、自然の緑が恋しくならないかと、<br>
島を訪れる客たちに訊かれて、ハムは驚きを禁じえない。
</blockquote>

<p>海の近くに暮らしていると思うのだが、海は季節によって、時間によって、天候によって、すごく顔を変える。飽きることはない。</p>

<p>静寂がないと、孤立していないと、芸術は生み出せないのだろうなと思う。でも気の置けない友人はそばにいて欲しい。</p>

<p>ところで、<a href="http://archives.nhk.or.jp/chronicle/B10002200090110090130007/">例のドキュメンタリー</a>でも言ってたが、「クルーブハル島」という言い方は変だ。「クルーブハル」もしくは「クルーブ島」だろう、とか細かいことを思ったりした。</p>

<p>■著者：トーベ・ヤンソン著，冨原眞弓訳<br />
■書誌事項：筑摩書房　1999.7.25　ISBN4-480-83705-1<br />
■原題：Anteckningar fr&aring;n en &ouml; , Tove Jansson</p>]]></description>
            <link>http://www.cafebleu.net/blog/archives/2010/09/post-264.html</link>
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                <category domain="http://www.sixapart.com/ns/types#category">040)その他海外文学</category>
            
            
                <category domain="http://www.sixapart.com/ns/types#tag">トーベ・ヤンソン</category>
            
            <pubDate>Thu, 09 Sep 2010 00:08:58 +0900</pubDate>
        </item>
        
        <item>
            <title>トヨザキ社長の提案についてうなずきまくりです</title>
            <description><![CDATA[<p>白水社のサイトに載っている<b><a href="http://www.hakusuisha.co.jp/essay/2009/03/13/1032.html">豊﨑由美「全国3000人の海外文学ファンを代表して　トヨザキ社長が提案！"ガイブン仲間"を増やすには？」</a></b>を読んだ。あまりに的を得ていたので、ブログに書いてしまう。</p>

<blockquote>
こんなこと書くとまたいらない敵を作ってしまいそうですけど、そこいらの一流半程度の国内小説より、世界文学のほうが比べものにならないくらい面白いのに。日本の小説に三百円か五百円程度上乗せするだけで、比べものにならないくらいのレベルの面白さが手に入るのに。そう思ってましたし、今もその考えは変わらないんであります。
</blockquote>

<p>私も別に日本の作家が全部くだらないとか言う気はない。読んでないし、わからない。角田光代とか、長島有とか、話題になったのをたまーに読んで、いいね！とか思う。けど、この「本をコストパフォーマンスで価値を決める」という考え方がすごく納得。というか、実は私は今でもそうだ。高校生の頃、わずかなお小遣いで本を買っていた。図書館で借りてもいいんだけど、やっぱり手元においておきたい派だったから、すごくよく考えてから本を選んでいた。で、ガイブンは外れが少ないし、中身が濃いから読むのが大変で、えらいおもしろくて、コストパフォーマンスがよかった。そのまま大人になっても、それを引きずっていた。</p>

<blockquote>
「海外の小説は苦手」という友人知人の皆さんにその理由をお訊きしてまいりました。で、圧倒的に多いのが「名前が覚えられない」。
</blockquote>

<p>筒井康隆の「短篇小説講義」だったか「本の森の狩人」だったかで、外国文学で登場人物が大勢いたら書き出しながら読め！と書いてあったので、こういうことしていいんだ！と思って、それ以来、わからなくなったらやるようにしている。憶えられない方が悪い気がしていたのが吹っ切れた。筒井康隆でさえやるんだから、私がやってもいいよね、と。</p>

<blockquote>
で、次に多かった答が「知らないところが舞台になってるから、雰囲気がよくわからないし共感もできない」。かなり気持ちが滅入ってまいりました。わかってることを「うん、わたし、わかる」って再確認する読書の、どこが愉しいんだろう。（中略）世界は広くて、意見も感覚も常識の持ちようも生活様式もまったく違う人たちが、でも、自分と同じようにかけがえのない日常を送ってるわけで、海外文学を読むとそれが心底実感できるんですよ。
</blockquote>

<p>私は知らないことを知りたいから本を読むんです。マイアミに住むキューバ系アメリカ人はこんなこと考えるんだ～！とか思うと楽しい。知らない場所だからこそ、いろいろ想像して楽しい。</p>

<p>日本の文学だと、話の流れとか、かなりの割合でもう予想できちゃうんです。場所も人もわかりやすいから。場所も人も全然知らないからこそ、予想も出来ない展開が現れて、おもしろいのになぁ。違う世界の予想もつかない物語にのめり込むからこそ、読書は楽しいのだけど。</p>

<blockquote>
目次のあとに、登場人物一覧をつける！
</blockquote>

<p>これね、「野生の探偵たち」のとき、別途プリントアウトしてくださいってPDFがウェブにおいてあって、なぜ本体に印刷されていないのか、あるいは差し込みされていないのか、すごく不思議でした。翻訳者がいやがるのかなぁ。「売れない売れないという前にやることやれ！」って、トヨザキ社長って時々言葉はキツイけど、すごくまっとうなことを言う方ですよね。編集者の方々はやった方が良いと思います。3000人って思うからこそ、「私が買わなくては！」「私が読まなくては！」と思っているのも事実ですが、こちらも先細りはイヤなんです。がんばってください。私も読みますから！</p>]]></description>
            <link>http://www.cafebleu.net/blog/archives/2010/09/post-263.html</link>
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                <category domain="http://www.sixapart.com/ns/types#category">095)その他</category>
            
            
            <pubDate>Wed, 08 Sep 2010 21:08:59 +0900</pubDate>
        </item>
        
        <item>
            <title>池澤夏樹個人編集 世界文学全集 第3集 短篇コレクションI</title>
            <description><![CDATA[<p><span class="mt-enclosure mt-enclosure-image" style="display: inline;"><a href="http://www.amazon.co.jp/dp/4309709699?tag=cafebleu0b-22"><img alt="池澤夏樹個人編集 世界文学全集 第3集 短篇コレクションI" src="http://www.cafebleu.net/blog/images/4309709699.jpg" width="200" height="288" class="mt-image-left" style="float: left; margin: 0 20px 20px 0;" /></a></span>河出書房の世界文学全集、南米で初訳だけという限定で買おうとしたら結局「楽園への道」だけになってしまった。初訳はないが「南部高速道路」をトップに持って来たというセンスの良さと、ルルフォを欠かさなかった正しさを評価して、「短篇コレクションI」を読んでみた。</p>

<p><b>フリオ・コルタサル「南部高速道路」</b><br />
この作品、「悪魔の涎・追い求める男」ではなく、『ユリイカ』1983年7月号の「ラテンアメリカ文学」で初めて読んだ。そのとき作りたいと思っていたものを、今回良い機会なので、作ってみた。</p>

<p><span class="mt-enclosure mt-enclosure-image" style="display: inline;"><img alt="南部高速道路" src="http://www.cafebleu.net/blog/images/autopiasta.gif" width="500" height="219" class="mt-image-left" ; margin: 0 20px 20px 0;" /></span><br clear=all"></p>

<p>クルマの配置図なのである。1列12台だが、外側は省略した。プジョー404を中心にしているが、前のシムカとタウナスの位置関係がわからない。読むと、両方ともプジョー404の前のように見える。また今ひとつ確認できないのが、IDシトロエンとボリューだ。誰か、これが正しいというのを教えて欲しい。<br />
この話はいわば都会の遭難物語なのである。8月からたぶん11月か12月頃にかけてのパリに向かう道路が舞台。片側6車線の上下線を合わせ12車線全部を上りにしているから上記の図は右にあと3台、左にあと2台いるはず。食料や水の確保、医療や看護の相互扶助等からリーダーが自然発生的に生まれ、共同体が創設される。その中では諍いも起こるし、他のグループとの駆け引きも発生するし、中には失踪する者あり、自殺する者あり、病死する者あり、妊娠する者ありという、不条理というか（来るはずのものを待っているからゴドー待ち？）ファンタジイというか、少し変わった物語が進行する。最後に渋滞が突然解消され、共同体は崩壊する。日常の中での遭難というテーマがおもしろくて、この話はよく覚えている。</p>

<p><b>オクタビオ・パス「波との生活」</b><br />
この作品には「波と暮らして」という訳もある。どちらの方が正しいかなんて、私にはわからない。この先二人でどうやって逃げるのだろう、わくわく、と思わせて、一瞬で捕まって1年経ってしまうという展開は時間の使い方が意表をつく。</p>

<p><b>フアン・ルルフォ「タルパ」</b>も昔のメキシコの聖人信仰の強さなど知らないとわからないかもしれない。それにしても暗い...底抜けに暗いけど、ルルフォ短篇の完成度の高さ、流れの美しさには毎回感動を覚える。</p>

<p><b>張愛玲「色、戒」</b><br />
戦前から戦時中初期の中国のスパイものって、こういう雰囲気にならざるを得ないのか。衣装とかきらびやかさは「上海バンスキング」？二人で「相手は自分を愛している」と思っているところがおもしろい。</p>

<p><b>ユースフ・イドリース「肉の家」</b><br />
イスラームの禁欲主義から、こんなえぐい話が出来てしまう。日本も戦前の田舎で、封鎖的で人の目がうるさそうなところほど、夜這い文化があったりするからなぁ。でもこの話、目の見えない人をなめてるでしょう。こんなの、絶対わかると思うよ。</p>

<p><b>P.K.ディック「小さな黒い箱」</b><br />
黒い箱ってiPhoneの黒ですか？なわけない。テレビの前においた取っ手のついた黒い箱で宇宙人と交流できるSF。禅ブームだったアメリカの頃を思えば古くさいと感じられるし、この黒い箱をガジェットの一つと思えば新鮮に感じられる。</p>

<p><b>チヌア・アチェベ「呪い卵」</b><br />
短いながら、天然痘のせいで人気のなくなった市場の恐ろしい空気がじわっと感じられる作品。キーワード一つ一つが私の思うアフリカ文学らしさ満載だ。「キティクパ＝天然痘」「お飾りをもらう＝天然痘にかかる」「夜の仮面」「鈍いの卵」等。ナイジェリアというと、どうしても知人のアフリカ人のビジネスマンを思い浮かべてしまうのだが、大きく外れてはいないのかもしれない。</p>

<p><b>金達寿「朴達の裁判」</b><br />
なるほど、プロレタリア文学にユーモアは少ない。みんなきまじめすぎる。こんな転向してばかりの主人公は通常の左翼文学では許されないだろう。それにしても、100ページ近い。これは短篇か？。</p>

<p><b>ジョン・バース「夜の海の旅」</b><br />
「泳ぐ」を「生きる」と読み替えて読むと、すんなり読めてしまう。</p>

<p><b>ドナルド・バーセルミ「ジョーカー最大の勝利」</b><br />
アメコミが嫌いなので、全然わかりません。</p>

<p><b>トニ・モリスン「レシタティフ─叙唱」</b><br />
白人と黒人の女の子が8歳のときに児童養護施設で知り合って、その後大人になって再会し...なんていう出だしだったので、ベタベタな友情ものを一瞬想像したが、そんなことはまるでなかった。意図的にどちらが黒人でどちらが白人かわからないように描かれていて、あえて混乱させようと、人種的アイデンティティをわからなくさせてから読ませようとしている。私は「ロバータは黒人、トワイラは白人」と根拠なく決めて読んでいた。そうでもしないと居心地悪くて読み進められなかったからだ。<a href="http://www.meijigakuin.ac.jp/~gengo/bulletin/023.html">この紀要の「人種をこえる娘たち」</a>が詳しい。</p>

<p><b>リチャード・ブローティガン「サン・フランシスコYMCA讃歌」</b><br />
よくわかりませんが、おもしろいかな。</p>

<p><b>ガッサーン・カナファーニー「ラムレの証言」</b><br />
人にやられてイヤだったことは人にするのをやめましょう...という民族的記憶というのは存在し得ないのだろうか。老人と少年の視線が交錯したそのとき、引き継がれた何かがあったのだということが、じわっとわかる。哀しい記憶が引き継がれてしまったのだろう。</p>

<p><b>アリステア・マクラウド「冬の犬」</b><br />
雪と氷に閉ざされた冬の厳しさとゴールデンリトリバーの黄金色の毛のふさふさ感がなんともいえずマッチしていて、カナダらしいと言えばそうなのだが、何とも感じの良い作品だ。カナダっていうとこういうイメージだが、日本の東北っぽさがないのは、海のせいか、木の高さのせいか？</p>

<p><b>レイモンド・カーヴァー「ささやかだけど、役にたつこと」</b><br />
パン屋がなぜ「こんなふう」になってしまったのか。空虚な人生を送って行くことが、どれほどの対価を支払わなくてはならないことになるのか、というお話かなと。彼は少しでも取り戻すように、若い夫婦と夜を徹して話しているのだろう。</p>

<p><b>マーガレット・アトウッド「ダンシング・ガールズ」</b><br />
「緑したたる未来の楽園はあらかじめ失われている」それでも夢を見てもいいでしょう？アラブの民族衣装を着た彼ら、みんなが一緒にいるところを。いい話だと思う。さすが岸本佐和子訳。ジャンル的に積極的には読まないが、文芸誌やアンソロジーで見かける岸本さんの訳された作品はおおむねおもしろい。<br />
変な下宿屋で息が詰まるお話かと思いきや、なかなか愉快。それにしてもどうして狭量な中年女性の子供は、頭の悪い粗野な子供になるんだろうな。</p>

<p><b>高行健「母」</b><br />
懺悔の話なのだけれど、「僕」というのが辛くなって、「彼」と言ってしまって混在しているところが、すごくいい。中国人は親を、子を大切にするものだと思っていたのだけど、文革とか天安門とか、いろいろあったからかな。こういう物語が出てくるのは。</p>

<p><b>ガーダ・アル＝サンマーン「猫の首を刎ねる」</b><br />
比較的最近見たテレビでイスラム圏から日本に留学している若い女性が「自分の国では貧乏な男とぶさいくな女は一生結婚できない。」と言い切っていた。一夫多妻制だから財産のある男のところに美人が集中し、子供もそこでたくさん産まれるから、それでいいらしい。と語る留学生本人は美人だったけど、それがイヤで留学してるんだろうに。テレビで顔を出すなんて、ナディーンのバンジージャンプ並にすごいことでは？それにしてもおばさんの花嫁の口上はすごい。奴隷どころか、二次元の女の子以上ですよ、みなさん。</p>

<p><b>目取真俊「面影と連れて」</b><br />
沖縄の話というと、戦前戦時中の話が多いのだが、これは戦後（1955）～海洋博（1975）の頃の話。うっすらと記憶に残っている。主人公の女性は逆子で産まれてきて、少し知的な遅れがあって、親からは見捨てられ、小学校でいじめにあって登校拒否になる。悲惨と言えばそうなのだけど、不思議とそんな感じはしない。</p>

<p>■書誌事項：河出書房新社　2010.7.1　ISBN978-4-309-70969-7<br />
■内容：<br />
「南部高速道路」フリオ・コルタサル著，木村榮一訳　Julio Cort&aacute;zar : La autopista del sur, 1966　（「悪魔の涎・追い求める男」1992）アルゼンチン<br />
「波との生活」オクタビオ・パス著，野谷文昭訳　Octavio Paz : Mi vida con la ola　（「鷲か太陽か？」2002）メキシコ<br />
「白痴が先」バーナード・マラマッド著，柴田元幸訳（「喋る馬」2009）アメリカ合衆国<br />
「タルパ」フアン・ルルフォ著，杉山晃訳　Juan Rulfo : Talpa, 1950　（<a href="http://www.cafebleu.net/blog/archives/2001/01/post-5.html">「燃える平原」</a>1990）<br />
「色、戒」張愛玲著，垂水千恵訳（新訳）上海<br />
「肉の家」ユースフ・イドリース著，奴田原睦明訳（「集英社ギャラリー　世界の文学　20 中国・アジア・アフリカ」1991）エジプト<br />
「小さな黒い箱」P.K.ディック著，浅倉久志訳（「ゴールデン・マン」1992）アメリカ合衆国<br />
「呪い卵」チヌア・アチェベ著，管敬次郎訳（新訳）ナイジェリア<br />
「朴達の裁判」金達寿著（「金達寿小説全集6」1980）在日朝鮮<br />
「夜の海の旅」ジョン・バース著，志村正雄訳（「アメリカ幻想小説傑作集」1985）アメリカ合衆国<br />
「ジョーカー最大の勝利」ドナルド・バーセルミ著，志村正雄訳（「帰れ、カリガリ博士」1980）アメリカ合衆国<br />
「レシタティフ─叙唱」トニ・モリスン著，篠森ゆりこ訳（初訳）アメリカ合衆国<br />
「サン・フランシスコYMCA讃歌」リチャード・ブローティガン著，藤本和子訳（「芝生の復讐」1976）アメリカ合衆国<br />
「ラムレの証言」ガッサーン・カナファーニー著，岡真理訳（『前夜　2005年春号』2005）パレスチナ<br />
「冬の犬」アリステア・マクラウド著，中野恵津子訳（「冬の犬」2004）カナダ<br />
「ささやかだけど、役にたつこと」レイモンド・カーヴァー著，村上春樹訳（「大聖堂」2007）アメリカ合衆国<br />
「ダンシング・ガールズ」マーガレット・アトウッド著，岸本佐和子訳（「ダンシング・ガールズ」1989）カナダ<br />
「母」高行健著，飯塚容訳（「母」2005）中国<br />
「猫の首を刎ねる」ガーダ・アル＝サンマーン著，岡真理訳（初訳）シリア<br />
「面影と連れて」目取真俊著（「魂込め」1999）沖縄<br />
</p>]]></description>
            <link>http://www.cafebleu.net/blog/archives/2010/09/post-262.html</link>
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                <category domain="http://www.sixapart.com/ns/types#category">040)その他海外文学</category>
            
            
                <category domain="http://www.sixapart.com/ns/types#tag">フアン・ルルフォ</category>
            
                <category domain="http://www.sixapart.com/ns/types#tag">フリオ・コルタサル</category>
            
            <pubDate>Fri, 03 Sep 2010 00:21:23 +0900</pubDate>
        </item>
        
        <item>
            <title>フェアプレイ／トーベ・ヤンソン</title>
            <description><![CDATA[<p><span class="mt-enclosure mt-enclosure-image" style="display: inline;"><img alt="フェアプレイ　トーベ・ヤンソン" src="http://www.cafebleu.net/blog/images/4480770178.jpg" width="200" height="308" class="mt-image-left" style="float: left; margin: 0 20px 20px 0;" /></span>私はガッチリとムーミン世代なのだが、児童文学にあまり興味なく、フリークがいることは知っていたが特にトーベ・ヤンソンに興味はなかった。きっかけになったのは2001年に放映された<a href="http://archives.nhk.or.jp/chronicle/B10002200090110090130007/">「北欧トレッキング紀行森と湖の国　ムーミン谷への旅～フィンランド～」</a>というNHKのドキュメンタリー番組だ（2010年1月に再放送あり）。故・岸田今日子のナレーションで、後に「かもめ食堂」に主演する小林聡美（ムーミン世代）が案内役だった。この番組でクルーブ・ハル島が紹介され、見ると島も小屋もあまりに小さい。30年間もここで夏を過ごしたのかと驚いた。水道も電気ももちろんない。自然と向き合うしかないのだ。</p>

<p>この番組ではさらりとしかふれていなかったが、トゥーリッキ・ピエティラという女性の存在をここで知った。調べてみると、トーベ・ヤンソンの生涯のパートナーだったようだ。私はこの手の話が大好きで飛びついた。トーベ・ヤンソンがレズビアンだったかどうかは、この際私にとってはどうでも良いことで、女性どうしが長年連れ添って生きたというのがついいいなと思ってしまうのだ。例えばガードルード・スタインとアリス・B・トクラスとか。それは仲の良い老夫婦を見るのに一見似ているが、真逆でもあったりする憧れだと思う。</p>

<p>この作品はヤンソンのエッセイ「島暮らしの記録」を小説にしたようなものだと<a href="http://d.hatena.ne.jp/owl_man/20100710/p1">こちら</a>で教わって、<a href="http://d.hatena.ne.jp/owl_man/20090302/1236002068">「フェアプレイ」</a>から読むことにした。短いエピソードを積み重ねた物語だが、舞台はフィンランドの小さな島だけではない。ヘルシンキの街中だったり、旅行したメキシコの遊園地、アリゾナ州のフェニックスなど様々だ。ここまで来るのに様々に攻撃されたことだろうと思う。長年苦労して来て、自分一人の足で立っている人たちだからこそ、こうなるのかもしれない。強い独立心と心地よい依存。</p>

<p>微妙にかみ合ってない二人の会話がおもしろい。これは行き違いなどではない。言いたいように言っているからそうなるのだ。省略されている部分が実はすごく多くて、言ってない言葉がたくさんあるから、かみ合ってないように見えたりするのだ。</p>

<p>二人とも芸術家だから年をとっても野心がある。小説で苦しんでいるマリにヨンナがアドバイスもするし、パリに留学しようという話で悩んだり、様々に葛藤がある。二人の間も仲良しこよしではまるでなく、ケンカばかりだ。信頼できる相手だからこそ、出来るケンカなんだなと思う。フェアプレイ。対等の関係って、こういうことなのか。</p>

<p>さらに、二人の話は二人だけのものではない。共通の友人もいるし、マリの弟もいる。70歳近いのに92歳の老人に小娘扱いされてがっくりしたり、50歳程度の女性を弟子にとり、ご執心のヨンナにマリがひどく腹を立てたりする。</p>

<p>70歳近い老女が二人でボートをこいだり、鴉を撃ったり、魚のかかった網を引き上げたり、ボートが霧で動けなくなったり、自然とごく普通につきあっている。孤島で夏を過ごすことは子供の頃から毎年やっていたヤンソンにとっては当たり前のことだったのだろうけれど、それはとてもまね出来ないなと思う。</p>

<p>小説家・挿絵画家のマリがヤンソンで彫刻家で元教師のヨンナがトゥーリッキのようだが、両方にトーベ・ヤンソン自身が反映されているのかもしれない。マリの母親がよく出てくるが、長い間３人で暮らしたそうだから、それも加味されているのかもしれないと思った。</p>

<p>いろいろなことがあって、年老いて、最後に信頼出来る友人と一緒にいられたらいいなと思うのは普通じゃないかなと思うのだけど...順番からすると女性の方が長生きなんだし。同性だと言わなくてもわかり合える部分が多いが、その分感情がぶつかりやすい。異性だと、わからないからこそ一からきちんと話さなければならないという気構えがあり、それがいい意味での距離感をもてれば、一緒に暮らすには男女の方が良いのかもしれない。でも、それも年をとると面倒くさいと思う部分が大きいのかもと思ったりもする。この辺は男性同士にはない感覚だろうな。</p>

<p>それにしても、ファスビンダーを一緒に夜中に見てくれる友人がいたら、いいなぁ。</p>

<p>■著者：トーベ・ヤンソン著，冨原眞弓訳<br />
■書誌事項：筑摩書房　1997.12.20　（トーベ・ヤンソン・コレクション）　ISBN4-480-77017-8<br />
</p>]]></description>
            <link>http://www.cafebleu.net/blog/archives/2010/08/post-261.html</link>
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                <category domain="http://www.sixapart.com/ns/types#category">040)その他海外文学</category>
            
            
                <category domain="http://www.sixapart.com/ns/types#tag">トーベ・ヤンソン</category>
            
            <pubDate>Wed, 18 Aug 2010 01:02:44 +0900</pubDate>
        </item>
        
        <item>
            <title>螺旋　サンティアーゴ・パハーレス</title>
            <description><![CDATA[<p><span class="mt-enclosure mt-enclosure-image" style="display: inline;"><a href="http://www.amazon.co.jp/dp/4863322232?tag=cafebleu0b-22"><img alt="螺旋　サンティアーゴ・パハーレス" src="http://www.cafebleu.net/blog/images/4863322232.jpg" width="184" height="259" class="mt-image-left" style="float: left; margin: 0 20px 20px 0;"  /></a></span>木村榮一先生の翻訳したものならつまらないはずはないと思い刊行直後に購入したのだが、少し軽めだという書評を見て、良い意味でそれならもったいないから夏のバカンスで読もうと思って積んでおいた作品。</p>

<p>本格ミステリにはほど遠く、文芸作品でもないが、エンターテイメント性の高い良い小説だと思う。版元としては実際微妙だったのかもしれない。だからミステリふうな帯になるのだろう。二転三転というほどのストーリーではないので、あまり誠実な帯文句とは言えないが、売るためには多少仕方あるまい。</p>

<p>話はやはりネタバレしない方が良いのだろうなと思いつつ、トマス・マウドという作家を探す編集者ダビッドのストーリーとマドリーの麻薬中毒患者フランの脱麻薬ストーリーの二本立てで出来ている。結構早い段階でトマス・マウドが誰かわかった。が、結論からいうとそれは正解ではなかったのだが、完全な間違いでもなかった。</p>

<p>最初は秘書エルサのお話と3本立てかと思ったが、エルサの話がフランの物語に吸収されていくので、結局は2本立てになる。私にはダビッドのスラップスティックというより単に間抜けな探偵物語より、フランの脱麻薬の話の方が緊張感があって、いつまた注射してしまうんだろうとハラハラしながら読んだのでよほどおもしろかった。フランの友人のレケーナのITの下っ端で酷使されまくりの話も身近な話だった。少し前に書かれた小説だから若干古い部分はあるが、こんなふうに軽く扱われてしまう若い人は今でもいるのだろう。スペイン人も夜中まで働くんだなぁと妙に感心する。</p>

<p>ダビッドの方は生活を変えるチャンスはあったのにあえてそうせず、レケーナはどうしても生活を変えたくて思い切った行動をし、いずれも求めていたものは得られそうなので、それそれでよかったが、今ひとつ納得いかない点もある。それから、フランがエルサの鞄を奪った件はマルタにちゃんと話したのかどうか、エルサに謝ったのかどうか、書いてなかったような気がする。</p>

<p>ヴィレッジブックスはこれまでも木村先生の訳で現代スペイン文学の<a href="http://www.cafebleu.net/blog/archives/2006/02/post-183.html">「黄色い雨」</a>、<a href="http://www.cafebleu.net/blog/archives/2008/01/post-158.html">「狼たちの月」</a>を出版しているが、リャマサーレスの格調高さに比べると、雰囲気はまるで違う。けれど、魅力的な若い作家が出てきているのはよくわかった。パハーレスはポール・オースターが好きというくらいだから、過去のスペイン文学とは違う傾向をもっている。2作目3作目は木村先生の弟子の人とかに訳してもらい、木村先生ご自身はどんどん新しい作家を見つけてください。</p>

<p>■著者：サンティアーゴ・パハーレス著，木村榮一訳<br />
■書誌事項：ヴィレッジブックス　2010.2.27　ISBN4-86332-223-2／ISBN978-4-86332-223-3<br />
■原題：El paso de la h&eacute;lice, 2004: Santiago Pajares</p>]]></description>
            <link>http://www.cafebleu.net/blog/archives/2010/08/post-260.html</link>
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                <category domain="http://www.sixapart.com/ns/types#category">035)スペイン文学</category>
            
            
                <category domain="http://www.sixapart.com/ns/types#tag">サンティアーゴ・パハーレス</category>
            
            <pubDate>Sun, 15 Aug 2010 14:23:15 +0900</pubDate>
        </item>
        
        <item>
            <title>愛と狂気と死の物語―ラテンアメリカのジャングルから</title>
            <description><![CDATA[<p><span class="mt-enclosure mt-enclosure-image" style="display: inline;"><a href="http://www.amazon.co.jp/dp/477911540X?tag=cafebleu0b-22"><img alt="愛と狂気と死の物語" src="http://www.cafebleu.net/blog/images/477911540X.jpg" width="200" height="291" class="mt-image-left" style="float: left; margin: 0 20px 20px 0;" /></a></span>ウルグアイ出身のアルゼンチン作家オラシオ・キローガ（1878～1934）（1878～1934）の短編集。<a href="http://www.google.co.jp/search?q=%E3%82%AA%E3%83%A9%E3%82%B7%E3%82%AA%E3%83%BB%E3%82%AD%E3%83%AD%E3%83%BC%E3%82%AC&ie=utf-8&oe=utf-8&aq=t&rls=org.mozilla:ja:official&hl=ja&client=firefox-a">「オラシオ・キローガ」</a>と音引きを入れた方が過去の作品を検索できるだろう。<a href="http://www.amazon.co.jp/s/ref=nb_sb_noss?__mk_ja_JP=%83J%83%5E%83J%83i&url=search-alias%3Dstripbooks&field-keywords=%83I%83%89%83V%83I%83L%83%8D%83K&x=0&y=0&ih=1_0_0_0_0_0_0_0_0_1.310_47&fsc=-1">「オラシオ・キロガ」</a>というのは日本では童話作家だ（同一人物だが）。<a href="http://www.cafebleu.net/blog/archives/2001/08/post-36.html">「ラテンアメリカ短編集」</a>などで読んだことがあるが、一冊まるごとは初めてだ。というのも、一冊まとめて邦訳されたのが初めてだから、当然だろう。</p>

<p>ボルヘス、ガルシア＝マルケスら以前の作家で、ジャングルの不思議の話は好きだ。特に最後の「アナコンダ」は蛇の特性がそれぞれ生かされた物語でおもしろい。登場する人間たちは比較的簡単なミスで死んでしまう。厳しい自然の中を生き抜いてきたわりにはあっさりと死ぬ。それがジャングルというものだという主張が見える。</p>

<p>本書がもちろん刊行されたことに、もちろん意義はあると思うのだが、どうしても「なぜ今」感が抜けない。ラテン・アメリカのブーム以後の作家がようやく邦訳されている昨今、なぜ今それ以前の作家のものを出すのだろう...？という気がしてならない。カルチャーセンターでのスペイン語講座のまとめ、という本書の由来も若干「残念」という感じがする。二束三文の翻訳料か、奨学金でもない限りラテンアメリカの翻訳書なんて出にくいのは理解できるが、現代企画室にも彩流社にも明らかに新しい読者を開拓しようと意欲が見えないのは残念だ。この厳しいジャンルで「売れること」「新規読者を開拓すること」を目指して本を企画・刊行しているのは白水社くらいなものだ。ラテンアメリカ文学の翻訳を読む連中なんて、どうせ小さな小さな村だから、どうでもいいと軽んじられている気が少ししてしまう。<br />
そうは言っても買いますが、義務感からとしかいいようがないな、特に彩流社の場合。</p>

<p><br />
■著者：オラシオ・キローガ著，野々山真輝帆編<br />
■書誌事項：彩流社　2010.7.1　ISBN978-4-7791-1540-0<br />
■内容：<br />
一粒のダイヤ<br />
漂流船の怪<br />
メンスーのこと<br />
丸太釣り師<br />
野生の蜂蜜<br />
平手打ち<br />
不毛の地<br />
白い昏睡<br />
人間になったトラ─フアン・ダリエン<br />
死にゆく男<br />
急行列車の運転手<br />
羽を抜かれたオウム<br />
故郷を追われて<br />
アナコンダ<br />
</p>]]></description>
            <link>http://www.cafebleu.net/blog/archives/2010/07/post-259.html</link>
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                <category domain="http://www.sixapart.com/ns/types#category">010)ラテンアメリカ文学</category>
            
            
                <category domain="http://www.sixapart.com/ns/types#tag">オラシオ・キロガ</category>
            
            <pubDate>Fri, 16 Jul 2010 21:22:34 +0900</pubDate>
        </item>
        
        <item>
            <title>そんな日の雨傘に　ヴィルヘルム・ゲナツィーノ</title>
            <description><![CDATA[<p><span class="mt-enclosure mt-enclosure-image" style="display: inline;"><a href="http://www.amazon.co.jp/dp/4560090106?tag=cafebleu0b-22"><img alt="そんな日の雨傘に" src="http://www.cafebleu.net/blog/images/4560090106.jpg" width="200" height="286" class="mt-image-left" style="float: left; margin: 0 20px 20px 0;" /></a></span><blockquote>46歳、無職、つい最近彼女に捨てられた。<br>どこにも居場所がない......。</blockquote></p>

<p>こんな帯見たら、すごくさえないおっさんの暗い話かなと思ってしまうのだが、あまり暗くない。それに、おじさんは思っていたよりさえないわけではない。</p>

<p>とはいえ、主人公の男は事実彼女に捨てられたばかりだし、仕事もなくしそうな状況に陥る。ギャラがいきなり75パーセントカットというのは、それは普通やめろという意味だ。その仕事が「靴の試し履き」で、高級靴を履いて街を歩き回り、その使用感をレポートするというもの。</p>

<p>彼は継続的な仕事に就いたことがない、というか就こうとしない。相当なインテリのようだが、仕事が長続きしない。そして今は「自分に存在証明を出したことがない」と己のレーゾンデートルのなさに確信をもっている。街を歩きながら人々を観察し、妄想ばかりしている。彼女の残していった預金通帳がいつ引き上げられるかわからないので、経済的にもせっぱ詰まっている。「上着を投げてしまう」＝狂気に陥るか、「消えてしまいたい」＝自殺するか、二者択一なくらい精神的にも追い詰められている......はずなのだが、そのわりに彼はのんきな感じがする。</p>

<p>彼は街を歩きながら、よく昔の知り合いに出会う。地下鉄があったり、大きなデパートがあったりするので大きな街なのだろうと思うが（どうやらフランクフルトらしい）、そんなに頻繁に知り合いに会うかな、普通、と思ってしまう。幼い頃からこの街で育っているらしく、嫌いな知り合いにも会ってしまうが、よく昔のガールフレンドにも会う。それから、彼女に振られた直後のわりに、それなりに懇ろな女性もちゃんといる。どうやら、彼にはあまり孤独感が漂っておらず、だから死か狂気か、といった緊迫感がない。彼をなんとか救っているのは、実は歩き回っているこの街なのではないかと思ったりもする。街に対して愛情あふれた書き方では決してないのだけれど。</p>

<p>昔自分をひどい目に遭わせたイヤな奴が、自分から女性を奪ったとわかっても、その頼みを聞いてやる人の良さが、結局彼に新しい仕事をもたらす。長年の彼女は去っていったが、新しい彼女も出来た。そうやって彼をなんとか立ち直らせたのは、その、当のイヤな奴がデパートのチラシのポスティングをしている姿、それでも車の鏡でカッコつけている姿のようだ。とても俗っぽいが、「ああはなりたくない」という気持ちが、この最後の方のシーンには出ていた。能力があっても仕事に就こうとしないような頑なで面倒くさい男だが、人間を動かすのは所詮そんなものの力なのだろう。</p>

<p>最後に、一つわからなかった点を。彼は街を歩きながらいろいろなものを観察する。サーカスで馬の毛を剥くのに夢中になっている少女、掃除人がつれて来る子供などなど。その中に、時折障碍者が入ってくる。デパートの中で車いすの女性、日用雑貨店の前の手回しオルガンに合わせて手を叩いているダウン症の青年など。彼らに目をとめる理由は何なのだろう。そのまなざしは淡々としていて特に感情をもたない。単純にドイツの町中だから日本などよりよく見かけるというだけか、それならわざわざ書かないだろう。この点の解釈を誰かに教えてもらいたいと思っている。</p>

<p>■著者：ヴィルヘルム・ゲナツィーノ著，鈴木仁子訳<br />
■書誌事項：白水社　2010.6.20　ISBN978-4-560-09010-7<br />
■原題：Ein Regenschrim f&uuml;r diesen Tag : Wilhelm Genazino, 2001</p>

<p><br />
</p>]]></description>
            <link>http://www.cafebleu.net/blog/archives/2010/07/post-258.html</link>
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                <category domain="http://www.sixapart.com/ns/types#category">020)ドイツ文学</category>
            
            
                <category domain="http://www.sixapart.com/ns/types#tag">ヴィルヘルム・ゲナツィーノ</category>
            
            <pubDate>Wed, 07 Jul 2010 11:41:35 +0900</pubDate>
        </item>
        
        <item>
            <title>絆と権力―ガルシア＝マルケスとカストロ</title>
            <description><![CDATA[<p><span class="mt-enclosure mt-enclosure-image" style="display: inline;"><a href="http://www.amazon.co.jp/dp/4105061615?tag=cafebleu0b-22"><img alt="絆と権力" src="http://www.cafebleu.net/blog/images/4105061615.jpg" width="200" height="291" class="mt-image-left" style="float: left; margin: 0 20px 20px 0;" /></a></span>ガルシア＝マルケスとキューバの指導者フィデル・カストロの関係については、断片的な情報しか知らなかった。たとえばガボはバルガス＝リョサと昔は親交があったがキューバに対する姿勢の違いから決別したとか、レイナルド・アレナスのガボに対する手厳しい批判とか、間接的な情報しかなかった。ガボがカストロとの親交が深く、度々キューバについて発言していることは知っていても、実際にはどのような内容なのだろう？と思っていた。本書は長い間の二人の関係をそのきっかけから様々な事件を通じて綿密に教えてくれている。</p>

<p>もともとカストロという人物、キューバという国が簡単にはくくれない複雑なところがある。独裁国で反米国で経済的困窮に陥っている。出て行く人は何十万という規模でいるが、「ブエナビスタ・ソシアル・クラブ」で見る限りハバナでは明るく楽しく暮らしている人々もいる。医療先進国で、マラドーナはフィデルのおかげで生き返った。反米姿勢からか野球が強い、等々。国際社会から批判を浴びるフィデル・カストロを庇い続けるガルシア＝マルケスもなかなかに謎の人物だったが、本書はかなり多くを解明してくれた。</p>

<p>最大の謎である「ガボはなぜカストロに忠実なのか？」という問いに、いろいろ言うが結局は「彼が権力者を愛しているからだ」という回答が出ている。作家として独裁者を頻繁に題材に取り上げて研究しているのだから、それはそうだろう。ガボの場合、権力に魅入られ、それを行使することに夢中になっているのではなく、権力者の生態そのものに深い関心があるという書き方ではある。もちろん、友人や知人の亡命や救命の口利きをするところなどで権力を行使することに酔っているような面もあるだろうが、自ら公式なポジションを受け入れることはない。大統領に立候補したバルガス＝リョサや外交官だったネルーダらとは違う。しかし、そのフィクサー的な役回りを楽しんでいるところはよくわかった。</p>

<p>ガボがパディージャ事件やアンゴラ出兵、オチョア事件や記憶に新しいエリアンくん事件など、その都度言うべきときに沈黙し、言わなくても良いときにキューバに都合の良い物語を吹聴し、親友を銃殺されたときも黙り込み、キューバの作家たちがどのように自由を奪われ迫害されても、ひたすらカストロを心棒する様子が面々とかかれている。読んでいるうちにガボの欺瞞と身勝手さ、非人道さに胸くそが悪くなる思いを何度もした。だが、いわゆる「保身」からではなく、心から「カストロが好きだし、カストロに好かれている僕が好き」というところが見え隠れするとこが本当に妙だ。</p>

<p>ガボに作家としての良心や欲はあるが、個人としての良心はない。芸術家と言ってしまえばそれまでだが、真正面から政治にオミットせざるを得ないラテンアメリカの芸術家としては希有な存在だろう。それだけ高見にいるということなのだろうか。それにしても自分の影響力を十分理解した上での行動なので、現存作家としてもこれだけの批判を浴びながら、「でも売れてるからいいじゃん」とでも思っているのか？の言動は、リョサやアレナスでなくても許し難いものがある。</p>

<p>後はもう自伝が2～3冊出るだけで、新作が出るわけではなさそうだからよいのだが、本書のおかげで、これまで通りに無邪気にガルシア＝マルケスを読めなくなってしまったことは確かだ。もちろん、それを恨むつもりはない。とても興味深いノンフィクションを刊行してくれて感謝しているし、たぶん今後もガボの作品はやはり読むだろうと思う。</p>

<p>■著者：アンヘル・エステバン，ステファニー・パニチェリ著著，野谷文昭訳<br />
■書誌事項：新潮社　2010.4.30　ISBN978-4-10-506161-6<br />
■原題：Gabo y Fidel  El Paisaje de una Amistad, 2004</p>]]></description>
            <link>http://www.cafebleu.net/blog/archives/2010/06/post-257.html</link>
            <guid>http://www.cafebleu.net/blog/archives/2010/06/post-257.html</guid>
            
                <category domain="http://www.sixapart.com/ns/types#category">010)ラテンアメリカ文学</category>
            
            
                <category domain="http://www.sixapart.com/ns/types#tag">ガルシア＝マルケス</category>
            
                <category domain="http://www.sixapart.com/ns/types#tag">フィデル＝カストロ</category>
            
            <pubDate>Thu, 24 Jun 2010 11:37:33 +0900</pubDate>
        </item>
        
        <item>
            <title>冨貴美智子「もじょぶ」</title>
            <description><![CDATA[<p>予告通り『Kiss Plus』（隔月刊）2010年7月号から冨貴美智子の連載が始まった。「冨貴美智子」のキーワードで検索すると、GoogleでもYahoo!でも<a href="http://www.cafebleu.net/blog/archives/2010/03/post-252.html">このページ</a>が一番上に出てしまうので、若干責任を感じて、続報をアップしておこうと思う。</p>

<p>6ページの短編が2本。今後も連作は継続するようだ。「もじょぶ」とは「文字JOB」で仏具メーカーの文字係が主人公。文字を書くのが仕事で、仏壇、香典等様々な場所に美しい楷書で文字を書いていく。28歳、独身女子が「漢字萌え」で仕事も私生活も漢字に捧げている様子が普通のOLの日常をベースに描かれている。悪くない。気になるのは、何故「文字JOB」か？ということ。この人は漢字が好きなだけで、平仮名は嫌い。文字じゃなくて「漢字JOB」じゃないか？語呂が悪いんだろうけど。</p>

<p>剽窃なんかしなくても、ちゃんとオリジナルのネタを持っている。「猫飼っていい？」にも主人公が文字を書いている姿がある。こういう仕事をしているか、身近にしている人がいたのだろう。絵もかわいいし、将来性を見込まれているのもわかる。</p>

<p>だが。</p>

<p>こんな滅多に更新しないようなブログで前回わざわざ取り上げたのは、他のブログでボロカス書かれていて、かわいそうだなという同情と、同時にこの剽窃っぷりが「あんまりだ」という怒りがやはりあったのだと思う。</p>

<p>剽窃した本人も悪いけど、佳作をあげて『Kiss』本誌に掲載してしまった編集はどうなのか。読者から盗作盗作言われてうんざりしていると思うが、「るきさん」を知らなかったのか、あるいは伊藤理佐氏の指摘を甘く見ていたのか、いずれにせよ、読者をなめている。受賞と掲載はせずに、この「もじょぶ」でデビューさせればよかっただけじゃないのか？と、この作品を読んで余計に思う。</p>

<p>今後の彼女のキャリアを考えると、剽窃を非難する記事がずっとネットには残ることになる。末次由紀の盗作問題だって、検索すれば一発だ。禊ぎは済んだみたいなことを言う人もいるし、「ちはやふる」の成功で忘れた人もいるかもしれない。でも、覚えている人は覚えてる。トレースの量の問題やそれまでのキャリアなど、冨貴美智子とは比較にならないけれど、「ちはやふる」レベルの作品を書かないとならないということかとも言える。</p>

<p>冨貴美智子も、この後もし大きく人気が出てもデビュー作が単行本に収録できないなどの後はひくだろうと思う。末次由紀の場合はキャリアも長かったため本人の責任は大きいが、見て見ぬふりをしていた編集に対する批判も出ていた。それより、この新人の方が編集の責任は大きいように思う。</p>

<p>私は一応今回だけはわざわざ『Kiss Plus』を購入して書くが、今後まで追いかけていくつもりはさすがにない（だいたい『Kiss』だって「のだめオペラ編」が載ってるときだけだし）。だが、漫画家として頑張って欲しいとは思う。</p>]]></description>
            <link>http://www.cafebleu.net/blog/archives/2010/06/post-256.html</link>
            <guid>http://www.cafebleu.net/blog/archives/2010/06/post-256.html</guid>
            
                <category domain="http://www.sixapart.com/ns/types#category">075)マンガ</category>
            
            
            <pubDate>Tue, 15 Jun 2010 09:51:42 +0900</pubDate>
        </item>
        
        <item>
            <title>ボッカチオ&apos;70</title>
            <description><![CDATA[<p><span class="mt-enclosure mt-enclosure-image" style="display: inline;"><a href="http://www.amazon.co.jp/dp/B00386MO1Q?tag=cafebleu0b-22"><img alt="ボッカチオ '70" src="http://www.cafebleu.net/blog/images/B00386MO1Q.jpg" width="200" height="282" class="mt-image-left" style="float: left; margin: 0 20px 20px 0;" /></a></span>長い間絶版になっていたDVDだが、2010年5月新たに出たので買ってみた。一作品だいたい75分～80分くらい。全部で3時間以上。観るのに時間がかかるので、1作ずつ観てみた。すると、どうやら自分はヴィスコンティのものしか観ていないことに気付いた。</p>

<p>大物監督と女優の組み合わせの3本組＋新人1本の作品だった筈だが、前述のように長いので、日本公開時には第1話の新人監督分が省かれていたそうだ。無理もない。しかし、この「レンツォとルチアーナ」の工場から昼休みに出てくる人・人・人...。プールでのこれまた人・人・人...。すごいモブシーンで圧倒された。結婚したけれど、お金がないので奥さんの実家に同居になり、二人きりになれない。新婚なのに...というジリジリした感じにプラス職場で結婚していることをオープンできない（でないとクビになるからってすごいセクハラ）という二重のストレスで特に夫が爆発寸前！その上妊娠したかも...？結局二人ともぶち切れて、全部パー。すれ違い生活で苦労はしても、やっぱり二人がいいね、というお話。</p>

<p>「アントニオ博士の誘惑」はフェリーニ＆エクバーグで、この組み合わせだと「甘い生活」（1959年）があり、その直後の作品にあたる。人工的なボディがあふれる現代の日本で、この自然なボリュームの肉体美のなんと健康的なこと。フェリーニ万歳だ。それにしてもアントニオ博士が巨大アニタ・エクバーグの胸に抱かれるシーンのなんとチープで素敵なこと。今だったら絶対CGだろうけど、CGじゃないというところがかえって新鮮。</p>

<p>「仕事中」というタイトルになっているが、「仕事」や「前金」という邦題もあった気がする。ヴィスコンティ作品は貴族の新婚倦怠夫婦のお話。この舞台装置（映画でも舞台のようです）と家具調度の素晴らしいこと。ヴィスコンティ私物持ち出し感満載。ブランドにまるでうとい私でもわかるシャネルのスーツを着こなすロミー・シュナイダーがかわいい。まだまだ小娘という感じで、もうちょっと年をとった方が私は知的度が増して好み。父親に「仕事中なの」という時のロミー・シュナイダーの涙が、裏切られた怒りや屈辱感、でも所詮自分はお嬢様育ちだというところの自己憐憫、そういったものが全部込められているようで、グっと来る（<a href="http://www.cafebleu.net/blog/archives/2005/03/703.html">昔書いたもの</a>）。</p>

<p>物語としてはデ・シーカの「くじ引き」が一番良いかもしれない。デ・シーカ＆ソフィア・ローレンの「昨日・今日・明日」「ああ結婚」も大好きだからかな。気の強い、あまり上品でない、はすっぱな女だけど、とても貞節で情の熱いところがあり、ちょっとほろっとさせるところが、いいな。</p>

<p>全体的にミューズ感のある女優群だった。次は<a href="http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%8F%AF%E3%82%84%E3%81%8B%E3%81%AA%E9%AD%94%E5%A5%B3%E3%81%9F%E3%81%A1">「華やかな魔女たち」</a>がDVD化されないかな。</p>

<p>■制作：カルロ・ポンティ<br />
■スタッフ<br />
第1話「レンツォとルチアーナ」監督・脚本：マリオ・モニチェリ／共同脚本：ジョヴァンニ・アルピーノ，イタロ・カルヴィーノ，スーゾ・チェッキ・ダミーコ／出演：マリサ・ソリナス<br />
第2話「アントニオ博士の誘惑」監督・脚本：フェデリコ・フェリーニ／出演：アニタ・エクバーグ<br />
第3話「仕事中」監督・脚本：ルキノ・ヴィスコンティ／出演：ロミー・シュナイダー<br />
第4話「くじ引き」監督：ヴィットリオ・デ・シーカ／出演：ソフィア・ローレン<br />
■日本公開：1962年</p>]]></description>
            <link>http://www.cafebleu.net/blog/archives/2010/06/boccaccio70.html</link>
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                <category domain="http://www.sixapart.com/ns/types#category">020)映画</category>
            
            
                <category domain="http://www.sixapart.com/ns/types#tag">イタロ・カルヴィーノ</category>
            
                <category domain="http://www.sixapart.com/ns/types#tag">ソフィア・ローレン</category>
            
                <category domain="http://www.sixapart.com/ns/types#tag">フェデリコ・フェリーニ</category>
            
                <category domain="http://www.sixapart.com/ns/types#tag">ルキノ・ヴィスコンティ</category>
            
                <category domain="http://www.sixapart.com/ns/types#tag">ロミー・シュナイダー</category>
            
                <category domain="http://www.sixapart.com/ns/types#tag">ヴィットリオ・デ・シーカ</category>
            
            <pubDate>Tue, 01 Jun 2010 00:44:44 +0900</pubDate>
        </item>
        
        <item>
            <title>野生の探偵たち／ロベルト・ボラーニョ</title>
            <description><![CDATA[<p><span class="mt-enclosure mt-enclosure-image"><a href="http://www.amazon.co.jp/dp/4560090084?tag=cafebleu0b-22"><img alt="野生の探偵たち" src="http://www.cafebleu.net/blog/images/4560090084.jpg" width="200" height="286" class="mt-image-left" style="float: left; margin: 0 0 20px 0;"/></a></span><span class="mt-enclosure mt-enclosure-image"><a href="http://www.amazon.co.jp/dp/4560090092?tag=cafebleu0b-22"><img alt="野生の探偵たち" src="http://www.cafebleu.net/blog/images/4560090092.jpg" width="200" height="286" class="mt-image-left" style="float: left; margin: 0 0px 20px 0;"/></a></span><br clear=all /><br />
「エクス・リブリス」シリーズ発刊当初よりのラインナップに入っていたロベルト・ボラーニョの「野生の探偵たち」。1年間待ちかねていた。上下巻850ページほどの大著で、読書の愉しみを満喫した。</p>

<p>物語は1970年代のメキシコから始まり、バルセロナやパリ、イスラエルなど世界中をまわって、1996年で終わっている。最初にそう聞いたときはなんだか壮大な教養小説のように思えたのだが、読み終えたら全然そんなんじゃないなと思った。第一部、第三部が日記形式、第二部が53名の証言集。第一部と第三部の話はつながっていて、1975年の出来事。第二部は第三部の後からで基本的に時系列になっているが、アマデオ・サルバテイェラの証言だけ、ずっと1976年のまま続いている。</p>

<p>主人公はアルトゥーロ・ベラーノとウリセス・リマの二人。基本的にはこの二人の話なのだが、証言者の話があちらこちらに飛ぶので、全然関係のない話も入ってくる。証言の一つ一つも長いものと短いものがあり、長いものだと一つのエピソードがしっかり語られているので、短編の連作集のようにも見える。登場人物は第二部で語手となっている53人だけでなく、語られている人物たちも入るため、相当数に上る。白水社のホームページに<a href="http://www.hakusuisha.co.jp/exlibris/2010/04/27/1725.html">主な登場人物の一覧</a>があるので、プリントアウトして参照しながら読むと良いと思う。</p>

<p>この作品の「語り」は複雑だ。第一部と第三部はガルシア・マデーロという17歳の詩人志望の少年が語っている。第一部ではアルトゥーロとウリセスは最初に出てくるが、すぐに消えてしまい、あまり姿が見えない。二人は「はらわたリアリズム」の中心人物のはずなのだが、その周辺にいるフォント家の人々や新派の詩人たちの話ばかりだ。そして復活したと思ったら、インパラに乗ってメキシコ北部に去っていく。（ここでSteppen Wolfの"Born to be wild"が聞こえて来る）</p>

<p>第二部は証言集で、最初にアマデオ・サルバテイェラが登場する。彼の証言はセサレア・ティナヘーロに関する証言で、これを聞いているのはアルトゥーロとウリセスになる。それ以外の証言は誰に向かって話しているのかわからない架空の人物になっているが（ガルシア・マデーロのような気がする）、一つだけ、アルトゥーロに話しかけている証言（アンドレス・ラミレス）があり、ちょっと不思議だった。</p>

<p>この最初のアマデオの証言の次の証言をスタート地点とする。アルトゥーロの高校時代から始まり、メキシコでどのような活動をしていたかが語られ、それからメキシコ北部から帰った後にヨーロッパへ飛んで放浪が始まる。読み進む中でキーワードとして頭にあったのが「不在」という言葉だ。アルトゥーロとウリセスはここにいないセサレアを追い、証言者たちはここにいないアルトゥーロとウリセスについて語っている。不在の多重構造になっていて、いったいこのインタビュアーは何を（誰を）探しているのだろう？という落ち着きのなさというか、ぼんやりとした浮遊感がつきまとう。</p>

<p>そして、第三部になって初めてアルトゥーロとウリセスの声が聞こえて来たような気がした。第一部でも多少はしゃべっているし、第二部の証言者たちも「アルトゥーロはこう言った」というようなことは言っているのだが、声については、ずっと距離を感じていた。</p>

<p>ところが、姿はすぐに思い浮んだ。作品の中で最初の方、度々語られていたせいもあるのだが、ウリセスについては背が低くてがっちりしている。ところがアルトゥーロについては裏表紙のボラーニョの若いころの写真のイメージそのままだ。汚い格好をして、麻薬の密売をして、メキシコにいる...。オートバイに乗ってはいないものの、まるっきり「イージー・ライダー」の世界だなと思っていたら、下巻冒頭でそのまま出てきたので、ちょっと驚いた。確かに、アルトゥーロはピーター・フォンダではないが、私の頭の中ではアルトゥーロとウリセスは凸凹コンビで出来上がっていため、そのまま修正せずに年をとらせていった。</p>

<p>第一部、ガルシア・マデーロが街のカフェや書店をうろうろしているところは、先日読んだガルシア＝マルケスの自伝の若い頃にそっくりだ。カフェや書店に行って人と会い、議論をし、ものを書き、本を読む。女の子に恋をし、失恋し、親兄弟ともめる。若い文学を志す作家はみなそんなふうに過ごしていかなければならないのだろう。こういう話を読むといつも思い出すのが<a href="http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B1%B1%E6%9C%88%E8%A8%98">「山月記」</a>だ。芸術を志す者は「臆病な自尊心と、尊大な羞恥心」と戦い、切磋琢磨しなくては大きくなれないというわけだ。アルトゥーロがベラーノ自身の反映と聞かされているが、ガルシア・マデーロの物語の中に自身の経験も反映されているように思えた。</p>

<p>第二部からいろいろな人々の証言が出てくる。ウリセス・リマはパリでうさんくさいペルー人に騙されたり、イスラエルでネオ・ナチの若者に出会ったり、と変な男たちとかかわることが多い。南仏で漁師をして稼いだり、メキシコ帰国後にサンディニスタ政権のニカラグアに行ったりと、なんだか男くさい、硬派な感じなのだが、それに対してアルトゥーロは女性とのかかわりが多い。シモーヌ・ダリュー（フランス人）、メアリー・ワトソン（イギリス人）、エディット・オステル（メキシコ人）、スサーナ・ブーチ、マリア・テレサ（スペイン人）とバラエティに富んでいる。その割に元妻が出てこないのだが、そこは証言が得られなかったということか。高校生の頃は美少年だったそうだからモテるんだな。それに対してウリセス・リマの方はクラウディアをイスラエルまで追いかけて行って、そしてふられるという悲しい出来事しか恋バナがない。アルトゥーロ＝モテ、ウリセス＝非モテということらしい。ひどいな。しかし、この二人、南仏で会って以後はまったく会っていないようだ。</p>

<p>ウリセス・リマがフランス→イスラエル→オーストリア→メキシコ→ニカラグアと転々としているのに対し、アルトゥーロ・ベラーノの方は移動しているものの、基本的にスペインの中にいる。そして最後にアフリカへ行ってからは、あちらこちらに行っているようだ。アルトゥーロの最後は暗示的ではあるがはっきりとわかるのだが、ウリセス・リマの方は最後に登場するのがオクタビオ・パスの秘書の証言だから、DF（作品内ではメキシコシティのことをこう表現する。Distrito Federalの略）にいるようだ。登場するのがオクタビオ・パスだし、まさに原点回帰だろう。それにしてもスペインで小説家として本も出版したこともあるベラーノに対し、ウリセス・リマについては最初から一貫して詩に対する才能がないという証言が見られる。この差はなんだろう？それでも何故二人が主人公なんだろう。もう一度読めばわかるだろうか。</p>

<p>下巻の261ページにレイナルド・アレナスと思われる人物への言及がある。既存の体制への反逆という点でボラーニョには共感するところがあったのかもしれないなと、ちょっと思った。</p>

<p>ところで、この本の装丁だが、ジュール・ド・バランクールの『衆愚の饗宴』という絵が上下巻で2分割されている。とても素晴らしい。これくらい装丁に気合いが入ってると、本を買って得した気分になる。もちろん、中身もいいけど、外見もいい。電子出版物ではこれは味わえない（パッケージソフトありならあるかも）。版元の気合いが感じられて素晴らしい。</p>

<p>次は「2666」だそうだ。いつ出るかは不明だが、やはり白水社からのようだ。待っている間に、もう一度読み返すことになるだろう。</p>

<p><br />
■著者：ロベルト・ボラーニョ著，柳原孝敦、松本健二訳<br />
■書誌事項：白水社　2010.4.20 上：449p／下：422p　上：ISBN978-4-560-09008-4／ISBN978-4-560-09009-1<br />
■原題：Los Detectives Salvajes. Robert Bola&acute;o, 1998<br />
<hr><br />
以下は白水社とチリ大使館が2010年4月23日セルバンテス文化センターで開催した<a href="http://tokio.cervantes.es/FichasCultura/Ficha62562_67_25.htm">翻訳本出版記念講演「野生の探偵たち」</a>のときのメモ。</p>

<ul>
<li>野谷先生が真ん中で向かって左に柳原先生、右に松本先生。野谷御大はダンディでカッコいい。
<li>記者の質問に対して答える柳原先生：スラングの翻訳に苦労したそうだ。柳原先生が読み上げたのは以下の文章。
<blockquote>
詩の大海にはいくつかの潮流が見て取れる。ホモ、おかま、ヘンタイ、痴カマ、隠れホモ、フェアリー、ニンフ、オネエ。だが、いちばん大きな潮流はホモとおかまだ。たとえばウォルト・ホイットマンはホモ詩人だ。パブロ・ネルーダはおかま詩人だ。ウィリアム・ブレイクはホモ詩人だ。間違いない。そしてオクタビオ・パスはおかま詩人だ。ボルヘスはオネエ、つまりふとホモになったかと思えば次の瞬間には単に無性愛者にもなる。ルベン・ダリオは痴カマ詩人、事実、彼は痴カマ詩人たちの女王にして規範だった。
</blockquote>

<p>......「痴カマ」って何ですか？それは野谷先生訳の<a href="http://www.cafebleu.net/blog/archives/2001/05/post-21.html">「苺とチョコレート」</a>の中の訳を使ったそうだが、よくわからない。そもそもがセクシャル・マイノリティの詳細な分類について知っているわけがないので大変だったそうだ。</p>

<p><li>ラテンアメリカ文学はジャーナリズム出身の作家（ガルシア＝マルケスやバルガス＝リョサ）がいる一方、ボラーニョのような詩人出身の作家もいるという話。ボルヘスとかそうですか？でも詩人出身で長編小説って、なんだかすごいかも。</p>

<p><li>松本先生によると、ボラーニョがイサベル・アジェンデと仲が悪いというか公に悪口を言い合っていたそうだ。これは納得できる。「精霊たちの家」「エバ・ルーナ」以外はどうも私もダメだから（エッセイは別だけど）。どんどんただのロマンス小説になっていったような気がする。</p>

<p><li>田村さと子先生、いらしてました？野谷先生が壇上から「田村さん」と話しかけてらしたのですが。チリの詩人と言えば、パブロ・ネルーダと<a href="http://www.amazon.co.jp/dp/4755140080">ガブリエラ・ミストラル</a>ですからね。大使館主催だし、招待されていて当然だろうとは思うのですが、後ろの方の席にいたため確認できず。<br />
</ul></p>]]></description>
            <link>http://www.cafebleu.net/blog/archives/2010/05/post-255.html</link>
            <guid>http://www.cafebleu.net/blog/archives/2010/05/post-255.html</guid>
            
                <category domain="http://www.sixapart.com/ns/types#category">010)ラテンアメリカ文学</category>
            
            
                <category domain="http://www.sixapart.com/ns/types#tag">ロベルト・ボラーニョ</category>
            
            <pubDate>Tue, 11 May 2010 11:00:14 +0900</pubDate>
        </item>
        
        <item>
            <title>嘘から出たまこと</title>
            <description><![CDATA[<p><span class="mt-enclosure mt-enclosure-image"><a href="http://www.amazon.co.jp/dp/4773810025?tag=cafebleu0b-22"><img alt="嘘から出たまこと" src="http://www.cafebleu.net/blog/images/4773810025.jpg" width="200" height="291" class="mt-image-left" style="float: left; margin: 0 20px 20px 0;"/></a></span>セルバンテス賞コレクションの第2弾はマリオ・バルガス＝リョサの小説論。35作品に対する評論が収められている。20世紀の世界文学における有名な小説ばかりで、すべて日本語訳が出ている。私は半数も読んだことはないが、さすがに、タイトルすら知らないというものはなかった。</p>

<p>作家であるのみならず、文学評論においても評価の高いリョサの書く小説論は多くの示唆に富んでおり、フィクションの本質をよくついている。<br clear=all /></p>

<blockquote>人間は自分の運命に満足できないもので（中略）、今と違う生活に憧れる。（中略）すなわち、誰もが求めてやまぬ理想の生活を提供するために書かれ、読まれるのがフィクションである。
（中略）...
（小説の真実は）作品自体の説得力であり、架空の出来事の伝達能力であり、その魔術の巧みさである。良い小説はすべて真実を歌え、悪い小説はすべて嘘をつく。小説において、「真実を伝える」とは読者に幻想を生きさせることであり、「嘘をつく」とはその手品をやり損なうことである。</blockquote>

<p>あまりにも多くの作品で鋭い言説が含まれているため、全部を取り上げることは出来ないが、一番印象に残った言葉は、ジョン・スタインベックの「エデンの東」を取り上げた、その冒頭だ。</p>

<blockquote>現代文学の興味深い特徴の一つは、しばしば駄作の方が傑作よりも楽しいことだろう。小説の世紀といわれた十九世紀にはこんなことは起こらなかった。トルストイやメルヴィル、スタンダールやフロベールを読めば、情熱をかき立てる歴史的・感情的冒険と大胆な文学的実験の両方に立ち会うことができた。</blockquote>

<p>20世紀の文学においてはコンラッドやヘンリージェイムス、プルースト、ジョイスなどの作品を読むのは知的な作業としては楽しいが、古典的な物語の楽しみ方とは異なる行為になってしまう。つまり、物語としてのわくわく感、おもしろさに欠けてしまう。そしてスタインベックの「エデンの東」は文学としてはメチャクチャなのだが、読むと面白くてしょうがない、といった話になっていく。物語を楽しんでいる自分に腹が立つ、とまで言っている。</p>

<p>だからこそリョサは文学的実験と物語の楽しさと、両方合わせ持った19世紀のような文学作品を20世紀、あるいは21世紀の現在に再現しようと奮闘しているようにも見える。この人はエッセイもいいが、やはり長編小説を読みたい。</p>

<p>川場康成の「眠れる美女」が入っているが、ガルシア＝マルケスがこの作品をきっかけに「わが娼婦たちの思い出」を書いたという話を思い出した。南米で評価の高い作品なのだなと、あらためて思う。</p>

<p>せっかくだから読んだことのないもので読みたいなと思ったものをピックアップしたいのだが、「アフリカの日々」以外知らなかったアイザック・ディネーセンの作品くらいなものだった。ここにも2作品入ってるし、キューバにもいたのに、私はどうしてもヘミングウェイを読む気にならない。大昔に「キリマンジャロの雪」を読んでからずっとそうだ。多分、男のロマンティシズムとかが大嫌いだからだと思う。加えてマザコンだし。これはもう立派な偏見だし、単なる毛嫌いだと自覚しているが、直りそうもない。</p>

<p>ところで、スペインの賞だから、スペインだとLlは「ジョ」だから、ということは理解できるが、ペルーの人だし「リョ」でもいいんじゃないかと。それに何より検索の便宜を考えたら、日本では多い方の表記に合わせた方が読者のためだと思うのだが。確かに、初版の部数が1200部だから、読者なんかどうでもいいということなのんだろうか。そしてまた、相変わらず装丁が安っぽい。こんなマイナーな文芸書、助成金がなかったら出せないことはわかっている。読めただけありがたいと思えということか。なんだかこのシリーズ、読む気がだんだんなくなって来るな。中身は素晴らしいし、訳者に文句はないが、版元の姿勢が、せっかくなのになと思ってしまう。</p>

<p>■著者：マリオ・バルガス=ジョサ著，寺尾隆吉訳<br />
■書誌事項：現代企画室　2010.2.15　390p　ISBN4-7738-1002-5／ISBN978-4-7738-1002-8<br />
■原題：Le verdad de las mentrias : Mario Vargas Llosa, 1990,2002<br />
■目次</p>

<p>序文<br />
嘘から出たまこと<br />
人間の根源　ジョゼフ・コンラッド『闇の奥』（1902）<br />
深淵からの呼びかけ　トーマス・マン『ヴェニスに死す』（1912）○<br />
ジョイスのダブリン　ジェイムス・ジョイス『ダブリンの市民』（1914）○<br />
群衆と破壊の都　ジョン・ドス・パソス『マンハッタン乗換駅』（1925）<br />
平凡のなかの濃密で豪華な生活　ヴァージニア・ウルフ『ダロウェイ夫人』（1925）○<br />
宙に浮いた楼閣　スコット・フィッツジェラルド『華麗なるギャツビー』（1925）○<br />
荒野のおおかみの変身　ヘルマン・ヘッセ『荒野のおおかみ』（1927）○<br />
フィクションとしてのナジャ　アンドレ・ブルトン『ナジャ』（1928）<br />
悪の聖域　ウィリアム・フォークナー『サンクチュアリ』（1931）<br />
悪夢のような楽園　オルダス・ハックスリー『すばらしい新世界』（1932）<br />
英雄、幇間、そして歴史　アンドレ・マルロー『人間の条件』（1933）<br />
幸せなニヒリスト　ヘンリー・ミラー『北回帰線』（1934）○<br />
男爵夫人の物語　アイザック・ディネーセン『七つのゴシック物語』（1934）<br />
悪夢のリアリズム　エリアス・カネッティ『眩暈』（1936）○<br />
頑固者たち　アーサー・ケストラー『真昼の暗黒』（1940）<br />
希望を持つ権利　グレアム・グリーン『情事の終り』（1951）<br />
異邦人死すべし　アルベール・カミュ『異邦人』（1942）○<br />
社会主義、絶対自由主義、反共産主義　ジョージ・オーウェル『動物農場』（1945）<br />
哲学と感性の娼婦　アルベルト・モラヴィア『ローマの女』（1948）<br />
驚異的現実か、文学的仕掛けか？　アレホ・カルペンティエル『この世の王国』（1949）○<br />
勇気による救済　アーネスト・ヘミングウェイ『老人と海』（1952）<br />
みんなの祝祭　アーネスト・ヘミングウェイ『移動祝祭日』（1964）<br />
駄作礼賛　ジョン・スタインベック『エデンの東』（1952）<br />
スイス人になれるか？　マックス・フリッシュ『ぼくはシュティラーではない』（1954）<br />
三十歳になったロリータ　ウラジーミル・ナボコフ『ロリータ』（1955）<br />
公爵の嘘　ジュゼッペ・トマージ・ディ・ランペドゥーサ『山猫』（1957）○<br />
風邪に揺れる焔　ボリス・パステルナーク『ドクトル・バジゴ』（1957）○<br />
太鼓の乱れ打ち　ギュンター・グラス『ブリキの太鼓』（1959）○<br />
夢に揺れて眠る夜　川端康成『眠れる美女』（1961）<br />
挫折に満ちた黄金のノート　ドリス・レッシング『黄金のノート』（1962）<br />
楽園の脱落者　アレクサンドル・ソルジェニーツィン『イワン・デニーソヴィチの一日』（1962）○<br />
ばらばらになった人文学者　ソール・ベロー『ハーツォグ』（1964）<br />
特性のない英雄　アントニオ・タブッキ『供述によるとペレイラは...』（1994）○<br />
文学と生活<br />
訳者あとがき</p>]]></description>
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                <category domain="http://www.sixapart.com/ns/types#category">010)ラテンアメリカ文学</category>
            
            
                <category domain="http://www.sixapart.com/ns/types#tag">バルガス＝リョサ</category>
            
            <pubDate>Thu, 22 Apr 2010 22:42:59 +0900</pubDate>
        </item>
        
        <item>
            <title>私が電子書籍に期待すること。</title>
            <description><![CDATA[<p>私が電子書籍に期待すること。それは普通に空間の確保と検索性。</p>

<p>例えば雑誌なら。<br />
<a href="http://www.villagebooks.co.jp/villagestyle/monkey/">モンキービジネス</a>をずっと買っていたのだが、先日やむを得ず古書店に売った。紙はやっぱりスペースが厳しい。本はもちろん買うのだけど、全部は残しておけないから、例えば<a href="http://www.villagebooks.co.jp/villagestyle/monkey/contents/">今号なら</a>ポール・オースターと高野文子だけPDFかe-bookみたいな形で部分的に購入できないかな。スクラップしたい。<br />
もちろん、それはGoogle Documentのe-book版みたいなところにためておいて、どこからでも見られるの。iPadでも。</p>

<p>例えば書籍なら。</p>

<p>絶対に欲しい本は紙で買うと思う。食費削ってでも買うタイプだから。</p>

<p>エッセイとか新書とか、ちょっとした本は電子ブックでいい。どうせ読んだらすぐ古書店に売ってたわけだし。</p>

<p>実用書はケースバイケースな気がする。PCソフトの解説書なんて、ネットで調べればたいてい出てくるわけだから、わざわざ本を買うときは、きちんと正座してそのソフトと向き合う時なわけ。だから「本単体」「本と電子ブックセット」「電子ブックのみ」の3種類で売って欲しいな（電子ブックはネットでダウンロードですよ、もちろん）。検索性を考えたら電子ブック欲しいし、でも紙で頭から最初は読みたかったりするし。</p>

<p>漫画はかえってダメかも…本がいいかな。お試しの作家なんかは、最初電子ブックで読んでから書籍にという動きになるかも（のだめがそうだった）。</p>

<p><a href="http://www.amazon.jp/dp/4863322380?tag=cafebleu0b-22">モンキービジネス vol.09</a>を買おうとして、ふと頭に浮かんだ事柄でした。</p>]]></description>
            <link>http://www.cafebleu.net/blog/archives/2010/04/post-253.html</link>
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                <category domain="http://www.sixapart.com/ns/types#category">095)その他</category>
            
            
            <pubDate>Wed, 21 Apr 2010 10:10:12 +0900</pubDate>
        </item>
        
        <item>
            <title>冨貴美智子「猫飼っていい？」と高野文子「るきさん」</title>
            <description><![CDATA[<p><span class="mt-enclosure mt-enclosure-image"><a href="http://www.amazon.co.jp/dp/4480872248?tag=cafebleu0b-22"><img alt="るきさん" src="http://www.cafebleu.net/blog/images/4480872248.jpg" width="150" height="222" class="mt-image-left" style="float: left; margin: 0 20px 20px 0;"/></a></span>（注：<a href="http://www.cafebleu.net/blog/archives/2010/06/post-256.html">こちらにその後を書きました</a>）</p>

<p>『Kiss』No.5　2010年2月25日発売号に掲載された冨貴美智子（ふけ・みちこ）「猫飼っていい？」という作品が高野文子の「るきさん」にそっくりな点があることは、読んですぐに気づいた。その日のうちに「冨貴美智子」をGoogleで検索してみたが、『Kiss』の書誌情報以外は1件もひっかからない。その後も気にはなっていたが忘れていて、昨日ふとまた名前で検索したところ、2chととあるブログがひっかかった。やはり、そうだよね。</p>

<p>在宅で仕事をしている女性ののんびりとした日常を描いているという設定が「るき」さんと同じだけではない。絵や話の流れもかなり似ている。</p>

<p>まずは扉絵。お店の前で主人公が歩いている図はほぼ「るきさん」の表紙絵と同じである。</p>

<p>第一話、瞳子さんが自宅で仕事をしているところ、仕事以外のことをしているところ、そして月末にお給料をもらいにいくところまで、流れはほぼ一致している。</p>

<p>第二話、おともだちのてんちゃんの登場したポーズ、「るきさん」のお友達のえっちゃんが登場したときのポーズと一緒。えっちゃんとめがねの丸い顔はほぼ同じキャラクター。</p>

<p>というように、明らかな模倣が見られる。</p>

<p>この作品、第20回Kissマンガ大賞（ショート部門）佳作だそうで、そのときの受賞の言葉が2chに転載されていたので、そのまま引用する。</p>

<blockquote>
第20回 kissマンガ大賞結果発表<br>
ショート部門　佳作　賞金50万円<br>
『猫 飼っていい？』（4px5本 6px1本）<br>
萩野ふみこ　新潟県　25歳<br>

<p>審査員コメント：伊藤理佐氏</p>

<p>デビューおめでとうございます。パチパチパチ。<br />
瞳子さんの小さいけど、地味だけど、きちんとした暮らし、楽しいです。<br />
4コマにぴったりな素敵な主役だと思います。<br />
読んでいてホッとします。<br />
すこーしだけ、ほんと少しだけ残念なのは萩野さんが好きな（目指している？）<br />
漫画家さんがわかってしまうこと、かな。<br />
でも他の漫画家さんも、もちろんわたしも誰かの子供！<br />
色んな漫画家さんのミックスの子供なのです。<br />
これから大事なのはとにかくいっぱい描くことだと思います。<br />
頑張ってください！</p>

<p>Kiss 2009年12/10号（23号）より<br />
</blockquote></p>

<p>このように伊藤理佐氏が受賞時に指摘しているので、編集が知らないわけはない。そして名前が受賞時の「萩野ふみこ」から掲載時には「冨貴美智子」に変えられているのだ。編集側はもちろん気づいていて、掲載している。そして『Kissプラス』で7月号から連載が決まっているのだそうだ。</p>

<p>さて、ここで高野文子先生についてだが、私はかなりライトな高野ファンである。高野先生が萩尾先生をとてもリスペクトしているので、という理由で読み始め、一応全作品（といっても寡作な方なので、少なめだが）拝読した。</p>

<p>すごい。画力、構成力、物語も、その奥深さも、すべてが圧倒的にすごい。これだけ高い水準の作品を描いていればそりゃ寡作にもなる。どれほど高く評価されている作家かは、様々な文献でもわかった。絵の力は「おともだち」で、物語としては「ラッキー嬢ちゃんのあたらしい仕事」で、「奥村さんのお茄子」なんか、もう難しくて頭が白くなってしまった。まさに孤高の天才だと思う。</p>

<p>そんな中で、例えば「東京コロボックル」や「るきさん」は比較的誰にでも受け入れられる作品だろうし、「黄色い本」なんかは、ちょっと文学部出身の友人になんかに勧めたら必ず飛びついてくれる作品だ。</p>

<p>だが、「るきさん」について高野先生本人があまり気に入っていないという話がある。本当なら、こんなにいい作品なのになと残念に思う一方、ちょっと毛色が違うからなぁと納得もする。バブル期の「Hanako」にこんな作品が載っていたとは、ものすごく浮いていたと思う。でも、そんなことが出来てしまうのも、高野文子だからと言えるだろう。</p>

<p>あらためて言うが、「るきさん」は在宅で医療事務をしながら、ゆったりマイペースで暮らす若い女性のお話だ。えっちゃんという友達もちゃんといるし、結構いろいろなところに出かけて楽しく過ごしている。私はすごく好きな作品だ。読んでいて、心からほっとする。</p>

<p>冨貴美智子の「猫飼っていい？」を読んだとき、「盗作か！？」という怒りより前に「この続きを読みたい」と思ったのは事実だ。今この時代に「るきさん」のような人の話が読みたい。きっとどんな立場の人でも、その物事にとらわれてなさかげんに「そうか、なんでもいいじゃん」というリラックスした気になるのではないかと思う。<a href="http://www.cafebleu.net/blog/archives/2009/11/post-248.html">「週末、森で」</a>も自宅で仕事をしながらのんびり生きる人の話だった。少々説教くさいのが玉に瑕だが、これがウケたのだから、「猫飼ってもいい？」もいいんじゃないかと、編集者は考えたのかもしれない。</p>

<p>「猫飼っていい？」は、高野作品に対し、あまりにもリスペクトが強くて、盗作と言われても仕方がないことになってしまっているのだろう。きちんと別の設定も考えてあるようだし、もったいない。オリジナリティを強め、模倣している部分を弱めて、続きを描いてくれないかなと思う。正直「模倣」というにはひどすぎる。アマチュアならともかく、プロとしてはこのままではやっていけないだろう。方向性は悪くないが、やり方が最悪だった。だからプロの漫画家としての力量がどうなのか、まだこちらには見えてこない。</p>

<p>尚、<a href="http://www.shodensha.co.jp/fy/book/nananankiriko/sample/000017.php">魚喃キリコの「ハルチン」</a>も「るきさん」をリスペクトして産まれた作品だそうだ。色遣いや雰囲気、女性二人が出てくるあたりは近いが、内容は違う。リスペクトするのなら、これくらいのクオリティがないと世に出てはいけないと思う。</p>

<p>これから、この人はどうなるんだろうな。批判も多いと思うし。でもいいものも持ってると思うので、注目していこうと思う。</p>]]></description>
            <link>http://www.cafebleu.net/blog/archives/2010/03/post-252.html</link>
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                <category domain="http://www.sixapart.com/ns/types#category">075)マンガ</category>
            
            
                <category domain="http://www.sixapart.com/ns/types#tag">高野文子</category>
            
            <pubDate>Tue, 16 Mar 2010 00:55:49 +0900</pubDate>
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