最近読んだ本、見た映画・芝居、聞いたCD

プロフィール

cafebleu

右カラムにおいてある画像はずっと昔、大切な友達に描いてもらったものです。一応私のような、そうでないような...と言われました。Tシャツにプリントしてくれたのですが、サイト使用の許可をもらい、ずっと使っています。思い入れの深い、大事な絵です。

以下はすべて趣味の話です。仕事の話はひとつも入っていないです。ネットの世界で自分の履歴を説明するのが面倒くさいときがあるので、書いておきます。

★マンガ
小学生のときに少女漫画に目覚める。当時は誰かが学校に持ってきた「週刊少コミ」「マーガレット」「花とゆめ」「セブンテイl-ン」等を読み、高橋亮子と池田理代子「オル窓」にはまり、三原順に挫折。「ポーの一族」はぼんやりとしか覚えていないが、初めて買った単行本が「11月のギムナジウム」(萩尾望都)だったのは不思議。それと「トーマの心臓」(小学館文庫)をずっと大切に読んでいた。

中学の中頃~高校・大学とほとんどマンガを読まなかったが、「メッシュ」だけはぼんやり記憶にあったので多分「プチフラワー」を読んでいたのだろう(あまりはっきりしない)。社会人になってからお金に余裕が出来たためマンガを再開。単行本を最初に買ったのはやはり萩尾望都「メッシュ」だった。同時に三原順を復活させる。大人になってようやく少しわかった。

ほか波津彬子、西村しのぶ、内田善美がベスト5で、全作品を保存している。よしながふみ(同人誌は西洋骨董洋菓子店のみ)、松田奈緒子、ヤマシタトモコ、えすとえむ、河内遙クラスの年代がそれに準じ、全作品読んでいる。ほかに伊藤理佐、西炯子等いろいろ読んでいるけれど、傾向が割合めちゃくちゃだなと思う。

★文学

中学のときに海外文学に目覚める。母親の持っていた世界文学全集のロマン・ロランや「風と共に去りぬ」「嵐が丘」等、文学少女が読むものを一通り読む。ミステリは気に入ったが、大人になってからの楽しみにとっておく。SFは難しくて挫折。栗本薫や村上龍を学校の図書室で少しだけ読んでいた。

その後はお小遣いが少なかったため、新潮と岩波の文庫本にお世話になり、世界文学ジャンルをほとんど読破する。高校2年の頃、読んでいたのがちょうどゲーテ、トーマス・マンなどドイツ文学だったため、大学は独文に進んでしまう。当時も今も学部になっているところは少ないマイナージャンル。入学した頃はロシア文学を読んでいたというタイミングの悪さ。

大学に入り、ドイツ語に苦労するも習得できず。ロマン派はヘルダリンが好きだったが、「青い花」のノヴァーリスで挫折。講師だった臼井隆一郎先生によりアンナ・ゼーガースを知る。また、池田信雄先生によりジャン・パウルを知る。

卒論はブレヒトの権威・岩淵達治先生。そんな人を先生にブレヒトをやるほど愚か、いや賢くはなかったため、ヴェーデキントに方向転換。

社会人になり、ぺーぺーの悲哀を感じていた頃、ようやく文庫本から離れて単行本を買うことができるようになったうれしさもあって、「ホテル・ニュー・ハンプシャー」のジョン・アーヴィングなどアメリカの長編小説にはまる。長い間愛好したヨーロッパから抜け出して、明るめのアメリカ人作家におぼれるが、ミニマリズムに染まりだした頃抜け出す。

「文学部唯野教授」のモデルが卒業した大学の隣の学部の教授と知り興味をもつ。筒井康隆の導くままにしていたら、「緑の家」バルガス=リョサに出会い、陳腐だがまさに衝撃を受ける。そのままラテンアメリカ文学にはまる。バルガス=リョサ、プイグ、ガルシア=マルケス、ホセ・ドノソ、レイナルド・アレナスが好きなベスト5。最近これにロベルト・ボラーニョが続く。

2010年現在はラテンアメリカの作家を中心に、スペイン語圏、ドイツ、イギリス、アメリカなどの作家を読む。ただし、読書量は少ない。文芸書は月に1~2冊程度。

★映画
中学の頃、Doorsの「The End」に惹かれ、「地獄の黙示録」を一人で観に行く。初めて一人で見た映画だった。Star Warsなんかも好きだった。

大学に入り、学部の都合上ゲーテ・インスティトゥートに通い、まだ日本ではあまり知られていなかったヴィム・ヴェンダースに出会う。その一方でアメリカン・ニューシネマにはまる。

卒論をヴェーデキントにしたのはルイーズ・ブルックス「パンドラの箱」が好きだったせいもあり。1920年代のドイツ映画に浸食される。

やはり学生時代、オーストラリア軍のカッコイイ白い軍服が魅力の「夏の嵐」がきっかけでヴィスコンティにはまる。

★音楽
中学の頃、パンクからロックを聞き始める。Led Zeppelinが活動停止中だったりした時代。The Beatlesを聞き始めて夢中になり始めた頃、John Lennonに死なれてしまう。そのためあらためて一から正座してThe Beatles~John Lennonに取り組んだ。

高校生の頃、日本人のアーティストでははっぴいえんどと井上陽水のみが好きだった。一方で、グラムロックやらプログレやら、ハードロックやら。ヘビメタ以外の洋楽ロックはなんでもあさる。特にはまったのが1960年代後半のサイケロックあたり。

大学生の頃、1980年代のネオアコ(ネオ・アコースティック)にはまる。Everything but the girlThe Style Councilが何より好きだった。サイトの名前はアルバム「Cafe Bléu」に由来する。

バブルの頃、海外の大物アーティストが大勢やって来る。The Rolling Stones初来日公演は前から3列目で見ることができた。お金がコンサート代に消えていくうち、次第に洋楽に対する興味が消えていき、1990年代はほぼ音楽を聴かなかった。

2000年頃"Cafe Bléu" つながりでParis Matchを知る。別途インディーズだったorange pekoeにはまる。知らない間に邦楽が楽しいことになっていた。Jazzyなポップスをポツポツと聞いている。
そしてまたあらためてThe Beatlesを一から正座して聴いたりしている。

★演劇
大学生の頃、サークルの先輩に連れ回されて、つかこうへい、寺山修司、清水邦夫、別役実等を観に行く。わりと裕福な人の多い学校だったので、その人も比較的裕福な人で、私の分も出してくれていた。その中で清水邦夫の「タンゴ、冬の終わりに」に衝撃を受ける。その後、つかこうへいは頻繁に観に行っていた。

清水邦夫が新作を書かなくなってから、蜷川幸雄演出の旧作を観に行っていたが、2010年現在、それもなく、芝居はあまり観なくなってしまった。

★サッカー
弟がサッカー部だったことから高校サッカーを見るようになり、Jリーグスタートより少し前から日産を応援し始める。日産vs読売の時代。Jリーグ開始後はマリノス・サポーター。当時マリノスにディアス、ヴィスコンティなどのアルゼンチン人が多かったことがその後アルヘン・サポになる一つの原因ではある。

1996年、日本代表五輪チームのアトランタオリンピックの予選突破に感動し、おもわずアメリカに行ってしまう。そこでマイアミの軌跡を見てしまう。その後の2試合のチームのメンタル的なひどさは見ている方にも伝わって来て、日本代表サポーターが悲痛な叫びを聞きながら、二度と日本代表の応援はしたくないと決意。後から金子達仁の「28年目のハーフタイム」が出て、ものすごい納得。日本代表は対象として近すぎて、負けるとどん底に落ちてしまって日常生活にも支障が出てしまうため、という理由もあった。海外のチームなら比較的距離をおくことができる。


そのアトランタ五輪で準優勝だったのがアルゼンチン。オルテガ、クラウディオ・ロペス、クレスポ、サネッティ、キリ・ゴンサレスらの世代。だからマラドーナはアメリカW杯のときにちらと見ただけ。アルゼンチン・リーグだと、若干リーベル寄りだが時期によっていろいろ。2010年現在、Jスポーツで見ることが出来ないのが寂しい。

アルゼンチン選手がスペインリーグに多かったこともあり、リーガ・エスパニョーラを見始める。基本はバレンシア・サポーターだが、アルゼンチン人が少ないときはバルセロナ・サポーターにもなる。バルサはサビオラ以後はだいたいアルゼンチン人がいるので見ていることが多い。レアル・マドリーを応援していたのはレドンドがいた頃少しだけ。

現在はリーガエスパニョーラとUEFA Champions Leagueを1節1試合をノルマに見ている。