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    <title>Cafebleu Diary</title>
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    <subtitle>最近読んだ本、見た映画・芝居、聞いたCD</subtitle>
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    <title> ヘルデンプラッツ</title>
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    <published>2008-06-10T15:18:54Z</published>
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    <summary>トーマス・ベルンハルト最後の戯曲は、語り手が饒舌なところは相変わらずなのだが、い...</summary>
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        <![CDATA[<p><a href="http://www.amazon.co.jp/dp/4846006166?tag=cafebleu0b-22"><img src="http://www.cafebleu.net/blog/images/4846006166.jpg" style="margin: 0pt 10px 10px 0pt; float: left;" height="291" width="200" alt="ヘルデンプラッツ" class="mt-image-left" /></a>トーマス・ベルンハルト最後の戯曲は、語り手が饒舌なところは相変わらずなのだが、いつもの一方的に語る人が一幕目と二幕目以降と異なる。その上、本来なら語っているであろう人物が故人ときている。つまりこの戯曲で語っている人は、故人がどうだった、故人はこう考えた、ということを延々と語っているのだ。本人だったらもっと毒づいているであろうところが、少し引いたような印象をもつところだ。もちろん、批判をおそれてそういう構造にしたわけではなく、むしろ少し抑えめにでもしないと、爆発しそうな怒りを観客に感じさせてしまうことを避けたのかもしれない。それでも未曾有のスキャンダルだったそうだ。時の首相から大臣、オーストラリア国民全員が罵倒されているのだから、それも当然だろう。</p>

<p>1938年のヒトラーのウィーン侵攻・凱旋演説を行ったヘルデンプラッツ（英雄広場）のすぐ側、そして当のブルク劇場も見えるという舞台背景は劇場の外にいるのか、中にいるのか、混乱させる効果をもっていたのだろう。なんだか1960年代の新宿アートシアターのようだ。外では学生運動のデモ隊と警官が衝突し、劇場の中でも同様の風景が繰り広げられ、劇場の中では混乱した観客が警官役の役者に殴りかかりそうになることもあったそうな。</p>

<p>外の争乱とは、この場合、英雄広場に集まり、ヒトラーを迎える歓喜の声だ。劇場から出たところで、ヒトラーを迎える歓喜の声があがっていたらどうしよう、という怖さを観客は持っていたのではないだろうか？</p>

<p>ベルンハルトって死ぬ直前にすごいことする人だったんだと、この戯曲を読んで実感した。</p>

<p>■著者：トーマス・ベルンハルト著，池田信雄訳<br />
■書誌事項：「ドイツ現代戯曲選30　第30巻」　論創社　2008.5.25　242p　ISBN978-4-846000616-7／ISBN4-8460-061-6<br />
■原題：Der Theatermacher, Thomas Bernhard, 1984<br />
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    <title> 座長ブルスコン</title>
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    <published>2008-06-02T15:15:41Z</published>
    <updated>2008-06-10T15:55:08Z</updated>

    <summary>随分とこれも待たされた気がする。右上の「刊行されるのを待っている本」のコーナーに...</summary>
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        <![CDATA[<p><a href="http://www.amazon.co.jp/dp/4846006158?tag=cafebleu0b-22"><img src="http://www.cafebleu.net/blog/images/4846006158.jpg" style="margin: 0pt 10px 10px 0pt; float: left;" height="291" width="200" alt="座長ブルスコン" class="mt-image-left" /></a>随分とこれも待たされた気がする。右上の「刊行されるのを待っている本」のコーナーにずっとおいておいた本だ。</p>

<p>ベルンハルトの戯曲は「リッター・デーネ・フォス」以外は読んだことがなかったが、小説と変わらず、饒舌・毒舌、罵詈雑言で楽しい。ナチもオーストラリア国民も、俳優も、女性全般も、自分自身でさえも（非常灯の話は本人の実話だそうな）罵倒し、パロディにする、なんてサービス精神の旺盛な作家なんだろう。</p>

<p>ブルスコンは国民俳優だそうだが、妻と息子と娘の4人だけの劇団でもって地方を公演して回っている。明らかに落ちぶれているのだが、それを妻の欲深のせいにしたり、病気のせいにしたりと責任転嫁しているのだが、明らかに自分のせいだろう。家族は仕方なく付き合っているに過ぎない。それでも息子だけは無類のお人好しらしく、あまり不平も言わず父親に従っている。</p>

<p>座長の一人芝居のように延々と台詞が続けられるが、ちゃんと間をとって、旅館の亭主やら息子やらがひょいひょいと絡んで来るあたりが小説とは違うところだろう。ドイツ語で吠えると、これがまたきっとはまるんだろうな（静岡で5月31日に1回だけやった<a href="http://www.spac.or.jp/08_spring/elizabeth2.html">「エリザベス2世」</a>行きたかったな…）。</p>

<p>1600円とこの手の本にしては随分安いが、ゲーテ・インスティトゥートの助成を受けているらしい。戯曲だから、そんなには高くできないし、アマチュア演劇などで演じてもらうには安くないといけないしなぁ。</p>

<p>そう言えば<a href="http://www.shinchosha.co.jp/kangaeruhito/mokuji/24.html">新潮社「考える人」2008年春号</a>で、海外文学のコアな読者は日本全国で3,000人しかいないそうだ。これは納得できる。以前読んだ本の奥付に何故か初刷部数が書いてあって、そこに「3,000部」とあったからだ。そのときは「自分の読んでいる本は3000人しか読まないと思われているのか」とびっくりしたが、出版業界にいると文学作品の扱いなんて、実際そんな感じだしっていうのがわかってきてしまう。寂しい限り。</p>

<p>■著者：トーマス・ベルンハルト著，池田信雄訳<br />
■書誌事項：「ドイツ現代戯曲選30　第29巻」　論創社　2008.5.25　242p　ISBN978-4-846000616-7／ISBN4-8460-061-6<br />
■原題：Der Theatermacher, Thomas Bernhard, 1984<br />
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    <title> かなしい生きもの</title>
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    <published>2008-05-25T14:12:05Z</published>
    <updated>2008-05-25T14:51:20Z</updated>

    <summary>モーニカ・マローンは1941年生まれの東独ベルリン出身の作家。1981年に西側で...</summary>
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    <category term="モーニカ・マローン" label="モーニカ・マローン" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#tag" />
    
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        <![CDATA[<p><a href="http://www.amazon.co.jp/dp/4900621226?tag=cafebleu0b-22"><img src="http://www.cafebleu.net/blog/images/4900621226.jpg" style="margin: 0pt 10px 10px 0pt; float: left;" height="296" width="200" alt="かなしい生きもの" class="mt-image-left" /></a>モーニカ・マローンは1941年生まれの東独ベルリン出身の作家。1981年に西側でデビューした。この作品は50代になってから書かれたもので、ちょうど語り手が舞台としている時代の歳頃と同じ位だろうと思う。最初は語り手の女性が何歳なのか、何年頃なのかの設定もわからず、次第に明らかにされていくが、時折また記憶があやふやになっていく。「実際の起きたことと起こり得たことの違い」という表現がされているが、彼女の妄想なのか、実際に起きた事実なのかをあやふやにしながら、時に真実を明確に語りながら、物語は進んでいく。<br />
ちょうど1989年のベルリンの壁の崩壊以後にベルリンの街がダイナミックに変化し、人々の価値観も変化しつつある時代に生きた女性の物語として読むと興味深い。戦争帰りであるその親の世代との世代間ギャップ、彼女の世代における夫婦間のギャップ、娘世代との世代間ギャップ等、激しく変わる時代の中で生きた彼女が信じられるものがなかったのは確かだろう。彼女が唯一信じていた「ブラキオザウルスの前での出会い」のことを気軽に不倫相手の妻に話されて彼女は壊れてしまう。「戻ってくる」という言葉を信じなかった結果が結末だ。</p>

<p>物語の間ずっと不倫相手だった「フランツはもう戻ってこない」と彼女は語り続ける。読者に「何故戻ってこないのか？彼はどこに行ったのか？」という興味で引っ張りながら、上記の時代を生きた女性の不信感というものを突きつける構造になっているのだが、全体として言うと、読み進めるには私にとっては少々厳しいものがあった。確かに、途中に入る過去のエピソードは面白い。特に犬の誘拐の件、「カーリンとクラウス」の件など。しかし、全体的に引っ張れないため、これだけの長さの小説にしては途中なんども放り出しそうになった。多分、50代の不倫っていうのが、あまりに興味が持てないジャンルだからだろうと思う。</p>

<p>できれば、この作者のもう少し前のものを読みたい。が、翻訳されているのは、現在のところこれだけだ。</p>

<p>■著者：モーニカ・マローン著，梁池孝子訳<br />
■書誌事項：あむすく　2001.12.4　195p　ISBN978-4-900621-22-0／ISBN4-900621-22-6<br />
■原題：Animal Triste, Monika Maron, 1996<br />
=====<br />
memo<br />
Flight of Ashes (Flugasche), 1981＜飛散する灰＞<br />
Herr Aurich, 1982<br />
Das Mi&szlig;verst&auml;ndnis, 1982＜誤解＞<br />
The Defector (Die &Uuml;berl&auml;uferin), 1986＜寝返った女＞<br />
Silent Close No. 6 (Stille Zeile Sechs), 1991<br />
Nach Massgabe meiner Begreifungskraft: Essays und Artikel, 1993<br />
Animal Triste, 1996＜かなしい生き物＞<br />
Pavel's Letters (Pawels Briefe), 1999<br />
Endmor&auml;nan, 2002<br />
quer &uuml;ber die Gleise, 2002<br />
Wie ich ein Buch nicht schreiben kann und es trotzdem versuche, 2005<br />
</p>]]>
        
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    <title> バートルビーと仲間たち</title>
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    <published>2008-05-18T14:38:39Z</published>
    <updated>2008-05-18T14:43:59Z</updated>

    <summary>バートルビーというタイトルに惹かれて買ってしまったが、なかなか面白かった。最初の...</summary>
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        <category term="010)ラテンアメリカ文学" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#category" />
    
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        <![CDATA[<p><a href="http://www.amazon.co.jp/dp/4105057715?tag=cafebleu0b-22"><img src="http://www.cafebleu.net/blog/images/4105057718.jpg" style="margin: 0pt 10px 10px 0pt; float: left;" height="291" width="200" alt="バートルビーと仲間たち" class="mt-image-left" /></a>バートルビーというタイトルに惹かれて買ってしまったが、なかなか面白かった。最初の方はいわゆる文学エッセイみたいなものかな‥？と思っていた。25年前に小説を上梓したものの、書けなくなってしまった事務員「私」があらためて書く気になったテーマは「書けなくなった作家たちのことを書く」ということだった‥という設定で書かれた小説だった。しかもとても多作で期待されているスペインの現役の作家だった。</p>

<p>内容的にスペイン語圏の知らない作家の名前も多数出てくるが、大物も多いので、比較的平易に感じられる。一つの論旨を堀り下げたりはせず、メモを書き散らすというスタイルをとっているため、様々な作家が様々な理由をつけて書かなくなった話を断続的に次々出してくるだけなので、どんどん読み進めることが出来る。</p>

<p>ルルフォの話が最初の方に出てくる。この人も評価が高いわりに寡作だなーと思っていたら「ペドロ・パラモ」と「燃える平原」だけしか本当に書いていないんだ。どうりで翻訳が他に出てこないわけだ。当たり前だ。</p>

<p>書かなかった人といえばヴィトゲンシュタインの甥の方なんかも、実際何も書いてないけど、有名なんだがな‥。とかふと思ったりもする。<br />
帯にゲーテの名前が出ているけど、本文中に名前は出ているが書けなくなった人の一人として言及されているわけではないんだがな‥とか。カフカなんかの場合、書けなくなったとかではなくて、己の作品を否定したという代表例としては正しい。ヘルダリンなんかも意志として書かなくなったわけではなく、狂気故に書けなくなった代表例だ。しかし、それ以外あまりドイツ語圏の作家が出てこないな‥。フランスやスペイン、イタリア人に比べるとたゆまぬ努力を惜しまない人たちだからかな‥。</p>

<p>ところで、中に出てきて気になった名前は次の二人。ロドルフォ・ウィルコック（Jules Flamart Wilcock 1919-78、アルゼンチン－イタリア）とフリオ・ラモン・リベイロ（Julio Ramon Ribeyro、1929－1994ペルー）。特にリベイロの方は「どこで衝突するかわからないバルガス＝リョサにぶつからないようたえず用心しながら執筆していた」というくだりが笑えた。リベイロの方は各種短編集に入っているが、ウィルコックの方は翻訳はない。どこかで読めないものかな。</p>

<p>■著者：エンリーケ・ビラ=マタス著　木村榮一訳 <br />
■書誌事項：新潮社　2008.2.29　223p　ISBN978-4-10-505771-8／ISBN4-10-505771-5<br />
■原題：Bartleby de Compa&ntilde;a, Enrique Vila-Matas, 2000<br />
=====<br />
memo<br />
ロドルフォ・ウィルコック（Jules Flamart Wilcock 1919-78、アルゼンチン－イタリア）</p>

<p>フリオ・ラモン・リベイロ（Julio Ramon Ribeyro）<br />
「記章(バツジ)」 La insignia<br />
    井尻香代子訳 「エバは猫の中」サンリオ　1987.1.20（サンリオ文庫）／「美しい水死人」福武書店　1995.3.10（福武文庫） </p>

<p>「ジャカランダ」 Los Jacarandas<br />
　井上義一訳「ラテンアメリカ怪談集」河出書房　1990.11.2（河出文庫）</p>

<p>「分身」 Doblaje<br />
　木村榮一訳「遠い女―ラテンアメリカ短篇集 (文学の冒険シリーズ)」国書刊行会　1996.11<br />
</p>]]>
        
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    <title>monkey businessモンキービジネス </title>
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    <published>2008-04-28T18:27:42Z</published>
    <updated>2008-04-30T16:14:57Z</updated>

    <summary>文芸誌は意外と装丁がポイントだと気づいた。たとえば『yomyom』は悪くないが、...</summary>
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        <category term="030)英米文学" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#category" />
    
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    <category term="柴田元幸" label="柴田元幸" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#tag" />
    
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        <![CDATA[<p><a href="http://www.amazon.co.jp/dp/4863320086?tag=cafebleu0b-22"><img src="http://www.cafebleu.net/blog/images/4863320086.jpg" style="margin: 0pt 10px 10px 0pt; float: left;" height="300" width="200" alt="モンキービジネス 2008 Spring 野球号" class="mt-image-left" /></a>文芸誌は意外と装丁がポイントだと気づいた。たとえば<a href="http://www.shinchosha.co.jp/yomyom/">『yomyom』</a>は悪くないが、『文藝春秋』は触る気になれない。この雑誌はその点では非常に良い。書籍と違いカバーをかけないので、持っていて楽しいのはとりあえず魅力的だ。派手なわりにさわやかで、軽すぎず重すぎず、イヤミなくオシャレ。さすが鈴木成一。</p>

<p>ソニーマガジンズが2008年8月に書籍出版部門を売却して出来たヴィレッジブックスが意欲的に翻訳小説を売り出しているなぁと思いつつ、それはソニーマガジンズ当時からそうだったっけかと思う。雑誌メインの出版社が書籍部門を売却あるいは業務停止するのはよくあることで、要は「書籍は数字が見えない」のが原因。雑誌はあたればある程度数字が読めるようになるので、売り上げの見通しをある程度はたてられる。それで書籍だけの出版社の経営者は大変、ということになるのだが…。ともあれ、ソニーマガジンズが再び書籍を刊行し始めたのと同様、営業部門も完全に独立したヴィレッジブックスが雑誌を出すことにしたようだ。</p>

<p>柴田元幸が責任編集ということは英米の小説がメインだろうし、私は野球は嫌いだし、一応創刊号だから買ったのだが、すごい楽しめたかというと、今ひとつ。季刊ならまた多分買うだろう。なんというか、彼らの意欲を買いたいというところか。といっても、私は雑誌は必要に応じてしか買わないので、「ユリイカ」だって年に2～3冊、<a href="http://www.h7.dion.ne.jp/~deli/">「DeLi」</a>でさえ、毎号は買ってない有様だから、まじめに海外文学に向き合っているわけではないので、あまり私の姿勢はよくないとは思うが、時間に限りがあるのでしょうがない。</p>

<p>本誌で特筆すべきは「書写人バートルビー」の柴田訳だろう。これは<a href="http://www.campus.u-air.ac.jp/~gaikokugo/meisaku07/reading.html">放送大学「世界の名作を読む」</a>という番組で使用した翻訳で、PDFが<a href="http://www.campus.u-air.ac.jp/~gaikokugo/meisaku07/eBook/bartleby_h.pdf">こちら</a>にあるが、私は本誌で初めて読んだ。といっても「バートルビー」自体は「バベルの図書館」シリーズで読んだことはあったが別の訳者によるものだ。これを<a href="http://blog.goo.ne.jp/s_chloe/e/7c6e997e71e787cc2d8383bf02bcb3e0">読み比べたページ</a>があるので、参考になる。</p>

<p>「バートルビー」という言葉は、本読みにとってはなにやらとっつきにくいような、それでいてとても重要なキーワードのようなものだ。「ゴドー」とか「K」とか、そんな感じ。また、"I would prefer not to", "I'd prefer not to"も一つの常套句で、これの翻訳をどうするかは簡単ではないと言われる有名な台詞。解釈の多様さで魅力的な作品だが、下手に手を出すとやけどをするので素人は傍観しているがよろしいというタイプの作品だ。「掟の門」というか「審判」というか、私は勇気がないので、つっこめない。でもついいろいろ考えてしまって、それが楽しいタイプの作品だ。</p>

<p>最近では「バートルビー症候群」なる言葉も現れ、<a href="http://www.amazon.co.jp/gp/4105057715?tag=cafebleu0b-22">こんな本</a>も出た。出たばかりのようなので早速買ってみよう。</p>

<p>■書誌事項：ヴィレッジブックス　2008.4.18　247p　ISBN4-86332-0086-2／978-4-86332-008-6<br />
■オフィシャルサイト：<a href="http://www.villagebooks.co.jp/villagestyle/monkey/">http://www.villagebooks.co.jp/villagestyle/monkey/</a><br />
■目次<br />
野球のダイヤモンド、小説の輪郭：小川洋子，柴田元幸〔対談〕<br />
ヒーローインタビュー もしくは 野球はたんなる気晴らしに過ぎないか：田口犬男<br />
Writers on Basebal―オースター、ノーマン、ファレル：柴田元幸著<br />
僕はブラックソックスを覚えている：ジェームズ・T・ファレル著，藤井光訳<br />
このあたりの人たち―1―にわとり地獄：川上弘美著<br />
血：シェリー・ジャクソン著，柴田元幸訳<br />
浦ばなし―1―カニとカニンコ：小野正嗣著<br />
あかずの日記―1―二月～三月 分数アパート：岸本佐知子 <br />
流刑地にて：フランツ・カフカ原作，池内紀訳，西岡兄妹画<br />
ブーゲンビリア：バリー・ユアグロー著，柴田元幸訳<br />
書写人バートルビー――ウォール街の物語：ハーマン・メルヴィル著，柴田元幸訳<br />
第七官界彷徨(抄)：尾崎翠<br />
第七官界で、命がけで遊ぶ：川上未映子<br />
怪物たち：古川日出男<br />
ハルムスの世界―ひとりの男がいた ほか：ダニイル・ハルムス著．増本浩子/ヴァレリー・グレチュコ訳</p>]]>
        
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    <title>カレーソーセージをめぐるレーナの物語</title>
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    <published>2008-04-26T16:52:40Z</published>
    <updated>2008-04-26T18:37:56Z</updated>

    <summary> 「ユリイカ 3月号」を見て読もうと思った本の一冊。「カレーソーセージ」はドイツ...</summary>
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        <![CDATA[<p><a href="http://www.amazon.co.jp/dp/4309204392?tag=cafebleu0b-22"><img src="http://www.cafebleu.net/blog/images/4309204392.jpg" style="margin: 0pt 10px 10px 0pt; float: left;" height="300" width="200" alt="カレーソーセージをめぐるレーナの物語" class="mt-image-left" /></a> <a href="http://www.cafebleu.net/blog/archives/2008/03/20083.html">「ユリイカ 3月号」</a>を見て読もうと思った本の一冊。「カレーソーセージ」はドイツでは庶民の食べ物として知られているが、日本でいうと何になるのだろう？ということをずっと考えながら読んでいた。あとがきで訳者が「たこ焼き」みたいなものと言っていたが、座って食べるものではない、屋台で買って立ってその辺で食べるもの、という点では当たっている。ただ、たこ焼きはやはり大阪発信の全国的な食べ物なので、1949年のベルリン発と言われているカレーソーセージとは若干ニュアンスが違う気がするが、他に当てはまるものもない。</p>

<p>ところで、そのベルリンが発祥地と言われるカレーソーセージだが、実際は諸説があるらしい。この作品は前述のベルリンより前にハンブルグにて出来たと主張するところから始まる。亭主に逃げられ、子どもは大きくなって一人暮らしをしている40過ぎの主婦と若い水兵の隠れ家生活の話の間は、正直あまり面白くなかった。それが、戦後水兵が出て行って亭主や娘や孫が帰って来て、それからまた亭主を追い出した後、闇市で取引を始めるところから俄然面白くなる。たばこを通貨とした戦後ドイツの闇市の中で、主人公の女性が次々と取引して欲しいものを手に入れていこうとする様が楽しくてわくわくする。</p>

<p>結局彼女の取引は、例の水兵の想い出のせいで大失敗に終わるのだが、そこで転んだことから、逆に大成功へと導かれる。水兵とのロマンスは長い前振りのようなものか。</p>

<p>私がこの本を読もうと思ったのは、終戦直前から戦後にかけてのドイツの話だからというのも一応あるが、やっぱり食べ物の話だからじゃないかと思う。食べ物にまつわるお話は、いつも楽しい。</p>

<p>■著者：ウーヴェ・ティム著，浅井晶子訳<br />
■書誌事項：河出書房新社　2005.6.10　221p（河出モダン＆クラシックス）　ISBN4-309-20439-2／ISBN978-4-309-20439-0<br />
■原題：Die Entdeckung der Currywurst, Uwe Timm, 1993</p>]]>
        
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    <title>めがね</title>
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    <published>2008-03-31T13:05:33Z</published>
    <updated>2008-04-03T13:12:54Z</updated>

    <summary> なかなか映画館で映画を見ることが出来ない。仕方がないからDVDを予約して購入す...</summary>
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    <category term="もたいまさこ" label="もたいまさこ" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#tag" />
    <category term="小林聡美" label="小林聡美" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#tag" />
    
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        <![CDATA[<p> <a href="http://www.amazon.co.jp/gp/product/B00120HXCU?tag=cafebleu0b-22"><img src="http://www.cafebleu.net/blog/images/B00120HXCU.jpg" style="margin: 0pt 10px 10px 0pt; float: left;" height="260" width="200" alt="めがね" class="mt-image-left" /></a>なかなか映画館で映画を見ることが出来ない。仕方がないからDVDを予約して購入するが、届いてもやっぱりなかなか見ることが出来ない。ようやく時間を無理くりつくって観る。その時間はまさに「忙しいけど、無理にでも休息をとらなくては」という「休息時間」なわけだ。だからそれにふさわしい映画でないと。</p>

<p>だから、何か面白いことが起きることなんて、一切期待しない。とにかくゆっくりしたい。</p>

<p>その期待には充分に応えてくれた。</p>

<p>一番最初に海が開けたシーンが現れた瞬間、私の鼻は確かに潮のにおいをかいだ。パブロフの犬のようだ。あるいは梅干しを見たときの口の中。私は与論島は知らないけれど、南の島の海はわりあい知っている。あの臭いだ。それも、あの人気のない海。</p>

<p>南の島へ行って観光なんかしたことがない。泳いで、食べて、寝て。あとは本を読むくらい。本編の中で「こんなとこで本なんか読めないでしょ」とハルナが言ってたが、確かに難しい本は読めない。だから普段は読まないミステリとか、ストーリーの面白そうな小説とか。それも暗いのはダメ。比較的ギラギラした感じのものじゃないと読み進められない。</p>

<p>でも春の海に行ったことはない。所詮夏の海は泳げるから、この映画ほど「たそがれ」なくてもやっていける。</p>

<p>ドイツ語の詩が気になって調べてみたら、やっぱりみんな気になっていたらしく、いろいろ書かれてあった。「何が自由か知っている」という言葉だけは聞き取れたので、映画のサブタイトルと同じだなとは思ったが、てっきり誰か有名な人の詩かと。少なくともシュトルムだのリルケだの、ロマン派っぽくはないな、シラーとか古典派でもまったくなさそうだし…と思っていたら、オリジナルだった。なるほど。<br />
唐突にドイツ語なのだが、タエコがドイツ語の先生というバックエンドがあったらしい。どうりでシュトルムの詩集をもっていたわけだ。確かに、あんなところでシュトルムの詩集は読めないわな。</p>

<p><br />
■2005年　日本　106分<br />
■監督・脚本：荻上直子<br />
■出演：小林聡美，もたいまさこ，光石研，市川実日子，加瀬亮<br />
■公式サイト：<a href="http://www.megane-movie.com/">http://www.megane-movie.com/</a></p>]]>
        
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    <title>Coyote vol.26 柴田元幸</title>
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    <published>2008-03-25T14:12:00Z</published>
    <updated>2008-04-03T13:14:40Z</updated>

    <summary>3月10日売りの「Coyote」は「特集・柴田元幸―文学を軽やかに遊ぶ」という、...</summary>
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    <category term="柴田元幸" label="柴田元幸" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#tag" />
    
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        <![CDATA[<p><a href="http://www.amazon.co.jp/dp/4884182138?tag=cafebleu0b-22"><img src="http://www.cafebleu.net/blog/images/4884182138.jpg" style="margin: 0pt 10px 10px 0pt; float: left;" height="260" width="200" alt="Coyote No.26 特集・柴田元幸―文学を軽やかに遊ぶ" class="mt-image-left" /></a>3月10日売りの「Coyote」は「特集・柴田元幸―文学を軽やかに遊ぶ」という、なんだかそのものズバリな特集だった。このブログも「柴田元幸」というタグが増えてるなぁ。柴田元幸ブランドだから読む、というほどのファンではないのだが。<br />
私が好きなのはポール・オースターやスチュワート・ダイペックであって、スティーブン・ミルハウザーやバリー・ユアグローではない。でも角度的にはまぁまぁ高い方なのだろう。</p>

<p>大田区の六郷というところは、なんとなく雰囲気がつかめる。柴田氏が子どもだった頃ほど昔ではないけれど、私も7歳まで京浜工業地帯で育ったから。あの辺は駅もないのに唐突に小さな商店街がぽつぽつと出現する。JRの駅までは車で行かないとならなくて、それはホントにちゃんとした「お買い物」という感じで、普段はその小さな商店街で全部済んでしまう。都心なのに、すごく田舎な側面がある。埋め立て地だから基本的に平地で、だら～っとした感じ。下町であまりガラはよくない。勉強が出来ても、別に偉くない。そんなところで育ったからこそ「インテリぶってもしょうがない」→「平易な文章で翻訳」なわけか。なるほど。</p>

<p>「ニューヨークから来た女」の東大でのゼミはそれなりに面白かったが、今の私にこんなものまともに読めるわけがない。たとえば、この小説の語り手が主人公の女性に対しても、夫やその親に対しても、どちらにも肩入れせず、放り投げたような視点から書いてあるのは理解はできる。が、私自身が「この女信じらんない」と思ってしまっては、ちゃんと読める筈がない。仕方がないと自分で苦笑してしまった。</p>

<p>■書誌事項：　2008.3.10　ISBN4-88418-213-8／ISBN978-4-88418-213-7</p>

<p><br />
ところで、柴田元幸責任編集の「モンキービジネス」という文芸誌がヴィレッジブックスから4月19日に創刊されるらしい。季刊誌のようだが、今時文芸誌なんて、えらすぎる。以下、それに関するメモ。</p>

<p><a href="http://www.villagebooks.co.jp/villagestyle/monkey/index.html">http://www.villagebooks.co.jp/villagestyle/monkey/index.html</a><br />
4/11　「モンキービジネス」特設サイトオープン</p>

<p>■雑誌掲載<br />
「ダ・ヴィンチ」4/6発売号　NEWSCLIPコーナー<br />
「Frau」4/12発売号　柴田元幸×岸本佐知子対談<br />
「BRUTUS」4/15発売号　柴田元幸×鈴木成一対談</p>

<p>■イベント<br />
5/3（土） 10：00～ABC（青山ブックセンター）<br />
<a href="http://www.aoyamabc.co.jp/10/10_200805/200853.html>http://www.aoyamabc.co.jp/10/10_200805/200853.html</a></p>

<p>5/8（木） 19:00～ ジュンク堂<br />
<a href="http://www.junkudo.co.jp/newevent/evtalk.html#20080508ikebukuro">http://www.junkudo.co.jp/newevent/evtalk.html#20080508ikebukuro </a></p>]]>
        
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    <title>ユリイカ　2008年3月号　特集・新しい世界文学</title>
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    <published>2008-03-20T13:42:14Z</published>
    <updated>2008-03-20T14:10:11Z</updated>

    <summary>「ユリイカ」の海外文学全般特集。最近海外文学を取り上げる頻度が低いので、年2～3...</summary>
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        <category term="020)ドイツ文学" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#category" />
    
    <category term="イグナシオ・パディージャ" label="イグナシオ・パディージャ" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#tag" />
    <category term="エドムンド・パス＝ソルダン" label="エドムンド・パス＝ソルダン" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#tag" />
    <category term="セサル・アイラ" label="セサル・アイラ" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#tag" />
    
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        <![CDATA[<p><a href="http://www.amazon.co.jp/dp/4791701755?tag=cafebleu0b-22"><img src="http://www.cafebleu.net/blog/images/4791701755.jpg" style="margin: 0pt 10px 10px 0pt; float: left;" height="311" width="200" alt="ユリイカ　2008年3月号　特集・新しい世界文学" class="mt-image-left" /></a>「ユリイカ」の海外文学全般特集。最近海外文学を取り上げる頻度が低いので、年2～3回くらいのペースでやってもらいたい。今回の特集で特に注目したのが、ドイツ文学とラテンアメリカ文学。ドイツ文学の解説は瀬川裕司。瀬川裕司と言えばドイツ映画の人…と思っていたのだけど、考えてみたら、そんな狭い範囲のわけがないか。ベストセラーで話題のダニエル・ケールマン「世界の測量―ガウスとフンボルトの物語」（三修社　瀬川）2008年春刊だそうだ。楽しみ～。あとは、モーニカ・マローン<a href="http://www.amazon.co.jp/gp/product/4900621226/?tag=cafebleu0b-22">「かなしい生きもの」</a>とウーヴェ・ティム<a href="http://www.amazon.co.jp/gp/product/4309204392?tag=cafebleu0b-22">「カレーソーセージをめぐるレーナの物語」</a>あたりを読んでみようか。</p>

<p>収録作品の中で気になったのが以下3点。</p>

<p>イグナシオ・パディージャ（メキシコ）「動物小寓話」Ignacio Padilla, "Bestiario M&iacute;nimo", 2001<br />
エドムンド・パス＝ソルダン（Edmundo Paz Sold&aacute;n, ボリビア）「夕暮れの儀式」"Ritual del atardecer", 1998<br />
セサル・アイラ（C&eacute;sar Aira, アルゼンチン）「悪魔の日記」"Diarion de un demonio"収録<br />
※セサル・アイラは映画『ある日、突然』の原作として知られる。</p>

<p>ラテンアメリカ文学は「ブーム」以後の作家がなかなか日本に入ってこない。ガルシア＝マルケスやバルガス＝リョサの新作も良いが、そろそろいいかげん新人のを読みたい。別に私は「マジックリアリズム」に限って好き、というわけではないし、南米の人ならなんでもいいというわけでも、もちろんない。ただ、ちっさい話（身近な、卑近な話）があまり好きじゃないというだけだから。</p>

<p>以下は今後なんらかの形でひっかかってくるかもしれないので、キーワードとしてメモをしておく。下で読んだことがあったのはホルヘ・フランコだけだ。というか、それしか翻訳されていないのだから仕方がない。</p>

<p><br />
「ウォークマンと短篇を」<br />
<a href="http://www.google.co.jp/search?q=%E3%82%A2%E3%83%AB%E3%83%99%E3%83%AB%E3%83%88%E3%83%BB%E3%83%95%E3%82%B2%E3%83%BC&lr=lang_ja&ie=utf-8&oe=utf-8&aq=t&rls=org.mozilla:ja:official&client=firefox-a">アルベルト・フゲー</a>／セルヒオ・ゴメス（チリ）</p>

<p>「マッコンド」<br />
ロドリーゴ・フレサン／ファン・フォルン／マルティン・レットマン（アルゼンチン）<br />
サンティアゴ・ガンボア（コロンビア）<br />
エドムンド・パス＝ソルダン（ボリビア）<br />
ホセ・アンヘル・マニャス／マルティン・カサリエゴ／ライ・ロリガ（スペイン）<br />
ホルディ・ソレール／ナイエフ・イェヤ（メキシコ）</p>

<p><br />
「クラック宣言」<br />
ペドロ・アンヘル・パロウ／エロイ・ウロス／イグナシオ・パディージャ／リカルド・チャベス・カスタニェダ／ホルヘ・ボルピ（メキシコ）</p>

<p>ほか、まとめて。<br />
<a href="http://www.google.co.jp/search?q=%E3%83%AD%E3%83%99%E3%83%AB%E3%83%88%E3%83%BB%E3%83%9C%E3%83%A9%E3%83%BC%E3%83%8B%E3%83%A7&lr=lang_ja&ie=utf-8&oe=utf-8&aq=t&rls=org.mozilla:ja:official&client=firefox-a">ロベルト・ボラーニョ</a>（チリ）<br />
フェルナンド・イワサキ／イバン・タイス（ペルー）<br />
ホルヘ・フランコ／マリオ・メンドーサ／（コロンビア）<br />
クリスティーナ・リベラ＝ガルサ（メキシコ）<br />
ゴンサロ・ガルセス（アルゼンチン）</p>]]>
        
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    <title> 愛しのグレンダ</title>
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    <id>tag:www.cafebleu.net,2008:/blog//1.330</id>

    <published>2008-02-27T15:06:25Z</published>
    <updated>2008-02-27T15:29:33Z</updated>

    <summary>フリオ・コルタサル（1914－1984）はアルゼンチンの作家で、1960年代のラ...</summary>
    <author>
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    <category term="フリオ・コルタサル" label="フリオ・コルタサル" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#tag" />
    
    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://www.cafebleu.net/blog/">
        <![CDATA[<p><a href="http://www.amazon.co.jp/dp/4000221523?tag=cafebleu0b-22"><img src="http://www.cafebleu.net/blog/images/4000221523.jpg" style="margin: 0pt 10px 10px 0pt; float: left;" height="295" width="200" alt="愛しのグレンダ" class="mt-image-left" /></a>フリオ・コルタサル（1914－1984）はアルゼンチンの作家で、1960年代のラテン・アメリカ文学のブームの代表的な作家の一人。だから好きかと聞かれたとしたら、おそらく私は即答できないだろう。ボルヘスは積極的に読まないけれど、コルタサルは消極的に読む、といった感じ。「石蹴り遊び」に挫折したのも消極的になってしまう理由の一つだ。が、一応短編集なら読める。コルタサルの短編は非常によく出来た短編で、スタイリッシュというか技術的に洗練された作品が多い。もともと私は短編は長編より好きではない。その理由は短編ならではのストイックさやにあるのかもしれないが、コルタサルの場合は特に洗練されすぎているのかもしれない。</p>

<p>しかし、面白いことは確かだ。今回の短編集は後期を代表する短編集だそうだが、とても怖かった。ミステリー仕立てだから怖いというのもあるだろうが、日常の中に潜む幻想的な部分や、現実の中にちらと顔を覗かせる恐ろしい出来事が多いからだろう。超現実的なホラーは怖くないが、日常に潜む恐怖は本当に怖い。</p>

<p>「猫の視線」は導入にふさわしい美しい一品。「愛しのグレンダ」は狂信的な女優のファンたちの話で、最後に彼女にふさわしい贈り物を贈る話。出来としては一番良いと思う。</p>

<p>「トリクイグモのいる話」は南の島のバンガローにやってきた「私たち」が隣のバンガローにいる女性二人を気にしつつ、休暇を過ごす。この二人が何かをフラッシュバックのように記憶しているが、「ミシェルの農園に戻ってきたマイケルの白い裸体」が何を意味するのか。そしてこの二人と隣のバンガローの二人の女性の意味は？と思いつつ読み進めると、日本語には男性名詞・女性名詞がないから最後まで読んでようやくわかることがある。</p>

<p>「ノートへの書付」はブエノスアイレスの地下鉄に住む、地上転覆を企む組織の人々を追った話。理不尽にも地下鉄に住む人々の様子から全体主義への怒りが感じられる。目的は何にせよ、地下鉄に密かに住む人々がいて、その人たちがどうやって食事をとり、服を取り替え、眠っているのか、詳細な調査の結果はまさに「肥大化した妄想」だ。アルゼンチンの地下鉄と言えば昔の丸の内線の電車が走っているので有名だが（私も乗ったことがある）、この話に出てくる駅は実際はないものが多い。「フロリダ通り」とか実際にある有名な通りなので、騙されそうになった。<a href="http://mapas.metrovias.com.ar/subte/metronet/recorrido.asp">路線図（Subte.com.ar）</a></p>

<p>「ふたつの切り抜き」はこの短編集の中で一番印象に残った作品だが、1970年代のアルゼンチンの軍事政権のすさまじさのせいだろう。「帰還のタンゴ」は痴情のもつれの果ての殺人が描かれている。タンゴは男が女を刺すのだが、この話は女が男を刺す。日本語の「帰還」の単語に「タンゴの逆」という意味をダブルミーニングさせているようだ。「クローン」も痴情のもつれの果ての殺人事件。8人の登場人物の相関図を楽器の編成になぞらえて本編の後ろに補足するというマニアックぶりがコルタサルらしい。「グラフィティ」はあからさまにアルゼンチン軍事政権の背景がある。一つとばして「メビウスの輪」はあと書きにあるように確かに不愉快な面もあるが、この短編集の中では最も実験的な作品と言えるだろう。女性を宇宙と一体化する視点も確かに感じられるが、私にとって印象的だったのは「形のない何か」が何らかの「意識」にとりついて形を成す、という不思議なイメージがあることだ。これはおそらく昔読んだ日本の昔話に「形のない意識のような生命体」というようなものが出てきて、その連想だろうと思う。だが、その話が具体的にどんなものだったのか思い出せなくて、ちょっと悔しい。</p>

<p>最後に、「自分に話す物語」を読んでいて、どうして私がコルタサルに対して、面白いとは思うものの、積極的になれないかがわかった気がした。コルタサルの作品にはここにあるようなユーモアが欠けているのではないだろうか。私が若い頃一応専門で読んでいたドイツ文学から抜け出したかったのは、あのユーモアのなさのせいだ。ラテンアメリカ文学のくせに何故ユーモアが欠けているのか？南米の中では暗めのアルゼンチンの作家だから仕方がないのか？などと勝手なことを思いつつ、この作品のラストは気に入った。幻想的でエロティックな流れにもっていきつつ、最後オムツ取り替えてるんだから。コルタサルにしては、少し意外なオチだった。</p>

<p>■著者：フリオ・コルタサル著，野谷文昭訳<br />
■書誌事項：　2008.1.25　220p　ISBN4-00-022152-3／ISBN978-4-00-022152-8<br />
■原題：Queremos tanto a Glenda. Cort&aacute;zar, Julio, 1980<br />
■目次<br />
猫の視線<br />
愛しのグレンダ<br />
トリクイグモのいる話<br />
ノートへの書付<br />
ふたつの切り抜き<br />
帰還のタンゴ<br />
クローン<br />
グラフィティ<br />
自分に話す物語<br />
メビウスの輪<br />
</p>]]>
        
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    <title>Flight 7 / paris match</title>
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    <id>tag:www.cafebleu.net,2008:/blog//1.329</id>

    <published>2008-02-17T15:59:05Z</published>
    <updated>2008-02-17T16:37:04Z</updated>

    <summary>paris match 2008年2月に発売された新アルバム「flight 7」のレビュー</summary>
    <author>
        <name>cafebleu</name>
        
    </author>
    
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    <category term="parismatch" label="paris match" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#tag" />
    
    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://www.cafebleu.net/blog/">
        <![CDATA[<p><a href="http://www.amazon.co.jp/dp/B00118SK3Y/?tag=cafebleu0b-22"><img alt="flight7.jpg" src="http://www.cafebleu.net/blog/images/flight7-thumb-200x200.jpg" class="mt-image-left" style="margin: 0pt 20px 20px 0pt; float: left;" height="200" width="200" /></a>カバー曲集の<a href="http://www.cafebleu.net/blog/archives/2007/01/our-favourite-pop-paris-match.html">Our Favourite Pop</a>やベストアルバムが出ているが、オリジナルアルバムとしては2年ぶり。その間にレコード会社が変わっている。その際に古澤大がメンバーから外れて3人→2人になってしまったが、作詞には相変わらず顔を出しているので、正式メンバーではなくなったものの依然協力関係にはあるのだろう。</p>

<p>レコード会社が変わると、音がガラっと変わったりするが、そんなことはなくて安心した。このバンドのベストは3枚目と4枚目とする声もあるが、それはそれで納得もするのだが、私はドライブミュージックを意識しすぎる3枚目や、やや派手過ぎる4枚目はあまり好きではなく、むしろ若干地味な5枚目6枚目の方が好みだったりする。というか私にとってのベストはやっぱり1stと2ndだ。これはきっともうどうしようもない。でも、この7枚目の、少し悪く言うとマンネリ感、良く言うと安定感は、私は悪くないと思う。でもそんなにマンネリな感じではないと思うのだけど…</p>

<p>アルバムは、まず派手なホーンセクションで幕を開ける。そこからは例によってソウルやジャズやラテンと様々な曲が展開される。2曲目のギターがカッコいい。2曲目は地下鉄だし、3曲目は自転車だし、少し自動車から離れようとしてる…のかな。3曲目の「Bikeride」は最近はやりのバイシクル・ソング。「ルイガノ」なんて名前がずいぶんと一般的になったものだ。さわやかなフルートとサックスが印象的で、CMに使えるのでは？と思われる。4曲目の「You make my day」もミズノマリの詩で、得意の日常を淡々と描くパターンだが、これはどうも受け付けないな。5曲目「SUNSHINE DAY」にはまたホーンセクションが戻って来て、6曲目の「Pardon」はボサノヴァっぽくてカッコいいけれど、詩が全然意味がない感じがしてちゃんと。7曲目「Dr.プラスティック」は再びホーンセクションが入って来てギターが印象的。私は古澤大の歌詞の方が好きだなと改めて思う。8曲目の「Jealousy」のピアノは良いが、これもまた歌詞が聞き流してしまうタイプ。10曲目「波待ち」はレゲエ調でホーンが強め。11曲目「水の時計」はキーボードが前面に出てきている、わりと私は好きなタイプ。ただ、ちょっと古い…というか、ちょっとワンパターンな気がするのはこういう曲のせいだろう。でも歌詞は良い。ラスト、「Ensemble」でさわやかにまとめました、と。</p>

<p>詩が3,4,5,6,8,10,11と7曲ミズノマリで1,2,7,11の4曲が古澤大。完全に形勢が逆転している。確かに音は特に変わっていないのだが、もう少し古澤大の詩を増やした方が良いと思う。別にミズノマリの詩が悪いとは言わないが、少し女性過ぎる。それだけになってしまうと、若い女性がメインターゲットかと思ってしまう。専業主婦のささやかな幸せをさわやかに歌われても、共感できる人もいるだろうが…まぁ、このちょっと退屈だけどシアワセなの…感がまったりとこの人の声に合ってていいのか。</p>

<p>私は「Metro」と「Dr.プラスティック」「水の時計」あたりが好き。でもなんと言ってもこのアルバムは「Mr.サマータイム」だ。</p>

<p>毎回1曲はカバー曲が入るparis match。今回はサーカスの1978年のヒット曲「Mr.サマータイム」のカバー。初の邦楽カバーか？と思いきや、もともとMichel Fugain（ミッシェル・フーガン）の<a href="http://www.amazon.co.jp/dp/B000053ZYP?tag=cafebleu0b-22">「Une belle histoire（愛の歴史）」</a>というフレンチポップが原曲。といっても、やっぱりこれは邦楽のカバーだろう。これまでのカバー曲も良かったけど、今回は驚かされた。オシャレなジャズアレンジの「Mr.サマータイム」を期待していたら、何？この1970年代ふうの泣きのギターは？？と大爆笑。宇崎竜童かよ～と思ったら、<a href="http://www.matsubaramasaki.com/">松原正樹</a>じゃん。そういえば、いつもparis matchのアルバムには参加してたけれど、今回も3曲（Metro、Dr.プラスティック、Mr.サマータイム）参加していて、どれもなかなか良い出来映え。特にこの「Mr.サマータイム」は出色だと思う。元パラシュートなんつってももう知らない奴の方が多いのだろうけど、日本の1980年代はこういうバリバリのギタリストが華やかだった時代で、「フュージョン」なんて今となっては意味不明な音楽ジャンルがはやったりしたものだ。</p>

<p>私は洋楽か、またはこんなフュージョン系を聴いていた生意気な中学生だったが、歌謡曲であっても、「Mr.サマータイム」という妙に艶めかしい哀愁の漂うヒット曲は妙に印象に残っている。杉山氏も同様ではないだろうか？</p>

<p>それにしても、この曲が一番印象に残ってしまうっていうのはどうなんだろう。ちょっと例外として扱った方が良いのかもしれない。これを外したら、結構バランスの良いまとまったアルバムなような気もしてきたな…</p>

<p>=====================<br />
■<a href="http://www.coolism.com/parismatch/">paris match</a>　2008年2月13日　 Amuse Soft Entertainment　ASCM-6010　3,000円<br />
01. 虹のパズル<br />
02. Metro<br />
03. Bikeride<br />
04. You make my day<br />
05. SUNSHINE DAY<br />
06. Pardon<br />
07. Dr.プラスティック<br />
08. JEALOUSY<br />
09. Mr.サマータイム<br />
10. 波待ち<br />
11. 水の時計<br />
12. Ensemble</p>]]>
        
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    <title>優男たち―アレナス、ロルカ、プイグ、そして私</title>
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    <published>2008-02-15T15:46:37Z</published>
    <updated>2008-02-15T15:51:16Z</updated>

    <summary> 文学者の評伝であり、作家の自伝であり、文学評論でもある、非常に面白い本で、一気...</summary>
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    <category term="ハイメ・マンリケ" label="ハイメ・マンリケ" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#tag" />
    <category term="マヌエル・プイグ" label="マヌエル・プイグ" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#tag" />
    <category term="レイナルド・アレナス" label="レイナルド・アレナス" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#tag" />
    
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        <![CDATA[<p> <a href="http://www.amazon.co.jp/dp/4791763165?tag=cafebleu0b-22"><img src="http://www.cafebleu.net/blog/images/4791763165.jpg" style="margin: 0pt 10px 10px 0pt; float: left;" alt="優男たち―アレナス、ロルカ、プイグ、そして私" class="mt-image-left" height="293" width="200" /></a>文学者の評伝であり、作家の自伝であり、文学評論でもある、非常に面白い本で、一気に読んでしまった。</p>

<p>プイグもアレナスも邦訳は全部読んでいる大好きな作家だ。アレナスは自伝が出ていてそれが映画になっているくらいなのでその人となりも知られているが、プイグの方はあまり知らなかった。「リタ・ヘイワースの背信」のトートーや「蜘蛛女」のモーリーナがプイグ自身の反映であることは知っていたが、あのウィリアム・ハートの仕草がプイグ自身のものだったとは…。プイグって本当の「オカマ」だったんだなぁと。本書での訳もプイグの話し方は、完全に「オネエ」言葉だし。</p>

<p>でもアレナスはオカマっぽい感じはしないのだけど、マッチョ系の「ゲイ」のようなイメージだった。なんというか、ラテンのゲイっぽい田舎くささが抜けない人だなと思っていたら、本書でも記載されていたので、少し笑えた。ニューヨークのゲイは日本のゲイと同様「短髪・ダテメガネ・ピチピチTシャツ」がお約束なのかな？</p>

<p>「優男」は「優しい男」と「優れた男」のダブルミーニングだそうで、原題は「オカマ偉人伝」なんだそうな。芸術家にゲイが多いことを当然のように受け止めている私からすると、彼らの苦悩は意外にすら思えるが、考えてみたら、ガルシア・ロルカはファシズムの時代だから当然としても、アルゼンチンの1970年代の軍事政権やキューバのカストロ政権の弾圧なんてまったくもって前近代的だから、ゲイが容認されない世界なんだなぁと。3人ともニューヨークで己の本性を開花させることが出来たところが、さすがはニューヨークというべきだろう。</p>

<p>それにしてもプイグもアレナスももう亡くなってるんだな…と、今更ながらだが、残念に思う。というのも、バルガス＝リョサやガルシア＝マルケスが未だ精力的に本を書いているからなのだが。プイグの方は本書でも明確にはなっていないし、公には言われていないが、やはりAIDSの可能性を捨てきれない。アレナスはもちろんAIDSのせいだ。AIDSが心底憎い。</p>

<p>最初と最後にハイメ・マンリケ自身の自伝が書いてあったが、特に青年期までの自伝はラテンアメリカ作家のある意味土くさい感じがすごく好みだった。小説の方の翻訳が出ないかと期待している。</p>

<p>それにしても、どうして刊行から1年以上経過してからこういう本があることに気づいたのか。たまたま「プイグ」で検索したら出てきたのだけど、どうしてその前に気づかなかったのかとつくづく思う。</p>

<p>■著者：ハイメ・マンリケ著，太田晋訳<br />
■書誌事項：青土社　2006.12.25　285p　ISBN4-7917-6316-5／ISBN978-4-7917-6316-0<br />
■原題：Eminent Maricones : Arenas, Lorca, Puig, and Me by Jaime Manrique, 1999<br />
■目次<br />
1 脚―幼年期と思春期の回想<br />
2 マヌエル・プイグ―ディーバとしての作家<br />
3 レイナルド・アレナス最後の日々―海のごとく深い悲しみ<br />
4 フェデリコ・ガルシア・ロルカと内面化されたホモフォビア<br />
5 もうひとりのハイメ・マンリケ―死せる魂<br />
6 最近<br />
</p>]]>
        
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    <title>楽園への道</title>
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    <published>2008-02-11T14:56:51Z</published>
    <updated>2008-02-11T14:56:48Z</updated>

    <summary>バルガス＝リョサの2003年の作品が「河出世界文学全集」の第二巻として刊行された...</summary>
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    <category term="フローラ・トリスタン" label="フローラ・トリスタン" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#tag" />
    
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        <![CDATA[<p><a href="http://www.amazon.co.jp/dp/4309709427?tag=cafebleu0b-22"><img src="http://www.cafebleu.net/blog/images/4309709427-thumb-200x289.jpg" style="margin: 0pt 10px 10px 0pt; float: left;" alt="楽園への道／マリオ・バルガス＝リョサ" class="mt-image-left" height="289" width="200" /></a>バルガス＝リョサの2003年の作品が「河出世界文学全集」の第二巻として刊行された。この文学全集、初訳が少ないのだが、この巻は初訳で、全集の目玉の一つと言えるのではないだろうか。フローラ・トリスタンとポール・ゴーギャン。違う時代に生きた祖母と孫だが、共通点は波乱に満ちた生涯を送ったこと、そしてペルーである。フローラの父親はペルー人で、成人後ペルーを訪れ、得難い体験をしており、この女性が労働運動家・女性運動家として活動するきっかけを作ったのは、ペルーの女性たちの自由さだったという。また、ゴーギャンも幼い頃ペルーで過ごしている。特にゴーギャンの南方指向にはペルーでの幼児体験が大きく影響しているとリョサは考えている。<br clear="all" /></p>

<p>ゴーギャンの方は1892年4月に最初にタヒチに着いた時から物語は始まる。同年<a href="http://art.pro.tok2.com/G/Gauguin/Gauguin_image028.htm">「死霊は見ている」</a>はテハッアマナというタヒチに渡って2番目の愛人がモデルである。<br /><blockquote>床に敷いた敷布団の上で、裸でうつ伏せになったテハッアマナが、丸みを帯びた尻を少し浮かせ、背中をやや曲げて、顔を半分彼のほうに向けながら、動物のようにひどくおびえた表情で、目も口も鼻も引きつらせたまま顔をしかめるようにして、彼を見つめていた。</blockquote><br />「マナオ・トゥパパウ」と名付けられたその絵は、ゴーギャンがヨーロッパではもう見つけることの出来ない何かに触れた、幻想的な経験だった。</p>

<p>1893年<a href="http://watercolor.hix05.com/artist/gauguin/gauguin2.jpg">「神秘の水」</a>（パペ・モエ）は中性的な少年を描いた、水彩画である。<br />
<blockquote>花や葉、水、淫らな形をした石の森の真ん中で、岩にもたれ、渇きをいやすためか、その土地の見えない神をあがめるためか、その陰影のある美しい身体を小さな滝のほうに傾けている一人の人間である。</blockquote></p>

<p><a href="http://www.mail-friend.net/wallpaper/wallpaper-pic/wallpaper148/gauguin303-1024.jpg">「アイタ・タマリ（ジャワ女アンナ）</a>はゴーギャンがパリに戻った後、一緒に暮らした女性だが、その絵の裏には実はジュディットというモラール家の令嬢が描かれているというリョサの解釈が書かれている。</p>

<p>ゴーギャンが再び タヒチを訪れ、描いた<a href="http://www.nikkei.co.jp/topic7/court/gallery3-33.html">「ネヴァーモア」</a>はゴーギャンの子を妊娠中のパウッウラを描いたもので、失敗に終わった自殺を前に描いた大作<a href="http://epp.eps.nagoya-u.ac.jp/%7Eyoshida/japanese/lecture/rikei-kyoyo/douqeou.jpg">「我々はどこから来たのか、我々は何者か、我々はどこへ行くのか」</a>の詳細な解説もある。最晩年の「ヒヴァ・オアの呪術師」（<a href="http://www.mail-friend.net/wallpaper/wallpaper-pic/wallpaper149/gauguin410-1280.jpg">妖術使いあるいはヒヴァ＝オア島の魔法使い</a>） の男とも女ともわからないように呪術師を描いている。このモデルになった人物も登場する。</p>

<p>というように、まずはゴーギャンの画集を購入した方が良いと思う。リョサ自身もゴーギャンの絵の入ったものを刊行することが希望だそうだが、それも当然だろう。</p>

<p>フローラ・トリスタンを知っている人はプロレタリア思想などに詳しい人だけではないだろうか。ジョルジュ・サンドは知っていても、フローラ・トリスタンは知らないのは仕方あるまい。リョサがこの人を発掘してくれなかったくれなかったら、私はずっと知らないままだったのではないだろうか。彼女の著書<a href="http://www.amazon.co.jp/gp/product/4588007890/?tag=cafebleu0b-22">「ペルー旅行記―ある女バリアの遍歴」</a><a href="http://www.amazon.co.jp/gp/product/4588002023?tag=cafebleu0b-22">「ロンドン散策」</a>は邦訳が出ている。</p>

<p>パリは世界でも最も女性の強い街だろうと思うが、こういう人たちが150年以上前にえらくひどい目に遭って、戦って勝ち得て来たものなのだろう。</p>

<p>ゴーギャンとトリスタンの二人の物語が交互に進行するが、互いに浸食し合うことはない。彼らの生涯のうち最晩年の頃が時系列に物語られつつ、彼ら自身が回想する形で遡って伝記がたどられる。騎士道物語の体裁をとっているそうで、突然語り手が主人公たちに語りかけるような調子が入るが、基本的に第三者の語り手のまま、混乱することなく進んでいく。</p>

<p>リョサの初期の作品に比べれば、小説技法としては拍子抜けするほどわかりやすく、画期的な試みは見られない。ゴーギャンとフローラ・トリスタンの手紙や著作などの歴史的事実をベースに著者が自由にフィクションを作り上げていることは見て取れる。だが、やもすれば普通の歴史小説のようで、少々物足りなさを感じてしまうのは私だけだろうか。量的には500ページ以上なので、充分すぎるほど充分なのだが…</p>

<p>■著者：マリオ・バルガス＝リョサ著, 田村さと子訳<br />
■書誌事項：河出書房新社　2008.1.10　516p　ISBN4-309-70942-7／ISBN978-4-309-70942-0<br />
■原題：El Para&amp;iacute;so en la Otra Esquina: Mario Vargas Llyosa, 2003</p>]]>
        
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    <title>狼たちの月</title>
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    <published>2008-01-16T14:26:24Z</published>
    <updated>2008-01-16T15:12:52Z</updated>

    <summary>短編集「黄色い雨」のフリオ・リャマサーレスが初めて書いた長編。詩的な言葉がちりば...</summary>
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    <category term="フリオ・リャマサーレス" label="フリオ・リャマサーレス" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#tag" />
    
    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://www.cafebleu.net/blog/">
        <![CDATA[<span class="mt-enclosure mt-enclosure-image"><a href="http://www.amazon.co.jp/dp/4789731871?tag=cafebleu0b-22"><img alt="狼たちの月／フリオ・リャマサーレス" src="http://www.cafebleu.net/blog/images/4789731871.jpg" class="mt-image-left" style="margin: 0pt 20px 20px 0pt; float: left;" height="276" width="200" /></a></span>短編集<a href="http://www.cafebleu.net/blog/archives/2006/02/post-183.html">「黄色い雨」</a>のフリオ・リャマサーレスが初めて書いた長編。詩的な言葉がちりばめられ、情景描写も美しい、素晴らしい作品だと思う。

<p>スペインの内戦及びフランコ将軍による圧政と言えばバスクとカタルーニャが有名だが、アストゥリアス地方のものも激烈だったようだ。この地域での反乱が収束した1937年から1946年までの約10年間、山岳地帯に隠れて生き延びた敗残兵の物語だ。家族の住む村近くの山中ので治安警備隊の執拗な捜索から逃れながら生き延びようとする4人の男たち。家族の援助も受けながら、自らも狩りで獲物を捕らえ、いつか形勢が逆転し、反乱軍が敗退することを願いながら、廃坑の中の洞窟で何とか生きている。昼間外に出ることは出来ず、行動は夜に限られている。その孤独で獣のような姿が「狼」のようだということだろう。</p>

<blockquote>アンヘル、ほら、月が出ているだろう。あれは死者たちの太陽なんだよ。</blockquote>

<p>アンヘルたちのことを、生きながら死者のようだという意味なのか。月の光の中でしか生きることの出来ない運命を示しているのか。</p>

<p>ラミーロがある地方の狼をおいこんで捕まえるという原始的なやり方について語る場面がある。素手でもって大勢で追い込んでいき、断崖の奥にある深い穴に落として捕らえ、最後は罵りの言葉を浴びせられながら、あちこちの村を引き回してから殺すという。それはまるで自分たちの運命を暗喩しているかのような言葉だ。</p>

<p>アンヘルは家族や民衆のために戦ったのだから自分たちには義があると思っていたが、ある日自分たちの命を守るため、軍人や治安警備隊ではない一般人を殺してしまう。そこで初めて「後戻りできなくなった」と愕然とするが、「これまでだって後戻り出来なかった」とラミーロに言われてしまう。そこで、アンヘルがこれまでは「いつか昔のように家族に囲まれた平和な生活に戻れる」と夢想していたが、ともに戦って来たラミーロにはそんな幻想はなかったことがわかる。</p>

<p>また、アンヘルが人民戦線に加わった理由が、誘拐した鉱山主に語るシーンがある。人を殺すことの是非を問われ、アンヘルはこう答える。<br />
<blockquote>「家畜、そうだな、来高くて、しかもしつけのいい犬を選ぶんだ。」しばらくしてぼくはそう話しはじめる。「その犬を部屋に閉じこめて、痛めつけてやればいい。すると犬は人間に刃向かい、噛みつくはずだ。場合によっては人をかみ殺すかもしれない。」（p133）</blockquote><br />
すごくシンプルでわかりやすいたとえだが、真摯な言葉で胸を打つ。</p>

<p>詩的で情緒あふれる言葉は、山の景色、風の音、月の光、自然のあらゆる姿にあふれている。だが、自然描写だけではなく、心理描写も詩的だ。一つだけアンヘルが父親の危篤を義弟から聞かされ、洞窟に戻る場面をとりあげたい。<br />
<blockquote>夜の暗闇の中を、夢遊病者のようにヒースの茂みに足をとられながら洞窟に戻る。その間、父親の記憶が無数のイメージとなってこなごなに砕け、それらの細かな断片がガラスの破片のようにぼくの心に突き刺さる。それらをいくら集めても悲しみの奥に隠されているものを浮かび上がらせはしない。それらは忘却の底無し沼で少しずつ朽ち果てていく運命にあるのだ。（p220）</blockquote></p>

<p>それでも危険を冒して彼は危篤の父親に会いに行く。</p>

<p>人は絶望の中でどうやって生き続けていくのだろう。村から離れて国を離れるよりほかはないのだが、とにかく10年も村に戻りたくてしがみついている。弾圧を我慢するのも限界になってしまった妹から拒まれ、アンヘルはついに村から離れるが、離れて生きていけるものならば、とっくに離れていたのではないか。</p>

<p>それにしても10年も我慢した家族は立派だ。家族のことを考えたら、とっくに投降するなり遠くへ逃げるなりすればいいのに、生まれた土地から離れられない。食いつなぐことだけで何もせず、それでも生きる姿は無様を通り越して凄まじい執念を感じさせる。</p>

<p>「黄色い月」もそうだったが、「狼たちの月」も装丁が非常に良い。この値段でこの装丁でこの内容。とても得難い貴重な本だと思う。</p>

<p>■著者：フリオ・リャマサーレス著, 木村榮一訳<br />
■書誌事項：ヴィレッジブックス　2007.12.15　272p　ISBN4-7897-3187-1／ISBN978-4-7897-3187-4<br />
■原題：Luna de Robos : Julio Llamazares, 1985</p>]]>
        
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    <title>愛その他の悪霊について</title>
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    <published>2008-01-06T10:07:21Z</published>
    <updated>2008-01-14T01:47:36Z</updated>

    <summary>長編「コレラ時代の愛」と最近の「わが悲しき娼婦たちの思い出」の間に書かれた中編。...</summary>
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    <category term="ガルシア＝マルケス" label="ガルシア＝マルケス" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#tag" />
    
    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://www.cafebleu.net/blog/">
        <![CDATA[<p><a href="http://www.amazon.co.jp/dp/410509016X?tag=cafebleu0b-22"><img alt="410509016X.jpg" src="http://cafebleu.sakura.ne.jp/blog/images/410509016X.jpg" style="margin: 0pt 10px 10px 0pt; float: left;" height="284" width="200" alt="愛その他の悪霊について" /></a>長編「コレラ時代の愛」と最近の「わが悲しき娼婦たちの思い出」の間に書かれた中編。後期というか、多分もう晩年の作品の一つと呼んでも良いのではないかと思う。物語の前段として、マルケスは1949年10月に自分が取材したサンタ・クララ修道院の納骨堂の遺骨撤去作業の現場を持ち出す。そこで22メートルの髪をもつ少女の頭蓋骨が出てきて、その少女の名前がシエルバ・マリア・デ・トードス・ロス・アンヘレス。修道院から22メートルの髪をもった頭蓋骨が出てきたことが事実かどうかを確認する作業は省略させてもらうが、事実でないとしても、ノンフィクションの体裁をとった幻想的な作品と言えよう。</p>

<p>両親の怠惰と無関心のせいで黒人奴隷の間で育ち、黒人の宗教（呪術？）や文化（アクセサリや衣装）を身につけて育った少女が狂犬病の犬に噛まれたことによって悲劇が始まる。先代のおかげで侯爵の地位にいる父親の無為無気力、砂糖の密輸などで興隆を極めた後、男やカカオ酒に溺れたことによって落ちぶれてしまう母親の怠惰ぶり、これはガルシア＝マルケスらしい衰退の物語だ。</p>

<p>狂犬病にかかる＝悪霊が憑くということで、父親は修道院に娘を追いやってしまう。神父カエターノ・デラウラは悪霊払いを行う。キリスト教世界の偏見の物語として読んでいるので、彼女は悪霊に憑かれてなんかいないという前提でいると、下記のような箇所にあたってしまう。<br />
<blockquote>そして、デラウラは、ほんものの悪霊憑きの恐るべき光景を目にすることになった。シエルバ・マリアの髪は独自の生命を得てメドゥーサの蛇のように逆立ち、口からは緑色の涎が、そして邪教のことばの罵詈雑言が果てることなくあふれ出した。デラウラは十字架を振りかざし、彼女の顔に近づけ、恐怖のさなかで叫んだ――「そこから出ろ、何者なのか知らぬが、地獄のけだものよ、出ろ」</blockquote></p>

<p>このシーンが読む者をたぶらかそうとしているような気がして、落ち着かなくなる。どう考えても、これではただの悪魔憑きではないだろうか？</p>

<p>200年前のコロンビアの「異端」に対する執拗な攻撃やそれに伴う少女の悲劇を、ガボは現代の何ととらえて物語ろうとしたのだろうか。</p>

<p>■著者：ガブリエル・ガルシア＝マルケス著, 旦敬介訳<br />
■書誌事項：新潮社　2007.8.31　244p　ISBN4-10-509016-X／ISBN978-4-10-509016-6<br />
■原題：Del amor y otros demonios Gabriel Garc&iacute;a M&aacute;rquez, 1994</p>]]>
        
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