サッカー本 : アーカイブ

2007年5月21日

蹴る群れ

蹴る群れ「サッカーで世界を知る」ために、私はこういうタイプのサッカー本本を読む。サッカーに関する書籍が全部こうとは限らないので毎回慎重に選ぶが、著者が木村元彦だから間違いはない。

「オシムの言葉」のせいで日本代表のサッカージャーナリストと思った人も多いかもしれないが、木村元彦という人はもともと民族問題のジャーナリストで、旧ユーゴおよびユーゴサッカーををその流れの中で追っていて、「オシムの言葉」を2005年12月に上梓、その後2006年のW杯後にオシムが監督になったためにベストセラーになったという次第。本書はその著者の最新作。Numberほかに寄稿したものをまとめたものだが、民族とサッカー、日本サッカー稗史、GKとは、の3部構成。

戦禍の中過酷な転戦を強いられるイラク代表チーム、実は今とてもセンシティブな立場にあるドイツにおけるトルコ移民、チェコの「プラハの春」によって弾圧を受けた両親の元で育ち、懸命にサッカーで道を探るハシェクなど、様々な国でサッカーで救われた人々のレポートに深い感銘を受ける。当時はアテネを目指すイラク代表のチーム内の内情なんてまるで知らなかったし、やさわやかな笑顔で痛快にヴィッセル神戸を騙して去って行ったイルハンにも知らなかった苦労があったのだなぁと思う。特に日朝サッカー史を取り上げたことは興味深い。

スポーツは様々あるが、サッカーでしか、こんなふうに世界を理解することは出来ないと思う。一つ一つの国の事情が必ず記憶に残って、別の本でつながっていくことが私の場合多いな。

■著者:木村元彦著
■書誌事項:講談社 2007年2月16日 341p ISBN978-4-06-213767-6

2006年9月29日

ナポリのマラドーナ―イタリアにおける「南」とは何か

ナポリのマラドーナ■著者:北村 暁夫著
■書誌事項:山川出版社 2005.11.5 ISBN4-634-49191-5 202p(historia)

■感想
私がイタリアの南北問題に気付かされたのは、ヴィスコンティの「揺れる大地」「若者のすべて」「山猫」といった作品群によるものだ。だから、この本がサッカーにはほとんど関係のない本であることはよくわかっていた。1990年のイタリアW杯でマラドーナ率いるアルゼンチンと開催国イタリアが、マラドーナが救世主となったナポリの地で準決勝を戦うことになった話も知っている。付随していうと、中村俊輔が最初に海外移籍したレッジーナがレッジョ・カラブリアという街にあり、ここが南イタリアの先端で、あと少しでシチリア島というところにあり、貧しく治安の悪い地域であるという話も聞いていた。私の前知識はその程度のレベルだった。だから興味をもったのだ。

本書から、南北問題とひとくくりで言うことが出来るわけではなく、南にも様々な地域格差があり、また、統一前からあった格差は実は小さく、統一後、人為的に拡大していったことなどを教えてもらった。

イタリアからアルゼンチンへの移民と言えば、「母を訪ねて三千里」のマルコがステレオタイプとして有名だが、前から気になっていたのは、もともとスペインを宗主国とし、スペイン語を公用語とするアルゼンチンに、どうしてイタリア移民が多いのだろうということだ。ボカ地区などはほとんどイタリア移民で占められていたという。それが何故なのか、本書を読んでだいたいわかった気がする。イタリア移民が多いからイタリアの二重国籍を取りやすいのに、スペイン語が公用語だし、気候も合っているからといって、アルゼンチンのサッカー選手は皆スペインへ行きたがる、という不思議な現象が起きている。先祖はイタリアに多いというのに…。変だなぁ。イタリアのクラブが北東部に集中しているせいもあるだろう。南部ならともかく、アルゼンチン人には寒いのだ。

先日読んだ別の書籍でもそうだったが、それまであった国内での地域や人種差別が、他民族の移民増加伴い自然と沈静化していくという現象がここでも起きているらしい。人間はどこまでも「差別」を必要としていて、対象が変わることでしかその差別は終わらないという輪廻のようなお話が結末だったのは、なんだかとてもがっかりだった。

2006年9月18日

僕のプレミアライフ

僕のプレミアライフ■原題:Fever Pitch
■著者:ニック ホーンビィ著,森田義信訳
■書誌事項:新潮社 2000.3 ISBN4-10-220212-9 399p(新潮文庫)

■感想
サッカーファンには有名な本書ではあるが、プレミアリーグにさほど興味がないので読まずにここまで来たのに、私がこの本を読んだタイミングが、まさにアーセナルがハイベリーを離れた最初のシーズンだったいうのは偶然だろうか。著者は「自分はアーセナルを愛しているんじゃなくて、ハイベリーを愛しているんじゃないだろうか?」と書いていたが、エミレーツ・スタジアムに足を運んでいるだろうか?

まず、邦訳のタイトルがよくない。サッカーをよく知らない人は「プレミア」ライフでプレミアリーグ生活とは思えないんじゃないだろうか。逆にそれが狙いだったりしたら、不誠実だろう。サッカーファンにはそのまま「フィーバー・ピッチ」でいいんじゃないだろうか。中身がよく伝わってくるタイトルだ。

内容はというと‥これが何とも気恥ずかしい。本書に対する基本的な思いは「シンパシー」だ。寒い雨の中スタジアムに足を運び、負けた日なんか、いったい何のために行ったんだろうと思う。去年からサポーターになった彼女が10年前からじっと優勝を待っていた自分と同じようにチームの優勝を祝う資格はないなんて狭量なこと言ったらはったおされるから口には出せないが、実際心の底ではみんなそう思っている。サッカーにはまった人々は「人生のすべてがチームに支配される」ということにならないよう努力する必要性がある。本当にバカみたいなんである。どんな手ひどい失敗でも、これほどまでに落ち込まないだろうな‥というような落ち込み方をするのだよ、実際(2002年6月12日宮城スタジアムでアルゼンチンのグループリーグ敗退が決まった日が人生で最大につらい日だったかもしれない‥)。

リアル・ライフが浸食されるのを必死で食い止めないと、あっという間にサッカーに覆い尽くされる。普段は試合の中継の日程をチェックして次の試合を見逃さないようにすることが、あるいは次の渡欧をいつにするかを考えることだけが人生になっていくのだ。周囲にそういう輩がいっぱいいた。私は今も尚、そうなることを必死で食い止めている。

だからこそ、「こいつ頭おかしいんじゃないの?」と思えることもたくさん書かれている。著者は「頭おかしい」自分を自虐的にかつ申し訳なさそうに、赤裸々にさらけ出している。これは恥ずかしくて本当に書けないサッカーファンの正直なところだ。


しかし、この著者はこれが最初の出版物でベストセラーなんだから、まさにアーセナルに人生を救われたと言えるだろう。けれど、そんな人は5%未満だろう。80%以上の人はサッカーにまとわりつかれたまま平凡に終わるが、15%くらいの人は結構悲惨なことになってしまうのではないだろうか?

例えば、2002年のワールドカップのボランティアで結婚相手を見つけ、翌年には式をあげた彼女。新築マンションに住まい、とても幸せそうだ(ちゃんちゃん)。

例えば、金子達仁のサッカー塾とか戸塚啓のサッカー塾とか、一流と言われるサッカーライターの小遣い稼ぎに付き合わされ、大学を卒業すると同時にフリーライターなんかやって人生を狂わされてしまった若者たち。彼らの99%はテープ起こしだの、穴埋め記事だの、安くて便利なライターとして消費され、40になっても年収300万以下だ。自宅から独立できず、出来たとしてもボロアパート暮らしで、結婚なんてほぼ不可能だ。そんな人生になってしまったのも、すべてサッカーが悪いのだ(脱線)。

まぁ、それはともかく、やっぱりもっと早く読んでおけばよかったなぁ。最初に戻るが邦題が悪い。読むと気恥ずかしいが、とても楽しい本だ。

2006年9月 3日

フーリガンの社会学

フーリガンの社会学■原題:Le hooliganisme
■著者:ドミニック・ボダン著,陣野俊史,相田淑子訳
■書誌事項:白水社 2005.11 ISBN4-560-50894-1 156p(文庫クセジュ)

■感想
新書版の文庫クセジュにそう多くを望んではいけないとは思いつつ、フィールドワークの少なさにちょっと辟易。生声が聞こえなくてはフーリガンがどんなものか伝わってこない。著者たちは一応聞き取り調査等しているのだが、生々しさに欠ける。ルポルタージュじゃないので、当然といえば当然なんだけど。
過去の社会学的見地から発表されたフーリガンに関する論文をさらっとおさらいした本書は新書らしい薄っぺらさで、あまり本格的には知りたくない人にはちょうどよいかもしれにあ。「フーリガンとは?」という問いに対する答えをこれまでの「イギリス人で労働者で鬱屈していて‥」という固定概念から引きはがそうとしているのだが、明確な答えは出していない。フランス人にもいるしってそんなこと言われてもね。

先日読んだ「サッカーが世界を解明する」にフーリガン華やかなりし時代を懐かしむ人たちが登場したけど、そんなもんでしょう。その後のネオナチ系のサポーターや最近の悲惨なほど増えた人種差別的ヤジに満ちたスタジアムについて考えるにつけ(ワールドカップ決勝でさえも!)、スタジアムの暴力は表面化はしないものの陰湿な方へ向かっていることは間違いない。その辺の最新ルポルタージュを待った方がよさそうだ。

2006年8月28日

ナチス第三帝国とサッカー

ナチス第三帝国とサッカー―ヒトラーの下でピッチに立った選手たちの運命

ナチス第三帝国とサッカー■原題:Stürmer für Hitler Vom Zusammenspiel zwischen Fußball und Nationalsozialismus : Gerhard Fischer / Ulrich Lindner
■著者:ゲルハルト・フィッシャー,ウルリッヒ・リントナー編著,田村光彰,岡本亮子,片岡律子,藤井雅人訳
■書誌事項:現代書館 2006.4.25 ISBN4-7684-6919-1 240p

■感想
社会学系の堅い本を出している出版社のせいか、非常に訳が堅い。原文のまわりくどさ、そのままの部分がかいま見えるが、きっと原文も相当堅いのだろう。それにしても翻訳者はサッカーに対しての知識があまりないようだ。「全国選抜チーム」ってひょっとして、ドイツがかつて分裂していたことと関係あるのか‥?などと勘ぐってしまいたくなるんだが、単なる誤訳か?

現在のドイツサッカー協会が、第二次大戦前のナチ時代にいかにナチにすりよっていたか、そして戦後、親衛隊員だった幹部がそのまま居残ったように、その体質をまったく反省することなく現在まで面々と続いているかが書かれている。しかしナチ時代というのは、どんな組織・団体でもそう言えるが、異常に残されている文献が少ない。少しの典拠で、なんとかここまでたどりつきました、という印象が強い。インタビューはいつもながら、みなぽっかり記憶喪失で、「政治は関係ない、ただサッカーがしたかった」という決まり文句が出てくるばかり。著者たちはさぞ苦労したことだろう。ベッケンバウアーだって同じ流れの同じ穴のむじななんだなぁ。

本書にはユダヤ人がいかにクラブチームや代表から排斥され、除外されてきたかが書かれているが、そう言えば、現在のドイツ代表にどれだけユダヤ人がいるのだろう‥?

覚えておきたいのは、ユダヤ人に対してリベラルなFCバイエルン、反ユダヤ主義のTSV1860ミュンヘン、テクニックのバイエルン、ファイターのTSVというのは俗説で、実際はこの2チームの区別はクラブのある地域(シュヴァービング=バイエルン、ギージング=TSV)によるものだったとのこと。同じミュンヘンの中でもそれぞれの地域に住む住民の違い、カルチャーの違いにより発生していた、いわばローカルのクラブチーム対決によくある図式に過ぎないということ。

1944年の6月といえば、結構敗色の濃い時期だが、まだリーグ戦が行われていたというのだから、どうしてもサッカーしたかったのか、それとも国民の目を欺きたかったのか。

何しろ時間が経過しているため、具体的なエピソードに乏しいのは仕方がない。ディナモ・キエフのように被害者の方が文献が多く、逸話も多く残されている。だからこそ、ドイツ本国でのナチ時代のサッカーを書いた文献が少ない中で、ドイツワールドカップ前に日本で刊行されたことは高く評価したい。

2006年8月15日

サッカーが世界を解明する

サッカーが世界を解明する■原題:How Soccer Explains the World: Franklin Foer
■著者:フランクリン・フォア著,伊達淳訳
■書誌事項:白水社 2006.5.24 ISBN4-270-00127-5 278p
■目次
第1章 ギャングスターたちのパラダイス―ベオグラード
第2章 セクト主義の好色性―グラスゴー
第3章 ユダヤ人問題―ウィーン
第4章 フーリガンたちの郷愁―ロンドン
第5章 幹部たちの存亡―リオ・デ・ジャネイロ
第6章 黒いカルパティア山脈―リボフ
第7章 新しい寡頭資本家の台頭―ミラノ
第8章 ブルジョア国家主義の控えめな魅力―バルセロナ
第9章 イスラムの願い―テヘラン
第10章 アメリカの文化紛争―ワシントン

■感想
比較的量が薄いわりに、なんと中身の濃いノンフィクションだろうか。というか、もっともっと書いて欲しい。物足りないくらいだ。グローバリゼーションが世界中のサッカー及び各地ににもたらした変化と、逆にグローバライズされない現実をあちらこちらのルポを基描き出している。アメリカの政治記者らしく、社会的な見地から書かれてはいるが、きちんとサッカーと向き合っていて、非常に興味深い話が満載だ。メモみたいに書き出しておかないと、忘れてしまう。

1.民族問題:旧ユーゴスラビア、セルビアを代表するレッドスター・ベオグラード。ここのフーリガンはクラブの頭痛の種などではなく、クラブ経営にも関与するほどの大物であり、1990年代のあのクロアチアら旧ユーゴスラビアが倒壊した戦争では、当初は単なる過激なファンだったのが、テロ組織へ、そして軍隊へと発展し、ムスリム大虐殺などにかかわっていたことが明らかにされる。

2.宗教問題:スコットランドリーグのグラスゴー・レンジャーズが中村俊輔も在籍するセルティックとの戦いが激しいことは知っていたが、その理由までは考えてみたことがなかった。単に同じ街にあるクラブで両方とも強いからだろうと思っていたら、宗教戦争を引きずっていたとは。しかも古さでは一、二を争うカソリックとプロテスタントの戦いが根底にあり、「オレンジ公ウイリアム」なんて懐かしい人の名前まで出てきてしまうあたり、なんてディープなの!

3.ユダヤ人問題:ウィーンに1920年代にあったユダヤ人だけのクラブを追う話から始まる。ユダヤ人問題が第二次大戦時と同じものではなく、変質して現在も存在していることを教えてくれています。ネオナチというのもまたニュアンスとして第三帝国とはまるで違うんだなぁと。ヨーロッパ人がユダヤ人に対して感じる異質さというものは、アフリカ人を異文化と感じるのと同じレベルになっているのだなぁと思う。良い悪いではなく、「違う」というものがたくさんあって、そのたくさんの「違うもの」たちの中の一つになってしまっているのだと書いてある。

4.フーリガン:昔のフーリガンカルチャーよ、いまいずこ‥。イギリス人もおとなしくはなったが、未だにワールドカップだと数の多さでやっぱり圧倒される。街中で酔っぱらってボールを蹴ったりして大騒ぎはするが、他人に乱暴ははたらかないのだなと2002年の札幌で感じた。今回の2006年のドイツでもやっぱり数は多かったそうな。

5.ブラジル:腐敗の体質は根深い。海外に流出してるのは仕方がないのだけれど、国内の状況が悪すぎる。アルゼンチンの方が今や貧乏で、クラブ経営については厳しい状況が続いている。だが、ブラジルの方が観客動員数という点で非常に悪いと思う「。最後は故国のチームに恩返しがしたい」というような台詞をブラジルの一流選手が言わなくなって久しい。

6.ウクライナサッカーのお話は「ディナモ―ナチスに消されたフットボーラー」というディナモ・キエフの本に詳しい。最近の話はNumber Plus「欧州蹴球記」にある。

7.イタリア・サッカーに巣くう不正はもはや土着的なものなのだなと、昨今のセリエAでの事件を見るにつけ思う。ユーベみたいな一流クラブの会長が、審判買収だなんて、そんなわかりやすいこと本当にするのかなと思うのだが、実際にやっていたのだから、呆れる。おそらく現地では「公然の事実」なのだろう。イタリアは学歴社会ではなく縁故社会だというのはよく聞く。身内をひいきするのは決してやましい行為ではなく、むしろ歓迎され、ほめられるべきことなのだろう。それもこれも統一される前のイタリアが各国に分かれていて、各地の出身者がミラノや北部に押し寄せていく過程で出来上がっていった慣習なのだろう。

8.リーガ・エスパニョーラ=スペインについては、いろいろと語り尽くされているが、いわゆるフランコ時代に圧迫されていたカタルーニャの象徴としてのバルサ対ひいきされていたレアルという簡単な図式だけでは語れないのだなということがわかって、ちょっと面白い。クラシコでの激しさを考えるとバルサのサポーターが憎んでいるのはレアルのサポターではなく、レアル・マドリーに象徴される中央集権の思想であるとは信じられない。が、確かにサポーター同士でのいざこざはあまり聞かない。それに、言われてみたら確かにカタルーニャはバスクのようなテロには走らない。それにカタルーニャを象徴するチームなのにオランダ人監督がオランダ人をたくさんつれて来ても文句を言わない。単に勝てば良いのだ。しかも自分たちが臨むサッカーの形で。なるほど。愛国主義がグローバリズムとともに歩むことができる見本とも言える。マドリーなんかより遙かに経済的にはバルセロナの方が発達しているという実利主義的なところがまたバルサの魅力だろう。

関係ないが久しぶりに今シーズン(2006-2007リーガ)はバルセロナを追いかけてみるか‥メッシもいることだし。あと、アトレチコとサラゴサとビジャレアルがあれば見るみたいな感じ。ちょっと、当分バレンシアを見る気になれないなぁ。

9.イランか‥イランってアジアだと強いのだけど、ワールドカップだと腰抜けになってしまうのは本当に不思議。しかしイスラムの女性だってやっぱりサッカーは見たいのだ、ということがわかった。イスラムの思想や宗教、そのものに対しては特に批判的に感じたことはないのだが、あの女性差別だけはやっぱり勘弁だな。

10.アメリカにおけるサッカーはインテリやヤッピーのサッカーという側面がある。アメリカでサッカーが受け入れられない理由は計算出来るゲームが好きなアメリカ人にはサッカーの予測不能なところが受け入れがたいとか言われていたが、それだけではないようだ。「ベースボールorアメフトorバスケとビールとポップコーン」みたいなのが「アメリカ的」であって、それ以外がアメリカ的ではないという、なんと逆に単純な理由もあるのだ。むしろそのアメリカ的ではないところが、一時期ヤッピーやインテリに受けたということだろうな。確かに「アメリカ的」と言われるものの中に野蛮な田舎っぽいやぼったいイメージがあるから、それに抵抗を感じた親が子供にサッカーを教えるというわけだ。でも、その子供はずっとサッカーをプレイしたり応援したりはしないのが不思議だな。

2006年7月25日

アディダスVSプーマ―もうひとつの代理戦争

アディダスVSプーマ―もうひとつの代理戦争■原題:Pitch Invasion : Barbara Smit
■著者:バーバラ・スミット著,宮本俊夫訳
■書誌事項:ランダムハウス講談社 2006.5.24 ISBN4-270-00127-5 448p
■感想
スポーツブランドで知られるアディダスとプーマがもとは一つの会社で、ドイツの片田舎の小さな町で、川のこっち側と向こう側に本社があることはよく知られている。元は兄弟の会社で二人が袂を分かれ設立したのが二社だと。スポーツビジネスの中でライバルとして争ってきた二社のストーリーを読みたいというより、むしろ戦前から続くドイツのある家族の物語が読みたいと思い読み始めた。
期待していたものでは正直なかった。やはりビジネスがメインになってしまうから仕方がない。だが、もう少し家族の仲違いが生み出す困ったエピソードなどがあると親近感が湧いたような気がするのだが‥。著者が明らかに職人肌のアディー・ダスラーに肩入れして、商売人のルディ・ダスラー(プーマは「ルーダ」の変形だそうだ)を軽視し、それがそのままホルストvsアーミンの息子の世代にまで引きずっている。この二人が仲違いしたのは、性格の違いからやむを得ないのだろうが、大きな原因はナチにあったのが時代故だ。実際に親子や兄弟での密告は頻繁に行われ、戦後まで引きずったのはよくあるが、この二人の仲違いは根本的には誤解と思いこみから発しているように思われる。

途中、主役がホルスト・ダスラーに変わると、ここからが国際スポーツ・ビジネスの表舞台で、オリンピックやワールドカップのそれぞれの大会でどうホルストが活躍したか、そしてフランスや日本などワールドワイドに広がっていく。この辺がおそらく一番面白いところなのだろうが、どういうわけか、私には一番退屈だった。サクセス・ストーリーが嫌いなのかもしれない。
それより、むしろ靴メーカーのドイツ・アディダス(両親)と国際企業であるフランス・アディダス(息子)の対立がどう深まっていったか、というあたりはあまり描けていないからだろう。ホルスト側の一方的な話しか見えてこないのだ。母親や姉妹たちの性格描写が弱いからではないだろうか。頑固一徹職人のアディとビジネスマン・ホルストが仲違いするのは当然だが、母親と息子のひどい仲違いの原因が根本的にはよくわからない。ノンフィクションで、これだけ魅力的な題材で、これだけ人が描けていないのでは、面白い筈がない。それはこの一族だけの話ではなく、後で出てくるたくさんの投資家や後のアディダス、プーマを救ったビジネスマンについても言える。レネ・イェギにしても、ロベール・ルイ=ドレフェスにしても、もう少し人物についての描写が薄い。ただ一人、ジルベルト・ボーだけが、ちょっと魅力的に見えたが、それ以外ベルナール・タピの悪漢ぶりくらいしか記憶に残らない。

それでも、ホルスト死後、多くの投資家が出てくるあたりから逆にスピード感が増してくる。アディダス、プーマの危機的な状況をヒヤヒヤしながら読んでいる方が面白い。

結局、アメリカ市場でのナイキとの戦いにあっさり敗れてしまったアディダスとプーマ両者は家族の手から失われてしまうことになる。ホルストが若く死んだことも大きい。結局彼がようやくドイツ本社に戻ってからがアディダス凋落のスタートであることを考えると、父親が生きているうちに戻れば、違っただろうになと思わざるを得ない。

それでも、多くの経営者や銀行が努力を続け、なんとかアディダスもプーマも巨大な国際企業として生まれ変わり、2006ワールドカップでさらなる激しい戦いを繰り広げることでしょう‥ってなところで終わっているのだが、ちゃんと家族の話にもオチがついている。最後に、アーミンの息子フランクが川を越えてアディダスの法律部門の責任者に就任したという逸話がのっている。家族経営からはほど遠くなり、株ですらもうほとんど残ってはいないダスラー家だが、長年の対立の末の小さな和解の兆しとみて良いのかもしれない。

2006年7月16日

世界の作家32人によるワールドカップ教室

世界の作家32人によるワールドカップ教室■原題:The thinking fan's guide to the world cup
■著者:マット・ウェイランド,ショーン・ウィルシー編,越川芳明,柳下毅一郎監訳
■書誌事項:白水社 2006.5.25 ISBN4-560-04976-9
■感想
2006年のドイツ・ワールドカップに出場した32ヶ国について、主に英米の作家、ジャーナリストたちが1ヶ国ずつ執筆しているという本。ロンドンの文芸誌「グランタ」の編集者たちが人選をし、編集したものだが、一流の作家、文筆家から編集者、依頼されて行ったり、その国の出身者や国籍を取得した人を起用したりしているが、全体的には出身者ではないが、その国にいろいろな縁がある人という観点で選ばれているようだ。頻繁にアメリカ人がまじってくるので、「自分の国のナショナルチーム」に固執する傾向が低く、純粋に自分の好みのサッカーを応援し、とてもマイナーな存在として頑張っていることが伺われて、少しほほえましい。(日本人も「自分の国のナショナルチーム」に固執する人ばかりではにあ。その理由は「自国の代表が弱すぎる」というアメリカとは少し違う事情だが)。また、そもそも本書を触発した「スタジアムの神と悪魔」の著者、ウルグアイの作家ガレアーノを選ぶことができなかったのは、サッカールーのせいだと思うと南米サッカーフリークとしては腹も立つが、本書の「オーストラリア」を読んで、これまでいかにレベルの違うサッカーを強いられて来たか、いかにオセアニアサッカー連盟から出たかったかがよくわかり、複雑な気持ちだ。というか、ベン・ライス(「ポビーとディンガン」の著者)だからうまいのか。やられた。

内容は、「その国のサッカーについて」ではまったくなく、自由に書かれているので、本当に様々だ。代表チームの変遷をきちんと追っていたり、その国でかつてワールドカップが開かれたときのことを書いていたり、ポルトガルのようにマデイラ島のサーフィンの話がメインだったりと様々だ(クリスチアーノ・ロナウドがちらと出てくる)。よって本大会を予想しているわけでもなんでもないので、W杯後でも読むに耐えうる内容となっている。とは言え、自分としては本大会中には読み終えようと思っていたのだが、ずっとサッカー誌ばかり読みあさっていたため、結局間に合わなかった。

チュニジアのエスペランス対クラブ・アメリカンのダービーマッチのエンターテイメント性に匹敵するのは、アルゼンチンリームのスーペルクラシコ(ボカ対リーベル)くらいなものだとか、ガーナ(初出場)って実は強いのに、アフリカお約束の部族の違う選手の仲違いで出られなかったこととか、知らない国のことは、もうそれだけで面白い。

翻ってサッカー大国、イングランドやイタリアは直球ではおもしろくない。イングランドは「ぼくのプレミアライフ」のニック・ホーンビィが書いていて、イングランドにもナショナルチームに対する複雑な心境をもつサポーターもいることを教えられる。スペインはお約束のレアルvsバルサではなく、エスパニョール対FCバルセロナのバルサ・ダービーと年のスペイン・ワールドカップあたりを「ジェラルドのパーティ」のロバート・クーヴァーが書いている。フランスのなんだか色っぽいサッカー話も面白い。

ウクライナはやはり哀しい。ディナモ・キエフの話やシェフチェンコの話を聞いていたので、特に目新しくはないが、しかしワールドカップ決勝前夜、オレンジ革命が消滅してしまったので、余計に哀しい。

各章扉に各国のデータが掲載されている。その中で必ずチェックしてしまうのが、人口と乳児死亡率の欄だ。アフリカの乳児死亡率の高さには、やはりというところもあるが、少し驚かされもした。しかし、数だけ見てみると、無論中国やインドなんかに比べると話にならないが、日本は人口多いのだから、もう少し強くてもおかしくない気もしたが、まぁ比率は関係ないか。

白水社のサッカー・ノンフィクションはいつもながらに面白い。W杯前に刊行されたものを全然読んでいなかったので、当分サッカー本ばかり追ってみようか。



■目次

まえがき(マット・ウェイランド著,山西治男訳)
序論(ショーン・ウィルシー著,伊達淳訳)
ワールドカップ2002総括 (ショーン・ウィルシー著,伊達淳訳)

Group A:ドイツ(アレクサンダー・オザング,山西治男訳)
コスタリカ(マシュー・ヨーマンズ著,越川芳明訳)
ポーランド (ジョームズ・スロヴィエツキ著,野中邦子訳)
エクアドル(ジェイコブ・シルヴァースタイン著,北代美和子訳)
Group B:イングランド(ニック・ホーンビィ著,野中邦子訳)
パラグアイ(イザベル・ヒルトン著,実川元子訳)
トリニダード・トバゴ(クレシーダ・レイション著,越川芳明訳)
スウェーデン(エリック・シュローサー著,実川元子訳)
Group C:アルゼンチン(トマス・ジョーンズ,山西治男訳)
コートジボワール(ポール・ライティ著,実川元子訳)
セルビア・モンテネグロ(ジェフ・ダイヤー著,実川元子訳)
オランダ(トム・ヴァンダービルト著,柳下毅一郎訳)
Group D:メキシコ(ホルヘ・カステニェーダ著,越川芳明訳)
イラン(サイード・サイラフィザデー,北代美和子訳)
アンゴラ(ヘニング・マンケル著,伊達淳訳))
ポルトガル(ウィリアム・フィネガン著,野中邦子訳)
Group E:イタリア(ティム・パークス,北代美和子訳)
ガーナ(キャリル・フィリップス著,岩本正恵訳)
アメリカ(デイヴ・エガーズ著,岩本正恵訳)
チェコ(ティム・アダムズ著,実川元子訳)
Group F:ブラジル(ジョン・ランチェスター,山西治男訳)
クロアチア(コートニー・アンジェラ・ブルキッチ著,岩本正恵訳)
オーストラリア(ベン・ライス著,野中邦子訳)
日本(ジム・フレデリック著,柳下毅一郎訳)
Group G:フランス(アレクサンダル・ヘモン著,岩本正恵訳)
スイス(ペーター・シュタム,山西治男訳)
韓国(ピーター・ホー・デイヴィーズ著,柳下毅一郎訳)
トーゴ(ビニャンガ・ワイナイナ著,伊達淳訳)
Group H:スペイン(ロバート・クーヴァー著,越川芳明訳)
ウクライナ(ベンジャミン・パウカー著,野中邦子訳)
チュニジア(ウェンデル・スティーブンソン,北代美和子訳)
サウジアラビア(スークデーヴ・サンドゥ,山西治男訳)

あとがき ワールドカップで勝つ方法(フランクリン・フォア著,伊達淳訳)

ワールドカップ ドイツ大会 グループリーグ・決勝トーナメント日程
ワールドカップ 過去の成績
ワールドカップ 通算成績表


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2006年1月13日

サッカー戦争

サッカー戦争■著者:リシャルト カプシチンスキ著, 北代美和子訳
■書誌事項:中央公論社 1993.8.30 ISBN4-12-002235-8
■感想
本書は1960~70年頃のアフリカの独立時代とラテン・アメリカの戦争や革命に関するルポルタージュである。短いルポというかエッセイの集合体で、「サッカー戦争」はその中の一つに過ぎない。1993年に刊行された少し古いルポだが、筆力があるせいか、古さは感じられない。

「サッカー戦争」とは1969年、エル・サルバドルとホンジュラスの間で起きた100時間の戦争のこと。エル・サルバドルからホンジュラスへやって来た不法就労農民をめぐる両国間の感情のもつれが引き起こしたもので、サッカーの試合はきっかけに過ぎないのだが、それでも本当に戦争になるのがすごい。

テレックスをうつために街に出て、命からがらホテルに戻ってくる緊迫感。砲弾に乗っていたトラックが射抜かれた瞬間を「ふーん。こんな感じなんだ‥」的な感想をもつ。よくあるジャーナリスト病で、文明化された国に帰ると落ち着かず、アフリカや中南米の過酷な状況でのみ生きた気がするタイプだ。さまざまな戦争を扱っているが、唐突にギリシャに侵攻されたキプロスの女性たちの話がぐっとくるものがあった。

白人でありながら、大国に蹂躙されたポーランドという国の出身である著者には、アフリカや中南米の植民地支配におかれた国々の惨状に対する思いは中途半端なものではないのだろう。「彼は、アフリカ人だ」アフリカにいるヨーロッパ人に対する最高の賛辞で、これがあれば、すべての扉が開かれる、とある。すさまじい白人差別(?)にあって来た著者の忸怩たる思いが、一気に解放された瞬間だ。

それにしても、一国の政争がまるで小さな村の中のいじましい争いと同じレベルであることに驚かされる。腐敗と革命とが次々と描かれていく。アフリカはだいぶ落ち着いたが、まだまだ変わってないところもあるんだろうな。

2005年7月31日

勝利の時も、敗北の時も

勝利の時も、敗北の時も■著者:オスヴァルド・アルディレス著, 鍋田郁郎訳
■書誌事項:日本放送出版協会 2001.4.25 ISBN4-14-080602-8

■感想
清水エスパルス、横浜マリノス、そしてつい先頃読売ヴェルディの監督を務めた日本にはなじみ深いアルゼンチン人の一人、アルディレスの自伝のようなもの。これはマリノスの監督をやっていた頃のもの。
アルゼンチン代表が初めてワールドカップに優勝した1978年大会(自国開催)のメンバーで、トットナム・ホットスパーのスター。イングランドで成功した初めてのアルゼンチン人というところが私の興味をそそった。多分それ以降も出ていないんじゃないかと思われるくらい、イングランドとアルゼンチンの相性は悪い。
短くボールをつなぐアルゼンチンサッカーに対してイングランドのロングボール放り込みは違いすぎる…と言ってしまえば古すぎる説明かもしれない。昨今のリバプールなんか見ていると、ラテンナイズされてるのがわかるし、アーセナルだってやっぱり放り込みサッカーじゃない。でも、やっぱり全体的に言うと、両国のサッカーの特徴は今も変わらないんじゃないかなと思う。
そんな中でどうして彼が成功できたのか。本人は「教育のおかげ」と言う。確かにアルゼンチンのサッカー選手には珍しく、大学出なんである。最近じゃバティストゥータがそうだが、アルゼンチンの代表クラスの選手で大学へ行った選手は珍しい。かなり早い時期にユースチームに入ってたたき上げないと、メジャーな選手にはなれないので、それも当然だろう。大学なんか出て働くよりサッカー選手になった方がもうかるから、家族も勧めないし。アルディレスの場合は少し時代が古いのと、家庭環境のせいらしい。
だが、教育のおかげで語学ができたのと、環境に対してきちんと対応する努力をしたのが成功の要因だそうだ。まぁ、わからないでもない。環境に対する順応性が高くないとサッカー選手は大成しないからな。

監督としてのアルディレスは解任はされたものの、ヴェルディにやってきて、すぐに結果を出した。マリノスのときもそうだった。就任したそのリーグで優勝したのだ。ただ、長続きしない。エスパルスのときはそうではなかったが、その後はどうもチームのフロントの方に恵まれていない気がする。もっと長期政権でやって欲しい監督だ。

2005年7月24日

ディエゴ・マラドーナの真実

ディエゴ・マラドーナの真実■原綴:HAND OF GOD : the life of Diego Maradona
■著者:ジミー・バーンズ著, 宮川毅訳
■書誌事項:ベースボール・マガジン社 1997.11.30 ISBN4-583-03441-5

■感想
そういやぁ読んでなかった、と思い、だからとりあえず読んだ、というだけ。目新しい事実は特にないが、伝記としてはそれなりに評価できる。本人にとっては耳の痛い話が多いのと、良い方の話(W杯での活躍ぶりとか)も、非常に淡々と書かれていて、落ち着いた感じ。サッカーの伝記ものには珍しい。

2005年6月14日

Number Plus 欧州蹴球記―辺境の偉人たち

Number Plus 欧州蹴球記―辺境の偉人たち■書誌事項:文藝春秋社 2005.6.5 ISBN4-16-008140-1
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■感想
たまたまNumber Plusでシェフチェンコの記事が出ていた。2006年、順当に行けば初めてウクライナはワールドカップに出場する。昨年は「オレンジ革命」があった。なんだか、とってもタイムリーな国だ。

例の「死の試合」に出て、収容所で殺された4人の墓碑銘が載っていた。ところが名前も違うし、人数も違うらしい。「死の試合」の伝説は紆余曲折であるため、彼らがドイツの協力者と思われる可能性があって、それを避けるために本当の名前を彫ることが出来なかったと。後に対ドイツの英雄扱いされる選手たちが、そんなことになっていたのだ。歴史は後の人間の見方によって左右される。

その他のヨーロッパ「辺境」の国の選手たちの話も楽しい。え?読み方、グジョンセンじゃないのか…とか、アイスランドから選手が出てるのかとか。興味深い話ばかりである。

2005年5月27日

ディナモ―ナチスに消されたフットボーラー

ディナモ―ナチスに消されたフットボーラー■原題:DYNAMO Defending The Honour of Kiev
■著者:アンディ・ドゥーガン著,千葉茂樹訳
■書誌事項:晶文社 2004.10.5 ISBN4-7949-6636-9

■感想
「アヤックスの戦争」のナチスとサッカーというテーマの流れで、有名な「死の試合」ディナモ・キエフの伝説に関する本書を手にとってみた。これは1941年8月9日にウクライナの首都キエフで行われた試合のことである。ディナモ・キエフの選手からなるチームが占領軍であるドイツ軍の精鋭からなるチームに対して大勝を収めてしまい、試合会場からユニフォーム姿のままトラックで連れ去られ、全員銃殺されたというものだ。この伝説は戦後スターリンのプロパガンダに使われたりして、真実が伝わりにくく、実際はどうだったのかが見えないことが多かった。本書では、判明した事実を取り上げ、この伝説と異なり、選手は全員ではなく4人、それも試合の半年後、収容所で殺されているという。また、選手は全員がディナモ・キエフの選手ではなく、ロコモティフの選手もおり、前後の流れも含め、淡々と事実を追っている。

やはりナチもの、それも対ソ戦でもっとも過酷な扱いを受けたウクライナなので、非常にキツイ内容だが、読み進みにくいのはそのせいばかりではないだろう。ルポルタージュとして悪くはないが、やはりサッカーを取り上げている以上、もう少し筆力をもってして、面白おかしくというわけにはいかないが、ぐいぐい引っ張るものがないなと感じた。確かに描かれている事実は興味深いので、惜しいなと感じる。

最初は占領地域の市民のなぐさみもので始めたサッカーの試合だったが、アーリア人の優位を見せつけ、キエフ市民を精神的に抑圧し、見せつけるための試合で逆にウクライナ人の優位性を見せつけられる結果となった。しかもこの試合の前にも何度も試合を行って大敗している。試合前の「ハイル・ヒットラー」を拒絶するのみならず、勝ってはいけないとはっきりSSに言われているのに、勝ってしまった。もちろん、選手は勝利の後に死が待っているであろうことは予想出来ていた。

この試合でキエフが勝ったのは、抑圧されている市民のため、国家のために戦うという崇高な目的をもったチームだったからだというような精神的な優位性を強調していないところが本書の良いところだと思う。もちろん、それはあるだろうが、戦前ディナモ・キエフが非常に強かったこと、占領直前まで指揮をとっていた監督の戦術が当時としてはモダンで、選手に浸透していたこと、もともと選手がfor the teamに徹するチームだったこと、選手個人個人は体力や若さでは圧倒的に劣勢だったものの、試合経験やテクニックで優れていたことなどを主な勝因にあげているので、納得できる。だが、おそらくは「自分の命を守るために手を抜いて負ける」ということはやろうと思っても出来なかったのではないかと私は思う。一度ピッチに立ってしまえば、サッカー選手というのはそういうものではないかなと思った。

結局、収容所で人気選手ばかり殺されたのは彼らがドイツとの試合に勝ったことによる意図的なものか、それとも他の人々と同じ単なる虐殺だったのかは、本書でもはっきりとは記されていない。しかし、生きて帰って来る者がほとんどいない収容所に送られた段階で、ドイツ軍に彼らを殺す意図はあったのは確かだ。

それにしても40万人が8万人に減らされるというのは、ドイツのジェノサイドに対する力の入れようというか、たいした労力だと、ナチものを読む度、その国家的にシステマチックな犯罪に圧倒されてしまう。

ウクライナという辺境のサッカーについて、国について、俄然知りたくなって来た。シェフチェンコの国だもんね。

2005年5月16日

アヤックスの戦争―第二次世界大戦と欧州サッカー

アヤックスの戦争■原題:Simon Kuper "Ajax, the Dutch, the War: Football in Europe During the Second World War", orion 2003
■著者:サイモン・クーパー著,柳下毅一郎訳
■書誌事項:白水社 2005.2.10 ISBN4-56004970-X

■感想
サイモン・クーパーの書くものは絶対に面白い。彼は世界でもトップクラスのサッカー・ジャーナリストで、特に「政治とサッカー」「歴史とサッカー」が得意。昔オランダ語で書いたものを英語版で増補改訂した2003年の著書ということで、特別アヤックスが好きなわけではないが、即買う。

私はナチズムにはいささか食傷気味なのではあるが、イギリス、フランス以外の諸外国の対応というものには目を向けたことがなく、被占領地域の戦時下の状況について初めて知ることも多かった。ポーランドのユダヤ人大虐殺は有名だが、オランダの数も相当なもの(ユダヤ人口の四分の三)だったことに驚かされた。と同時にデンマーク人の国をあげてのユダヤ人庇護はすごいなと。有名なアイヒマン裁判を描いた著書「イェルサレムのアイヒマン―悪の陳腐さについての報告」が本書の中でも参考文献としてあげられていて、ハンナ・アーレントは敷居が高かったが、この際読んでみようかと思わせる。

1930年代に急激に盛り上がったヨーロッパ大陸のサッカーだが、その国際交流が盛んになったのはナチの親善外交によるものだった。さらに、被占領地域において戦時下の数少ない娯楽がサッカーだった。イタリアはファシズム対反ファシズム、スペインは国内での地域間抗争等様々な要因があるのだが、全体的に戦前戦後で盛り上がったことは確かだ。ワールドカップが始まったのが1930年だったし。

アンネ・フランクを屋根裏にかくまったのも、裏切って密告したのもともにオランダ人。オランダ人と言えば合理的で節制家で知られるが、日本人の自分としてはその臆病さ故に多少シンパシーを感じないこともなかったんだが、ちょっと考えてしまう。

アヤックスが未だに「ユダヤのチーム」と呼ばれ、星印の旗がひらめくようなクラブなのに、何故戦前戦後の時代、クラブとユダヤ人とのかかわりを否定しているのか、それがこの本の最大のミステリーである。行ったことのある人は、サッカーファンなら一度はあのアムステルダム・アレナには行くべきだと言うのだけれど、チケットはソシオだけなのでリーグ戦は入れないそうだ。CLのツアーとか、あればそっちに行くのだが。

それから、この本を是非小野伸二くんに読んでもらいたい。フェイエノールトの応援がそんな反ユダヤ的なものと知っているのかどうか。そんなもんなんだなぁで流しているんだろうな、きっと。

全体的には著者本人がユダヤ人のわりに感情的にならず、冷静な文章だが、内容的にどうしてもジェノサイドが入るため、胸をつかれる部分もある。しかし、思わず吹き出してしまう一言もあって、とても楽しかった。ジェノサイドにあったオランダのユダヤ人は、親兄弟や親戚のほとんどをなくした。「あのとき自分がこうしていれば誰それは助かったのに」とか嘆き続けたり、孤独感にさいなまれて苦しんだあげくの涯てに自殺なんかしないで、戦後はとっとと結婚し、ガンガン子供を産み、他の民族はあてにならないので一生懸命働いて経済力を得た…というくだりがとても好きだ。とてもタフな民族で、それだけで愛すべき人たちだと私は思う。

2004年7月20日

龍時 03-04

龍時03-04■著者:野沢尚
■書誌事項:文藝春秋 2004.7.10 ISBN4-16-323150-1
■感想
『Number』に掲載された本格的サッカー小説・龍時シリーズ第三弾。アテネ五輪の話なので、開始前に読んでおきたかった。著者が死の直後に刊行された作品だ。グループリーグの初戦がアメリカ、次がカメルーン、第三戦が開催国であるギリシャ。このギリシャ戦からスタートし、準々決勝スペイン、準決勝韓国、決勝ブラジルと、何やかやと因縁のある国との戦いを描いている。ギリシアがユーロで優勝するなどとはまったく予定になかったんだろうなぁと思わず苦笑してしまう。それほど強いチームに想定していないことは別に間違ってはいなかったのだが、予想以上に強くなっていたということか。

U-23日本代表監督との確執というよりは駆け引きが描かれる。組織プレイを強制されることを嫌いわずか17歳でスペインへ飛び出し、1部リーグでスーパーサブとして活躍する主人公とドイツ帰りの組織プレイが得意な理論家肌の監督。どう考えても合わないと思われる組み合わせがどういう効果をもってU-23日本代表のアテネ五輪の戦いを動かすのか。

また、龍時の試合の模様と同時進行で父親の時任礼作がこの平義という監督の実像をつかむもうとする様子が物語を進めている。
この平義という監督の戦術は説得力がある。日本人のメンタリティに基づいた高い守備意識と組織プレイ、その上でのオプションとしての自由奔放な攻撃性。これは理想に近いのかもしれないな。日本人は確かにメンタリティとして失敗をおそれるところがある。一人でリスクを負った一か八かの攻撃になど出にくい。そこで組織的にプレイすることで安定した戦いができるようになる。疲れたとき、敵が焦ってきたとき、約束事に基づいた組織的なプレイをきちんとこなすことが出来れば、それは大きな武器になる。ただし、同じことばかりやっていたら敵は全部見抜いてしまう。そのため予定にないことも約束にないことも出来る選手たちが欲しい。そこで、自分の判断で動くことができる、失敗をおそれないメンタリティをもつ選手も必要だと。まーこんなうまい組み合わせが出来れば最高だわな。
しかし、平義という人物を描く上で奥さんとその妹の関係の物語は必要だったんだろうか…?という気がしてならない。人物像に厚みを出したかっただけなら、そこまで書き込まなくても、もっと試合に集中した方が個人的には嬉しかった。

01-02、02-03、03-04のどの順に面白かったかというと、…刊行順…だと思う。やっぱりねぇ(笑)。主人公があまりヒーローになっても面白くないのだわ。それでもリーガを描いた02-03はまだ良かったな。日本代表にさほど興味がないと面白くないのかも。あ、だから日本代表が好きな人は読んだ方が良いと思います。田中達也とか、そこまで良いかなぁという気もするけど。

まぁ、それはともかく、後書きを読むと1年に1冊刊行の予定で連載していたそうだ。ということは「04-05」もある筈だった。主人公の年齢がとても低いところで始まっているので、10年は続けられるが、おそらくは次のW杯がある2006年まで、つまり04-05、05-06あたりまでは少なくとも予定されていたのだろう。

龍時の続きが読めなくなってしまったのは何故だろう?誰のせいなんだろうか?言われているように「坂の上の雲」のせいなのか?じゃあ「映像化まかりならん」と言った司馬遼太郎のせいなのか?それとも企画を持ち込んだテレビ局のディレクターなのか?
いや、やっぱり野沢尚本人のせいなんだろう。悔しいな…。心から悔しい。

2004年7月14日

龍時 02-03

龍時02-03■著者:野沢尚
■書誌事項:文藝春秋 2003.9.30 ISBN4-16-322220-0
■感想
野沢尚死去の報を知ったとき、瞬時に「ああ、もう龍時が読めないのか。しかし01-02の後を読んでないぞ…?」と思った。予想通り「02-03」は在庫が少なく、入手に少々時間がかかった。「03-04」がちょうど間もなく刊行だったため、予約して購入した。すると、「01-02」がもう文庫になってしまった

何故「02-03」を読んでいなかったかというと、2002年のワールドカップ以後ほとんど『Number』を読まなくなったからだ。W杯前はワールドサッカーの雑誌は『ワールドサッカーグラフィック』と『ワールドサッカーダイジェスト』くらいしかなく、しかも月刊だった。WSDが隔週になり、『ワールドサッカーマガジン』が刊行されたのはW杯後だ。それで日本代表がメインの『Number』を読む機会がなくなった、ということかもしれない。

さて、舞台は突然セビージャをホームタウンとするベティスである。アトランティコFCというマドリー郊外の架空のクラブだった01-02と異なり、本物のクラブ。当然登場人物の中でクラブの人たちのほとんどは実在の人物である。選手、監督から会長まで実によく書けている。たった11日間の取材旅行で、よくここまで書けたと思う。筆力とはこのことだ。

02-03シーズン開始当初、確かにベティスは調子が良かった。最後崩れて8位まで落ちたが、当初の勢いなら2~3位でもおかしくなかった。主人公がこのベティスのホアキンの交代要員という設定であるところがすごい。確かにプレイスタイルは龍時と似ているのだが、著者は自分でこの設定は決めたのだろうか?誰かプロが教えたのだろうか?それにつけてもホアキンとは…。

監督のビクトル・フェルナンデスがむちゃくちゃいい監督に描かれている。本当にそうだったら選手は涙もんだと思う。内容のわりに成績が悪いため、2004年6月30日をもって辞任してしまったが。そのほか名物ロペーラ会長のキャラクターもよく書けている。アスンソンやデニウソンやカピらの得意のプレイも実によく知っていて感心する。ベティス・サポーターは当然読んでいるのだろうけど、なかなか楽しいんじゃないだろうか?方やバレンシアはビクトル・ロペスという架空の選手がアイマールの代わりにレギュラーポジションをつかみかけているという、私には面白くない設定である。ま、それはともかく、リーガをそこそこ知っていないと、どこからどこまでが架空の人物かわからないだろうな。ベティスの選手のほとんどと監督・会長、日本代表の選手たちは実在するが、後は全部架空の人物なのだが。

ワールドカップや韓国人に対する総括のような箇所もある。ミスジャッジに対する見解はなるほどなと思う。いつもは慣れすぎていて、怒ることを忘れていたかもしれない。が、ワールドカップの時は「犯罪だな」と思ったものだった。だいたいアジアやアフリカのチームの試合しか見ていない審判がまったく違うスピードの違うレベルのヨーロッパのサッカーをさばけるわけがない。国際審判制度はなっちゃない…と怒りを覚えたことを、最近忘れていた。

この一連の小説がサッカーをわかる人には面白い小説であることは保証できる。日本人の書いた小説は滅多に読まない私がそう思う。日本にもちゃんとしたノンフィクションノベルを書ける人がいるんだなと01-02を読んだときに感じたものだった。しかし、サッカーを知らない人は多少きついかもしれない。というのもこの小説のもっとも面白いのは主人公がピッチに入ったときなのだから。細かな一つ一つのプレイを文章だけで表現するのは難しいだろうに、たいしたものだ。

新しい彼女がセビージャにフラメンコの勉強に来ているポルトガル人の女の子っていうのは、ありきたりだが、別にそんなことはありきたりで構わない。ちょっとした色づけにすぎないのだから。ただ、今回主人公はすでにスペイン語は出来るが、それに加えてセビージャの文化に触れているところは正しいなと思う。彼女に連れられてフラメンコを見に行ったり、CDを聞いたりするところは、違う国のチームに移籍する選手にとって大切なことだろう。中田の成功は第一にあの語学力によるものだと私は思うので。日本から海外へ行く選手はまず彼女をつくると、その国の言葉を覚えるのが早いらしい。更に、言葉だけではなく、その国や街の文化にひたらないと、海外移籍をするトータルでの意味はないのだから。柳沢とか西沢とか、海外移籍の意味がまるでわかってない。

スポーツライターはロマンチストである。当然だろう。スポーツを見たりやったりする人間が何でスポーツをやったり見たりするのかを考えればわかる。著者は小説家・脚本家であってジャーナリストではないが、根底にあるのはスポーツライターと同じものだろう。

まぁ、スポ根ではあるが、主人公はスーパーヒーローではない。何でもできる漫画やアニメのサッカー選手と違うから面白いのだ。

2003年12月 2日

ゲームのルール

ゲームのルール■著者:ピエルルイジ・コッリーナ著,石川顕啓編,山口英雄訳
■書誌事項:NHK出版 2003.8.27 ISBN4-14-080812-8
■感想
この著者のプロフィールを作成しました。夏に刊行されていたのは知っていましたが、先日ユーロ2004プレイオフのノルウェー対スペイン戦を見て、やっぱりカッコいいなぁと思って、つい購入してしまいました。同じくユーロ2004の予選のとき、トルコ対イングランド戦でもめたベッカムとアルバイに「試合に出たければ今すぐ問題を解決するんだ。ふたりとも国を代表する愛される選手だ。こんなふるまいは君たちにはふさわしくない。この一件は見なかったことにしよう」ときつく言ってたしなめた、とはアルバイの言葉。本当だったら、やっぱりカッコいいなぁと、そのときも思いました。
彼はこの風貌で審判としては異常に目立ちます。これは脱毛症によるもので、24歳のときからこうだそうです。長い間「良い審判は目立たない審判だ」と言われて来ましたが、それに対して本書の中でも反対しているように、この人自身がすでにアンチテーゼなわけです。どんな形にせよ、審判というものに対してサッカーファンがもっているイメージを変えたのは間違いありません。
この本の中にはこの記事の中のエピソードも入っていますが、他にもワールドカップやチャンピオンズリーグのエピソードもあります。
サッカーの審判をやる人は物好きだと思っていましたが、ホントに物好きでした。本当の理由は単にサッカーへの情熱で、自分にはプロの選手としての能力はないが、たとえアマチュア・サッカーであっても、サッカーというスポーツに貢献できることが審判を続ける理由だと。イタリアには審判が25,000人いて、うちセリエAとBの審判は35人だそうです。いかに草の根レベルに広がっているのかがよくわかりました。
私は、本書を読んだ後も読む前も同じ考えですが、良い審判は決断力のある審判であり、間違いを潔く認めることができる審判だと思いますね。

2003年10月17日

スローフット―なぜ人は、サッカーを愛するのか

スローフット■著者:西部謙司
■書誌事項:双葉社 2003.6.25 ISBN4-57-529566-3(サッカー批評叢書)
■感想:
著者はフランスに3年いたというサッカージャーナリストなので、イングランド、イタリア、スペインという欧州サッカー中心地からはずれているため、日本のサッカージャーナリストの中では少々異色。サッカーに対する物の見方が少し変わっていて、視点が面白い。サイモン・クーパーがイギリス人のくせにずっとオランダで育ったという経歴の持ち主なので面白いのかなと思ったのと同様。


第1章 ロス・セボジータス
マラドーナが8歳から14歳まで所属していた少年時代のチーム
第2章 The BIG MAN,still standing
バルサのリケルメは何故上手くいかないのか(2003.2)
第3章 青か赤か
マンチェスターでわざわざユナイテッド(赤)を選ばず、シティ(青)を選ぶファンの話(2003.2)
第4章 異邦人
フランスリーグ(2002.12)
第5章 空飛ぶトルコ人
トルコリーグ観戦記(2003.5)
第6章 三巨人物語
1950年代に欧州で活躍した3人の巨人、ディ・ステファノ、プスカス、クバラの話(2002.10)
第7章 ヨハン
ヨハン・クライフのトータルフットボール(2003.3)
第8章 試されるJリーグ
ジーコ・ジャパンの戦術の基本はJリーグ(2003.4)
第9章 悪の論理
闘将・柱谷の日本人離れしたマリーシア
第10章 Why football?
サッカーにかかわる様々な人々へのインタビュー
第11章 何も放棄するな
美しいサッカーか、勝つサッカーか

毎度繰り返し言うが、サッカー本はタイミングが難しい。歴史的な話(1980年代以前とか)なら何とかなるが、チームや選手の評価は頻繁に変わるので、とにかく新しくないと意味がない。たいていは雑誌の方が望ましい。各週で2冊プラスα読んでいる。雑誌というと、サッカー関連以外は読まないというくらいだ。
本書は3〜4ヶ月の刊行になるが、このくらいのタイミングならギリギリという感じか。普段読んでいないサッカー雑誌に掲載された文章が多いので、安いし、中身もよくわからないまま買ったら、中身があたりだった。我ながら勘が良いなぁ。

2002年11月27日

BOCA―アルゼンチンの情熱

BOCA―アルゼンチンの情熱■著者:亘崇詞、植田朝日監修
■書誌事項:イーフロンティア/北星堂書店 2001.11.15 ISBN4-590-01120-4
■感想:
週に1試合だけアルゼンチンリーグを見ている。たいていがボカかリーベルの試合だ。私はアルゼンチンリーグに関してはMy Teamをもたないので、サンロレンソなんかも好きだし、ボカとリーベルとどちらの方が好きかと聞かれると困る。
ちょうど1年前くらいにボカがトヨタカップで2度目の来日を果たした頃に出た本。だから、高原がボカ行ってた頃。この本を読みながらボカのスタジアムであるボンボネーラまで行って、近くの「キケ」というサポーターズショップに入り、このおじさんに会ったなぁ、なんて思い出していた。
ギジェやデルガドなんかは今でも好きだし、時々リーガ・エスパニョーラでパレルモを見るが、今一つなので帰って来ればいいのにーとか思っている。先日のスーペル・クラシコ(ボカ対リーベル)戦も勝ったし、スピード感あふれるコンパクトなサッカーを未だに続けている。
しかし、今月は1本も映画を見てない。それというのもサッカーのDVDやリーガ・エスパニョーラ、チャンピオンズリーグなどを見まくって時間がないからだ。リーガはバレンシア戦は毎週、レアルとバルサなんかは時々、チャンピオンズリーグは今週から。ミラン対レアル、デポルティボ対ユベントス。その上にアルゼンチンリーグなのだから、しょうがない。しかし、観戦記は書くと長くなるのでやめておく。

2002年10月28日

ワールドカップ・メランコリー

ワールドカップ・メランコリー■著者:サイモン・クーパー著,森田浩之訳
■書誌事項:広済堂出版 2002.4.3 ISBN4-331-50888-9
■感想
「サッカーの敵」と異なり、雑誌に掲載された記事の集合であるため、時間軸としては多少古いものになってしまうが、面白さは抜群。特に筆者が子供の頃を過ごしたオランダに関する連作が圧巻。オランダは何故ワールドカップで優勝できないのか、がよくわかる。そういや、2002年はW杯に出ることもできなかったっけな…。

2002年10月22日

サッカーの敵

サッカーの敵■著者:サイモン・クーパー著,柳下毅一郎訳
■書誌事項:白水社 2001.3.10 ISBN4-560-04960-2
■感想
昨年3月に日本で刊行されたが、原文は1994年のアメリカワールドカップ後に出た本である。著者、サイモン・クーパーは現在では世界No.1フットボール・ジャーナリストと呼ばれるライターだが、当時23歳だか24歳だかの本当に若いジャーナリストだった。1994年に刊行されたときは、さぞ衝撃的だっただろう。
世界とフットボールのかかわりを主に政治的・社会的観点から書かれている…というと、つまらなさそうに思える。それは何度も繰り返されて来たテーマであるし、プレイヤーの話や戦術の話の方が面白そうに思えるからだ。だが、これは面白い。翻訳も良いのだろうが、前のガーディアンの記者が書いたものより遙かに引き込まれる。
ヨーロッパ、アフリカ、南北アメリカ大陸(当時はアジアは抜けていても当然)と世界中を走り回り、多くの人にインタビューをし、過去のその国でのサッカーについて描かれている。臨場感もありながら、ポイントを押さえて歴史もしっかり押さえている。私はアルゼンチンサッカーについてはとりあえず、日本で仕入れることの出来る歴史については何でもござれなので、目新しい話はなかったが、その分この著書の価値がよくわかった。他の国の話もそうなのだろう。
もっと早く読めば良かった、とは特に思わない。2001年3月に読んでも2002年10月に読んでも、時間には大きく左右されるような内容ではない。サッカーの戦術、プレイヤーの話などは雑誌で刻々と最新情報を仕入れるべきであって、書籍ではもっと社会・文化・政治との密接な関わりについて読みたいと思う。
本書の中で一番面白かったのは、やはりアフリカの話だ。カメルーンの給料未払いによるストの話は日本でも今回のW杯直前に知られたが、その理由がよくわかる。政治的に不安定な国ほどサッカーに情熱をもっている、という主張は説得力がある。
2002年W杯を本当にきちんととらえた本は来年にならないと出ないだろうと思う。現在続々刊行されているのは、ルポルタージュであって、総括ではない。私には読みたいと思えるものはまだ出ていない。「あのW杯は試合内容からすると、準決勝・決勝くらいがまぁなんとかで、残るはひどい内容ばかり。史上最悪のW杯だった」と言われても当然だろうな、と思っている。

2002年10月15日

南米蹴球紀行―英国・ガ−ディアン紙記者が見た中南米フットボ−ルの光と影

南米蹴球紀行■著者:クリス・テイラー著,東本貢司訳
■書誌事項:勁文社 2001.3.25 ISBN4-76-693668-X
■感想
スポーツ・ジャーナリズムの世界はやはりアメリカが盛んなのだが、サッカーはアメリカで流行ってないので、メインがイギリスになってしまう。このイギリス人ジャーナリストは翻訳のせいもあるだろうが、あまり文章が上手くないのではないかと思う。
内容的には、フランスW杯の前の著作なので古くなってしまうが、南米のサッカーの専門書が少ないので、とりあえず読んで見るしかない。と、初版の刊行時から思っていたが、若干高いので、何となく手に入れないでいたら、Amazon、BK1、楽天ブックスと次々在庫なし、で結局「Famima.comにあった。
ウルグアイ、アルゼンチン、ブラジル、コロンビア、ボリヴィア、メキシコ、ニカラグアを旅してサッカーとその周辺事情を綴った力作ではある。旧スポナビに抜粋がある。うーん。興味深くはあったが、やはり目新しいことは特に書いてなかったなぁと思った。

2002年10月 5日

スタジアムの神と悪魔―サッカー外伝

スタジアムの神と悪魔■著者:エドゥアルド・ガレアーノ著 飯島みどり訳
■書誌事項:みすず書房 1998.4.1 ISBN4-622-03380-1
■感想
ウルグアイの評論家による南米サッカーのエッセイ。1〜3ページの短い断片の集合体なので、かえって読むのに時間がかかってしまった。面白い篇もあるが、ちょっと哲学的でうーんという感じのものもある。流ちょうな流れのあるノンフィクションばかり読んでいると、こういうのは感じがつかめないのかもしれない、と思った。