最近読んだ本、見た映画・芝居、聞いたCD

2010年7月 7日

そんな日の雨傘に ヴィルヘルム・ゲナツィーノ

そんな日の雨傘に

46歳、無職、つい最近彼女に捨てられた。
どこにも居場所がない......。

こんな帯見たら、すごくさえないおっさんの暗い話かなと思ってしまうのだが、あまり暗くない。それに、おじさんは思っていたよりさえないわけではない。

とはいえ、主人公の男は事実彼女に捨てられたばかりだし、仕事もなくしそうな状況に陥る。ギャラがいきなり75パーセントカットというのは、それは普通やめろという意味だ。その仕事が「靴の試し履き」で、高級靴を履いて街を歩き回り、その使用感をレポートするというもの。

彼は継続的な仕事に就いたことがない、というか就こうとしない。相当なインテリのようだが、仕事が長続きしない。そして今は「自分に存在証明を出したことがない」と己のレーゾンデートルのなさに確信をもっている。街を歩きながら人々を観察し、妄想ばかりしている。彼女の残していった預金通帳がいつ引き上げられるかわからないので、経済的にもせっぱ詰まっている。「上着を投げてしまう」=狂気に陥るか、「消えてしまいたい」=自殺するか、二者択一なくらい精神的にも追い詰められている......はずなのだが、そのわりに彼はのんきな感じがする。

彼は街を歩きながら、よく昔の知り合いに出会う。地下鉄があったり、大きなデパートがあったりするので大きな街なのだろうと思うが(どうやらフランクフルトらしい)、そんなに頻繁に知り合いに会うかな、普通、と思ってしまう。幼い頃からこの街で育っているらしく、嫌いな知り合いにも会ってしまうが、よく昔のガールフレンドにも会う。それから、彼女に振られた直後のわりに、それなりに懇ろな女性もちゃんといる。どうやら、彼にはあまり孤独感が漂っておらず、だから死か狂気か、といった緊迫感がない。彼をなんとか救っているのは、実は歩き回っているこの街なのではないかと思ったりもする。街に対して愛情あふれた書き方では決してないのだけれど。

昔自分をひどい目に遭わせたイヤな奴が、自分から女性を奪ったとわかっても、その頼みを聞いてやる人の良さが、結局彼に新しい仕事をもたらす。長年の彼女は去っていったが、新しい彼女も出来た。そうやって彼をなんとか立ち直らせたのは、その、当のイヤな奴がデパートのチラシのポスティングをしている姿、それでも車の鏡でカッコつけている姿のようだ。とても俗っぽいが、「ああはなりたくない」という気持ちが、この最後の方のシーンには出ていた。能力があっても仕事に就こうとしないような頑なで面倒くさい男だが、人間を動かすのは所詮そんなものの力なのだろう。

最後に、一つわからなかった点を。彼は街を歩きながらいろいろなものを観察する。サーカスで馬の毛を剥くのに夢中になっている少女、掃除人がつれて来る子供などなど。その中に、時折障碍者が入ってくる。デパートの中で車いすの女性、日用雑貨店の前の手回しオルガンに合わせて手を叩いているダウン症の青年など。彼らに目をとめる理由は何なのだろう。そのまなざしは淡々としていて特に感情をもたない。単純にドイツの町中だから日本などよりよく見かけるというだけか、それならわざわざ書かないだろう。この点の解釈を誰かに教えてもらいたいと思っている。

■著者:ヴィルヘルム・ゲナツィーノ著,鈴木仁子訳
■書誌事項:白水社 2010.6.20 ISBN978-4-560-09010-7
■原題:Ein Regenschrim für diesen Tag : Wilhelm Genazino, 2001


2009年9月 1日

僕とカミンスキー

世界の測量 ガウスとフンボルトの物語「世界の測量 ガウスとフンボルト」と同じ作者の作品。「ロードムービー風物語」なんてamazonに書いてあるから期待したのだけど、思ったより旅は長くなくて、少しがっかり。後半からようやく旅が始まるが、あまりいろいろなところへ立ち寄っているわけでもない。

主人公ツェルナーが高慢で自意識過剰で、野心家で、エゴイスティックでとても嫌な感じの人物。インタビュアーのくせにしかしながら、その男を手玉に取るカミンスキーもわがままでエゴイスティック度では更に上回る。ツェルナーを振り回す様子が痛快というよりは、ミリアム含め、イヤな人ばかりだ、この小説は。

考えてみれば、ガウスやフンボルトも風変わりで高慢な人物だった。ケールマンはそういうのが好きらしい。

「世界の測量」ほどは面白くないけれど、ラストが爽快。海で二人が別れる場面、全然シチュエーションが違うが、「アメリカの友人」のラストを思い出した。

■著者:瀬川裕司訳
■書誌事項:三修社 2008.5.23 334p ISBN4-384-04195-/ISBN978-4-384-04195-84107-1
■原題:Ich und Kaminski, 2003, Daniel Kehlmann


2009年7月21日

世界の測量―ガウスとフンボルトの物語

世界の測量 ガウスとフンボルトの物語ガウスとフンボルト…ドイツ人ってどうしてこう偏屈で頑固で偏執狂的なんだろう…の中でも特にすさまじくひどい二人。大笑いさせてもらいました。

二人とも自信家で高慢で他人にはどうでもよさそうなことに執拗にこだわり、正確さを求める。けれど一方は世界を旅し、一方は国内から出ようとしない。一方は女好きで一方は女嫌い(というかゲイですが)。一方は交渉ベタで一方は交渉上手。ひどく似通っていて、それでいてひどく違うこの二人が同時代人であることから、こんな面白い冒険譚を思いついたのだろう。

フンボルトがアマゾンのジャングルでも高山でも制服を脱がず、「鉱山試補」という肩書きにこだわっているところは、うっとりするぐらいドイツ人っぽい。「ドイツ的である」というところがこの物語のテーマの一つだろうと思うのだが、実際のところ、現代のドイツ人もそうなんだろうか。私がよく本で親しんでいるドイツ人はこの時代のドイツ人、19世紀末頃のドイツ人なので、現代人はそんなこともないのだろうと思うが、ベストセラーになったところを見ると、そうでもないらしい。典型的なドイツ人のカリカチュアとして国内でもヨーロッパで受けたような気がする。

ドイツ初の冒険小説という人もいるが、このジャンル、ドイツの古典的な教養小説の流れを汲んでいるので、まさに偏執狂的「ヴィルヘルム・マイスターの修業時代」なのではないかと思われる。

それにしてもフンボルトのスケールの大きさは楽しくてしょうがない。オリノコ川を遡る旅のあたりが一番気に入っている。

■著者:瀬川裕司訳
■書誌事項:三修社 2008.5.23 334p ISBN4-384-04107-1/ISBN978-4-384-04107-1
■原題:Die Vermessung der Welt. 2005, Daniel Kehlmann