英米文学 : アーカイブ

2008年4月29日

monkey businessモンキービジネス

モンキービジネス 2008 Spring 野球号文芸誌は意外と装丁がポイントだと気づいた。たとえば『yomyom』は悪くないが、『文藝春秋』は触る気になれない。この雑誌はその点では非常に良い。書籍と違いカバーをかけないので、持っていて楽しいのはとりあえず魅力的だ。派手なわりにさわやかで、軽すぎず重すぎず、イヤミなくオシャレ。さすが鈴木成一。

ソニーマガジンズが2008年8月に書籍出版部門を売却して出来たヴィレッジブックスが意欲的に翻訳小説を売り出しているなぁと思いつつ、それはソニーマガジンズ当時からそうだったっけかと思う。雑誌メインの出版社が書籍部門を売却あるいは業務停止するのはよくあることで、要は「書籍は数字が見えない」のが原因。雑誌はあたればある程度数字が読めるようになるので、売り上げの見通しをある程度はたてられる。それで書籍だけの出版社の経営者は大変、ということになるのだが…。ともあれ、ソニーマガジンズが再び書籍を刊行し始めたのと同様、営業部門も完全に独立したヴィレッジブックスが雑誌を出すことにしたようだ。

柴田元幸が責任編集ということは英米の小説がメインだろうし、私は野球は嫌いだし、一応創刊号だから買ったのだが、すごい楽しめたかというと、今ひとつ。季刊ならまた多分買うだろう。なんというか、彼らの意欲を買いたいというところか。といっても、私は雑誌は必要に応じてしか買わないので、「ユリイカ」だって年に2~3冊、「DeLi」でさえ、毎号は買ってない有様だから、まじめに海外文学に向き合っているわけではないので、あまり私の姿勢はよくないとは思うが、時間に限りがあるのでしょうがない。

本誌で特筆すべきは「書写人バートルビー」の柴田訳だろう。これは放送大学「世界の名作を読む」という番組で使用した翻訳で、PDFがこちらにあるが、私は本誌で初めて読んだ。といっても「バートルビー」自体は「バベルの図書館」シリーズで読んだことはあったが別の訳者によるものだ。これを読み比べたページがあるので、参考になる。

「バートルビー」という言葉は、本読みにとってはなにやらとっつきにくいような、それでいてとても重要なキーワードのようなものだ。「ゴドー」とか「K」とか、そんな感じ。また、"I would prefer not to", "I'd prefer not to"も一つの常套句で、これの翻訳をどうするかは簡単ではないと言われる有名な台詞。解釈の多様さで魅力的な作品だが、下手に手を出すとやけどをするので素人は傍観しているがよろしいというタイプの作品だ。「掟の門」というか「審判」というか、私は勇気がないので、つっこめない。でもついいろいろ考えてしまって、それが楽しいタイプの作品だ。

最近では「バートルビー症候群」なる言葉も現れ、こんな本も出た。出たばかりのようなので早速買ってみよう。

■書誌事項:ヴィレッジブックス 2008.4.18 247p ISBN4-86332-0086-2/978-4-86332-008-6
■オフィシャルサイト:http://www.villagebooks.co.jp/villagestyle/monkey/
■目次
野球のダイヤモンド、小説の輪郭:小川洋子,柴田元幸〔対談〕
ヒーローインタビュー もしくは 野球はたんなる気晴らしに過ぎないか:田口犬男
Writers on Basebal―オースター、ノーマン、ファレル:柴田元幸著
僕はブラックソックスを覚えている:ジェームズ・T・ファレル著,藤井光訳
このあたりの人たち―1―にわとり地獄:川上弘美著
血:シェリー・ジャクソン著,柴田元幸訳
浦ばなし―1―カニとカニンコ:小野正嗣著
あかずの日記―1―二月~三月 分数アパート:岸本佐知子
流刑地にて:フランツ・カフカ原作,池内紀訳,西岡兄妹画
ブーゲンビリア:バリー・ユアグロー著,柴田元幸訳
書写人バートルビー――ウォール街の物語:ハーマン・メルヴィル著,柴田元幸訳
第七官界彷徨(抄):尾崎翠
第七官界で、命がけで遊ぶ:川上未映子
怪物たち:古川日出男
ハルムスの世界―ひとりの男がいた ほか:ダニイル・ハルムス著.増本浩子/ヴァレリー・グレチュコ訳

2008年3月25日

Coyote vol.26 柴田元幸

Coyote No.26 特集・柴田元幸―文学を軽やかに遊ぶ3月10日売りの「Coyote」は「特集・柴田元幸―文学を軽やかに遊ぶ」という、なんだかそのものズバリな特集だった。このブログも「柴田元幸」というタグが増えてるなぁ。柴田元幸ブランドだから読む、というほどのファンではないのだが。
私が好きなのはポール・オースターやスチュワート・ダイペックであって、スティーブン・ミルハウザーやバリー・ユアグローではない。でも角度的にはまぁまぁ高い方なのだろう。

大田区の六郷というところは、なんとなく雰囲気がつかめる。柴田氏が子どもだった頃ほど昔ではないけれど、私も7歳まで京浜工業地帯で育ったから。あの辺は駅もないのに唐突に小さな商店街がぽつぽつと出現する。JRの駅までは車で行かないとならなくて、それはホントにちゃんとした「お買い物」という感じで、普段はその小さな商店街で全部済んでしまう。都心なのに、すごく田舎な側面がある。埋め立て地だから基本的に平地で、だら~っとした感じ。下町であまりガラはよくない。勉強が出来ても、別に偉くない。そんなところで育ったからこそ「インテリぶってもしょうがない」→「平易な文章で翻訳」なわけか。なるほど。

「ニューヨークから来た女」の東大でのゼミはそれなりに面白かったが、今の私にこんなものまともに読めるわけがない。たとえば、この小説の語り手が主人公の女性に対しても、夫やその親に対しても、どちらにも肩入れせず、放り投げたような視点から書いてあるのは理解はできる。が、私自身が「この女信じらんない」と思ってしまっては、ちゃんと読める筈がない。仕方がないと自分で苦笑してしまった。

■書誌事項: 2008.3.10 ISBN4-88418-213-8/ISBN978-4-88418-213-7


ところで、柴田元幸責任編集の「モンキービジネス」という文芸誌がヴィレッジブックスから4月19日に創刊されるらしい。季刊誌のようだが、今時文芸誌なんて、えらすぎる。以下、それに関するメモ。

http://www.villagebooks.co.jp/villagestyle/monkey/index.html
4/11 「モンキービジネス」特設サイトオープン

■雑誌掲載
「ダ・ヴィンチ」4/6発売号 NEWSCLIPコーナー
「Frau」4/12発売号 柴田元幸×岸本佐知子対談
「BRUTUS」4/15発売号 柴田元幸×鈴木成一対談

■イベント
5/3(土) 10:00~ABC(青山ブックセンター)
http://www.junkudo.co.jp/newevent/evtalk.html#20080508ikebukuro

2007年12月18日

また会う日まで

また会う日まで 上また会う日まで 下
みんなの言うように、このお話、ただでさえ長いアーヴィングの話の中でも新記録で長い。…長いのは確かだけれど、つまらないとか冗長だとかは私は少しも感じなかった。

主人公はジャック・バーンズで、彼の長大な教養小説であることには間違いないのだが、私にとっては、とにかく問題はアリス。物語の序盤は主役級だが、トロントに帰ると、急に影が薄くなっていく、不思議な母親。見た目の雰囲気はすごくよくわかる。髪が長く、細身で、ヒッピー風。氷の貼った池に落ちたジャックを半狂乱になって叱るあたりはごくごく普通の母親だ。刺青師なんて仕事をしていて、明らかに独立心の強い女性なのに、うるさそうなおばさんの家に住んで、面倒を見てもらい、子どもを身持ちの堅い学校に入れたり、偉いなぁなんて思ったりした。最初から不思議だったのは、何故4歳になってから父親を捜しに行ったのか、また、5歳で諦めたのか(オーストラリアへ行ったからとなっていたが、小学校に入るまでにと言ってたのに)。足手まといであろう子どもを連れて旅に出て、帰った後は少し子どもに無関心になっているようで、ついに10歳で寄宿学校に入れるのはちょっとどうにも理解出来ない感じになっていく。

この先はしばらくアリスは見えてこず、ジャックの成長の過程が延々と描かれる。そして下巻に入って、またアリスの存在がまったく別の角度から浮上する。

アリスが死んだ後、ジャックが北海を再度旅して、真実をつかんだ後、どうしてジャックはおかしくなってしまうのだろう。父親がジャックを捨てたわけではなかったことがわかったのに。でも、それ以上に、自分の生きてきた過程の多くのエピソードが嘘とわかってしまうというのは、無茶な話なんだろうな。自分の人生を再構築しなくてはならない、という自体はアイデンティティの崩壊以外の何ものでもない。

そして父親探しを途中でやめてしまうのは何故だろう?と思いつつ読み進んで行くと、ちゃんと会えてほっとした。ウィリアムがはっきりと、明確にアリスを許せと言ってくれて、何故か私もほっとしてしまった。

書けばキリがないので、また機会があったら追加しよう。

■著者:ジョン・アーヴィング著,小川高義訳
■書誌事項:新潮社 2007.10.31(上)566p ISBN4-10-519111-X/ISBN978-410-519111-5(下)550p ISBN4-10-519112-8/ISBN978-4-10-519112-2
■原題:Until I Find You ,2005 by John Irving

2007年9月17日

ガラスの街

コヨーテ21号Switch Publishingが刊行している『Coyote』という雑誌に柴田元幸訳のポール・オースター「City of Glass」が掲載されている。

これはオースターのニューヨーク3部作と呼ばれる初期の傑作だ。日本では「シティ・オブ・グラス」として角川書店から刊行されたが、オースター・ファンの間では柴田訳が待望されていた。白水社の「鍵のかかった部屋」を選ぶ前に本作を選んでいて、最初の方だけ訳して、版権が取られていたことを知らされたと、いういきさつが本誌に掲載されている。

私は「翻訳にケチつけるなら、原文で読め」と思っているので、公然と翻訳にケチつけるようなことはしない。日本語で読まさせていただいて、ありがたい、という気持ちを翻訳者の方々にはもっていないとと思う。しかしこうやって2種類目の前に出されてしまうと「うーん、やっぱり柴田先生の言うように、翻訳は一語一語にこだわっていないで、日本語のリズムが大事なんだなぁ」と思わずにはいられない。簡単に言うと「読みやすい」。

今回久しぶりに読み返してみて気づいたが、クインという人物の顔が思い浮かばない。意図的にそうしているのだろう。これはクインが街の中へ「消えてしまう」までのお話だが、もともと「顔をもたない」存在だったのだなぁと思う。

ポール・オースターと間違えたのは何故か、スティルマン夫妻はどんな意図があってクインを巻き込んだのか、スティルマン夫妻のアパートでクインに食事を出していたのは誰か等々、説明をつけていないことが大量にあるからこそ、今も魅力的な作品だ。ふと思ったが、ヴァージニア・スティルマンが間違えた人物の名前が「ポール・オースター」でなかったらどうだっただろうと思う。おそらく、かなりつまらない。やっぱり、レベルの高い作品はパズルのように組み上がっているのだなぁと思う。

本作の中でクインが言う、ミステリは無駄のないところが好きだという意見には同意するが、この作品も無駄がまるでないな。

書名:COYOTE No.21 特集・柴田元幸が歩く、オースターの街―二〇〇七年、再び摩天楼へ
書誌事項:スイッチ・パブリッシング 2007.9.10 ISBN978-4-88418-208-3

2007年3月21日

紙の空から

紙の空から柴田元幸翻訳作品だから読んだのではなく、スチュワート・ダイベックが読みたくて買った。この人の書くアメリカは1950年代のシカゴ、10代の少年の視点から描いた作品が多いのだが、ベースとしてなんとなく暖かい感触があるので、とても気に入っている。あまりアメリカの風景を好まない私にとって、何人か数少ない共感を覚えやすいアメリカを描く人だ。この短篇の場合でも、主人公の冒険譚はやはりとても暖かい。昭和30年代の日本の風景に共通するものがあるのだろうか(といっても昭和30年代なんて知らないけど、なんとなく)。
そのほかに気に入ったのは、「すすり泣く子供」。テーマはよくある母娘の軋轢なのに、幽霊話&舞台はジャマイカという贅沢な設定のせいだおるか、不思議とインパクトが強かった。

挿絵が美しく、良い本だと思う。多少なりとも英米小説が好きな人には贈り物としても使えるかもしれない。一つくらいは気に入る作品があるだろう。

■著者:柴田元幸訳
■書誌事項:晶文社 2006年11月30日 334p ISBN4-7949-6704-7
■内容:
「プレシアの飛行機」 ガイ・ダヴェンポート
「道順」 ジュディ・バトニッツ
「すすり泣く子供」 ジェーン・ガーダム
「空飛ぶ絨毯」 スティーヴン・ミルハウザー
「がっかりする人は多い」 V.S.プリチェット
「恐ろしい楽園」 チャールズ・シミック
「ヨナ」 ロジャー・パルバース
「パラツキー・マン」 スチュアート・ダイベック
「ツリーハウス+僕の友だちビル」 バリー・ユアグロー
「夜走る人々」 マグナス・ミルズ
「アメリカン・ドリームズ」 ピーター・ケアリー
「グランド・ホテル夜の旅+グランドホテル・ペニーアーケード」 ロバート・クーヴァー
「夢博物館」 ハワード・ネメロフ
「日の暮れた村」 カズオ・イシグロ

2006年10月 5日

ティンブクトゥ

ティンブクトゥナ■原題:Timbuktu by Paul Auster, 1999
■著者:ポール・オースター著,柴田元幸訳
■書誌事項:新潮社 2006.9.28 ISBN4-10-521711-9 207p

■感想
1999年の作品なんである。7年もかかったのか。「スモーク」や「ルル・オン・ザ・ブリッジ」は発表されて即翻訳されたのに。「トゥルー・ストーリーズ」「タイプライター」はあったものの、ちゃんとした長篇は本当に久しぶりなんである。もちろん、洋書読めば良いのだ。けど、柴田訳で読みたいのに、オースターに飽きちゃったのか、全然やってくれない。他の若手の翻訳ばかり出していたかと思ったら、自作で小説とか書いちゃったりして、イライラが募っていたところに、ようやく出た。ともかく、出たことだけはありがたい。が、もう2000年に入ってから小説4本出てるんですが。どんどん訳してくださいよ。
The Book of Illusions, 2002
Oracle Night, 2003
The Brooklyn Follies, 2005
また今年もなにやら出たらしい。Travels in the Scriptorium, 2006

本書は犬が主人公なのだが、日本版の装丁だけ、何故かかわいい犬なんである。本当はむさくるしい犬の筈なのに。愛犬家を狙ったというか、まぁタイトルも変てこりんだし、売るためには仕方がないだろう。前半はずっと長い間パートナーだったウィリーの死にゆく姿と回想、後半はウィリーを失ったミスター・ボーンズが様々な旅をする。短いわりに、いろいろなことが起こる冒険で、コンパクトでおもしろく読める。

ミスター・ボーンズのパートナーだったウィリーは、まるでブコウスキーやジャック・ケルアックのようだ。春から秋にかけて放浪し、冬に母親のいる家に帰って物を書きためているているというとおろが、特にケルアックみたい。少し時代は後になっているが、ウィリーが1960年代~1970年代のヒッピーカルチャーを代表するとしたら、ディックとポリーのジョーンズ夫妻は1980年代から1990年代の豊かなヤッピー?というわけでもないが、アメリカの中流家庭の代表のような豊かな家庭だ。真ん中のヘンリーは移民社会のアメリカらしい緩衝地帯のようだ。

ティンブクトゥとは、西アフリカのマリ共和国の都市である。砂漠の中にあってなかなかたどり着けないため、「異国」や「遠い土地」の比喩として使われるようになり、本書では「天国」を指す。

ウィリーは結局恩師のミセス・ビーと逢えたのだろう。あれはミスター・ボーンズの夢ではないと思う。孤独で貧しいけれど、自由に好きなことをしたウイリーの方がポリーより幸せだなと思う。美しい芝生のある家は愛しているけれど、夫は愛していないポリー。裕福だけれど不自由で、ウィリーとは真逆なんだが、孤独である点がウイリーと共通する。だから、二人ともミスター・ボーンズを必要とした。犬を求めるのはやっぱり孤独な魂なのだなというお話。

それにしてもディックみたいな男は大嫌い。独善的で一方的でケチくさい。仕事に出たがる妻に家を買ってやってそれでいいにしろ、みたいな感じがありあり。パイロットだから優秀なんだろう。実行力もあり、誠実で良い夫で良い父親なのだが、プライドが高く、他人は支配するものであって、尊重するものではないというタイプだな。

ポリーとディックの仲が決定的なことになる前に唐突に物語は終わる。引っ張ってもしょうがないか、とも思うのだが、少々物足りない気がどうしてもする。アリスをもっと出して欲しかったなぁ。的を得た発言をずばっとするクレバーな子供は気持ち良い。なんか、こうちょっと少しフラストレーションが残る。

だから、早く次を訳して欲しいわけですよ、柴田先生に。

2006年6月 4日

インディアナ、インディアナ

インディアナ、インディアナ■原題:Indeiana, Indeiana
■著者:レアード・ハント著,柴田元幸訳
■書誌事項:朝日新聞社 2006.5.3 ISBN4-02-250187-1
■感想
amazonで表紙買い。柴田元幸訳作品は好きなものと嫌い…というか、さほどでもないものとあって、全体の量が多いのでどのくらいのパーセンテージかわからないが、多分好きなものの方が圧倒的に少ないのではないかと思う。悪くはないのだけど、合わないといった言い方の方が適切だと思う。その典型的なものがスティーヴ・エリクソン。嫌いではないけど、はまるわけではないというか…。
この作品を即買いできた理由に、値段がある。今時海外文学で1500円クラスでまともなものはあまりない。3000円クラスだったら即買いは無理。コスト・パフォーマンスって結構大事だと思う。

読んでみると、まぁまぁかな…。ちょっと頭のネジのゆるんだ男と、かなりいかれてしまわれている女性とのピュアな愛情と、二人が離ればなれになっていること、あるいは女性の方が死んでしまっているために生じる男の喪失感がしんしんと伝わって来ていい物語だと思う。訳者の言うとおり、見えないものが見えるという主人公に対して、すんなり入れるのはアメリカ人より日本人の方だろうなと思う。アメリカで自然とこういうものが書けるのは、インディアン絡みの文学くらいで、この作品は舞台はインディアナだけれど、特にインディアンが主要な登場人物なわけではない。

マックスが誰なのか、割合早い段階でわかってしまうのだが、どうも風貌が思い浮かばないというか思い浮かばせないようにしているのか。かなり重要なキーマンなのだが、もったいない気もするし、でも出過ぎないところがいいのかもしれない。出過ぎと言えば、ヴァージルがよく喋る。彼が狂言回しのようになっていて、テンポを作り出しているから読み進めていけるのだが、オーパルの手紙がまた別のリズムを作っていて、読んでいて面白い。スーっと読んでフーっと息をつく感じか。

オーバルの手紙が別の書体になっていて、出だしが「いとしいノア」になっている。この手紙を差し込んでいることが、オーパルとノアのピュアな感情と決して近寄れない二人の間をふわっとした情感のある作品に仕上げている最大の要因だなと思う。

内容によりけりだが、この作家のものがまた刊行されたら読むような気がする。そんな作品だった。

2006年5月 7日

僕はマゼランと旅した

僕はマゼランと旅した■原題:I Sailed with Magellan : Stuart Dybek, 2004
■著者:スチュワート・ダイベック著,柴田元幸訳
■書誌事項:白水社 2006.3.10 ISBN4-560-02741-2 400p
■感想
結構量は多いが、どんどん読み進めて行って読み終わってしまうのがもったいない気がしてしまう。だから、ゆっくり読んで、繰り返し読んで、そんな、大事な、宝物のような小説だった。長篇ではなく、連作短篇集という、一篇一篇が独立しているが、長さも主役も異なるというスタイルをとっている。
全体として共通しているのがシカゴの下町を舞台にしていること。一応は主人公がいて、その「僕(ペリー・カツェック)」の視点の作品が多いという点では長篇とも言えるかもしれない、一つの世界を形作っている。子供の視点で書かれているところからスタートするので、懐かしさを感じるが、途中から感情移入を許さない厳しさを感じたりもする。みずみずしいが単純にアメリカの子供のお話というわけでもない。ずっと子供の視点だったのが、「胸」で突然登場人物が変わってしまったり、それまで脇役だった人物が突然主役になったりと、一筋縄ではいかないが、乗ってしまえば楽しい作品だ。

「歌」
主人公=僕が子供の頃のお話。僕は母の弟レフティ叔父さんに酒場を連れ歩かれ、そこで「オールド・マン・リバー」を歳のわりに野太い声で歌う。すると、雨あられと小銭が降ってくる。少しずつ、奇妙な叔父さんの半生が語られる。

「ドリームズヴィルからライブで」
弟のミックとの子供の頃のお話。子供の想像力ってやつは、タフだなぁと思う。

「引き波」
兄弟がサーと呼んでいる父親と一緒に海水浴に行く話。父親の父親が精神病院に入っていたことが触れられている。現実的で、ケチで、少し間が抜けていて、カッコ悪いと思っている反面、この兄弟が父親を愛していることが、この後「ケ・キエレス」でも感じられる。

「胸」
突然殺し屋に主人公が移ってしまう。意表を突くが、ペリーやミックとのかかわりが最後の方になってわかってくる。

「ブルー・ボーイ」
下手をするとお涙ちょうだいになってしまう、障害のある少年のお話を、優等生の女の子を交えることでピュアな感動を呼ぶ作品に仕上げている。これは見事。少年の兄の描写がさえている。

「蘭」
僕が高校生になっていて、友達とメキシコへ行こうなんて話をしている。一番みずみずしい青春らしい物語で、オチの間抜けさも、いい感じ。

「ロヨラアームズの昼食」
僕が高校を出る頃のお話。好きなんだけれど、少し暗い印象。

「僕たちはしなかった」
これが一番独立性の高い短篇ではないかと思う。おかしいけれど、哀しい。

「ケ・キエレス」
弟のミックが主人公。中学生で父の転勤に付き合わなければならなかった彼のその後の人生が面白い。

「マイナームード」
短いが、この作品が一番好きだ。すべてにおいてリズミカルで、レフティとおばあちゃんのやりとりや蒸気に曇った窓ガラスが目に浮かぶどころか、その熱気が肌に感じられるほどだ。主人公のことをずっとポーランド移民の3世くらいなんだろうと思っていたが、お母さんのおばあちゃんになるわけだから、主人公は4世になるわけだ。ということで、このおばあちゃんはホンモノのポーランド人なんだろう。子供時代に優しくしてもらった想い出が一つでもないと、人は生きていけないんだろう、と思わせる。

「ジュ・ルヴィアン」
最後は叔父さんで締められている。僕のちょっとした冒険のお話。


出色は「ブルー・ボーイ」や「僕たちはしなかった」なんだろうが、私は「マイナー・ムード」が好きだったりする。また、「欄」「ロヨラアームズの昼食」「僕たちはしなかった」などは主人公が思春期の話だから、当然好きな女の子の話になっていくわけだが(「ブルー・ボーイ」の優等生の女の子も重要だが)、やっぱり僕、サー、ミック、レフティ叔父さんあたりがメインで、どうも女性の存在が薄い。その最たるものが母親がほとんど出てこないことだろう。しかし、「ケ・キエレス」なんかで子供の頃の家庭料理が出てくるところを見ると、一応母親の存在は見えなくはないのだが、ちょっとこういう子供時代がメインの話にしては意外だなと思ったりする。

海外文学を読む人には絶対オススメである。

2006年3月 9日

わがタイプライターの物語

わがタイプライターの物語■原題:The Story of My Typewriter: Copyright 2002 by Paul Auster, Work of art 2002 Sam Messer
■著者:ポール・オースター著,サム・メッサー絵,柴田元幸訳
■書誌事項:新潮社 2006.1.30 ISBN4-10-521710-0
■感想
少々重たいのが続いているので、閑話休題。

おそらくはUSの版元の事情により、ポール・オースター/サム・メッサーになっているが、本来は逆だろう。ポール・オースターのエッセイにサム・メッサーが絵を添えているのではなく、サム・メッサーの画集にオースターがコメントを添えているのである。

主役はオースターのタイプライター。今でもオースター自身が執筆に使い続けている現役のタイプライターを、サム・メッサーが絵にしている。作品は最初はリアルなタイプライターだが、次第に怖い絵になってくる。アルファベットの部分が歯のようで、まるで怖い顔のような絵になってくる。それでもどこかユーモラスなんである。

今でもタイプライターを使い続けていることで、人々から偏屈と呼ばれているらしいが、単に本人としては頑固に古いものに固執しているつもりはなく、「数ヶ月の仕事が一瞬でなくなってしまう」(バックアップをマメにとれよ…)という噂やブーンというあのモーター音が嫌いで使わないでいるようだ。でも、今時テキスト入稿は当たり前だろうに、大家だから許されているのかなぁ…と思っていると、実際は最初手書きで、本格的にはタイプライターでうって、最後の入稿はPCでテキストにしているらしい。うわ、面倒な。その最後の工程は本人がやっているとは思えない(そこまでは柴田氏も追求していない)。

日本ではあまりに効果で操作が大変なので和文タイプが普及せず、企業レベルにとどまっているので、本当のところ、タイプライターのポジショニングというのは、よくわからない。おそらくは我々の「手書き」と同じなのだろうが、ちょっと違う気もする。昔先輩に「ちゃんとした挨拶状はやっぱり手書きじゃないとね」とか、「えらい先生にご連絡する場合はどうしても手書きじゃないとね」などと教わったものだった。それなら、まだまだ手書きじゃないとダメな場面はあるのだろう。けれど、タイプライターじゃないとダメな場面というのはあまりないだろう。だから、やっぱり単に偏屈なんだろうな。

私はワープロというやつをまだコンシューマ向けのものが出始めの頃に買った。書院とか、ルポとかそういうやつ。その理由は最初はタイプ代わりだった。学生のときにレジュメで必要だったからで、タイプライターより軽かったからだ。だが、せっかく日本語も打てるので、ほとんどメモリなんかないから一発勝負だったが、使ってみたりしていた。すると、新しいものを使う人間をバカにするヤツは必ずいるもので、「何も日本語までやらなくてもいいじゃねーか」みたいなことを言われた。そういう輩はそれから数年してPC全盛時代になったとき、使えないオヤジになってOLにバカにされていたに違いない。

私は古いものに固執するのは、カッコ悪いと思っている。むやみやたらと新しいものに飛びつくにも確かにカッコ悪いが、ミーハーな方がいろいろと役に立つだけマシだと思っている。私はPCはかなり初期の98note(DOS)から使っている。アナログレコードはCDが出た側から(ジャケットが気に入っているものは残したが)全部買い替えたし、ビデオやLDもDVDになってるものはすでに買い替えている。DVDになっていないものは、一応DVDに焼いてある。カセットテープは全部DATにしたし、その後DATも全部HDD AVプレイヤーに取って代わっている。次々と新しい機械が出てくるので、ついていけないと言う人は好きにしたらいいけれど、自分がそうなったらおしまいだと思っている。

それでも、古いものに、良いものはたくさんある。このタイプライターみたいな機械は、機械としての味わいが別次元だと思う。電気用品安全法のおかげで真空管アンプとか買えなくなるのか…と思うと、トシとったら欲しいと思っていたので、がっくりしている。

ともあれ、オシャレとかステキな、というタイプの絵ではないものの、とても面白い絵ではある。1600円なので、安いし、プレゼントに良いかも。

2005年11月30日

オリエント急行戦線異状なし

オリエント急行戦線異状なし■著者:マグナス・ミルズ著, 風間賢二訳
■書誌事項:DHC 2003.5.26 ISBN4-88724-309-X
■感想
「西部戦線異状なし」と「オリエント急行殺人事件」の合わせ技のタイトルだが、まるで関係ない。イギリスのブラックユーモアものだけど、何故か肉体労働派?といった作品。インドへ旅行しようとしている若い青年がキャンプ地にちょっとシーズンオフまで居座ったが故に陥る不条理劇。状況や一癖も二癖もある人物たちに次第に絡め取られ、動けなくなっていくのだなということが、もう読み始めてすぐにわかる。だが、動けなくなっていくことを主人公は決して不快に思わず、抜け出そうとせず、淡々と受け入れていくだけでなく、楽しんでいる節もある、というところがちょっとコメディタッチだ。
最後に主人公はこの地から抜け出せるのか?という興味だけで読み進めたが、どうにも止まってしまって読み続けるのに苦労した作品だった。やっぱり私はリアリストなので、抜け出せない状況に陥るお話なんて、好きにはなれないのだ。しかもそれが「じわっ」「じわっ」と首を絞める要因になっているのに、本人がいたってのんきなのがイライラしてしまう。面白い作品なのだけれど、私とは性格的に合わなかったようだ。

2005年11月 1日

黒い時計の旅

黒い時計の旅■著者:スティーヴ エリクソン 著,柴田元幸訳
■書誌事項:白水社 2005.8.20 ISBN4-560-07150-0(白水社uブックス)
■感想
現代幻想文学の中でも、現代アメリカ文学の中でも有名な名著なのだが、どうにも敬遠して来たエリクソン。理由は多分単純に「ポストモダン‥??SF‥??」というようなムードに気圧されてしまい、近寄りがたい存在になっていたからではないかと。そもそも第二次大戦にドイツが勝っていたら、その後のヒトラーの云々というあらすじが良くない。それだけでなんとなく敬遠してしまう。だいたい本文には総統とか、Zとかしか出てないのだから、おもしろみが減ってしまう。版元はほかに何か紹介しようがなかったのだろうか。

内容はそういった歴史改訂に拘泥することなく、1970年代までドイツが勝ち進んでいてメキシコで戦っている‥という背景に重みはあるものの、それだけでは終わらないというところがある。時空と主人公が次々入れ替わって、でもちゃんと筋が通っているという面倒なストーリー展開に引きつけられ、目が離せない。最初こそ読みづらいかと感じたが、のってくると柴田氏のよく言う「ドライブ感」でぐいぐい引っ張っていく。デーニアの息子からバニング・ジェーンライトへの視点の転換、その後長い物語を経て、ゲリ・ラウバルが登場し、クロスするようにデーニアに視点が戻って来る。最後にやはりデーニアの息子へと視点が受け継がれていく。この流れに、すんなり乗れると結構楽しい小説だと思う。

2005年10月16日

ウェイクフィールド/ウェイクフィールドの妻

ウェイクフィールド/ウェイクフィールドの妻■著者:ナサニエル・ホーソーン,エドゥアルト・ベルティ著,柴田元幸、青木健史訳
■書誌事項:新潮社 2004.10.30 ISBN4-10-544901-X
■感想
「ウェイクフィールド」は1835年に発表されたホーソーンの短篇で、特に理由なく家を出て、すぐ隣の通りに居住を構え、家の様子をうかがい続ける。そして20年後に何気なく帰って、そのまま終生良い夫であり続けた男の話。文学批評上よく引き合いに出される有名な作品である。「ウェイクフィールドの妻」はアルゼンチンの新鋭作家が書いた「妻の側から見たウェイクフィールド」。妻は夫が近くに住んでいることを知っていながら20年を過ごしたというお話。

ホーソーンの短篇の位置づけは「都会小説の始まり」といったような感じだろうか。ロンドンが舞台で、人間と人間のかかわりが薄くなっている時代からこそ出来た芸当なのだから。隣の通りに住んでいて、近所の人に気付かれずに済むなどというのは田舎しかなかった時代にはあり得ないだろう。

では、謎の多い「ウェイクフィールド」に対し、「ウェイクフィールドの妻」の方はすべてに解答を出しているかというと、そうではなく、淡々と妻の日常を追う。それでも「夫の方は仕事はどうしたのだろう?どうやって生計を立てていたのだろう?」「妻の方はどうやって生計を立てていたのだろう?別にお貴族様でもないようだし、夫がいなくなって、家を維持するのはどうしたのだろう?」「妻は夫の仕事先に聞かなかったのだろうか?」「親類縁者は?」等々。

ベルティはウェイクフィールド家に色づけをする。二人の家庭は典型的な中産階級で、メイドが一人と力仕事をする男の使用人が一人。子供はいない。夫の両親は死んでおり、兄弟もいない。妻の方は姉が一人いて、姪もいるが、両親は死んでいない。夫の仕事は役人のようだ。夫は仕事を休暇という形でいなくなり、結果的には退職して他の仕事につく。妻には時折匿名で仕送りするが、最後の方は姉の夫に経済的に援助してもらっているようだ、というような流れで組み立てている。

だが、何故特に理由もなく夫は出て行ったのか、妻は夫の居場所を知りながら夫に戻って来るよう頼まなかったのかというような肝心な疑問には答えていない。でも、この元の短篇に厚みを増したようなベルティの作品を読んでいるうちに、都会に暮らす孤独で平凡な人間ほど、先の見える人生が怖くなってしまったり、わけのわからない狂気じみた行動に走ってしまうことはあるだろうなぁと、納得している自分に気付く。

ただ、ベルティがラストを変えてしまったのは気に入らない。夫は20年経過して死にに戻ってきた。家に帰って1日で死んでしまった、というのはもともとのホーソーンの作品とは異なる結末である。それでは妻があんまりだ。

2005年9月29日

フェンス

フェンス■著者:マグナス・ミルズ著,たいらかずひと訳
■書誌事項:DHC 2000.7.27 ISBN4-88-724190-9
■感想
以前から名前は知っていたが、トマス・ピンチョンに絶賛されたっていうところが能書きとしてはイヤだったので、近寄らないようにしていた。しかしよく考えたら現代イギリス文学はまるで知らないので、労働者階級から出てきた作家というところがちょっと気になり読んでみる気になった。

ちょっとブラックが入っていて、基本的にはリアルな描写なのだが、少しずつずれていくところが面白い。そう。面白い「??」という違和感はあるものの、いろいろなモチーフでの「繰り返し」がしつこくはいってくるあたりで、リズムとしてはのって来るので安心して読めるのだが、ちゃんと「カクッ」というオチがつくところが良い。ともかく不思議な内容。

イギリスのような階級社会で労働者階級からインテリの職業である作家が出てくるのはあまり例のないことなのだろう。彼らはいつもパブへ行きたがる。夜ほかにやることがないのだ。イングランドのパブはスコットランドのパブと違って10時過ぎないと人が集まらないとか、独特だなぁと思う。本人は今でも郵便配達夫をしているらしいが、また面白いネタでも仕込んでいるのかもしれない。

それにしてもこの本を読んでいると、ポール・オースターの「偶然の音楽」を思い出さざるを得ない。あのときは「石を積む」という行為が何を現しているのかと、そればかり考えて読み進めていたが、多分それは「苦行」のように見えたからだろう。今回はどうも「フェンスを作る」ことの描写が詳細なので、「主人公たちは、なんだかんだ言ってフェンスを作るのが楽しいらしい‥」とか単純に思ったりしたが、それは間違いなんだろうか?

2005年9月24日

200X年文学の旅

200X年文学の旅 ■著者:柴田元幸,沼野充義
■書誌事項:作品社 2005.8.27 ISBN4-86-182051-0
■感想
柴田元幸氏の翻訳されている多数の英米文学の作品のうち、私がはまるのが、とりあえずポール・オースターだけなのだが、これだけ精力的にやってるんだから、なんか他にもあるんじゃないかと思って買ってみた。ロシア、スラブ文学の沼野氏と半分ずつというのがまたよかった。沼野氏の方も、現代ロシア文学はわからないが、東欧圏のものは縁浅からず、といったところ。だが、それぞれの評論だったら、ちょっと手が出なかったかもしれない。贅沢な組み合わせについつい、というのは出版者の思惑通りだろう。

こういう評論は自分の幅を広げて面白そうな本を探すときにはぴったりだ。おかげでエステルハージとかゼーバルトとかマグナス・ミルズとかケルテース・イムレとか。いろいろ見つかったので、これからぼちぼち読もうと思う。もちろん、外れもあるだろうが、そこそこ読書が楽しめれば充分。あたりがあったらラッキーと思う。

しかしロシア文学も英米文学も、こういう気鋭の翻訳家・研究者がいるので、その辺の読者は恵まれている。ラテンも独文もあまり若手がいない。ラテンは杉山晃と安藤哲行くらいなものか。それでもやっぱり最近の作品は出てないのだが、それは翻訳家のせいじゃなくて、版元のせいだろう。売れないからなぁ。

最後に独仏クレオール文学の3人の翻訳者を加えた海外文学の座談会がのっている。面白いのだけど、こういうところでもラテンは排除されちゃうんだな。クレオール文学を入れるくらいなら、ラテン入れてくれと思うのだけど、東大がこのライン弱いんだよな‥。現代独文の代表的翻訳家が池内紀になっちゃうんだ。そうかぁ?ま、ちょっと周辺の方ということではぴったりかもしれない。

「ほぼ日刊イトイ新聞」内の担当編集者は知っている。コーナーに詳細が記してある。

2005年7月21日

ナショナル・ストーリー・プロジェクト

ナショナル・ストーリー・プロジェクト■原綴:National Story Project
■著者:ポール・オースター編, 柴田元幸訳
■書誌事項:新潮社 2005.6.29 ISBN4-10-521709-7

■感想
ポール・オースターが著書「トゥルー・ストーリーズ」で語っていた、あの物語だとすぐに思い出した。ラジオ番組で全米から募集したお話をオースターが選出し、放送する。条件は本当にあったお話であること、そして短い話であること。ここに収録されているのは、ラジオで放送されたものの中から更に厳選されたもので180収録されている。オースターの「偶然」好きが産んだ副産物だろう。集まったのは、テレビでいうところのアン・ビリーバボーみたいな話ばかりでなく、おかしな話ばかりでもなく、様々な年齢、職業の人が様々な時代を背景に語ったお話だった。

印象に残ったのは、やはりクリスマス・ツリーを引きずってブルックリンを歩く11歳の女の子、の図だったりするのだが。他にもO.ヘンリーの原稿のO.ヘンリーっぽい物語とか、「キルトを洗うこと」とか、消しゴムみたいなトルテリーニの話とか、街中を停電させた話とか、たくさんある。哀しいお話もあるし、戦争の話もあるし、内容は本当にいろいろだが、ふーん。アメリカ人のこういう職業の人はこういう生活をしていたのだな、というところにも興味がもてる。だからこそ「ナショナル・ストーリー」というネーミングになったんだなということがよくわかる。

いろいろとお話が分類されているのだが、偶然は「死」と「夢」のあたりに密接な関係があるようだ。つまり人が死んだその時間に夢に出てきたというようなお話がいくつかあった。日本人は幽霊に親しんでいるというか、仏教文化のせいだろうか、霊的なものに対してあまり頑なではないような気がする。お盆にご先祖様が帰って来る国だからか、古来より木や物に「言霊」というか、それぞれの精霊が住み着いていると信じられている国だからか。私自身、幽霊については別に特別に信じるとか信じないとか、あまり考えたことはない。考える前に、それはそこにあったというか…科学で解明できるものとできないものが世の中にはあるんだ、と漠然と思っているというか…。そんな日本人としては、うーん別に普通じゃん?というような話をアメリカ人は一生懸命誤解のないように語っていたりするあたりに、ちょっと文化の差を感じたりもした。

総じてとても面白く、なかなか本を閉じることが出来ない本で、実際はかなり一気に読んだような気もするが、それなりには時間がかかったと思う。読み応えありです。

2005年1月14日

空腹の技法

ポール・オースター 空腹の技法■著者:ポール・オースター著,柴田元幸,畔柳和代訳
■原題:The Art of Hunger and other essays, 1992
■書誌事項:新潮社 2003.8.1 (新潮文庫) ISBN4-10-245108-0

単行本読んだし、持ってるし、いいやと思って油断していたら、3篇ほど追加されているという。うう~もったいないが買おう。うん。買って損はなかったと思う。

序文集の終わりに「心配の技法」「家庭人ホーソーン」「見えない作家ジュベー」の3篇が追加されている。「心配の技法」は『マウス』で知られる漫画家(風刺画家?)アート・スピーゲルマンについての文章。

「家庭人ホーソーン」はホーソーンが子供や妻について書いたノートブックの序文。あの暗~い鬱々としたナサニエル・ホーソーンの意外な一面について教えてくれる。これが長い文章で相当引用してくれるので、なかなか面白い。

「見えない作家ジュベール」はフランスの哲学者というか作家というか、箴言家とも違うし、なんとも肩書きがつけがたいが素晴らしい文筆家であるジョゼフ・ジュベールについて書いた文章。

2004年5月 2日

シカゴ育ち

シカゴ育ち■原題:The Coast of Chicago
■著者:スチュワート・ダイベック著,柴田元幸訳
■書誌事項:白水社 1992.4.25 ISBN4-560-04472-4
■感想
1942年にシカゴで生まれ、育った作者の短篇集。七つの短篇と七つの掌篇(ショート・ショート)の組み合わせで構成されている。原題は「シカゴ海岸」なのだが、ミシガン湖岸のことだとわかる人が日本では少ないのだろう。シカゴに海があるわけではないので誤解を避けるために、この邦訳となったのだろう。ミシガン湖が何度も出てくるが、シカゴの青春時代をベースにした様々な物語が描かれている。

どの作品も素晴らしく、完成度の高い短篇であることに驚かされる。こんな本をまだ読んでいなかったのかと思うと、本当に嬉しくなる。ということは、もっといい作品と出逢える可能性があるということだからだ。

中でも「荒廃地域」はシカゴの貧しい白人の住む地区で成長した主人公の少年の日々を描いたもので、中身は濃いくせに短篇なのである。高速道路の高架下を境に向こう側は黒人の住むスラムだ。「荒廃地域」に認定されたことにより、通りに名前がないというその地域の無名性にあらためて気づかされる。そういったことを含めてバンドを組んで練習したり、バカをやっていた少年時代とその仲間の姿が描かれる。そして、その街から両親がおそらくは収入が増えたために引っ越して、それ以来少年の頃一緒にたむろしていた友達とも会ってない。大学に進学した後、授業をさぼって久しぶりに訪ねてみた、そんな物語。この「荒廃地域」はなんとなく京浜工業地帯か、あるいは板橋などの東京都東部の一部地域の雰囲気に近いと思われる。そう考えると親近感がわくと思うのだけど。

「夜鷹」という連作も良い。日本語では「夜更かし」「夜寝ない人」というような意味で使われる。江戸時代なぞは道に立つ売春婦のことを指すこともあったようだ。英語の"Nighthawks"も「夜ふかしをする人」という意味なんだろうと思われるが、なんと言ってもエドワード・ホッパーの作品で有名なのである。そう言えば、ナイト・ホークスはシカゴ美術館所蔵だった。

Edward Hopper: 1882-1967, Transformation of the Real (Basic Art)この絵を題材にした連作なのだが、その中でも「不眠症」はこの絵そのものの物語を想像して書いたもの。絵の中の人物に名前なんて付けてしまったりしている。他の一連の作品もこの絵に対するオマージュといった趣がある。


ファーウェル
冬のショパン
ライツ
右翼手の死
壜のふた
荒廃地域
アウトテイクス
珠玉の一作
迷子たち
夜鷹
失神する女
熱い氷
なくしたもの
ペット・ミルク

1950年代後半から1960年代前半頃のアメリカの青春群像といった感のある小作品が並んでいる。マリファナ吸ってたりするし。ベトナム戦争はあまり色濃くはないが、徴兵逃れみたいな話が出てくるからやっぱりそうなんだろう。ジャズだってニューオーリンズからシカゴを経由してニューヨークに流れているし。そういった時代的な背景も感じさせながら、全体的にとても普遍的に繊細な心象風景で、よくあるアメリカ青春群像物語のような、大味なセンチメンタリズムに浸っていないところが良いなと思った。

2004年4月25日

目かくし

目かくし■原題:The Blindfold Siri Hustvedt
■著者:シリ・ハストヴェット著,斉藤英治訳
■書誌事項:白水社 2000.4.10  ISBN4-560-04687-5
■感想
田舎からニューヨークに出てきた女子学生の神経症的なお話だったらイヤだなぁと思って読んだのだけれど、まぁ当たらずとも遠からず。どうしてニューヨーカーはみんな神経を病むかねぇ。それだけ生きるのが大変なんだろうな。

主人公の名前であるアイリス(Iris)はシリ(Siri)のスペルを逆にしているのだから、本人の経験を元にしているのだろうが、しかし当然フィクションである。主人公アイリスの恋と病気と勉強と貧乏をベースにおかしな人たちとの交流が描かれる。

第一章「ミスター・モーニング」:同じアパートで死んだ看護婦の遺品に異常な関心をもつ変人の話。主人公はアルバイトで遺品を描写してテープレコーダーに吹き込むという仕事をする。
第二章:人間より写真が好きなジョージと恋人のスティーブとの話。
第三章「フーディーニ」:入院した病院で同室になったO夫人の話。
第四章:美術評論家パリスと恋人になるローズ教授との話。

第一章と第三章は先に短篇として発表されて、第二章と第四章が加筆されて長篇となっているのだが、第四章がもっとも長く、全体を包み込んでいる構造。時間的に前後しているし、第一章から第三章のつながりが希薄なため、第四章で流れをまとめて理解できる。なかなかおもしろい。

以前多く読んだことがあるが、1980年以降のアメリカの現代小説は基本的にみんな神経症的でミニマリズムで、私のような前時代的な「物語」を好む読者にとっては"So What?"な作品が多い。だから1970年代までの作品か、あるいは例外的な2〜3人の作家しか読まないのである。でも読まず嫌いなのかもしれないなと思って少しはまた読んでみているのだ。

で、わりと面白かった。幻想的で、ちょっと神経質で、でもちゃんと物語があるのだ。一種の教養小説に近い。新しく見えて、意外に古い形にベースをもっていっている。なるほどなぁと。

夫のポール・オースターに本書は捧げられている。オースターは再婚らしいが、彼女はおそらく初婚で26歳のときに結婚している。ニューヨーカーの作家どうしの結婚で23年ももっている、というのは珍しいことではないだろうか。

2004年4月15日

ナイン・インタビューズ―柴田元幸と9人の作家たち

ナイン・インタビューズ■著者:柴田元幸
■書誌事項:アルク 2004.3.30 ISBN4-75740781-5
■感想
英文学者・柴田元幸氏が自分の翻訳した作家たちをアメリカ各地に訪ね歩いてまとめたインタビュー集。収録されているのは、シリ・ハストベット、アート・スピーゲルマン、T.R.ピアソン、スチュアート・ダイベック、リチャード・パワーズ、レベッカ・ブラウン、カズオ・イシグロ、ポール・オースター、村上春樹の9人である。いずれも蒼々たるメンバーである。村上春樹はアメリカ人ではないが、短篇がよくアメリカの文芸誌に掲載されるので、ここに含まれている。

私の目的はポール・オースターなのだが、他に興味をもったのは、シリ・ハストベットとアート・スピーゲルマン。シリはオースターの奥さんだが、作風が似ているかどうかも知らないので、一応読んでみようかなという気はする。シリ・ハストベットの「目かくし」アート・スピーゲルマンの「シカゴ育ち」、あと、カズオ・イシグロの原作はともかく、下記で見た映画のせいもあり、「日の名残り」を観ようかと。元々あまりアメリカ文学は好きじゃないんです(カズオ・イシグロはイギリス文学なのですが)。カート・ヴォネガットJr.とかね。

しかし、柴田氏にはこんなことやってる暇があったら、Timbuktu(1999), The Book of Illusions(2002), Oracle Night(2003)を翻訳して欲しいなぁ。って、たぶんやってるんでしょうけど、進んでないんだろうなぁ。

2004年3月22日

トゥルー・ストーリーズ

True Stories : Paul Auster■著者:ポール・オースター著,柴田元幸訳
■書誌事項:新潮社 2004.2.25 ISBN4-10-521708-9
■感想
オースターの最新エッセイ集。収録対象作品の組み合わせにより、原著が存在しないという日本オリジナル作品となる。オースターお得意の「偶然の出来事」「本当にあった不思議なお話」が多数収録されている。おそらく、この人がこういうの好きだっていうことが知られていて、知人や読者から集まって来るんだろうなと思っていたら、ラジオで1年間一般公募の番組をもっていたと書いてあったので、ちょっと笑った。相変わらず面白い本が欠乏しているので、久しぶりにのんびり読書を楽しんだ気がする。

Hand to Mouth「その日暮らし」という一品が一番長いのだが、若い頃の苦労話である。貧乏話も彼の得意話の一つだが、なかなか笑えて楽しい。パリ時代の詳細なども含まれていて興味深い。新潮社のサイトに抄録があった。

柴田氏のあとがきにあったけど、オースターのインタビューも収録されているナイン・インタビューズを買おうかどうしようか思案中。奥さんのシリのインタビューの方が興味あったりしたりして。

2004年1月10日

最後の瞬間のすごく大きな変化

最後の瞬間のすごく大きな変化■原題:Enomous Changes at the Last Minute / Grace Paley
■著者:グレイス・ペイリー著,村上春樹訳
■書誌事項:文藝春秋 1999.5 ISBN4-16-0318490-2
■感想
ものすごく単純に、表紙のせいで衝動買いをしてしまいました。短篇集だし、全然読み進められなかったです。表紙がエドワード・ホッパーなのがいかんのです。「モーニング・サン」好きなんだな、これが…。そして後から気づいたのですが、村上春樹訳…最悪だ…。
中身は思ったより悪くはありませんでしたけどね。女性じゃないとつまんないかもしれませんね。しかもちょっと中年じゃないとね…。N.Y.にも子連れの母親が公園に集合するなんて風景があるのね(笑)ちょっと意外。

2003年10月16日

生半可な學者

生半可な學者■著者:柴田元幸
■書誌事項:白水Uブックス 1996.3.25 ISBN4-560-07333-3
■感想
これはまた中途半端に古いエッセイ。軽いものが読みたい昨今なのではあるが、タレントのエッセイなんかだと1時間以内で読み切ってしまい、内容も面白くなく、読後まったく記憶に残らないので、非常にコストパフォーマンスが悪い(BOOK OFFで100円であっても)。学者のエッセイの方が多少はためになるし、内容も面白いものもある。
柴田氏は英米文学の学者/翻訳家のスターであるからして、そうつまらない筈もなく、エッセイも多数出ている。その原点ともいうべき本なのだが、これで講談社エッセイ賞受賞か…という気も若干するし、それくらい面白いエッセイがないという証拠かもしれない。私は英米文学はあまり読まないが、ポール・オースター好きなので、よくお世話になっている。
欲を言えば、面白い本を探しているときにこういう作家や翻訳家の新書を読むので、書評がもうちょっとあると嬉しかったが、英語表現のエッセイなのでそれは仕方がない。自訳になるが「舞踏会へ向かう三人の農夫」はちょっと読みたいかも。アウグスト・ザンダーの話とかはよくナチ物でみかけたなぁ。
それと、アメリカは大学に創作科というところがあって、そこから作家が生み出されてくることに対して、ちゃんと疑問符を打ち出しているところに共感。「システム化された体制によって生産される作家たちは、面白い小説を書くのか?」と。それでも中にはごく稀にちゃんと書く人もいるけど、稀です。

2002年8月25日

第四の手

第四の手■著者:ジョン・アーヴィング著,小川高義訳
■書誌事項:新潮社 2002.7.25 ISBN4-105-19110-1
■感想
1作目から読み直し、ようやく全作品読み終わったところで新刊が出てしまった。長篇としては10作目にあたる。ほぼ全作品日本語訳が出ているとは、つくづく恵まれた作家だと思う。
感想はこちら

2002年3月31日

ジョン・アーヴィング

3月に入ってからは読書はもっぱら、アーヴィングを主に読んでいる。しかも一から読み直している。長篇が多いので、多少時間はかかりそう。

2002年2月 9日

空腹の技法

空腹の技法■著者:ポール・オースター著,柴田元幸,畔柳和代訳
■書誌事項:新潮社 2000.8.30 ISBN4-10-521706-2
■感想
こちら

2002年2月 3日

ミスター・ヴァーティゴ

ミスター・ヴァーティゴ■著者:ポール・オースター著,柴田元幸訳
■書誌事項:新潮社 2001.12.1 ISBN4-10-521707-0
■感想
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2002年1月28日

リヴァイアサン

「リヴァイアサン」■原題:Leviathan, 1992
■著者:ポール・オースター著,柴田元幸訳
■書誌事項:新潮社 1999.12.25 ISBN4-10-521705-4
■感想
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