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2003年12月 3日

予告された殺人の記録

予告された殺人の記録■Cronaca di una morte annunciata 110分 イタリア/フランス ヘラルド・エース=ヘラルド 1988.7公開
■スタッフ
監督:フランチェスコ・ロージ Francesco Rosi
製作:イヴ・カセール/フランシス・ヴォン=ブーレン
製作総指揮:ジャン=ジョゼ・リシェール Jean-Jose Richer
原作:ガブリエル・ガルシア=マルケス Gabriel Garcia-Marquez
脚本:フランチェスコ・ロージ Francesco Rosi/トニーノ・グエッラ Tonino Guerra
撮影:パスクァリーノ・デ・サンティス Pasqualino De Santis
音楽:ピエロ・ピッチオーニ Piero Piccioni
出演:ルパート・エヴェレット Rupert Everett/オルネラ・ムーティ Ornella Muti/ジャン・マリア・ヴォロンテ Gian Maria Volont/アントニー・ドロン Anthony Delon/イレーネ・パパス Irene Papas/アラン・キュニー Alain Cuny
■感想
社会派で名高いイタリアのフランチェスコ・ロージ監督が上記ガルシア=マルケスの作品を映画化。南米はコロンビアの川沿いの田舎町、外国人の金持ちの息子に見初められ結婚した娘が、その初夜に処女でないことから追い帰される。それを知った娘の兄達は彼女を問い詰め、相手の男が近所に住む青年サンチャゴだと分かる。彼らは家の名誉を守るため青年の殺害を予告する、というストーリー。
映画の「語り手」であるお医者さんは小説では一登場人物にすぎませんが、実在しています。彼が主人公のサンチャゴと親友であることは事実として、このお医者さんが村に戻って来て再度調査を行う、という筋立てになっています。

映画の方が男性陣の情けなさが強調されていると思います。ビカリオ兄弟の名誉の回復が何故必要だったのか。これがラテンアメリカのマチスモなんでしょう。それにつけてもマチスモ(男性優位主義)とはあまりにも男性が弱いから作られたものじゃないかと疑いたくなるくらい、こういう南米映画では女性が強く描かれています。止められる立場にいた町長や神父らは何のかんの言ってちゃんと止めず、当のビカリオ兄弟ですら非常に情けない。必死で止めようと動くのは母親たちです。婚約者の母親、カフェの女性などなど。特にバヤルド本人が最高に情けない。そんなに悲劇の主人公を気取るのなら、追い返さないで事情を聞いて受け止めてやればよかったのに。
多くの人に予告され、止めようとする人もいるのに何故事件は起こったのか、映画では下記のように見えるように処理しています。


  1. サンチャゴは実は(家の女中に)恨まれていたので意図的に知らされていなかった
  2. 結婚のお祝い=「祭り」の延長のように「殺人」をとらえ、人々が殺人を期待したからではないか?という疑問符が投げかけられている

小説に比べると絵としてわかりやすい方向に流れているのは致し方ないでしょう。サンチャゴがあまりに「ぼんぼんでたらし」っぽい風貌のアラン・ドロンの息子であるが故に少々「アンヘラに名指しされてもしょうがない」風情があるという点はありきたり過ぎな気もしますが…。広場で遠巻きに見ている人々がまるで劇場の観客のようで、追いかけるバヤルド兄弟と逃げるサンチャゴが舞台の上の登場人物のようです。
アンヘラとバヤルドのデートがジャングルの川上りというところが南米っぽいというか、ワニが泳いでるすぐそばでデートするんだ…というのがちょっと鼻につくというか。また、無垢の象徴である白(サンチャゴ)と黒(バヤルド兄弟)の対比があまりにも美しすぎて、南米の臭いはあまりしません。イタリア映画ですね。南米を描くのならもう少しほこりくさくないといけないのでは?と思いました。きれいすぎます。